2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?
2007年に出版された"2ちゃんねる"の管理人ひろゆき(西村博之)氏の著書です。
インターネット業界は他業種より技術やサービスの変革が激しく、かつてドッグイヤーと評されることがありましたが、その変化の早さは今も変わりません。
だからインターネットに関する約10年前の本を読むことに意味が無いのではないかと問われれば、明らかに答えは"ノー"です。
本書のタイトルにもなっている"2ちゃんねる"は10年前も今も、国内最大の掲示板サイトであり続け、未だにその影響力も大きいのが現実です。
本書に限らずひろゆき氏の発言を拝見する限り、簡単に世論や昔からの慣習といったものに迎合せず、つねにロジカルに考えて物事の本質を突くことがあり、その点ではホリエモンこと堀江貴文氏と共通するものがあります。
"2ちゃんねる"の特徴はSNSと違って匿名という点であり、それだけに過激な発言が書き込まれることがあります。
それだけに誹謗中傷、名誉毀損、差別発言の撤回を求めて裁判が行われることもしばしばです。
また発信元が特定されていないという点で情報の真偽も玉石混交ですが、何と言っても他に類を見ないユーザと書き込み数を誇る"2ちゃんねる"は10年前も今も変わらず需要があり続け、イコール欠かせないサービスであり続けるのです。
仮に法的な強制力などで"2ちゃんねる"が潰れることがあってもその需要が無くなることはなく、似たような他のサービスが生まれるだろうという著者の指摘はまったくその通りだと思います。
またCGM(ユーザがコンテンツを生成する仕組み)や、セカンドライフ(仮想空間を提供するサービス)といった既に姿を消してしまったワードが登場する点は、10年という時代の流れを感じる点です。
また著者は元々が技術者(エンジニア)であるため、CPUをはじめとしたハードウェアの進化にも言及していますが、現在はハードウェア本体を用意することなくサーバを利用できるクラウド型サービスが普及し、10年前の予想とは違った方向へ進化しています。
また10年前には動画サービスがビジネス的な収益を上げることが難しいと考えられていましたが、ここ2年くらいで一気に伸び始めた有望な分野になっています。
本書の中で10年後の現在を適切に言い当てられているのは正直半分くらいだと思いますが、これはあくまでも表面的な出来事にしか過ぎません。
インターネットを扱う人間自体が10年程度で大きく変わることはなく、本書に収められている小飼弾氏との対談にあるように、彼らにとって一般的な日本人は思考停止しているように見えてしまい、「思考停止のやり方が分からない」というひろゆき氏の考える新しいインターネットの未来像は、今なお日々変わり続けているに違いありません。
一路(下)
突然に父親を失い、家伝の「行軍録」のみを頼りに、参勤交代の大役を果たそうとする主人公・小野寺一路。
彼は頭脳明晰、剣の腕も一流という評判ですが、いかんせん19歳という若さということもあり、実務経験のまったくない世間知らずの若者です。
しかし江戸時代では能力や経験よりも世襲、つまり筋目がもっとも重要視される社会であり、それでも一路は役目を果たさなければなりません。
これを現在に例えるなら、大学を卒業したばかりの新卒社員がいきなり部長に抜擢されるようなものです。
それでも懸命に役目を果たそうとする一路に、少し変わった仲間たちが彼を手助けをしてくれます。
それは和尚、易者、髪結、馬喰など市井の人々、さらに年下の気弱な侍、戦国時代から出てきたような猪突猛進型の侍といった、権威や貫禄は足りなくとも、いずれもひと癖あるキャラクターばかりです。
そして本書ではもう1人の主人公といえるのが、彼らの頂点に立つ殿様・蒔坂左京大夫です。
美濃田名部七千五百石の領地において権力の頂点に立つ人物であり、殆どの大名がそうであったように好き嫌いの感情を表に出すことや、身分の低い者と軽々しく口をきくことは望ましくないとされてきました。
実際、左京大夫自身が命令せずとも領地は家臣たちが滞りなく運営してくれるため、命令する必要さえ無いというのが現実でした。
中山道を上京する中で数々の困難を乗り越えるうちに、一路だけではなく、この左京大夫もともに成長してゆくという点が本書の醍醐味です。
さらにストーリーが後半に入るに従い、事故無く普通に参勤交代を果たすだけでなく、一部の家臣たちが密かに企てている陰謀を食い止めるために、意識せずこの2人がタッグを組み、また彼らの仲間たちも獅子奮迅の働きをします。
小さいとはいえ一国を揺るがしかねない危機であり、普通に考えればシリアスな雰囲気にならざるをえないのですが、浅田次郎氏はこれをエンターテイメント型の時代小説として書き上げています。
もちろん登場人物それぞれの立場から描かれる浅田氏ならでは人情物語も健在です。
一路(上)
江戸時代という250年に及ぶ天下泰平の時代が続きますが、その平和を支えてきた重要な要素が完成度の高い封建制度です。
その封建制度の中核が将軍を頂点とした上下関係であり、とくに武士の階級においては絶対的な力を持ちました。
中でも参勤交代は、全国の大名が江戸の将軍へ対して忠誠を示すための重大な義務でした。
本書はその参勤交代を題材にした浅田次郎氏による軽快な時代小説です。
封建制度の要である身分制度は、単に上下関係を決めて法律化するだけでは足りず、上に立つもの(将軍や殿様)を権威付ける細やかな儀式や慣例が欠かせないのは、世界の東西に関わらず共通のものです。
たとえば殿様が身軽な服装で1人で上京したのでは何の権威も生まれず、参勤交代の効力は発揮できません。
つまり"大名行列"という大勢のお供を引き連れた盛大な演出が欠かせないのです。
本書の主人公は、美濃国田名部藩7千5百石の旗本である蒔坂左京大夫の元で参勤交代の責任者(御供頭)を代々勤める小野寺一路です。
この一路は一度も領地を訪れた事のない江戸住みの若干19歳の身であり、父の弥九郎が屋敷の失火で亡くなったために突如、その重責を担うことになります。
身分制度を円滑に維持する上で能力ではなく、世襲によって役職を継ぐという点も封建制度の特徴であるといえます。
ただし一路は若いこともあり、父親から肝心の御供頭としての心得や引き継ぎをまったく受けておらず、奇跡的に焼け跡から発見された2百年以上も前に先祖が書き遺した家伝の「行軍録」のみが唯一の手がかりという状態です。
参勤交代の旅程において不手際があれば、小野寺家の家名断絶を免れません。
果たして一路は、この窮地を乗り越えられるのか?
封建制度という細かい制度が幅を利かす江戸時代は、歴史に精通した著者にとって格好の舞台装置であり、痛快な物語が幕を開けます。
あんぽん 孫正義伝
少なくともここ半世紀において、孫正義ほど日本で成功した起業家はいません。
10兆円に迫る売上高を誇るソフトバンクグループを率いる孫正義の軌跡や経営哲学をテーマにした本は数多く出版されていますが、今まで彼に関する本を手に取った機会がありませんでした。
本書は作家である佐野眞一氏が、孫正義のルーツに迫ったノンフィクション本です。
この400ページにもなる分厚い本を開く前には、孫正義のルーツに迫りつつも、起業に至るまでの過程、米ヤフーと合弁でヤフー株式会社を設立し日本の黎明期のインターネットを牽引し、J-PHONEや球団の買収などなど、数々のエピソードが満載されている本といった勝手な想像をしていました。
しかし実際に読み進んでゆくと、佐野氏は"経営者としての孫正義"ではなく、どこまでも"個人としての孫正義"に迫ってゆく方針であることが分かってきます。
そもそもプロローグで著者は次のように言い切っています。
私が孫正義という男について書こうと思ったのは、彼のデジタル革命論に興味を持ったからでもなければ、彼のコンピュータ文化論に共鳴したからでもない。そんなことは、新しいもの好きのIT評論家にまかせておけばいい。
孫正義のルーツに迫ってゆこうとすれば必然的に彼が在日三世であることに言及する必要があり、そこにこそソフトバンクグループを築き上げた源泉、そして今もトップとして君臨する彼の経営方針や発言のバックボーンが見えてくるといったアプローチをとっている点がポイントです。
孫は佐賀県鳥栖市の無番地、すなわち朝鮮部落のバラックで生まれました。
当時、密集したバラックに住む朝鮮人たちは、おもに養豚と密造酒で生計を立てていました。
住居と豚小屋が続いてる構造のため部落全体からは異臭が立ち込め、その脇を流れるドブ川は大雨が降ると溢れ出し、バラックを水没させてしまうような劣悪な環境でした。
そこから孫の父・三憲は、密造酒で稼いだ資金を元にサラ金を始め、やがて九州で最大のパチンコチェーン店を展開するまでに至ります。
バラック住まいから一躍大金持ちになった三憲は、それを才能に恵まれた正義に惜しみなく投資し、彼のアメリカ留学、そして企業資金を支えるまでになります。
ただし在日韓国人の父親がにわか成金になったおかげで孫正義が誕生したのか?と問われれば、それが明確に"ノー"であることは本書を読めば分かります。
そこに至るまでには、かつて朝鮮では名族として知られ、やがて没落して困窮のため日本に渡ってきた一族の3代に渡る壮大な物語がバックボーンとして横たわっています。
祖国を捨て新天地の日本でも差別と貧困に苦しみ、時には骨肉の争いも辞さない強烈な喜怒哀楽の歴史が、孫正義という人格の中に濃縮されているといえます。
正義の父(孫家)、そして母方(李家)の親族やその故郷を丹念に取材し、血のルーツを探ることによって、稀有な世界的起業家となった孫正義の生まれた理由に迫っており、こうしたアプローチで伝記を執筆するのは極めて珍しく、それだけに新鮮なインパクトを受ける1冊です。
カカシの夏休み
やや抽象的ですが、努力が"報われる"か"報われない"かが議論になることがあります。
私自身はそれほどこの結論に興味はありませんが、いずれにしても人が生きてゆく上で重圧に苦しむような場面に出会うことだけは確実です。
それは家庭や職場、学校でぶつかる難題や人間関係であったり、自身の健康問題、ひょっとして親しい人の死であるかもしれません。
本書はそんな人生の壁にぶつかった人たちの物語をテーマにした3編の作品が収められています。
- カカシの夏休み
- ライオン先生
- 未来
この3作品に共通しているのは学校が舞台として関わっている点であり、はじめの2作品は教師、3作品目は学校を中退した少女が主人公です。
また主人公たちに共通しているのは、特別に優れた能力や恵まれた立場を持っていない、ごく一般的な人たちである点です。
タイトル作の「カカシの夏休み」では、クラスの問題児の扱いに手を焼いている時期に、故郷の旧友が交通事故で亡くなるという訃報が主人公である男性教師(小谷先生)の元へ届きます。
30代後半にさしかかり中堅という立場にありながらも、1人の生徒と向かい合う中で改めて教師としての資質や方向性に悩む主人公でしたが、葬式をきっかけに久しぶりに出会うかつての同級生たちは、いずれも自分と違う形でそれぞれの重圧の中で戦っていることに気付きます。
そして主人公たちのかつての故郷はダムの底に沈んでしまい、帰るべき思い出の場所は既にありません。
バイタリティのある人はひたすら未来に向かって進み続けますが、多くの人たちは困難にぶつかった時に、ふと楽しかった頃の過去を振り返らずにはいられません。
そして二度と戻れない過去であることは分かっていても、振り返ることで再び前進するきっかけを掴むことも出来ることもあるのです。
本書は普通の人たちが日々の中でぶつかる困難へ対して、無器用に1つずつ乗り越えてゆく過程を描いている物語であり、だからこそ多くの読者の共感を得ることが出来るのではないでしょうか。
各ストーリーの主人公たちを見ていると、たとえ読者が抱えている問題解決のヒントにはならくとも、気分を和らげてくれるハズです。
高熱隧道
北アルプスの北部に位置する黒部渓谷。
そこは深い谷と急峻な崖に囲まれ、人はおろか猿やカモシカでさえも辿ることの出来ない地域でした。
本書はそんな人類未踏の地域に足を踏み入れ、戦前(昭和11年~昭和15年)に仙人谷ダムを建設した人々を描いた小説です。
工事現場までは崖の中腹に桟道を通す必要がありましたが、それは丸太をボルトで固定したものに過ぎませんでした。
そのため資材を運ぶだけでも多くのボッカたちが荷物もろとも崖下に消えていったのです。
そして何より困難を極めたのが、高熱の岩盤と湧き出る熱水に苦闘しながらのトンネル貫通工事であり、その通称がタイトルにある"高熱隧道"です。
当時は岩盤を無人で掘削してゆく巨大なマシンは存在せず、ダイナマイトによって岩盤を爆破し人力によって破片を運び出すというものでした。
資源の乏しい日本において当時は新たな水力発電所の建設が重要視されており、それは単なる公共事業に留まらず、大戦の足音が刻一刻と近づいてくる世相の中で工業力を強化する国策としても是非必要なものでした。
150度以上に熱せられた岩盤によって多くの人夫が倒れ、また高熱のため暴発するダイナマイトによって犠牲者が出たこともあり、工事は遅々として進まない状況でした。
そのため大掛かりな宿舎を現場近くに建設して冬季も工事を続行させますが、これがさらなる悲劇を生み出しました。
それが豪雪の冬に起こる泡雪崩(ほうなだれ)でした。
この凄まじい衝撃波を伴う雪崩が宿舎を人夫もろとも580m先にある奥鐘山の岩壁に叩きつけ、84名の命が一瞬にして失われました。
残念ながら工事着工から仙人谷ダムが完成するまでに300名を超える犠牲者を生み出すことになるのですが、この過程が作品には克明に描かれています。
この作品には3つの側面があります。
まずは地球の息吹を感じるかのような灼熱の岩盤、そして急峻な山と豪雪という組み合わせが生み出す恐ろしい雪崩など、雄大で厳しい大自然の姿を描いているという側面です。
次にその大自然へ果敢に挑戦し、いかなる犠牲を払ってでも目的を達成しようとする人間たちの執念や情熱という観点からの物語です。
そして最後に、帝国主義を掲げる国家権力を背景にした建設会社が工事を強行し、結果的に現場の最前線で働く多くの労働者(人夫)の命を失わせたという悲劇の物語としての側面です。
のちの太平洋戦争において多くの兵士たちの命が軽視されてしまった兆候が、すでにこのダム建設の現場に現れていたのです。
いつかこの仙人谷ダムへ訪れてみたいと思っていますが、実際にダムを目の前にした時、色々な感情の入り混じった複雑な気持ちになるのかも知れません。
大本営が震えた日
玉音放送によって国民に降伏を知らされた8月15日は終戦の日として有名ですが、真珠湾攻撃・マレー作戦によって開始された12月8日の太平洋戦争開戦の日はそれほど知られていません。
泥沼化しつつある日中戦争、また満州を巡ってソ連とも予断を許さない状況にありながら、アメリカ、イギリス、オランダをも敵に回すという無謀な戦略だったことは歴史が証明していますが、開戦前から最高司令部(大本営)の人間たちもその困難さは理解していました。
そこで考えついたのが、渾身一滴の奇襲作戦です。
敵国に奇襲作戦を知られることを防ぐために、開戦日やその標的については国民はおろか、大部分の軍人にも知らせなかったのです。
しかしこれだけの作戦を遂行するためには、長い準備期間と緻密なスケジュールに沿って大規模な極秘行動を展開する必要がありました。
本書は、こうした開戦の影に潜んだ巨大な舞台裏をテーマにした吉村昭氏の小説です。
まずは広東東方の山岳地帯に墜落した中華航空の民間機「上海号」が取り上げられています。
墜落した飛行機には、開戦司令書を携えた杉坂少佐が乗っており、しかも墜落現場は中国軍の支配地域だったのです。
軍上層部の苦悩、そして敵地に墜落しつつも辛うじて生き残った軍人たちの運命が緊迫した状況とともに描かれています。
続いて開戦直後にアメリカ海軍によって拿捕される可能性の高かった日本人引揚船「竜田丸」の乗組員たちの物語、さらにはマレー半島攻略作戦へ向けて南下を続ける日本軍輸送船団の隠密行動、東南アジア攻略のために欠かせないタイへの平和進駐の交渉裏など、多方面で繰り広げられながらも歴史の表に出てこなかった事実が浮かび上がってきます。
そして最後は択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)に大演習のため終結した艦隊が、その本当の目的であるハワイ・真珠湾攻撃のために出港してゆく過程を扱っています。
連合艦隊司令長官・山本五十六によって立案された太平洋戦争最大の奇襲作戦の舞台裏は、厳しい電波管制を続けながらも、ハワイ(敵地)の情報収集を続けながらの沈黙行動であり、有名な「新高山登レ一ニ○八」の開戦決定に至るまでの緊迫した状況が伝わってきます。
本書は北海道から九州に及ぶ丹念な取材、そして何より敗戦後20年後に書かれたため、当時の関係者が比較的健在だったという要因が重なって完成された作品です。
作品の最後は次のように締めくくられています。
庶民の驚きは、大きかった。かれらは、だれ一人として戦争発生を知らなかった。知っていたのは、極くかぎられたわずかな作戦関係担当の高級軍人だけであった。
陸海軍人二三○万人、一般人八○万のおびだたしい死者をのきこんだ恐るべき太平洋戦争は、こんな風にしてはじまった。しかも、それは庶民の知らぬうちにひそかに企画され、そして発生したのだ。
人間の集団について―ベトナムから考える
ある国のことを知ろうとするとき、てっとり早くガイドブックから知るのが簡単だが、じっくりと腰を据えて歴史や伝統から知ろうとするのも悪くないかもしれない。
しかし本書の著者である司馬遼太郎氏は、必ず現地を訪れて取材をするという流儀を持った人でした。
それも現地の政治筋の人や新聞記者とは会おうとせず、地下の人、つまり普通に暮らしている民衆たちに接することで、肌身を通じてその国の空気に触れようとするスタイルなのです。
著者はベトナム戦争において米軍の最後の部隊が撤退した翌日(1973年4月1日)にサイゴンを訪れますが、南北ベトナムの内戦はまた続いており、連日のように多くの犠牲者が出ている状況でした。
それでも著者が出会ったベトナム人は誰もが微笑みを絶やさず親切であり、かつての日本がゆるやかな社会環境だった頃の人間に出会ったような懐かしさを感じると記しています。
もし会社の業績を伸ばすために必死に働く経営者やサラリーマンが多い日本で内戦が勃発したとしたら、殺伐とした神経の張りつめたような雰囲気に支配されるに違いありませんし、"例え"を持ち出すまでもなく、大戦中の国家総動員法や大政翼賛会といった民衆への重圧を強いるような社会状況にあったことをつい最近の歴史から引き出す事もできるのです。
数百万人もの犠牲者を出すような苛烈な状況下にあるにも関わらず、彼らの柔和さは奇跡のようなものと著者は感嘆すると同時に、ベトナムの自前の生産社会の歴史的段階は、日本の戦国時代か江戸時代初期の段階にすぎないとも指摘しています。
つまりメコン川を中心とした豊穣な土地で稲作をすれば充分に食ってゆけた村落を中心とした集団がベトナム人の基盤であり、近代国家の持つ重い理念に無縁であったという要因が大きいという鋭い分析を行っています。
そこへいきなり最新式のアメリカ資本主義が乗り込んできたことにベトナムの悲劇があるのです。
ベトナムと同じインドシナ半島にあるラオス、カンボジア、タイといった国々はいずれもインド文化圏として性格を強く持っていますが、ベトナムは歴史的に中国文化圏の影響を強く受けている国です。
こうしたアジアの多様な文化を知る上でも、また国や民族を外から観察する視点を養うという点からも、本書から得ることは多いのです。
たかが信長 されど信長
定期的に訪れる感のある"信長ブーム"。
本書にはおもに、何度めかの信長ブームが訪れた1991~1992年(平成3~4年)に行われた遠藤周作氏を中心とした対談が収められています。
私自身、当時の信長ブームにはおぼろげな記憶しかありませんが、緒形直人演じる信長の大河ドラマ(信長 KING OF ZIPANGU)が話題になったことは印象に残っています。
ともかく多くの歴史小説を手掛け、日本文壇の重鎮として活躍していた遠藤氏を中心とした当時の対談本を今回はじめて手にとってみました。
本書に収録されている対談は以下の通りです。
- 今さら、なぜ信長か - ブームを斬る(VS.津本陽・江坂彰)
- 信長は天皇に勝ったか - 権威と権力の暗躍(VS.今谷明・山室恭子)
- 『武功夜話』に見るマザコン男の孤独 - 前の一族と信長・秀吉(VS.吉田蒼生雄・高橋千劔破・藤田昌司)
- あなたは信長の部下になりたいか - 「水の人間」の魅力と欠陥(VS.尾崎秀樹)
- こんな英雄はいらない - 大ポカをするゴリゴリの合理主義者(VS.会田雄次)
- でもやっぱり、信長は偉い?(遠藤周作ひとり語り)
- 作家はなぜ歴史小説を書こうとするのか? - 書く側の論理(VS.辻邦生)
たとえば対談相手の1人である津本陽氏は、信長を主人公にした大ベストセラー「下天は夢か」を発表した作家であり、その他にも歴史学者、評論家などいずれも信長や戦国時代の専門知識を持っている人たちが対談相手です。
そこからは先行しがちな作家やメディアが作り出した信長像のみならず、アカデミズムの世界で明らかになった新しい信長像が浮かび上がってきます。
たとえば明智光秀が起こした「本能寺の変」において光秀の長年に渡る信長への恨みや、秀吉や家康の陰謀説が取り上げられることがありますが、学術的には信長がことさら光秀を虐待したということを裏付ける史料はないそうです。
また「桶狭間の戦い」で奇襲を仕掛けて今川義元を討ち取った信長には大胆なイメージがありますが、彼の人生においてそうした博打的な戦いは桶狭間の1回きりで、尾張国内の平定に7年、隣国の美濃攻略に7年、石山本願寺の攻略にも5年という月日を費やしており、信長の方が「鳴くまで待とうホトトギス」の家康よりも堅実な戦い方が目立っていました。
またブームの真っ只中にも関わらず、遠藤氏らしい率直な信長評も見られます。
もし信長の会社に我々が勤めていたら、首になるか、間違いなく過労死している(笑)。しかも彼は、すべての人物を機能としかとらえず、役に立たなければ捨ててしまう。いわば冷たい合理主義者で、私には、そんな英雄はいらぬわという気が心のどこかにあるんです。
それにしても、なぜ、信長という男は日本人に人気があるのでしょうか。その最大の理由は、早死にをしたということでしょう。沖田総司と同じで、本能寺の後も生きていたとしたら、信長の今日の人気はなかったと思います。
多くの歴史上の人物に言えることですが、やはりさまざまな角度から光を当てなければ本当の姿が見えてこないのかも知れません。
ニコライ遭難
タイトルにある"ニコライ"とは、のちのロシア皇帝ニコライ二世のことであり、その遭難を示す出来事とは、1891年(明治24年)に発生した大津事件を指しています。
本書は吉村昭氏が、大津事件の詳細や背景をこと細やかに描いた歴史小説です。
当時、皇太子だったニコライは両国の友好を深めるため軍艦とともに日本を訪れ、長崎→鹿児島→神戸→京都→東京という旅程を予定しており、京都から立ち寄った大津で巡査だった津田三蔵の凶行によって頭を負傷するという暗殺未遂が大津事件であり、日本史の教科書にも取り上げられています。
個人的には歴史小説というよりも特定の事件にクローズアップした歴史書といった方が相応しいほど、その描写は克明を極めており、ニコライの来日やそれを歓迎する日本の重鎮や民衆の様子が詳細に書かれています。
例えば以下はニコライが神戸に上陸した時の様子です。
ニコライは、出迎えの者に帽子を脱いで丁寧に握手をかわし、御用邸に入った。午後二時であった。
ニコライは、邸内に陳列された美術品をみた後、茶菓のもてなしをうけて十五分間休憩した。この間に、淡路洲本の新岡与文から鳴門蜜柑、小物屋町万年堂からカステーラ、神戸町一丁目明治屋からキリンビール、兵庫県湊町州田藤吉から瓦煎餅の献上をうけた。
やがて、ニコライは御用邸を出た。玄関前から門の外にむかって人力車がならび、宮内省から送られてきた人力車にニコライ、ジョージ親王、有栖川宮の順に乗り、・・・(略)
駐ロシア公使や政府内部でやり取りされた暗号電文や書簡も充分に紹介されており、そこからは当時の日本の様子のみならず、世界情勢までもが見えてきます。
当時のロシア帝国は世界最強の軍事国家であり、それに対して明治24年当時の日本は僅かな海軍しか所有しておらず、のちの日露戦争時の艦隊は姿形もありませんでした。
つまり明治天皇や日本の首脳陣たちは、この事件の結果がロシアの武力による報復、もしくは武力を背景にした巨額の賠償金へ対して頭を悩ませたのです。
東京から慌てて天皇や大臣たちが負傷したニコライ皇子が療養している京都へ見舞いに訪れる様子などは、日本の首脳陣が完全に狼狽してしまった結果だといっても過言ではありません。
こうした日本の誠意が通じたのか、幸いにもニコライ皇子の傷も命に別状なかったこともあって致命的な外交問題にはならずに事件は収束しました。
そして一転して本書の後半では、事件の張本人である津田三蔵への裁判を巡る行政と司法の対立と駆け引きが描かれます。
謀殺未遂罪は無期以下の懲役というのが当時の刑法ですが、第百十六条には以下の法案が織り込まれていました。
天皇・三后(太皇、太后、皇太后、皇后)・皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ、又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
松方正義首相はじめ、西郷従道、伊藤博文といった首脳陣たちは、ロシア皇帝を満足させるためには厳罰、つまり第百十六条を適用して死刑とすることを主張しますが、児島惟謙大審院長をはじめとした裁判長や判事たちは、その法案の成立過程からも第百十六条は日本の皇室のみに適用されることは明らかであると主張し、何よりも司法権の独立を守り抜くために真っ向から対立します。
明治時代に1人の男が起こした事件を最大限まで拡大して見てゆくことで、かえって日本を取り巻く世界情勢が見えてくるという、まさに大津事件は当時の世相が凝縮された出来事だったのです。
プリズンの満月
"巣鴨プリズン"は、第二次世界大戦において戦勝国である連合国軍が多数の日本人戦争犯罪者を収容した施設として有名です。
その跡地は池袋サンシャインシティとして再開発され、当時の面影は公園に残された石碑以外に見い出すことは出来ません。
本書は吉村昭氏が"巣鴨プリズン"を舞台にして描いた小説です。
刑務官として40年間の勤務を終え定年を迎えた主人公・鶴岡が、昭和25年から8年間勤務した巣鴨プリズンでの出来事を振り返る形式をとっていますが、この主人公は著者が創造した架空の人物でありフィクションです。
ただしそこでの出来事は、当時のプリズンで事務官を務めていた森田石蔵氏からの詳細な取材、そして当時の記録を丹念に調べて執筆されており、その点では本書は紛れもなく歴史小説に位置付けられます。
収容された戦犯たちはGHQによりA級、B級、C級戦犯に分類されますが、これは犯罪の内容(種類)によって分類されたものであり、刑罰の軽重を示すものではありません。
実際にはA級戦犯として7名、BC級戦犯として52名が巣鴨プリズンで処刑されたといわれており、他にも20名が病気や自殺によってプリズン内で亡くなっています。
多くの犠牲者、遺族を生み出したという点で戦争が"悪"であるという点に異論はありませんが、そもそも戦争という非常時における殺人行為を罪に問えるのか、戦勝国の人間が一方的に敗戦国の人間を裁く権利を有するのかという点については当時から国際的に議論されてきました。
実際に極東国際軍事裁判に参加したインド人判事・パールは「日本への原子爆弾投下を決断した者こそ裁かれるべき」という旨の発言をし、裁判という舞台が戦勝国による復讐的性格を帯びている点を鋭く批判しましたが、この言葉に本質的な矛盾が凝縮されているように思えます。
当初、巣鴨プリズンは米軍の将兵によって運営されていましたが、やがてアメリカ軍が主力となっている朝鮮戦争の情勢が激化するに及んで人手不足のため日本人の刑務官が招集されました。
つまり日本の国法によって罰せられた訳ではない日本人戦争犯罪者を日本人刑務官が監視するという図式が成立してしまうのです。
本書には囚人たちに課せられる強制労働、死刑執行、芸能人による慰問に至るまで、刑務所内での出来事がこと細やかに記載されるとともに、囚人、そして刑務官が抱く複雑な心情までもが滲み出すかのように伝わってきます。
後世の我々は、巣鴨プリズンが昭和33年に閉鎖されることを知っていますが、当時の人たちはいつまで拘置され続けるのかという不安、そしていつ死刑が言い渡されるかという恐怖の中で日々を過ごすと同時に、一家の大黒柱を失った家族たちが困窮していることを知るに及んで、大きな焦燥感を抱いていたのです。
これは巣鴨プリズンに限った話ではなく、オーストラリアやフィリピン、中国やソ連などに抑留された日本人たち共通の感情であったのです。
やがて第二次世界大戦が終わり年月が経過するとともに、戦犯へ対する国際世論が変わり始める様子も本作品から伝わってきます。
作品全体に漂うのは重苦しい雰囲気ですが、わずかな希望の光が差し込み始め、それが少しずつ広がってゆきます。
しかしそれまでに長い時間と多くの犠牲が必要だったのは残念であり、戦争という行為の結果もたらした1つの悲惨な出来事として、後世に生きる我々は教訓を得なければなりません。
かきつばた・無心状
井伏鱒二氏の短編が15作品も収められている何とも贅沢な文庫本です。
- 普門院さん
- 爺さん婆さん
- おんなごころ
- かきつばた
- 犠牲
- ワサビ盗人
- 乗合自動車
- 野辺地の睦五郎略伝
- 河童騒動
- 手洗鉢
- 御隠居(安中町の土屋さん)
- リンドウの花
- 野犬
- 無心状
- 表札
随筆、私小説や歴史小説といった幅広いラインアップが揃っていますが、個人的に気になった作品を取り上げてみたいと思います。
まずは「おんなごころ」です。
これは井伏氏と交流のあった太宰治が愛人とともに入水自殺した時の出来事を振り返っています。
自殺直前の太宰はノイローゼ気味であり、先輩作家としての立場から療養することを薦めた著者との関係も良い状態ではありませんでした。
それでも自殺してしまった太宰へ対して強く忠告できなかった自分に「しまった」という後悔の気持ちがあること、一緒に無理心中した女性に振り回されていた太宰へ対して哀れみの感情を綴っています。
「かきつばた」では広島へ原爆が投下された当時、故郷の福山市で体験したことを私小説として書いています。
福山市は原爆の影響を受けませんでしたが、壊滅した広島の様子が分からず、"奇怪な爆弾"によって一瞬に消滅したという噂が広まるにつれ、少しずつその悲惨な実態が明らかになってくる緊迫した様子が伝わってきます。
やがて福山市も大空襲に襲われ、著者は避難した山の尾根から町の燃える明るみを眺めることになります。
強烈な体験にも関わらず、井伏氏の作風らしく強い感情を表に出さずに淡々と当時を振り返っているのが印象的です。
そして終戦直後に友人宅の池で著者が目撃した1人の女性の水死体、その池に季節外れに咲いていたカキツバタがなぜか不思議な純文学の世界を感じさせます。
この時の体験が後にに大作「黒い雨」を執筆する大きなきっかけになったのは間違いありません。
「御隠居(安中町の土屋さん)」では、著者が上州安中町に住む80歳の老人の元を訪れ、日露戦争に従軍し重傷を負った挙句にロシア兵の手によって捕虜にされた時の体験談を聞きに行ったときの様子を描いています。
老人の所属していた中隊はロシア軍の包囲によって全滅し、ほとんど唯一人の生き残りという悲惨な状況でしたが、耳は遠くなっているものの、快活かつ無頓着に当時の体験を話す老人の迫力に圧倒され、肝の据わった明治人の姿をそこに見出します。
井伏鱒二という作家の落ち着いた作風が根底にありながらも、これだけ多彩な作品を生み出せる才能に感心せずにはいられません。
宮本武蔵―「兵法の道」を生きる
私にとって宮本武蔵のイメージは、ほぼ吉川英治の小説がすべてです。
もっとも同氏の作品では、宮本武蔵が巌流島で佐々木小次郎との決闘に勝利した場面で終了し、その後半生にはまったく触れられていません。
私の中では若くして半ば隠遁生活に入り、水墨画や「五輪書」を執筆して暮らしたという勝手なイメージを持っていました。
本書は思想学者でもある魚住考至氏が、信頼できる文献からその生涯を丁寧に追ってゆき、半ば創作によって伝説化された宮本武蔵の実像に迫るとともに、そこから浮かび上がってくる思想を「五輪書」などを中心に専門家の視点から解説してゆく構成になっています。
小説に登場するヒロインのお通や幼馴染の又八は吉川氏が作った架空の人物であり、沢庵和尚との関係も事実ではなかったというのは予想通りですが、佐々木小次郎との決闘で武蔵が約束の刻限に大きく遅れ「小次郎、敗れたり」で有名な波打ち際での決闘場面は創作の可能性がきわめて高く、実際の勝負は約束の刻限に両者が同時に相会して行われた可能性が高いというのは意外な発見でした。
ただし武蔵が自作の大木刀を用いて、勝負を一撃で決したという部分は事実のようです。
小次郎との決闘を制した武蔵は、その後の人生も隠遁生活とは程遠いものでした。
三河刈谷城主・水野日向守勝成の元で大阪夏の陣に参加し、その後は姫路藩で自身の流派を広め、さらに明石城を築く時には兵法家として城下の町割り(城下の区画整理)を担当しています。
同時期に京都の文化サロンにも顔を出すようになり、そこで画を描き始め、庭造りにも挑戦したようです。
やがて明石の小笠原藩が小倉に移封されるとともに一緒に九州へ渡り、島原の乱にも養子の宮本伊織とともに出陣しています。
伊織はやがて小倉藩で筆頭家老の地位にまで上り詰めますが、客分の武蔵は名古屋や江戸にも頻繁に出かけてゆき、文化人たちと交流するとともに、精力的に自らの流派を広める活動を行っていたようです。
60歳を目前にして熊本の細川藩の客分として高禄で召抱えられ腰を落ち着けますが、そこでも藩主や重臣たちへ剣術指導を行っています。
ようやく最晩年になって熊本郊外の洞窟(霊巌洞)にこもって「五輪書」を執筆し始めますが、とっくに隠居していてもおかしくない年齢にも関わらず、こうでもしなければゆっくりと執筆活動の時間さえ満足に取れなかったような印象を受けます。
とにかく本書から浮かび上がってくる宮本武蔵の人生は、孤独とは程遠いものであり、むしろ多くの人たちとの交流を通じて名声を高めたという印象が強いものでした。
後半の五輪書を解説している部分は、多くの書籍で取り上げられている部分でもあるため割愛しますが、その特徴をひと言で表せば、神がかった精神論や無意味な伝統を排除した"極めて実践的な内容"であるということです。
本書によってひたすら剣術のみに打ち込んだ宮本武蔵のイメージが崩れ去り、殺伐とした戦国時代の中で誰にも縛られず自由に生き抜いた新しい武蔵像が見えてきたような気がします。
地獄変
一度は読んでおきたい名作を、あなたの鞄に、ポケットに-。
角川系列と思われるハルキ文庫から出版されている"280円文庫シリーズ"のキャッチフレーズです。
いずれも日本文学の名作が収められており、本書には芥川龍之介の作品以下4篇が収められています。
- 地獄変
- 藪の中
- 六の宮の姫君
- 舞踏会
いずれも過去に何度か読んだことのある作品ですが、彼の作品はいずれも読み終わった時に強烈な感動や悲しみといったものが湧いてきません。
その代わりに何ともいえない淡い余韻が続き、意識せずとも断片的に作品の風景が頭の中に浮かんでくるのが特徴です。
例えるなら俳句のあとに残る余韻に似ているかもしれません。
そこが映像や絵によってストーリーが展開されてゆく映画やマンガといった媒体とは決定的に違う小説の特徴でもあり、とくに芥川龍之介の作品にはそれを強く感じます。
たとえば「地獄変」で見る者を戦慄させた良秀の描く地獄変の屏風はどのようなものなのか?
また「舞踏会」における鹿鳴館の優雅な様子などが、何となく頭の中に浮かんでくるのです。
こうした読了後の余韻に浸りたくて芥川龍之介の作品を繰り返し読んでしまうのかも知れません。
本書のような手頃な価格で場所もとらない文庫本を身近に置いておくというのも悪くありません。
悩める日本共産党員のための人生相談
日本共産党員として40年近く活動し、参議院議員も勤めた経歴をもつた筆坂秀世氏の著書です。
筆坂氏が2005年に共産党を離党したあとに出版した「日本共産党」では疲弊しきっている組織の内情を赤裸々に暴露し、指導層への批判的な意見を掲載して話題になり、本ブログでも紹介しています。
本書はその続編に位置付けられる作品であり、現役共産党員からの悩みや訴えを掲載し、それに著者が答えるといった人生相談の形式で書かれています。
著者の筆坂氏自身は現役の共産党員ではなく、党内の権力争いに敗れ今なお現役の指導者たちに疎まれている側の人間であることから、そもそも著者に相談するのは筋違いな気もしますが、40年近くにわたり共産党員として活動してきた揺るぎない経歴があります。
彼らの言葉で表現すれば"百戦錬磨の闘士"といったところでしょうか。
ともかく共産党の良い時代も悪い時代も知っていることは事実です。
本書に掲載されている相談内容は(共産党員ではない)大部分の読者にとっては他人事なのですが、その内容はなかなか切実なものです。
本書では相談内容を以下のように章立てで分類しています。
- 第一章 「しんぶん赤旗」編
- 第ニ章 「悩める党支部」編
- 第三章 「お金の悩み」編
- 第四章 「議員はつらい」編
- 第五章 「幹部への不満」編
一方で相談の内容は、政党助成金を受け取らない、また新聞(赤旗)の発行部数低下による財政難、そして党員の高齢化に伴う人材不足という問題に集約することができます。
そしてその根本にあるのは、日本で一番古い政党でありながら実績が上がらない(議席を伸ばせない)、つまり責任ある指導者(中央委員会)が結果を残せていないという現実がすべてなのです。
老舗の大企業が時代の流れに取り残され、大きく業績を下げて苦しんでいる姿に似ていると感じます。
山本五十六 (下)
前回に引き続き、阿川弘之氏の「山本五十六」を紹介します。
文庫本にして900ページにも及ぶ長編ですが、上巻では山本五十六が連合艦隊司令長官に就任して日米開戦の可能性が濃厚になる時期まで、そして下巻では日米開戦直前(昭和16年初頭)からソロモン諸島で戦死するまでを扱っています。
時間軸でいえば下巻で描かれている山本五十六の生涯は2年少々であり、密度の濃い内容になっています。
周知の通り山本は、米内光政、井上成美らとともに日米開戦に反対の立場をとり続け、日独伊の三国同盟へ対しても強固な反対を唱え続け、右翼から「天ニ代リテ山本五十六ヲ誅スル」といった調子で命を狙われ続けました。
一方で暗殺の危険性が迫っても本人は気にする素振りも見せず、部下に行き先も告げずに外出するといった有様で、さらに右翼指導者の中にも山本を尊敬する人がいたというのは彼らしいエピソードです。
また開戦前に近衛首相から見通しを問われた際の有名なエピソードに次のようなものがあります。
「それは是非にもやれと言われれば、一年や一年半は存分に暴れて御覧に入れます。しかしそれから先のことは全く保証出来ません」
これを戦略家として日米開戦の結末を冷静に分析し、いざ開戦となれば渾身一滴の博打めいた真珠湾攻撃を成功させた優秀な提督として積極的な評価をすることが出来ます。
一方で連合艦隊司令長官という立場で反対し続けた日米開戦を承知し、ミッドウェー海戦においてすべての空母と多くの戦闘機を失い敗れたという消極的な評価の二通りがあります。
しかし所詮は誰を偉人や英雄として評価するかは主観的な見方に過ぎず、本作品などを通じて1人1人が判断すべきものです。
私自身の評価は、山本五十六は日露戦争にも参加した根っからの優秀な軍人であったということです。
またその出発点は彼の出生に遡ることが出来ます。
彼の郷里・長岡悠久山堅正寺の橋本禅師は山本の師匠でもありますが、彼のことを次のように評しています。
「机をはさんで対座していると、机の上に五臓六腑ずんとさらけ出して、要るなら持っていけというような感じがあった」
と言い、
「しかし、ある意味では、正体のつかめない人間、ふざける時にはいくらでもふざけるし、一方質実剛健、愛想無しで、底の知れないという、長岡人の典型のような男で、突然ひょいとあんな人物は出て来るものではない。長岡藩が、三百年かかって最後に作り出した人間であろう」
戊辰戦争において長岡藩は朝敵として薩長藩に敗れ、養祖父、祖父はその時に殺され、父、長兄、次兄は負傷します。
その時味わった苦労を山本五十六自身も背負い続け、海軍を志した後も軍人として活躍することで郷里の人々の無念を晴らそうという気概があったはずです。
現に山本は朝敵として討伐された長岡藩の家老・河井継之助を尊敬していました。
また彼自身はひょうきんな一面を持っていたものの、基本的には寡黙な性格で自らを軍人として定義付け、政治家を志そうとは1度も思いませんでした。
よっていったん聖断(つまり陸海軍を統帥する天皇の判断)が下れば、内心はどうあれ批判を口に出すことは避け、軍人として最善を尽くしたのです。
本作品は色々な側面から山本五十六を眺め、そこから等身大の山本五十六を浮かび上がらせた上質な伝記なのです。
山本五十六 (上)
第二次世界大戦における山本五十六は、当時の首相である東条英機と並んで有名な軍人ではないでしょうか。
明治27年に連合艦隊司令長官の地位が創設されて以来、長くとも2年程度で交代するのが日本海軍の伝統でしたが、国運を賭けた海戦時にその地位にいたのは、日露戦争時の東郷平八郎と太平洋戦争時の山本五十六の2人しかいません。
とくに山本五十六は有名なだけでなく、今なお人気がある点が東条英機と決定的に違う点です。
その理由を考えると、大きく3つの要因が考えられます。
まず最初に真珠湾攻撃、つまりアメリカへの緒戦の奇襲攻撃によって大きな戦果を挙げたことに裏付けられる実績(能力)が評価されている点です。
次に山本が連合艦隊司令長官という軍人として考えうる最高の地位にあったにも関わらず、冷静にアメリカとの圧倒的な国力の差を分析して開戦に反対し続け、のちにソロモン諸島で戦死を遂げるという、悲劇のヒーローとしての側面が考えられます。
最後に多くの部下から尊敬され、同僚からも慕われていた、その人間的な魅力によるものです。
これだけの要素を挙げると日本人好みの「判官びいき」にぴったり当てはまる人物であり、事実、戦後においてさえ山本五十六を軍神として神聖化する風潮があったようです。
しかし誰よりも神として祀られることを嫌ったのが山本自身であり、その人物像に迫った伝記として決定版ともいえるのが、阿川弘之氏による本書「山本五十六」です。
阿川氏は本書を執筆するにあたり多くの証言や記録を元にして、文庫本にして900ページにも及ぶ大作に仕上げています。
本作品の特徴は、当時の軍人だけでなく、故郷(新潟県長岡市)の親戚や知人、家族や愛人に至るまで多方面に渡る取材を行っている点です。
そこからは山本の強い信念や考え方はもちろん、時には複雑な心境や迷いなどが垣間見れ、山本への批判的な意見さえも取り入れています。
ともかく多くの関係者の証言や書簡が紹介されており、本書を執筆するために膨大な労力を費やした著者の思い入れが伝わってきます。
それも著者の阿川氏自身が戦時中に海軍に所属していた経歴を持っていることもあり、自身の青春を捧げた日本海軍へ対して郷愁と愛着を持ち続けたことは、氏のその後の作品にもはっきりと現れています。
天才たちのプロ野球
ペナントレースが終わり、10月に入ると各チームからは続々と戦力外の発表と引退のニュースが流れます。
結果だけがすべての厳しいプロの世界において、長年に渡り1軍で活躍し、かつ自らの意志でユニホームを脱ぐことのできる選手は一握りしかいません。1軍で満足に活躍することもなく、引退してゆく選手の方が圧倒的に多いのが現実です。
たとえ将来を期待されドラフト1位で入団してきた選手でさえも、過去の実績がプロ野球の将来を保証するものにはなりません。
先輩、あるいはコーチのアドバイスを受ける場面は数多くあると思いますが、その中のあるひと言がきっかけになり、大きく成長する選手は幸運かも知れません。
本書で紹介されているのは、いずれもそんな数少ないチャンスを掴み、それを引き寄せることのできた選手たちのエピソードです。
エースの作法
- 田中将大
- 前田健太
- 石川雅規
- 唐川侑己
- 岸 孝之
主砲の矜持
- 中村剛也
- T-岡田
- 中田 翔
- 畠山和洋
- 村田修一
- 内川聖一
いぶし銀の微笑
- 荒木雅博
- 田中浩康
- 森福允彦
ベテランの思考
- 松中信彦
- 谷繁元信
- 山本 昌
- 宮本慎也
多くの有名選手が紹介されていますが、167cmという小柄な体格ながらもヤクルトのエースとして君臨し続けた石川雅規投手の言葉が本書の中で印象に残ります。
「プロで活躍する人、活躍できない人の差って本当に紙一重だと思うんですよ。実際、僕より球の速い人なんでゴロゴロいるわけです。その人たち以上に速いボールを投げようと努力しても僕には難しい。努力してもできなそうなことはやらない。できることは継続してやる。ただ、いつどんな知識が役に立つかわからないので引き出しはひとつでも多く持っておいた方がいい。"オレは聞かねぇ"という人もいるけど、あれはもったいないですね」
プロ選手として活躍できる秘訣や法則など存在しないのかも知れませんが、本書で紹介されているエピソードの中には多くのヒントが隠されているような気がします。
自動車絶望工場
「日本を代表する企業といえば?」
アンケート結果は間違いなく2位以下に圧倒的な差をつけて「トヨタ自動車」が選ばれるに違いありません。
2015年には約28兆円の売り上げと2.8兆円の営業利益を計上している、日本だけでなく世界中で知られた企業です。
トヨタの経営戦略、生産管理(+品質管理)をテーマにしたビジネス書は数多く存在し、私自身もそうした本から感銘を受けた経験があります。
世界を席巻するトヨタの存在は日本の経済政策を左右し、また大スポンサーとしての地位を考えれば称賛する意見は多くとも、批判的な声は決して大きくはありません。
しかしおよそ国家にしろ企業にしろ、大きな力をもった組織が光り輝けば輝くほど、またその闇も深いものになるという点では歴史上例外はありません。
今から40年以上も前に、その大組織の闇へ迫ったルポルタージュが本書「自動車絶望工場」です。
著者の鎌田慧氏は今や日本を代表するルポライターの1人ですが、著者自身が1972年に季節工員(期間工)として半年間トヨタの自動車工場で実際に働きながら体験取材するという、当時としては画期的な方法を用いました。
もちろん自らのルポライターという身分は隠し、自身の故郷・弘前の職安を経由するという正規のルートで採用されます。
大量の季節労働者によって工場が運営されている事実から分かる通り、自動車という精密機械を製造するにも関わらず、その組立工程においては専門の知識や技術は必要ありません。
高度に機械化され、細分化された自動車製造の過程は、コンベアから流れてくる部品のスピードに合わせて、ひたすら合理化された手順で作業を繰り返すだけです。
しかもそのコンベアの速度は、作業員が無駄なく作業を終わらせた場合のギリギリの時間に設定されており、単調な作業をひたすら反復することだけが人間に求められます。
つまり人間が機械を操るのではなく、機械が人間を操るのが自動車工場の現実なのです。
一方職場に置かれた「トヨタ新聞」には、同社の国際進出、生産台数や営業利益の新記録樹立、公害安全対策といった綺羅びやかな記事のみが並び、現場の労働者との対比をいっそう際立たせます。
世間に殆ど届くことのない、疲れ切って希望を見い出せない労働者の姿を自ら体験取材することで伝えた本書は、40年以上が経過した今でも間違いなくルポルタージュの名作であり続けるのです。
日本の地価が3分の1になる!
2010年には1億2806万人だった日本の人口は、2040年までに16.2%減少すると推計されています。
人口が減少すれば土地の値段が下がるのは当然だと思われますが、本書ではそれが"3分の1"つまり約70%も下落すると主張しています。
この人口減少率をはるかに上回る地価の下落率は、15~64歳の生産年齢人口(現役世代)が減る一方、高齢者の人口が大幅に増加する、つまり日本全体の年齢構成が原因で引き起こされるとあります。
高齢化社会が加速している日本では、現在3人の現役世代が1人の高齢者を支えている計算になりますが、なんと2040年には4人の現役世代が3人の高齢者を支えることになるのです。
現役世代の人口減少と連動してGDPが減少するのはもちろん、高額の社会保障費の負担も足を引っ張ることによって賃金上昇が難しくなり、結果として土地への需要が減り、地価が大幅に下落するという理論です。
もちろん地価の下落率も高齢者の割合が多い地域ほど大きくなります。
本書の副題に"2020年 東京オリンピック後の危機"とあり、個人的にも東京オリンピックが一時的な景気底上げになっても、超高齢化社会を解決する糸口にはなりそうもなく、むしろオリンピック後の設備維持費を考えるとマイナス要因になりかねない危機感はあります。
一方で現在私自身が土地を持っておらず、不動産投資信託にも手を出していないことから、今から25年後に起こる地価下落については差し迫った危機感を持っていないのも事実です。
しかし街中が空き家だらけになり、経済的にも停滞することで日本の未来が暗くなることについては不安を抱いています。
本書ではそれを指し示す多くの統計データが掲載されており、一定の説得力を持って読者に迫ってきます。
この未来を回避するために著者は、高齢者を減らす、日本の人口を増やすという提言をしています。
まず高齢者を減らすというと物騒に聞こえますが、75歳以上を高齢者として定義し直すことで2040年時点での現役世代負担率を2013年当時と同じ水準に維持することが出来るとしています。
65歳以上を高齢者と定義したのは今から50年以上も前であり、その当時の平均寿命が65歳だったことに起因するようです。
たしかに80歳という現代の平均寿命を考えれば現実的な提言のようにも聞こえますが、75歳を定年としてそれまで働き続けることに不安や不満を感じる人は私を含めて多いはずですが、実際に定年延長に動く企業が増えていることからも、この流れは遅かれ早かれ進んでゆくものと思われます。
日本の人口を増やすという点においては、もちろん出生率を伸ばす努力や政策は必要と認めますが、急激な増加という点ではやはり現実的ではありません。
そこで著者は1980年から2013年までに2倍以上に増加した日本に住む外国人の人口をさらに伸ばし続けるという提言を行っています。
つまり移民を積極的に受け入れることで生産年齢人口の減少を食い止めるということです。
ここ数年だけ見ても明らかに外国人が増えたことは実感できますが、ブルーカラー、ホワイトカラー問わずに移民を受け入れる必要があるとう点がポイントです。
日本の高齢化社会を考える上で示唆に富んだ提言と、それを裏付ける豊富なデータが掲載されており、これからの日本を考える上で参考になる本であることは間違いありません。
ただし本書では「経済の停滞=日本の衰退」という図式が前提にあることを注意して読む必要があります。
私自身は世界に先駆けて超高齢化社会に突入する日本が、経済大国としての地位を守り続ける必要があるのかという点に疑問を持っていますが、その辺りは別の機会にでもじっくり触れてみたいと思います。
新選組物語
「新選組始末記」、「新選組遺聞」に続く、子母澤寛氏による新選組三部作の完結編「新選組物語」です。
著者はシリーズ1作目の新選組始末記で冒頭を次のように書き出しています。
歴史を書くつもりなどはない。
ただ新選組に就いての巷説漫談或いは史実を、極くこだわらない気持で纏めたに過ぎない。従って記録文書のわずらわしいものは成るべく避けた。
これは半分本音、半分謙遜といったところで、実際には多くの旧幕臣の古老や隊士の子孫へ取材を行い多くの文献を丹念に調べてゆき、なるべく創作や誇張を排除して新選組の真実へ迫るという真摯な態度で一貫されており、新選組を知る上で金字塔という評価を得ることになります。
しかしのちに子母澤氏の本業は小説家となり、実際に歴史を物語として書くことになるのです。
そして彼は同じ年に生まれた吉川英治氏らとともに日本の歴史小説というジャンルの黎明期を切り開き、大衆文学へと成長させる功績に寄与しました。
本書に収められているのは取材によって語られた回顧録ではなく、小説家として変貌を遂げた子母澤氏による完全な歴史小説です。
しかも前述したように長年の取材や研究に裏打ちされた歴史小説だけに、どの短編作品も完成度の高い、同じように新選組の短編小説を集めた司馬遼太郎氏の「新選組血風録」に勝るとも劣らない名作揃いです。
それもそのはずで司馬氏は新選組の作品を執筆するにあたり、子母澤氏へ作品を引用する許可や新選組に関する教えを請うたというエピソードがあるくらいです。
新選組ファンであれば本書も間違いなく外せない1冊です。
新選組遺聞
子母澤寛氏の新選組に関する著書は新選組三部作と呼ばれ、その1作目が前回紹介した「新選組始末記」であり、2作目にあたるのが今回紹介する「新選組遺聞」です。
本書の前半には著者が昭和3年に取材した八木為三郎翁を中心とした回顧録が掲載されています。
おもに幕末の京都において多くの伝説を残した新選組ですが、彼らが新選組を結成してから約2年間にわたり屯所を構えたのが壬生の郷士である八木家です。
当時は八木源之丞が当主であり、為三郎は少年時代に新選組と共に同じ屋根の下で過ごしたことになります。
八木家は郷士だけあって裕福で大きな屋敷を持っていましたが、それでもある日突然やって来た強面の新選組隊士たちに困惑したはずです。
奥座敷では芹沢鴨が近藤や土方らによって斬殺され、また山南敬助をはじめとした隊士たちが切腹、斬首されるような出来事が日常茶飯事であったのですから、内心恐れを抱き、かつ迷惑だったに違いありません。
一方で父・源之丞へ武士らしからぬ軽口で冗談を言う沖田総司、それと反対に堂々とした佇まいで無口な近藤勇、短気で騒々しい原田左之助、また道場の活気のある様子など、新選組隊士たちとの日常の交流を語ることができるのは八木為三郎翁ならではです。
また新選組を一躍有名にした池田屋事件においても八木邸が拠点として使われており、貴重な歴史上の証人でもあるのです。
明治になってからも永倉新八や斎藤一、島田魁といった生き残りの隊士たちが懐かしさのためか、ぶらりと八木家を訪れるというエピソードは微笑ましい場面です。
後半では伊東甲子太郎、鈴木三樹三郎兄弟、そして近藤勇の最期のエピソードが収められています。
とくに近藤勇の甥で後に養子となる勇五郎が語る斬首のときの様子、そして深夜に親族や道場関係者とともに首のない胴体を刑場から掘り出して運び出す生々しいエピソードは、新撰組局長として名を馳せた近藤勇の最期にしてはあまりにも哀れです。
前作「新選組始末記」が時系列に整理されたエピソードである一方、本作は著者が関係者へじっくりと取材を行い厳選されたエピソードが紹介されており、前作同様に新選組の歴史を知る上で欠かせない名作に仕上がっています。
新選組始末記
幕末をテーマにした本の中で新選組は、坂本龍馬と双璧をなすほど数多く取り上げられています。
新選組が活躍した寺田屋事件は明治維新を1年遅らせたと評されることがありますが、結果的に彼らが歴史の帰趨を握ることはありませんでした。
にも関わらず新選組が絶大な人気を博する背景は、もちろん"判官びいき"も要因に挙げられますが、何と言っても個性豊かで魅力的なキャラクターが数多く登場するという理由が大きいと思います。
本ブログでも歴史小説、伝記、検証本など新選組を扱った本をおそらく10冊は紹介しているはずです。
ただし新選組の本を執筆するにあたり、すべての作者たちが参考にしたであろう本が今回紹介する子母澤寛氏の「新選組始末記」です。
本書は昭和3年に初刊行されています。
当時から新選組はよく知られていた存在でしたが、剣豪や忍術といった講談のように多くの創作が付け加えられた状態であり、それを嘆いた著者が旧幕臣や新選組隊員の子孫たちを直接取材し、また文献を整理、調査して本書の発行にこぎ着けたのです。
この昭和初期という時代は、高齢ながらも新選組隊員たちを直接知る人たちが存命していたほとんど最後の時期であり、彼らの回顧録がいかに貴重であったかを窺い知ることが出来ます。
本書では新選組の結成から完全崩壊まで、つまり試衛館時代の近藤勇にはじまって函館で土方歳三が戦死するまでを時系列に、多くの関係者の回顧録とともに紹介しています。
その内容も非常に分かり易く整理され、1つ1つの出来事にその出典が示されている上、諸説ある場合には著者が一番有力と思われるものを指摘してくれる丁寧さです。
また驚くべきことに、本書に掲載さているエピソードは、私自身がほとんど過去に読んだ記憶のあるもので占められている点です。
それだけ多くの作家、あるいは作品が子母澤氏の作品を参考にした証であり、彼の業績が無ければ後の時代にこれだけ新選組が注目されることも無かったと断言できます。
彼の生きかた
主人公福本一平は、ドモリのため言葉が不自由で気の弱い少年であり、学校では友だちがなかなかできず、ウサギや犬などを世話して一緒に過ごす時間を楽しむ動物好きの少年でした。
そんな一平に理解を示し励ましてくれた秦直子先生の影響もあって、やがて彼はニホンザルを研究する動物学者になるのです。
一平は研究所で誰よりも熱心に活動しましたが、それは金や名声のためではなく、少年の頃からの純粋な動物好きな気持ちを持ち続けていたからです。
ここまでが物語の導入部ですが、山でサルの餌付け活動を行う一平の前にリゾート開発会社の専務である加納という男と、学生時代の級友であった朋子が偶然にも現れるところからストーリーが大きく動き出します。
その構図は人付き合いが苦手な無名の研究者(一平)と、富も権力も併せ持った大企業の専務(加納)の対立であり、2人をよく知る朋子はその対決を戸惑いながら見守るマドンナという形で描かれます。
しかしそれは弱者と強者の戦いであり、本来なら加納にとって一平は歯牙にもかけない存在であるにも関わらず、朋子という存在がその対立をいっそう深刻なものへとしてゆくのです。
キリスト教文学者としても知られる遠藤周作氏の作品は"殉教"をテーマとした作品も多く、必然的に"弱者"の視点から描かれることになります。
まさしくそれは本作の主人公(一平)にも当てはまり、武器を持たない弱者が必然的な敗北者となるか否かは、本作品を読んだ読者自身の感想に委ねられます。
ちなみに主人公には、 多くの困難に直面しながらニホンザルの研究に人生を捧げた間直之助氏という実在のモデルがあり、その影響もあって遠藤氏の作品としては珍しくキリスト教文学的な側面を意識して勘ぐらない限り、ほとんど感じることはありません。
また忘れてはならないのは、強者の立場として登場する加納はやや冷酷な側面はあるものの、必ずしも悪人ではなく頭の回転が早く精力的に仕事をこなす有能な大企業の実力者であるという点です。
一方で一平は世渡りが下手ながらも、自然の中でたくましく生きるニホンザルへ敬愛の念を抱き、その生態系を守るために全ての情熱を賭ける青年として登場します。
加納と大きく立場は異なるものの、信念という点では一平は決して加納に劣っていないのです。
遠藤氏の作品だけあって、一平や加納、そして朋子たち心理描写を丁寧に描き、ラストシーンに向かって綿密に物語が進行してゆきます。
最近のベストセラー作品などに見られる不自然な物語の飛躍は一切なく、長編小説のお手本のような完成度の高さです。
もし近ごろの小説に食傷気味の読者がいるなら、この40年前に発表された作品を是非読んで見ることをお薦めします。
※ちなみに現在"ドモリ"は放送禁止用語であり、"吃音"と言うのが正しいようです。
駅前旅館
井伏鱒二といえば昭和の大作家ですが、今は売り場スペースの限られた書店でその作品を見かけることはほとんどありません。
そのため古書店で井伏鱒二の作品を見かけた時などに少しずつ購入したりしていますが、本書も1ヶ月ほど前に会社近くの古書店で見つけた1冊です。
私自身はそれほど熱心な井伏鱒二ファンという訳ではありませんが、その作品が期待外れだったことはありません。
本書は著者が駅前の柊元(くきもと)旅館の番頭をしている生野平次へインタビューを行い、その生野が戦前から戦後にかけての駅前旅館の風景を自らの思い出とともに語ってゆくという設定をとっています。
古式な宿屋が電報で使う符牒の解説から始まり、日本各地から来る土地ごとの旅行客の気風、旅館の女中や板前、吉原遊郭、料亭に顔を出す芸者など、およそ旅館と関係のありそうな業界の風習がとりとめもなく語られてゆきます。
一方で当時の風習を伝えるだけでは、民俗学的な価値はあっても単調な小説になることは避けれません。
そこに生野自身の感情や精神、何よりも旅館の番頭としての気概が一緒に描かれることによって、当時の人びとの息遣いが聞こえてくるような生き生きとした小説作品へと変貌を遂げます。
まるで50年以上も前の東京の駅前旅館の風景がありありと頭に浮かぶようであり、たとえば修学旅行の学生たちによって賑わう活気ある旅館の情景が作品中で繰り広げられます。
さらに団体旅行やバスツアーの紹介によって得られるリベートの仕組み、客の呼び込み方のコツや銭を持っている客の見分け方など、番頭たちが生計を立てる上で欠かせない舞台裏についても臆面もなく独自の口調で語ってくれます。
話題が次々と切り替わるように見えて、小説の本筋にあるのは今も独身であろうと思われる番頭自身が色好みであることを告白し、そんな番頭が過去に経験した一途な淡い恋の思い出を断片的に語ってゆく部分です。
つまりインタビューを受けた番頭(生野平次)は、当時の旅館の様子を伝えながらも、同時に自らが歩んできた生き様についても熱心に語ってくれるのです。
小説としてのストーリー性も抜群でありながら、旅館の番頭という立場から見た市民たちの日常生活を生き生きと伝えてくれる、読んで得した気分になれる作品です。
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