本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

井上成美

井上成美 (新潮文庫)

山本五十六米内光政に続き阿川弘之氏「海軍提督三部作」のトリを務めるは、井上成美(いのうえしげよし)です。

3人の中で一番年少の井上であり、最後の海軍提督でもあります。

米内は寡黙で部下へ対しても滅多に腹の内を見せない重厚なタイプのリーダーであり、山本は率先して行動する活発なリーダーでした。

そしてこの対照的な2人の上司と行動を共にした井上は、知性的なリーダーであったといえます。

この3人は「海軍左派トリオ」と言われ、いずれも日独伊三国同盟日米開戦へ一貫して反対だったことは知られていましたが、3人の中でもっとも強固な反対意見を述べ続けていたのが井上でした。

舌鋒鋭く身も蓋もない発言は上司や部下を辟易させることがしばしばあり、政治的な妥協を知らずにいかなる権威にも屈しなかった井上は、米内や山本と違い、海軍内部からの評価でさえも分かれる人物だったようです。

彼は精密なデータから理論や分析を積み重ね、大和魂に代表される精神論を一切排除し、第二次大戦緒戦におけるドイツの快進撃を一時的な戦況であると冷静に分析していました。

つまり戦前から日本が敗北するという結末を正しく予測し、彼の開戦反対の根拠は思想からではなく、つねに理論的な根拠を伴ったものでした。

しかし結果として米内、山本含めて彼の意見が容れられることはありませんでした。

アメリカは開戦前から井上の言動を把握しており、井上が戦争責任を追求されることはありませんでしたが、戦後間もなく彼自身は責任を感じ三浦半島の長井で隠棲生活を始めます。

それは食べるにも事欠く貧しい暮らしでしたが、かつての海軍仲間たちの資金や物資援助を簡単に受け入れることはありませんでした。

井上は海軍きっての知性と呼ばれていましたが、それを自らの昇進や金儲けに活用することを極端に嫌い、清廉、頑固といった側面がありました。

軍人を神格化することを嫌い、乃木神社東郷神社の存在を苦々しく思い、かつての上司であった山本が戦死し郷里の長岡で山本神社建立の相談があったときもはっきりと反対しています(もっとも山本自身の性格からしても祀られるのは迷惑だっと思いますが)。


井上は昭和17年に江田島の海軍兵学校の校長へ事実上の左遷という形で就任することになりますが、そこでも彼は自分の流儀を貫き通します。

館内に掲げられている歴代海軍大将の写真をすべて下ろさせ、英語の使用が敵性語として陸軍では使用が禁止されたのちも、自国語一つしか話せない海軍士官が世界に出て通用するわけが無いと断言し、英語のカリキュラムを廃止することもありませんでした。

また「生徒たちをもっと遊ばせろ」と指示し、幅広く一般教養を身に付けさせることで視野の広い士官を育てるというのが井上の方針でした。

またさらにその裏にあったのは、日本がやがて敗戦し、その後復興させるための人材を育成するという遠大な計画でもあったのです。

ある人は井上の本質は教育者だったと評しますが、彼自身にもそうした自覚があったようです。

人情の機敏に疎かった面があり器の大きなタイプの大将ではありませんでしたが、それが故に終始迷うことなく日独伊三国同盟、日米開戦に断固反対し続けた孤高の人であったのです。

米内光政

米内光政 (新潮文庫)

阿川弘之氏による山本五十六に続く「海軍提督三部作」の2作目です。

本作の主人公はタイトルにある通り米内光政です。

戦前に連合艦隊提督、海軍大臣、そして首相を歴任し、大戦末期には再び海軍大臣を勤めた米内は、昭和を代表する海軍軍人です。

米内の輝かしい経歴と日本が無謀な対米開戦に踏み切った挙句に無条件降伏という散々な結果となった時期は重なっています。
にも関わらず、阿川氏はなぜ米内光政にスポットを当てたのでしょうか?

それをひと言で表すならば、大局観を持ち日本の将来を正しく予見し、かつ軍人として一級の人物であったことが挙げられます。

戦前において米内は海軍大臣として、山本五十六次官、井上成美海軍省軍務局長らと共に「海軍の左派トリオ」として日独伊三国同盟に真っ向から反対しますが、結果としてそも目的を達成することは出来ませんでした。

そして開戦時に山本は連合艦隊司令長官として前線へ向かうことになり、米内と井上は中央から遠ざけられます。

やがて山本が戦死するものの、敗戦直前に2人は再び中央へ復帰し、米内海軍大臣、井上次官のコンビで終戦への段取り進めることになるのです。

この3人の中でもっとも年長である米内は、山本、井上らを先導する役割を担ったことからも阿川氏の目に止まったのは当然といえるのです。

ところが米内は、兵学校の成績も平均から少し下回る程度であり、将校としての経歴もパッとしない地味なものでした。

またリーダーとしてのやり方も、山本のように率先して実行するタイプではなく、また身も蓋もない発言をする性格でもなく、寡黙で必要最小限度のことしか指示せず、部下から見ると何を考えているか分からない上司だったのです。

彼は親交のあった慶應義塾塾長の小泉信三からさえ
「国に事がなければ、或いは全く世人の目につかないままで終る人であったかも知れない」
と評される人物でした。

本書はそんな米内が、なぜ広義でいう条約派、狭義の艦隊派という世論の主流から外れた位置にいたにも関わらず、海軍、そして内閣の最高地位にまで昇り詰めることができたかを本書は明らかにしてゆきます。

実際に指導者となった米内は、普段は寡黙ながらも時折彼の口から出る発言は的確なものであり、また部下を信頼してすべてを任せる点、そして危機に直面した際には身の危険や健康上の不安をまったく顧みずに平然と信念を貫き通す態度など、その本領を発揮し始めます。

加えていくら飲んでも顔色一つ変わらない酒豪という点、長身とハンサムな風貌で芸妓たちに圧倒的にモテたという点なども相まって、どこか長者の風格すら漂ってきます。

600ページにも及ぶ大作からは米内光政のエピソードを仔細漏らさず触れられている感があり、かつ昭和における大日本帝国海軍のエッセンスが彼の中に詰まっているように思えてなりません。

絶海にあらず〈下〉

絶海にあらず 下 (2) (中公文庫 き 17-9)

私がはじめて北方謙三氏の歴史小説を手に取ったのは、今から約10年前に太平記、いわゆる南北朝シリーズに夢中になった時ですが、彼の手がける歴史小説は非常に特徴的です。

それは基本的な路線は史実に基づきながらも、緻密さや整合性よりも物語性を重要視している点です。

非常に味付けの濃い作品であるため、立て続けに読むと少し食傷気味になってしまう一方で、強烈なインパクトで読者を惹きつける魅力という点では他の追随を許さない面白さがあります。

領土に縛られず、広大な海を舞台にして自由に生きようとした藤原純友を主人公にした本書もその例外ではありません。

主人公の強烈な個性もさることながら、登場する脇役たちも主人公に劣らずに個性的かつ魅力的に描かれているのがその秘訣でないでしょうか。

まずは遠藤不二丸猿鬼(ましらき)、安清の3人はそれぞれ出自こそ違いますが、いずれも家族や一族を失い、生きる目的さえも見失いかけているところを純友によって救われます。

そして伊予郡司である越智家によって領地を失った風早の一族は、山の民として陸上から純友を助けることになります。

さらに欠かせないのが小部長影丹奈重明大佐田二郎小野氏彦といった中央から虐げられた水師たちであり、彼らがもともとは京育ちだった純友へ船や海の知識や技術を伝授し、同志として共に戦うことになります。

何しろ上下巻で900ページ近くの長編であるため、その他にも多くキャラクターが登場しますが、いずれも一癖も二癖もありながら魅力的であり、作品中で彼らの活躍が楽しみになってきます。

主人公の純友は、単純に藤原北家をはじめとする京の権力へ反抗するのではなく、自らが理想とする海、つまり国境のない誰にとっても開かれた自由な海を実現するために立ち上がるのです。

それは単純な海戦だけでなく、水面下で繰り広げられる物流や経済の主導権を巡る争いも丁寧に描くことで、見た目の派手さだけでない奥行きのあるストーリーを展開してゆきます。

もちろん藤原忠平良平兄弟、伊予郡司の越智安連安材父子といった純友の敵として立ちはだかる勢力も強大かつ狡猾であり、スリリングな駆け引きに読者は目を離せません。

歴史が苦手だと感じている人でも楽しめてしまうのが、北方謙三氏の歴史ロマン小説なのです。

絶海にあらず〈上〉

絶海にあらず〈上〉 (中公文庫)

藤原純友を主人公にした北方謙三氏による歴史小説です。

日本史の教科書では承平天慶の乱(しょうへいてんぎょうのらん)として、平将門とともに瀬戸内海で起きた反乱の首謀者として知られています。

将門が坂東(関東)の領土を基盤とした一方で、純友は瀬戸内海の海上を中心にして朝廷へ反旗を翻しました。

ほぼ同時に起きた反乱が"東と西"、そして"陸と海"というのが対照的ですが、残っている史料の多さ、"新皇"を自称して中央権力の象徴である天皇へ挑戦したという分かり易さから平将門の方が圧倒的に知名度が高いようです。

しかし北方氏は藤原純友を主人公にすることで、瀬戸内海から玄界灘、そしてその先にある朝鮮半島や中国という広大な海を舞台にした海洋歴史小説としてスケールの大きなストーリーを構築しています。

また平将門と密謀の上で同時に反乱を起こしたという説を採用しておらず、あくまで各々が自らの意志と決断で決起したというストーリーになっています。


時は天皇の外戚である藤原北家が台頭し、その頂点に君臨するのが藤原忠平でした。

純友も藤原北家の傍流ではあったものの、自身は出世に興味はなく京で気ままな暮らしをしている場面から物語が始まります。

しかし偶然の出来事から純友は伊予掾(いよのじょう)という官職を得て、地方役人として赴任するところから彼の人生が変わり始めます。

日本の富と権力が集まる京ではくすぶっていた純友が、中央から離れた伊予で自分の居場所を見つけることになるのです。

むしろ京を外から見ることで藤原北家、言い換えれば中央政府の問題点が浮き彫りになり、それが純友の心の目を開かせたと言えます。

これがあらゆる物流を支配下に置き、海をも支配しようとする忠平へ対する挑戦へと発展してゆくのです。

正確にいえば純友は中央政府へ反乱を起こす気さえなく、誰にも縛られず自由に、そして逞しく海の男として生きてゆくことを選択したのであり、それは彼の作品中のセリフに明確に現れています。

「海は、どこまでも繋がっている。俺がどこに行こうと、誰も止められん」
「水師は勝手に生きるものなのですよ。海さえあれば、どででも生きられます。誰も、京の庇護など当てにしておりません。」
「海は誰のものでもありません。海はただ海なのですよ」

北方氏の歴史小説の特徴は、抜け目なく権謀術数によって栄達した男ではなく、たとえ道半ばに斃れようとも自らの自由意志によって勇敢な人生を送った男を題材とすることが圧倒的に多いのも特徴です。

日御子(下)

日御子(下) (講談社文庫)

古代日本において約200年という時間軸の中で、使譯(しえき)つまり通訳を生業としてきた"あずみ一族"の物語を描いた作品です。

何と言っても本書のクライマックスはタイトルにある通り日御子、つまり邪馬台国の女王・卑弥呼の時代です。

魏志倭人伝では卑弥呼は鬼道を用いて民衆を惑わせたという記述がありますが、彼女が巫女のような役割を果たし国々を平和に治めたという学説もあり、ともかく古代日本における偉大な統治者として本作品では登場します。

彼女に仕える巫女頭として登場するのが"あずみ一族"の女性・炎女(えんめ)であり、彼女が受け継いだ知識や経験を余すことなく日御子へ伝え、彼女を影で支える重要な補佐役として登場します。

当時の日本人は文字を持ちませんでしたが、漢語を読み書きできる"あずみ一族"は代々の先祖が書き遺してきた木簡が記録として伝わっており、炎女をはじめとした子孫たちがその教えを忠実に守り、より良い時代が到来するために努力します。

つまり本作品における日御子こそが"あずみ一族"が念願とした平和の象徴でもあるのです。

中国では後漢が倒れ群雄割拠の時代を経て三国時代に突入していましたが、そんな混乱した時代を縫うようにして日御子は朝貢を行うことを決意します。

海路、そして陸路を半年間かけてたどり着いた洛陽は、邪馬台国とは比べ物にならないほど発達した大都市でした。

そこには倭国では作り出せない馬車、そしてがありふれていましたが、同時に長きに渡り多くの命が犠牲となる戦乱が続く大国でもあったのです。

もちろん経済や技術の発達が人びとの暮らしを楽にする一方で、より大きな争いと犠牲を生み出す原因にもなりうることは現在でも変わりません。

本書は古代の小国と大国の交流を通して真の平和とは何かを考えさせる作品でもあるのです。


もし"あずみ一族"のような使譯を果たした一族が古代に存在し、彼らの残した記録が発掘されるようなことがあれば古代日本の謎は相当程度に解明するはずです。

一方でその明らかにならない謎こそが古代日本の魅力であり、本作品のようなロマン溢れる歴史小説を楽しめる要素なのかも知れません。

日御子(上)

日御子(上) (講談社文庫)

帚木蓬生氏による古代日本歴史小説です。

本書の主人公は、九州に割拠していた国々の"あずみ一族"の当主たちです。

はるか古代に大陸より日本に移住してきた"あずみ一族"は、日本の各地に散らばり代々使譯(しえき)、つまり大陸(中国)との通訳を生業としてきたという設定です。

使譯が普段活躍するのは大陸との交易ですが、何と言ってもその晴れ舞台は中国王朝(皇帝)への朝貢の時であり、漢委奴国王印で有名な後漢を興した光武帝への朝貢に始まり、魏志倭人伝に至るまでの約200年間が物語の舞台になっています。

すでに中国には広大な国土を有した統一王朝が勃興して久しく、文明、経済、芸術などあらゆる点で世界でもっとも強力な大国でした。

一方日本ではようやく稲作が定着しつつあり、小さな国が群雄割拠し始める時期でしかありませんでした。

あらゆる点で遅れをとっていた当時の日本でしたが、有力な地位を占める国にとって何よりステータスとなったのが中国王朝へ対する朝貢であり、献上物を携えてはるか遠くの洛陽にまで使者を遣わすという行為は国を挙げての一大事業であると同時に、周辺国を従える大義名分としても大きな政治的効果があったのです。

当然のように目的を達成するためには漢語を理解する使譯が必要不可欠であり、彼らの素養そのものが"倭国(日本)"の国際的印象に直結するものだったのです。

時代の流れとともに祖父から孫へ、またその子孫へと任務が受け継がれてゆく過程では平和な時期もあれば戦乱の厳しい時期もあり、それでもその時代に生きた"あずみ一族"の当主たちは自らに課せられた使命を全力で果たしてゆきます。

本書に度々登場する"あずみ一族"の3つの掟は非常にシンプルなものです。

  • 人を裏切らない
  • 人を恨まず、戦いを挑まない
  • 人良い習慣は才能を超える

世代を超えてこの掟を守り続け、たくましく時代を生き抜く"あずみ一族"の物語は、どんな時代にも変わることのない川の流れのようであり、そこに読者は壮大なロマンを感じてしまうのです。