本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

単線の駅



年末からある作家の全集を読んでいますが、同じ作家の作品を読み続けるのは多少の飽きが出てきます。
そこで気分転換に手に取ったのが、明治時代生まれで昭和期に活躍した作家・尾崎一雄氏のエッセイです。

昭和40年代から50年代始めに各氏に掲載されたエッセイを集めた形で出版されていますが、おおよそ尾崎氏が70代の頃と一致します。

エッセイはその手軽さから多くの芸能人も出版していますが、やはり本職の小説家が執筆したエッセイは味わいがあり、個人的には遠藤周作北杜夫といった昭和期に活躍した作家のエッセイがもっとも好きです。

老作家の書くエッセイからは、日々の出来事や心境だけでなく、これまで蓄えてきた経験、知識に裏付けされる"確固たる人生観"を知ることができます。

今でこそ70代になっても元気に活動し、いつまでも健康に過ごそうという意欲のある人が増えた印象がありますが、昭和の作家たちに共通するのは60代後半から70代にもなると、自らの人生が晩年にあることをはっきりと意識し、遠からず自らに訪れる""を静かに正面から受け止めている点であり、その心境が文字を通じて感じられるのです。

こうした条件を完全に満たしているのが本書「単線の駅」です。

尾崎氏は志賀直哉に師事して小説を書き始めますが、何度か大病を経験したこともあり決して多作な方ではありませんでした。

また療養のため自然の豊かな小田原市・下曽我にある実家で長らく作家活動をしたことでも知られています。

草木や昆虫を題材したものから、近隣の人びとや作家仲間との交流などを回想と共に穏やかに綴っています。

たわいの無い話題が殆どですが、過度な装飾や肩肘張らない文章から漂ってくる雰囲気に引き寄せられてしまうのです。

また本エッセイの書かれた時期は高度経済成長時代と一致しますが、尾崎氏は世の中が便利になり暮らしやすくなったことは認めつつも、経済発展を優先するあまりに引き起こされた自然破壊や環境汚染に対して警鐘を鳴らしておりり、世の中に蔓延する科学万能主義の風潮へ対してはっきりと反対の姿勢を示しています。

著者が亡くなってからバブルが崩壊し、高齢化社会の到来とともに人口が減少する時代が訪れましたが、経済成長真っ只中に尾崎氏が唱える「人間にとって自然は征服すべきものではなく、共存すべきもの」という主張はリクスを要するものであり、晩年を迎えた作家が最後の義務であると意識していたに違いありません。

イギリスの不思議と謎



外国を理解するためには、色々な側面からその国を知る必要があります。

かなり前に「イギリス観察学入門」という本を紹介しましたが、そこではイギリスの日常的な風景、食生活やライフスタイルなどが解説されており、例えば観光でイギリスを訪れる際に役に立ちそう1冊でした。

もちろんイギリスといっても多様な人種や文化が存在する国であり、それをひと括りにすることは不可能ですが、本書ではイギリスに住む人々の根底にある概念、認識、あるいは思考といったものを解説しています。

それを日本人に置き換えてみると、かつて存在した"武士"へ対して抱く概念、神社仏閣への信仰心、伝統文化への理解、隣国へのイメージなど、それは形として目には見えにくいものです。

本書で解説されているのはイギリス人にとってのそのような内容であり、当たり前ですがそれは歴史上の中で少しずつ培われてきたものです。

日本ではようやく最近見なくなった風景ですが、イギリスのパブリックスクールでは、19世紀はじめ(約200年前)に先生の生徒へ対する暴力、それに反抗する生徒といった構図で学校の秩序が崩壊した時期がありました。

そうした子どもたちのエネルギーを違う方向に導き、利己的な行動を抑制して団体行動の重要さを教育するためにスポーツという教育手段が取り入れられました。

イギリスはサッカーやラグビー、クリケットなど多くのスポーツの発祥の地と言われますが、その背景には歴史的な学校の制度改革があったからです。

ほかにもなぜイギリスは茶木が自生しない国にも関わらず、紅茶の国、つまりアフタヌーンティー文化発症の地となったのかについても、本書で解説されている歴史的背景は興味深いものでした。

本書のはじめにイギリスは一般的に礼儀としきたりを重んじる保守的な国というイメージがある一方、新しいものを積極的に受け入れる国であると書かれていますが、イギリスという国の成立過程からして多様で複雑な文化を内包していることを考えると当然であるという見方もできます。

それは良い面もあり、一方で未だに続く地域感の不協和音や対立といった負の側面も持っているいるのです。

つまり一筋縄には行かないイギリスの懐の深さは、タイトルにある通り「不思議と謎」でもあるのです。