本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

小倉昌男 祈りと経営



小倉昌男といえば"宅配便の父”として20世紀の伝説的な経営者の1人として知られています。

本ブログでも高杉良氏の「小説ヤマト運輸」を紹介していますが、名経営者だけに小倉昌男の伝記やビジネス書は数多く出版されています。

本書はそのいずれでもなく、ノンフィクション作家である森健氏が小倉昌男の経営者としての姿ではなく、世間には殆ど知られていない素顔に迫った1冊です。

森氏が本作品の執筆(取材)を始めた時点で小倉昌男はすでに世を去っており、生前彼と交流のあった人物への取材を通じてその実像へ迫ってゆくという手法をとっています。

そもそも著者が小倉昌男に興味を持ったのは、彼に関するさまざまな書籍に目を通し、3つの疑問を持ったことに始まります。

1つ目は、引退後に私財(自身が所有していたヤマト運輸の株)のほとんどを投じて福祉財団を設立し、その活動をライフワークとした理由です。

つまり経営者時代に福祉への取り組みへ関心のあった形跡が見られないにも関わらず、熱心に福祉の世界に入っていった動機が不明だったのです。

2つ目は、小倉氏は物流業界における官庁の規制と争い続け、経済界では「闘士」として知られる人物でした。
しかし彼は著書で自らのことを「気が弱い」「引っ込み思案」であると分析しており、役人と正面切ってケンカをするイメージからは想像がつきません。

著者も小倉氏に1度インタビューをした経験があるものの、その時の印象は物静かで小さな声で話す人物だったといい、世間のイメージと実像とのギャップに疑問を持ちます。

最後の3つ目は、最晩年の行動です。
小倉氏は80歳という高齢で癌により体調を崩している中にも関わらず、アメリカ・ロサンゼルス市に住む長女宅を訪問し、そこで死去しています。
つまりなぜ長年住み慣れた日本で最期を迎えなかったという疑問です。

本書では小倉氏の経営手腕といった点には殆ど触れず、ひたすら彼のプライベートな部分を掘り下げることで名経営者と言われた人間の素顔を浮き彫りにしようとしています。

たとえば熱心だったカトリックへの信仰や、複雑だった家庭事情、私的な人間関係などです。

もし彼の生前にこうした類の取材が行われていたとすれば、私生活に踏み込み過ぎたプライバシー侵害だという声が上がってもおかしくありません。

しかし小倉昌男が亡くなって10年が経過し、インタビューを受ける関係者たちの気持ちもかなり落ち着いてきていること、そして今なお小倉昌男の名は不朽のものであり、彼の素顔を知りたいという世間のニーズがそれだけ大きかったという点が挙げられます。

本作品はまるでミステリーの謎解きのようであり、著者の取材により少しずつ小倉昌男の素顔が明らかになってゆきます。

ノンフィクションでありながら小説を読んでいるような錯覚を覚える作品であり、構成力の高さに感心してしまいます。

結果として本作品は第22回小学館ノンフィクション大賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞、第48回大宅壮一ノンフィクション賞と3つもの賞を獲得して世間でも大きく評価された1冊です。

ルポ 中国「潜入バイト」日記



上海に移住して活躍するフリーライター西谷格(にしたに・ただす)氏が中国の最先端ITサービスを片っ端から体験してゆく「ルポ デジタルチャイナ体験記」が興味深かったため、続けて手に取った1冊です。

本書はタイトルから分かる通り、著者が中国人社会の中でアルバイトを次々と経験したルポになります。
実際に体験したアルバイトは以下の通りです。

  • 上海の寿司屋でバイトしてみた
  • 反日ドラマに日本兵役として出演してみた
  • パクリ遊園地で七人の小人と踊ってみた
  • 婚活パーティで中国女性とお見合いしてみた
  • 高級ホストクラブで富豪を接客してみた
  • 爆買いツアーのガイドをやってみた
  • 留学生寮の管理人として働いてみた

    • 上記のうち婚活パーティーへの参加はアルバイトとは違いますが、著者は日本人の中で漠然とた共通認識である中国人像、または中国社会のイメージではなく、それをより深く知るための手段として日本人のいない中国人だけの職場で働くことを思いついたのです。

      近年は急速な経済発展を遂げているとはいえ、まだまだ日本と比べてもアルバイトの時給は低く、進んでこうしたディープな体験をする日本人は殆どいないだけに本書を興味深く読むことができました。

      著者が体験したアルバイトは同種のものが日本にも存在する一方で、日本ではまず見られない光景や出来事が日常的に体験できるというのが一番の醍醐味ではないでしょうか。

      詳しくは本書を読んでのお楽しみですが、本書で知った中国人たちの興味深い一面を紹介したいと思います。

      まず1つ目は中国人の衛生意識が日本人と大きく隔たりがあることです。
      著者は自分の経験上、中国の衛生意識は東南アジア(たとえばタイやベトナムなど)のそれと比べても低いとも指摘しています。

      床に落ちた食材を拾って調理することに罪悪感は皆無であり、見た目が汚れていなければ衛生的に問題ないという共通認識があるようです。
      さらに床に直接まな板を置いて調理する、床に料理が盛り付けられた皿を置くというのは中国人の衛生感覚からすると何の問題もないようなのです。

      これは野菜すらも生で食べる文化がなく、熱を通して濃い味付けの傾向がある中華料理という食文化も関係している気がします。

      2つめは中国人は日本人以上に開放的であるという点です。

      中国は共産党の独裁国家であり、密告などの制度がある監視社会であると言われていますが、思ったより閉鎖的ではないという点です。
      著者は自己紹介で日本人であると伝えても特段怪しむアルバイト先は皆無であり、「あ、そう。」、もしくは「日本人は珍しいね。」程度で違和感なく迎え入れてくれたといい、それは婚活パーティーでも同様だったようで、上海在住の著者すらもそれが驚きであったと語っています。

      日常のコミュニケーションに差し支えなければ、彼らにとって相手がどの国の人でも大した関心事ではないようであり、どちらかというと日本人の方が外国人へ対して身構えてしまう傾向があるように思えます。

      3つ目は「ルポ デジタルチャイナ体験記」でも感じたことですが、中国人は仕事が「いい加減で雑」な面がある一方、とりあえず試してみるという柔軟さと臨機応変さがあり、本書を読んでそれはITサービスに限ったことではなく、中国人の精神に根ざしたものだと思いました。

      もし礼儀やマナー、地域や社会のルールが堅苦しくて我慢できないと感じている日本人がいれば、中国への移住を検討してみると案外良いかもしれません。

      本書を通じて分かることは、すぐ隣国とはいえ中国人の持つ良い面、悪い面というのは日本のそれとは大きく異なる傾向が異なり、常識とされていることもかなり違うということです。

      たとえば日本人が中国人へ抱くイメージの1つとしてマナーが良くないという点が挙げられますが、つねに他人への迷惑を気にして調和を重んじる日本人と、個人主義で他人の目を気にしない中国人という気質の差が大きく関係していることが分かってきます。

      また中国人は他人の目をあまり気にせず、困っている人の手助けにも関心が薄い不親切な社会に見えるかも知れませんが、一方で自分が身内(仲間)だと認めた人にはとことん親切であり、日本人であれば躊躇するような仲間内のお金の貸し借りも抵抗なく応じるといった一面があるようです。

      つまり本書は日本人が持つ平面的で偏りがちな中国へ対する一方向なイメージや溝を埋めてくれる手助けをしてくれるのです。

キリンビール高知支店の奇跡



1957年に国内ビールのシェア1位を獲得し、長い間首位に君臨し続けてきたキリン
しかしアサヒビールが1987年に「スーパードライ」を発売して爆発的なヒットを生み出すと市場に変化が起こり始めます。

そしてついにアサヒビールが1996年にキリンから国内シェアNo.1の座を奪還します。

著者の田村潤氏はキリンに逆風が吹く1995年に本社から都落ちに近い形で高知支店へ赴くことになります。
しかも高知県は全国的にもアサヒビールへ対して負け幅が大きく、最下位ランクの支店だったのです。

著者は大学卒業後にキリンへ就職し、高知支店長、東海地区本部長、そして代表取締役副社長兼営業本部長を務めたという経歴を持っています。

田村氏は、全国最下位の成績だった高知支店を全国トップクラスへと押し上げ、さらに2009年には営業本部長としてアサヒビールから再び国内トップシェアを奪還するという輝かしい実績を残しています。

本書はタイトルにある通り、田村氏をはじめとしたキリン高知支店がどのようにして全国最低クラスからトップに躍進したのかをメインに紹介しています。

詳しくは本書を読んでからのお楽しみですが、当時の高知支店の営業マンたちは「どうせ勝てない」と負けチームの風土に染まっていたようです。

そしてその風土は支店長の激で一朝一夕で変わるような簡単なものではなく、地道な取り組みを数年続けてようやく成果が出てくるものだったのです。

立場は変われども著者が一貫して行ってきたのが、現場主義だといえます。

それは大企業にありがちな膨大な時間を費やした会議で決定される販売戦略や、社内調整ではなく、ビジョンに基づいた現場での愚直な基本行動に集約されます。

キリンビールは100年の歴史を誇る老舗であり、「キリンラガービール」や「一番搾り」、「のどごし生」といったブランドを持っているメーカーという特性はありますが、他の業界や業種でも本書から参考にできる部分はあるのではないでしょうか。

長生きしたい人は歯周病を治しなさい



最近よく見かける健康系の新書です。

若い頃は健康に関する本には見向きもしませんでしたが、40代に入りたまにこうした本にも興味を持つようになりました。

つい1ヶ月ほど前に「歯科健診を義務化」にする制度が検討されているというニュースを見かけて本書を手にとってみました。

私自身は虫歯は何度か経験していますが、歯が痛くなれば虫歯であり、歯茎が腫れると歯周病くらいの認識しか持ち合わせていませんでした。

しかし虫歯と歯周病は原因となる菌がまったく違うものであり、本書は後者の歯周病にスポットを当てた医療知識を啓蒙する内容になっています。

何となく年寄りの病気だと思っていた歯周病ですが、医学の研究が進み、今や歯周病はあらゆる病気の元凶になり得ることが判明しつつあります。

具体的には次のような病気の原因に歯周病が大きく関わっている可能性があるということです。

  • 心筋梗塞・脳卒中
  • 動脈硬化
  • 肥満・メタボリックシンドローム
  • 糖尿病
  • 早産・異常出産
  • 誤嚥性肺炎
  • 関節リュウマチ
  • 骨粗しょう症

詳細は本書に譲りますが、簡単に言えば歯周病の原因となっている(ジンジバリス菌に代表される)細菌によって引き起こされているケースがあることが最新の研究によって明らかになってきています。

つまり歯周病菌は血液を通じて全身をかけ巡り、さまざまな病菌を引き起こす原因になっているのです。

私自身にとっては寝耳に水の内容ばかりですが、とにかく本書が大げさなタイトルでないことが分かってきます。

しかも歯周病は自然治癒することはなく、抗生物質などで完全治療することも難しいというやっかいな病気です。

結局は毎日の正しい歯周病ケア、そして定期的な歯科健診という地道な方法でしか歯周病の重症化を防ぐ手立てはないということです。

本書では具体的な歯周病ケアの方法、そして食生活や生活習慣の改善といった方法も紹介されています。

ただし歯周病菌が体に及ぼす影響については最近になって明らかになってきたデータが多く、現時点でその全容が明らかにされている訳ではありません。

今後の研究で新しい事実が明らかになり、本書に書かれていることが間違っていたということもあり得るということを心の片隅に置きながら読むことをおすすめします。

空白の戦記



吉村昭氏の定番である太平洋戦争を扱った戦記ものの短編が6作品収められています。

  • 艦首切断
  • 顛覆(てんぷく)
  • 敵前逃亡
  • 最後の特攻隊
  • 太陽を見たい
  • 軍艦と少年
上記のうち「敵前逃亡」は史実を基礎にしたフィクション作品で、それ以外は著者が直接取材した出来事がそのまま小説になっています。

いずれの作品にも共通しているのは、戦争中は軍部の発表やマスコミによる報道が一切されなかった事件や出来事を題材にしており、終戦後にはじめて明らかになったという点です。

公式に発表されなかったということは軍部にとって都合が悪かったということであり、またその裏では人命が失われているという点でも共通しています。

こうした戦記を読むたびに思うのは、戦争中の人命がいかに軽く扱われたかという点です。

例えば「艦首切断」、「顛覆」では根本的には設計ミスが原因で起きた事故ですが、その事故によって亡くなった軍人たちの遺族へその真相が伝えられることはなく、(遺体は海に沈んだため)紙片が1枚入っているだけの白木の骨箱が渡されただけで処理されたのです。

また「敵前逃亡」、「太陽を見たい」では沖縄戦を題材として扱っていますが、そこで登場する主人公は軍人ですらなく、戦争協力を強制された民間人であり、得体の知れない国体や理念を守るというという考えはあっても、そこに肝心の国民の命を守るという意識は皆無だったことがよくわかります。

小説を執筆するからには多少なりともハッピーな結末のストーリーを書きたくなるものですが、吉村氏はひたすら史実や記録に基づいた作品にこだわり、その内容を捻じ曲げるようなことは一切しなかったことで知られています。

また本書の中で吉村ファンであれば、「軍艦と少年」という作品が注目されます。
これは同氏の代表作である「戦艦武蔵」の後日譚というべき作品であり、当時長崎で最高軍事機密として建造されていた戦艦武蔵の設計図を職場に不満を持つ少年が持ち出したという事件を扱ったものです。

「戦艦武蔵」の中では1つのエピソードとして扱われた内容ですが、短編では少年のその後についてテレビ局とともに取材を行っ際の経験が描かれています。

未成年かつ出来心とはいえ軍事機密を持ち出した彼の身には、その後の人生を決定づけるような懲罰が待っていたのです。

本書に収められている作品は日本が敗戦を喫した戦争を題材としているだけに、いずれも救いのない暗い結末で終わっています。

だからこそ歴史を正面が見つめるという意味で読む価値のある作品であり、私が吉村昭氏の作品が好きな理由もそこにあります。

人の砂漠



日本を代表するノンフィクション作家である沢木耕太郎氏が昭和52年に発表した作品です。

本書には8作品が掲載されていますが、どれも1冊のノンフィクション作品として成立するほど内容が充実しており贅沢な気分で味わうことができる1冊です。

いずれも昭和40年代終盤から51年に執筆されたと思われ、当時20代後半という若さもあり日本各地へ取材へ出かけ、もっとも精力的に活動していた時期の作品といえます。

本書に収録されている作品を簡単に紹介してみたいと思います。

おはあさんが死んだ

昭和51年浜松市で1人の老婆が栄養失調のため孤独死するという事件が発生する。
自宅に残された10冊のノートには英語などでビッシリと書き込みがされており、著者はそこから老女の辿ってきた人生に興味を持ち取材を開始する。

棄てられた女たちのユートピア

千葉県館山市の里山に開設された婦人保護施設「かにた婦人の村」。
そこには社会復帰の見込みのない知的障害・精神障害を抱えた婦人たちが集団生活を送っている。
そして彼女たちの多くは元売春婦という経歴を持ち、全国に類を見ないユニークな施設に興味を抱いた著者は、取材のために彼女たちとともに施設で過ごすことになる。

視えない共和国

那覇まで520km、台湾まで170kmというまさに国境に位置する与那国島
戦後の混乱期には密貿易の拠点として栄えた歴史を持つも、今は人口減少と過疎化が進みつつある。
著者はそんな辺境の島に住む人びとには本州にも沖縄本島にも見られない独特な意識や文化が存在していることに気付き魅せられてゆく。

ロシアを望む岬

目の前にロシアの領土、つまり北方領土を望む根室周辺を訪れた著者。
北方領土返還は日本の悲願であるはずだが、そこには地元の漁師をはじめ複雑な利権が絡んでいることが分かってくる。
そしてそこでは国家権力の合間で漁民たちがたくましく暮らしていた。

屑の世界

屑屋が集めてきた品を買い取る「仕切屋」で働くことになった著者。
そこには様々なバックボーンや事情を抱えた屑屋たちがリヤカーや自転車で廃品を持ち込んでくる。
彼らの人間模様、そして仕切屋の世界にある独自のルールや不文律などを著者は少しづつ理解してゆく。

鼠たちの祭

穀物取引所で「場立ち」として活躍してきた集団を取材する著者。
そこは生き馬の目を抜く相場の世界であり、多くの人間が成功しそして破滅していった。
さらに過去に大相場師として名前を馳せた人たちの過去を辿り、そこに潜む魔物に憑かれ闘い続けた人生を振り返ってゆく。

不敬列伝

かつて存在していた「不敬罪」。
それは天皇をはじめ後続へ対しての不敬の行為を取り締まる法律だったが、法律そのものが消滅した戦後においてもそれは姿形を変えて確かに存在し続けている。
著者は戦後における皇室をターゲットとした事件を起こした、あるいは犯罪を企てて逮捕された人物たちを取材し、象徴としての天皇の存在を問いかけてゆく。

鏡の調書

上品な佇まいの資産家を名乗る老女は、83歳の天才詐欺師として世間を賑わすことになる。
計121件の詐欺により被害総額600万円の詐欺を働くが、そのうち自分のために使ったのは8万余りに過ぎなかった。
それは大規模で計画的な詐欺とは性格の異なる、多くの被害者側にもある種の余裕が残っている不思議な詐欺事件であった。
事件の独自性に興味を持った著者は詐欺の被害者を通じて、彼女の正体に迫ってゆく。


ノンフィクション作家として次から次へとテーマを探し、時にはそこで働くことによって取材を続けてきた著者の行動力と臨場感が作品から伝わってきます。

これは作家活動全体を通じても若い頃にしか挑戦できないスタイルであり、その意味でも貴重な1冊ではないかと思います。

千日紅の恋人



著者の帚木蓬生氏は、精神科の開業医として活動しながら長年に渡り作家活動を続けていることで知られています。

作風も多岐にわたり、自身の専門である医療を題材とした作品から歴史小説、サスペンスなどがありますが、ずばり本作品は長編恋愛小説です。

主人公として登場する宗像時子は38歳の独身女性です。

彼女に子はいないものの、過去に2回の結婚に失敗したという経歴があります。
そして現在は老人ホームでヘルパーとして勤めるかたわら、亡くなった父が残した古アパート"扇荘"の管理人をしながら老いた母の面倒を見ながら暮らしています。

扇荘では時子が直接住人の元へ訪れて家賃を集金する昔ながらのスタイルをとっています。

私自身は過去に4回ほど賃貸アパートに住んできましたが、大家さんや管理人が直接集金に訪れる物件には住んだことがなく、どの物件でも大家の顔も名前も知らないまま住み続け、そして引っ越して行ったことになります。

扇荘の住人は、にぎやかな5人家族、老夫婦、生活保護を受けている女性、単身赴任の男性などさまざまな事情を持った人たちが暮らしており、管理人である時子は日常的に彼らと接しています。

それはどこか昭和的な人情味のある風景です。

もちろんそんな心温まる交流ばかりではなく、家賃を滞納する住人への催促、ルールを守らない住人への注意、隣人への嫌がらせや苦情など、管理人の元には厄介なことも日常的に持ち込まれます。

それでも時子は住人1人1人の性格や事情を把握しているため、手際よくとまでは行かないものの逞しい管理人として問題を処理してゆくのです。

そして運命の出会いともいうべき、チェーン店スーパーに勤める青年(有馬生馬)が転勤で時子のアパートに住むことになるのです。

彼が登場することで忙しくも同じことの繰り返しで過ぎてゆく時子の日常が少しずつ変化し始めます。

あらすじの紹介はここまでにしますが、長編小説だけに恋愛だけでなく、住人たちとの交流をはじめさまざまな日常の出来事がサイドストーリーのように詰め込まれており、こうした枝分かれしたエピソードが積み重なって作品の魅力をより高めています。

読了後の余韻もよく、映画の原作にしても人気の出そうなじっくり腰を据えて楽しめる1冊です。

ルポ デジタルチャイナ体験記



日本と中国を比べたときにモノ作りの品質に関しては日本に一日の長があるものの、すこし注意深くニュース読めば、ITサービスの分野においては完全に中国が日本の先を走っていることに気付かされます。

つまり中国産といえば危険な食品、偽ブランドというイメージは過去のものになりつつあり、近い将来、最先端のデジタル技術といえば中国産という時代が現実味を帯びつつあるのです。

本書は上海在住のノンフィクション作家・西谷格(にしたに・ただす)氏が、中国で最先端のITサービスを片っ端から利用してみた体験をまとめた1冊です。

デジタル化により無人運営されているホテル、レストラン、ショップ、そしてエンタメボックスという変わったものから、各種レンタルサービス、中国におけるキャッシュレスサービスの仕組みまでを難しい専門用語を使うことなく、あくまで利用者の目線からレビューするという本書のスタイルは、誰にでも理解しやすい内容になっています。

また本書を通じて、否が応でも立ち遅れている日本の現状を考えずにはいられません。

その特徴は、ITサービスは間違いなく最先端であるものの、現実は玉石混交であるということです。

つまり使い勝手の良い便利なサービスもあれば、見かけ倒しのハリボテのようなサービスも数多く存在するということです。

例えば日本で新しいITビジネスをはじめる場合、綿密な市場調査や高い品質の完成度を目指してスタートしようとします。

一方中国では、不具合が残る完成度7~8割程度の未熟な品質でよいので、とりあえずサービスを開始してから試行錯誤するという割り切りの良さがあります。

日本ではクレームの嵐になりそうな不具合でも、中国人たちは良くも悪くも日常的にそうした不具合に慣れており、自己責任として割り切れるという国民性の違いも大きいようです。

個人的にはITサービスに限らずビジネスでもっとも大切な要素はスピードだと思います。

つまり市場で試行錯誤できる中国では、ITサービスを猛烈な勢いで発展させることのできる土壌があるという見方ができます。

もちろん自動車や建造物のように自身の命を預けることになる商品には万全の品質を求めたいところですが、ことITサービスに関していえば命に直結する場面は少ないため、果敢なチャレンジをしやすい分野であることも確かです。

またデジタル技術による便利さを享受するためには個人情報漏洩も心配になりますが、元々共産党による一党独裁体制に慣れている中国人たちは、日本人よりも個人情報提供に関して寛容です。

中国ではキャッシュレス決済と併せて信用度もデジタル化されており、利用者の個人資産や交友関係までもを総合的に判断して信用スコアとして数値化されている社会なのです。

日本人はこうした信用度を数値化してしまうと、それをあたかも"人間の値打ち"のように捉えがちですが、中国人たちはITサービスを利用するための一種のパラメータと割り切って気軽に教えあったりする国民性があるようです。

本書にはあくまでも中国の最先端ITサービスの体験と日本における類似サービスとの違いが論じられているに過ぎません。

それでも本書から考えさせれることは多くあり、文化や政治体制、そして国民性に根付いたものが中国のITサービスの原動力となっているため、日本はおろかアメリカや他の国であっても、最先端を走り続ける中国を追従するのは容易ではないことが分かってきます。

そして確実に言えるのは、最先端のデジタル技術、ITサービスを知るためには、今後も中国の動向に目を離せないということです。

日本の昔話



柳田国男が日本全国より採集した昔ばなしを1冊の本にまとめたものです。

以前似たような本として日本の伝説を紹介しましたが、専門家でない私は昔話と伝説の違いを正確に説明することは出来ません。

何となく伝説は特定の場所やモノにまつわる言い伝えであり、昔話は囲炉裏端や寝床などで祖母が語る昔の物語といった感じの違いでしょうか。

本書は200ページ足らずの薄い文庫本ですが、なんと100以上の昔ばなしが収められています。

本書は昭和5年(1930年)に刊行されたものが、増版を続けて現在に至っているものです。

昭和5年というと、その当時子どもとして昔ばなしを聞いていた人たちは現在100歳前後のはずです。

一方で柳田は昭和5年以前から日本各地で先祖代々語り継がれてきた昔ばなしが失われることを危惧し、仲間たちと協力して精力的にこうした昔ばなしを採集するという努力を続けてきました。

私自身も子どもの頃に聞いた昔ばなしは「桃太郎」や「浦島太郎」に代表されるような全国区の昔ばなしばかりであり、その土地ならではの昔ばなしを聞いた記憶は殆どなく、まして現在においては子どもが先祖代々口伝のみで伝えられてきた昔ばなしを聞く機会は皆無となっているはずです。

本書に載っている昔ばなしは教訓めいたものや荒唐無稽なもの、迷信ががったものなどバラエティに富んでいて見ていて飽きません。

ちなみに柳田は本書のはじめで次のように語りかけています。
皆さん。この日本昔話集の中に、あなた方が前に一度、お聴きになった話が幾つかあっても、それは少しも不思議なことではありません。
なぜかというと、日本昔話は、昔から代々の日本児童が、常に聴いていたお話のことだからであります。

この書き出しから分かるとおり、柳田は苦労して採集した昔ばなしを児童文学として多くの子どもたちに読んでほしかったのです。

こうして大人になり改めて各土地の昔話を読んでみると、子ども向けの他愛のない話としではなく味わい深く感じられるのは私だけではないはずです。