戦艦武蔵
盧溝橋事件を皮切りに日中戦争が始まった昭和12年、日本国内では極秘に巨大戦艦の建造計画が動き出しました。
それは大和・武蔵とのちに命名されることになる艦船であり、本作はそのうちの1隻、三菱重工業の長崎造船所で建造された武蔵を舞台にした歴史ドキュメンタリーです。
人々が日常生活を営む長崎の港で、棕櫚(しゅろ)のすだれに囲まれた巨大な造船ドッグがある日突然現れ、その周辺ではスパイ防止のため多数の憲兵隊が配置されるという異様な光景が見られるようになります。
この計画には当時の日本におけるもっとも優れた頭脳、技術、そして膨大な予算と労力が注ぎ込まれ、その過程には技術的な問題、極秘の設計書が紛失するなどのさまざまな障壁が立ちはだかります。
多くの困難を乗り越え、やがて昭和15年11月1日に進水式を無事に終えた場面は、まさに国家規模の計画を達成した「プロジェクトX」のような感動が読者にも伝わってきます。
しかし歴史を定点観測するかのように冷静に描写する吉村昭氏の作品はそこでは終わりません。
艤装(ぎそう)工事や乗組員の訓練を経て進水した武蔵が実際に任務を遂行するようになるのは昭和18年に入ってからですが、皮肉なことに最初の本格的な任務は、ソロモン諸島で戦死した山本五十六元帥の遺骨を日本に送り届けるというものでした。
大日本帝国海軍の秘密兵器にして最大の戦力として期待された武蔵・大和の両艦でしたが、すでにアメリカの本格的な反撃が始まっており、ミッドウェー海戦で致命的な打撃を受けた戦況下ではその実力を十分に発揮する場面が無かったのです。
またそれ以前に従来の大艦巨砲主義を掲げ、航空主兵論者に転換し切れなかった海軍首脳陣の戦略的失敗がその根本にあることはよく指摘される点です。
いずれにせよ大した戦果を上げることなく、武蔵はレイテ沖海戦で沈没する運命を辿りますが、作品中でそうした結果を招いた帝国海軍を罵倒することもなく、また称えることもなく、悲劇的な演出すらなく、淡々と戦死者と生存者の人数を記してゆきます。
先ほども述べたように国家の頭脳と技術を集結させ、そこに膨大な予算と時間を費やした結晶が武蔵(と大和)という戦艦なのです。
それが余りにもあっけなく海の藻屑となる物語は読者を呆然とさせる結末ですが、これは後世の日本人が直視しなければならない史実であるのです。
この"史実を直視"するという点こそが本作に限らず吉村氏の狙いであり、また彼の作品スタイルでもあるのです。
今も昔も国家の命運を掛けたプロジェクトなどはアテにならないものであり、「窮すれば通ず」ではなく「窮すれば鈍する」という結果に終わることが多いのではないでしょうか。
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