本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

ぐうたら社会学

ぐうたら社会学 (集英社文庫)

本ブログで紹介する遠藤周作こと狐狸庵山人の「ぐうたらシリーズ」の第4弾です。

「ぐうたらシリーズ」は、1960年代後半から1970年代に出版されましたが、本作「ぐうたら社会学」は最近になっても重版されているようなので、今でももっとも手に入れやすい1冊です。

元々、様々な雑誌や新聞に連載や寄稿したものを集めて単行本にしたシリーズであるため、さすがに4作目ともなると重複するようなエピソードが出てきます。

しかし本作で注目すべきは、「主婦の友」、「主婦と生活」といった女性向け雑誌に連載したエッセーが収録されているところです。

そこでのテーマはずばり「女性」です。

男性、女性にお互いにとって、本質的に異性というものは永遠に分かり合えない存在なのかもしれません。

遠藤氏は女性誌にも関わらず、その機嫌を一切取ろうとはせず、自分にとってその摩訶不思議な"女"という存在を正直に包み隠さずに綴ってゆきます。

エッセーで女性をどのように書いているかというと、だいたい次のような感じです。

  • 同士に真の友情は存在しない
  • 男のように暴力を使えない分、女の嫉妬心は陰湿である
  • 女にはユーモアがない
  • 女のウヌボレは死んでもなおらない

読者の女性たちから抗議が出そうな内容ですが(実際にあったこともエッセーで触れられていますが。。)、狐狸庵山人は決して男女差別の思想を持っているわけではありません。

平等・不平等というより、男と女の間には"明らかな違い"があると主張しているに過ぎません。

内容についても「ぐうたらシリーズ」で一貫しているユーモア精神に溢れていますので、女性にとっても一方的に不快になる内容ではないと思います。

いつものように肩肘張らずに気軽に読みましょう。

ぐうたら交友録

ぐうたら交友録 (1973年)

本ブログでたびたび紹介してきた遠藤周作こと狐狸庵山人のエッセー・ぐうたらシリーズの第3弾。

前半では、狐狸庵山人と交友のある作家たちのエピソードを、後半は市井に住むちょっと変わった人物たちへ取材を行った記録になっています。

もっとも真面目な交友録を書く気など初めから無く、その人物がいかに常識から外れた性格や趣味を持っているかに焦点が当てられています。

ところで「小説家家=変わり者」という印象は、昔の方が強かったかも知れません。

最近は普通の社会人が小説家としてデビューする機会が増えていますが、昔は売れなくとも赤貧の中でも小説を書き続け、文学論に気勢を上げていた連中といった印象が強かったのではないでしょうか。

もちろんこれは極端な例ですが、本エッセーに登場する作家たちはいずれも変人(?)であることは確かなようです。

むしろ何の面白みも無い人間は、狐狸庵山人のエッセーに登場する機会がないといってもよいでしょう。

具体的には、北杜夫三浦朱門安岡章太郎吉行淳之介といった著者にとってお馴染みの顔ぶれから、梅崎春生柴田錬三郎といった先輩作家まで幅広く登場しています。

彼らの姿を見ていると毛色は異なりますが、一昔前のプロレスラーを思い出します。

プロレスラーの力自慢は勿論ですが、かつ豪快で大食い、大酒飲みといった世間のイメージ(=期待?)を裏切らない、数々のエピソードを持っていたものです。

後半では市井の人びとへの突撃取材といった内容になっていますが、そのインパクトもなかなかです。

星占いの預言者ストリップ宗教の教祖といったオカルトなジャンルから、爬虫類マニア巨人応援団長浮世絵刺青師といったマニアックな分野までをカバーしていてます。

もちろん狐狸庵山人本人も例に漏れず、自らを変人の1人として俯瞰して描いている章もお薦めです。

変人図鑑といってもいいような内容なのですが、その多士済々さが無駄に充実している内容の濃いエッセーでした。

トップセールスや凄腕エンジニア、マネジメント論を堂々と振りかざす成功した経営者がもてはやされる時代だからこそ、肩の力を抜くために読んでほしい1冊です。

ぐうたら好奇学

ぐうたら好奇学―狐狸庵閑話 (講談社文庫)

遠藤周作こと狐狸庵先生のエッセー・ぐうたらシリーズです。

以前紹介した「ぐうたら人生入門 」の続編になります。

タイトルから分かる通り、"好奇心"が今回のエッセーのテーマになっています。

好奇心の対象は、駒場に住んでいた頃に散策した渋谷の町並み、そこで商売をする様々な人びとの人生模様、オカルト現象など、その内容は多岐に渡ります。

作品中には水商売の女たち、町の辻に佇む占い師たちなど様々な人が登場しますが、彼らに漂う人間の悲哀を描く狐狸庵山人のユーモア精神、批判精神は健在です。

もっともその根底に流れるのは、著者の人間へ対する飽くことのない好奇心であるといえます。

例えば以下のような場面は、狐狸庵山人の典型的なやり取りです。

都内にいるある婆さんでやはり霊媒をしている人があり、友人と一緒にでかけると、まずお狐さまを拝んで、畳からとんだり、はねたり大騒ぎである。そして私の妹の霊がのりうつったらしく、
「兄さん、妹だよ。あたしだよ」
と私にとりすがるのだが、こっちに妹などいない。
「ぼくには妹などおらん」
と言うと、
「兄さんは知らんが、父さんにはかくした女の子がいて、それが、あたしだよ」
と泣くまねをする。
あまりにおかしいので、他に人には聞こえぬように、
「お婆さん、芝居はよせよ。あんたも自分の言うておること、信じておらんのだろうが」
と小声で囁くと、その婆さんは口のあたりに、ニヤリとうす笑いがうかんだ。いかにもバレたかという感じで、私はそのお婆さんが大変、好きになった。

"インチキ"と断じてしまえばそれでお終いですが、著者の好奇心があくまでも個性へ対して向けられていることが分かります。

中には本当の怪奇現象?と思われるものあり、相変わらず軽妙なリズムで読めるエッセーです。

リーダーを目指す人の心得

リーダーを目指す人の心得

アメリカの陸軍出身であり、レーガン大統領の元で大統領補佐官を、ブッシュ大統領時代には統合参謀本部議長、その子供のブッシュ大統領(ブッシュ・ジュニア)の政権下では国務長官を務めたコリン・パウエルの著書です。

個人的には人懐っこい顔が印象に残っていますが、叩き上げの軍人としてアメリカ軍の頂点に登り詰め、その後も政治家として主にアメリカの安全保障(分り易くいえば軍事)の方面で長年に渡りキーマンであり続けた人物です。

タイトルから分かる通り、マネジメントを行う立場の人たちをターゲットにしたビジネス書に近いスタンスで書かれています。

原題の「IT WORKED FOR ME(私はこれでうまくいった)」から分かる通り、パウエル氏自身の体験や直接聞いたエピソードなどが多く盛り込まれていますが、決して押し付けがましい内容ではありません。

とはいえ、パウエル氏は約200万人ともいわれるアメリカ軍の組織ピラミッドの頂点に昇り詰めた人物です。

彼が才能と運に恵まれたとはいえ、相当の努力も行ったに違いありませんし、確固たるポリシーを持って組織を統率してきた自負が本書からは感じられます。

例えば本書の前半で紹介されている13ヶ条のルール。

これはパウエル氏が、黒人としてはじめて陸軍総軍司令部の司令官に着任したときにジャーナリストへ紹介した自らの座右の銘です。

ここでそのうちの幾つかを取り上げてみたいと思います。

  • なにごとも思うほどには悪くない。翌朝には状況が改善しているはずだ
  • 楽観でありつづければ力が倍増する

アメリカの軍事力という世界でもっとも強い影響力を背景にした決断は、相当のプレッシャーがかかります。一方で自分や仲間の力を信じ、どんな困難も乗り切れるという心構えは巨大な組織のリーダーに必要不可欠な要素なのかもしれません。

  • 選択には細心の注意を払え。思わぬ結果になることもあるので注意すべし
  • 小さなことをチェックすべし

一見すると、先ほどの楽観的な態度からは矛盾しているように思えますが、万全の備えがあるからこそ自信を保てるということでしょう。馴染みのある日本のことわざでいえば、「備えあれば憂いなし」、「蟻の穴から堤も崩れる」といったところでしょうか。

しかし現代において"軍隊式の企業"といえば、誰からも敬遠されるイメージを与えてしまいます。

国家の運命や部下の命を預かる軍隊のリーダーは、あらゆる種類の組織の中でもっともシビアな立場に置かれていると考えることもできます。

決して本書を鵜呑みにする必要はありませんが、優れたエッセンスが随所に散りばめられた作品であり、なおかつチームを率いる重圧を背負った人間に勇気を与えてくれる1冊です。

最後に補足ですが、本書はアメリカ国民に向けて書かれた本であるため、日本人読者にとって著者の祖国(アメリカ)へ対する揺るぎない愛国心と正義感が多少鼻につきます。

パウエル氏が生粋のアメリカ軍人というキャリアを歩んだことを考えると、それが当たり前と許容して読むのがよいでしょう。

死刑執行人サンソン

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

安達正勝氏の「物語 フランス革命」が非常に興味深かったので、本棚にあった安達氏の作品を引っ張りだして読んでみることにしました。

この作品は今から約10年前に発売当初に購入して読んだのですが、当時はフランス革命の背景にそれほど詳しくなかったこともあり、タイトルはともかく内容はそれほど印象に残っていませんでした。

発売当時の帯に「ジョジョの奇妙な冒険」の作者である荒木飛呂彦氏の書評が書かれていた記憶があります。

今回改めて本作品を読んでみると奥深く、そして楽しく読むことができました。

読む時期やその時の知識によって同じ本でも抱く感想に違いが出てくるのは、読書の醍醐味の1つといっていいでしょう。

フランス革命の歴史を紐解くと、暴動や戦争によって多くの命が失われましたが、もっとも革命を象徴するのがギロチン刑ではないでしょうか。

王族や貴族といった保守勢力だけではなく、ジャコバン派ジロンド派といった革命勢力内部での権力闘争によって多くの革命家がギロチンにより命を落としました。

そこで死刑執行の責任者であり続けたのが、本作品の主人公・シャルル-アンリ・サンソンでした。

サンソン一族は、フランス国王から代々死刑執行を委任されてきた世襲の死刑執行人であり、この家の当主は家業として死刑執行人を受け継ぐ伝統があったのです。

農家や鍛冶屋、パン屋など多くの家業が当時からありましたが、死刑執行を家業として生きてゆく者の心理は、職業選択自由の現在に生きる我々には想像を絶するものがあります。

日本の江戸時代にも山田浅右衛門(代々当主は同じ名前を名乗っていた)という世襲で死刑執行(斬首)を担っていた家柄がありました。

サンソン家の場合はもう少し多様で、フランスでは斬首、首吊り
火刑から馬による引き裂き刑に至るまで様々な死刑があり、さらには拷問についても家業の範囲に含まれていました。

更にはこうした経験を経て、人体の仕組みに詳しいサンソン家は副業として医者としての顔も持っていました。

フランス革命は「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」にはじまる人権宣言により、死刑についても身分に関わらず同一の方法で執行されるべきとの方針がとられました。

それまでは貴族と平民の間では死刑の方法が異なっていましたが、身分の違いに関わらず、死刑の苦痛がもっとも少ないギロチンが考案、採用されることになりました。

以前であれば死刑執行の手間がかかるため、1日に何人もの死刑を行うのは物理的に不可能でした。

しかしギロチンという手間をかけずに死刑を執行できる装置が発明されてからは、より多くの死刑が執行されるという皮肉な現実が訪れます。

例えば1794年にジャコバン派が失脚したテルミドールのクーデター後の40日間で、約1300人がギロチン刑送りとなったそうです。

もちろんサンソン自身が司法権を持っているわけではなく、裁判所の"死刑"の判決に則って死刑を執行するだけの役割でしたが、革命の政争に巻き込まれた少女へ対してもギロチン刑にせざるを得ない状況で、彼の苦悩がいかに深いものであったかをその回想録から知ることができます。

サンソンは職務に忠実ではありましたが、家族を大切にし、敬虔なキリスト教徒でもあり、困った人へ手を差し伸べるような善良な人間でもありました。

また世間からは、死刑執行人という職業へ対しての軽蔑や差別を常に受け続けていたようです。

革命という激動期に巡り合ってしまったばかりに、シャルル-アンリ・サンソンは歴代サンソン家の中でもっとも多くの人間を処刑するといった皮肉な運命を歩むことになります。

あえてフランス革命の指導者やルイ16世をはじめとした王族や貴族ではなく、死刑執行人という特殊ではありながらも激動の時代に翻弄された1人の人間ドラマは、歴史の奥行きを読者に感じさせてくれる良書であることは間違いありません。

「黄金のバンタム」を破った男

「黄金のバンタム」を破った男 (PHP文芸文庫)

人気作家である百田尚樹氏が手がけたノンフィクション。

昭和30年代から40年代にかけて活躍した日本人ボクサー・ファイティング原田の軌跡を描いています。

はじめに本書でも繰り返し触れられている、当時(昭和三十年代)のボクシングの世界チャンピオンの価値について本書から引用します。

昔の世界チャンピオンと現代の世界チャンピオンの価値は等価ではない。
当時、世界チャンピオンは八階級に八人しかいなかった。世界でたったの八人である。
現代は十七階級、しかも複数の団体がそれぞれチャンピオンを認定していて、主要四団体だけでも七十人前後のチャンピオンがいる。
~(中略)~
つまり昭和三十年代の世界チャンピオンの価値は現在の八倍以上の価値がある。
乱暴な言い方を敢えてするが、昭和三十年代の世界ランク七位以内のボクサーなら、今なら全員世界チャンピオンになれるということだ。逆に言えば、現在の世界チャンピオンの八人のうち七人は当時なら世界ランカーどまりということになる。

これを知ると、2階級の世界チャンピオンに上り詰めたファイティング原田の功績がいかに大きいものだったかが分かります。

日本人として初めて世界チャンピオンの栄冠を手にしたのは、伝説のボクサー"白井義男"でしたが、彼の引退後、長らく日本人ボクサーが世界チャンピオンになることはありませんでした。

当時のボクシングは野球、相撲と並んで、もっとも人気のあるスポーツであり、戦後日本の経済成長と共に2人目の世界チャンピオンを待望する声が広まりつつありました。

そうした時代的な背景と共に、ファイティング原田と同世代に活躍したボクサー、日本フライ級の三羽烏海老原博幸青木利勝へもスポットを当てて彼らの残した軌跡についても詳細に触れています。


その後、数多くの世界チャンピオンの日本人ボクサーが登場しましたが、その中で原田が特筆に値すべき点は、もちろん2階級制覇もありますが、何よりも伝説のボクサー・"エデル・ジョフレ"に勝利してチャンピオンに輝いた功績が大きいといえます。

タイトルにある「黄金のバンダム」とは、バンダム級が他の階級と比べて才能のあるボクサーが揃っていた激戦区だったという意味ではなく、エデル・ジョフレ個人に与えられた称号です。

現在に至るまでもエデルがバンダム級史上最強のボクサーであったとする評価は多く、生涯78戦でわずか2負しか喫していないキャリアを持ち、それはいずれもファイティング原田に喫した敗北でした。

自身も認めていますが、原田よりも才能のあったボクサーは決して珍しくありませんでした。

しかしボクサーとして苦しい減量はもちろんですが、誰にも負けない練習量こそが彼を偉大なチャンピオンへ導いたのです。

そしてそれを支えたのは、原田のボクシングへ対する情熱に他なりません。

原田自身がボクシングを始めるときに誓った、人生のあらゆる楽しみを捨てて10年間をボクシングのみに捧げ、誰よりもストイックにボクシングに打ち込み、そして約束通り10年間でグローブを置いてリングから去る姿は、彼の生き方を凝縮しているといえます。

また忘れてはならないのが、世界チャンピオンに相応しい実力を持ちながらも、リング外の様々な不運により、そのチャンスを与えられなかった数多くのボクサーがいたことです。

これは原田がボクシングを愛したと同様に、ボクシングの神様も原田へ微笑んだのではないでしょうか。

本書の全篇にわたって著者のボクシングへ対する深い愛情が感じられ、このノンフィクション作品を質の高いものにしています。

ボクシングに興味の無い人にも是非読んでほしい作品です。

ちなみに日本のボクシング史を俯瞰して知りたい人は、以前ブログで紹介した「拳に賭けた男たち」をお薦めします。

宿敵〈下〉

宿敵〈下〉 (角川文庫)

引き続き、「宿敵」下巻のレビューです。

加藤清正小西行長
本作品に登場する2人の主人公は、その生い立ちから性格まで徹底的に正反対です。

加藤清正は幼い頃に父親を失い、貧しい環境で幼少期を過ごしたのちに秀吉に仕えるようになりました。自分の力のみを信じて槍一本で立身出世を成し遂げた叩き上げの猛将であるといえます。
また母の影響を受けて熱心な日蓮宗徒だったといわれます。

一方の小西行長は、豪商の子として生まれ、父親(小西隆佐)をはじめとした堺の商人たちの強力なバックアップもあり、秀吉の台頭と共に出世が約束されていたようなものでした。
またポルトガルをはじめとした南蛮貿易に従事した商人の子として育ったこともあり、早い時期からキリスト教に帰依したことでも知られています。

これだけ対照的な2人は、創作でもなかなか書けるものではありません。まさしく"事実は小説より奇なり"です。

そんな2人の関係を知りつつも秀吉は、清正と行長を競争させる方針を貫きます。

まず2人へ肥後一国の半分ずつを与え、大名として任命します。

そして朝鮮への出兵(文禄の役)の際には行長を先鋒として、清正を2番手として送り込み、互いに漢城(現:ソウル)攻略を競わせます。

朝鮮出兵は秀吉の死により終わりを迎えますが、次は徳川家康が天下を狙うべく動き出します。

またしても当然のように2人は敵同士に別れますが、ここではじめて2人の心境が重なります。

清正は秀吉亡き後も豊臣家への忠誠心を失わない武将でした。
家康に不安を抱きつつも、石田三成を豊臣家の宰領として認めなかったことが東軍に付くきっかけになります(そして清正の死後、家康への不安は現実のものとなります。。)

行長は家康へ対して悪い感情は抱いていませんでしたが、昔からの盟友である石田三成の誘いを断る選択肢はありませんでした。

つまり2人とも積極的な理由ではなく、多くの大名がそうだったように日和見的な態度が許されない状況下での選択に過ぎませんでした。

このあとは歴史が証明する通り、東軍の勝利に終わり、小西行長はキリスト教徒であるがゆえに自刃を拒み、三成らと共に処刑されることになります。

"宿敵同士"の争いは清正の勝利に終わったかに見えましたが、清正は喜びよりも虚しさを感じるのでした。。

戦乱という時代の大きな流れに翻弄されつつも、異なる形で自らの信念を貫き通した2人の武将を「宿敵」というキーワードで結びつけ鮮やかに描いた傑作です。

宿敵〈上〉

宿敵〈上〉 (角川文庫)

宿敵」。

なんともシンプルでストレートなタイトルですが、遠藤周作氏による戦国時代を題材にした本格的な歴史小説です。

遠藤氏は幾つかの歴史小説を手掛けていますが、物語のスケールをそれほど広げずに登場人物の内面に迫った作品が多い印象があります。

その中にあって本作品は、秀吉の朝鮮出兵関ヶ原の戦いといった大きな舞台を描いた珍しい作品ではないでしょうか。

本作の主人公は、共に秀吉の近習として出世した"加藤清正"と"小西行長"であり、タイトルの"宿敵"とはこの2人の関係を表しています。

清正は"福島正則"と並ぶ秀吉麾下の猛将というイメージですが、熊本城などの築城や内政手腕についても定評のある名将として知られています。

一方の行長は、堺の商人の子として生まれ、石田三成と共に文官タイプの武将として、またキリシタン大名としても知られています。

秀吉が配下の武将同士を競わせたこともあり、はじめ2人はライバルとして、そして後に考え方や生き方の決定的な違いから"宿敵"として向かい合うことになります。

現代に生きる我々にとって決して相容れず、それでいて争い続けなければいけない「宿敵」という存在がある人は殆どいないのではないでしょうか。

そんな2人の内面を深く、そして鋭く観察してゆく本作品は、単なる歴史小説に留まらないテーマを読者に投げかけてくれる、遠藤氏らしい切り口であるといえます。

星に願いを―さつき断景

星に願いを―さつき断景 (新潮文庫)

斬新な手法で書かれた重松清氏の小説。

サブタイトルの「さつき断景」にヒントがありますが、5月1日のみを舞台とした作品です。

もう少し詳しく説明すると、1995年から2000年までの6年間の5月1日を切り抜いて、3人の登場人物にスポットを当てています。

ただし3人はお互いに他人同士であり、物語的に交わることもありません。


1人目はあと数年で定年を迎え、さらに娘の結婚を間近に控えているアサダ氏。

2人目は小学生の娘を持つ平凡な会社員ヤマグチ氏。

3人目は高校入学を控えている少年タカユキ。


この3人は約20歳ずつ年の離れた別々の年代の登場人物であり、男性読者であれば誰か1人に自分を重ね合わせて読むことができるのもポイントです。

いずれも平凡な人たちですが、彼らが6年間という時間をどのように過ごしてきたかを綴っています。

例えば家族。
この作品の重要なテーマですが、年齢と共に家族の顔ぶれ、そして親や子どもたちとの関係も微妙に変化してゆきます。

さらには阪神淡路大震災地下鉄サリン事件など社会な重大な影響を与えた出来事が彼らにどのような影響を与えたかについても触れられています。

こうした機敏な描写は、重松氏のもっとも得意とする分野ではないでしょうか。

決して起伏のあるストーリーではないため淡々と読み進めながらも、思わず自分の人生を振り返らずにはいられない作品です。

とにかく斬新な切り口で書かれており、著者のチャレンジする姿勢は評価できます。

物語 フランス革命

物語 フランス革命―バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中公新書)

1789年7月14日

それはフランスでバスチーユ監獄襲が行われ、革命の第一歩が踏み出された日です。

人間の自由と平等」。

現代に生きる私たちにとっては聞き慣れた言葉かもしれませんが、絶対王政が行われていたヨーロッパ諸国、そして日本でも幕府によって同じような封建社会が形成されていた時代(当時の日本は寛政年間)において、生まれた出自や身分に関わらず人びとは平等であると世界へ先駆けて宣言を行ったフランス革命は、その後の影響度から考えても世界でもっとも知名度の高い革命だといえます。

私は高校時代に世界史を専攻していましたが、四大河文明から近代史までを(文字通り)頭へ詰め込まなければいけない中にあって、フランス革命の約15年間の出来事は、かなり高い密度で教科書に書かれていた記憶があります。

それでもフランス革命は、短期間で指導者が目まぐるしく変わる遍歴を経るため、受験生泣かせの事件でもありました。

また歴史の年表を暗記するだけでは、その時代に生きた人間たちを知ることはできません。

例えばジャコバン派の首領として恐怖政治を行い、多くの人びとをギロチン刑送りにしたロベス・ピエール

冷血で自己保身に長けた人物かと思えば、実際にはまったく逆の人物でした。

誰よりも革命の目標を高く掲げ、情熱を内に秘めた私欲とは無縁の潔癖な人物であったようです。


それが故に一切の妥協を許さない彼の姿勢が、王党派と妥協しようとするジロンド派、そして革命を利用して権益や財産を得ようとする人たちへの厳しい姿勢が、「恐怖政治」となって表れた背景がありました。

本書の特徴はフランス革命の主要な流れを抑えていることは勿論ですが、歴史上の登場人物にスポットを当てている部分が秀逸であるといえます。


例えばルイ16世マリー・アントワネットロベス・ピエールなどの有名な人物以外にも、ロラン夫人テロワーニュ・ド・メリクールサン・ジェストなど、日本では知名度が低くともフランス人にとっておなじみの気の高い人物に意識的にスポットを当てる姿勢は好感が持てます。

私もフランス革命に興味を持ったのは社会人になってからですが、フランス史に詳しい著者・安達正勝氏によって書かれた本書「物語 フランス革命」は、教養として体系的にフランス革命の知識を得るための決定版であるといえるでしょう。

ネットベンチャーで生きていく君へ

ネットベンチャーで生きていく君へ

株式会社モディファイ」の代表取締役である小川浩氏が執筆した本です。

著者は起業家として多くの会社のスタートアップを経験し、未だにネットベンチャーの最前線で活躍しています。

本書は20代・30代の若者たちへ向けてネットベンチャーでの働き方、そして経営や資金調達などの知識を様々な例を用いて解説しています。

最近は、大企業よりもベンチャー企業への就職を希望する学生が増えています。

大企業と比べると安定性は劣りますが、とくにインターネット業界では成功したベンチャー企業の例も増えており、そうしたチャレンジ精神を持った若者が増えてくるのは良い傾向だと思います。

ただしネットベンチャー企業に年功序列制度などあるはずもなく、実力主義の厳しい世界です。

またハードワークも特徴であり、リスクを恐れず将来の大きな成功を目指してゆくモチベーションが要求されますが、成功した際のリターンも見合ったものとなるでしょう。

アップル、グーグル、FacebookやTwitterなどアメリカでは巨大なベンチャー企業が育ってきましたが、日本でもネットベンチャーが成長できる土壌が整いつつあります。

本書は日本のネットベンチャー黎明期から活躍する著者が、これから挑戦してみようと考えている若者たちへ用意した手引書であるといえます。

ただしネットベンチャーにとってもっとも大切なのは、アイデアとそれを現実にする情熱と実行力であり、それは本から知識を吸収するだけでは決して生まれないことも肝に銘じておきましょう。

不連続殺人事件

不連続殺人事件 (角川文庫)

坂口安吾氏によるミステリー小説。

坂口安吾といえば日本文学を代表する作家の1人ですが、大のミステリー小説好きとしても知られています。

その趣味を存分に生かして本作「不連続殺人事件」は書かれました。

舞台は終戦間もない昭和22年(この作品が執筆された年と同じです)。

ある資産家の家にゆかりのある芸術家たち(作家、画家、女優など)が招待されます。そこで次々と起こる殺人事件。。。犯人は?そしてその目的は・・?

本作はミステリー小説という性質上、あまり内容には触れません。
ミステリー小説のネタばらしほど身も蓋もないものはありませんが、一方でその内容に触れずに作品の魅力を伝えるのもなかなか難しいものであり、"読書ブログ泣かせ"のジャンルであるといえます。

最初に書いたとおり坂口安吾は本職のミステリー作家ではありませんが、日本のミステリー小説史上に残る名作の1つとして挙げる人も少なくありません。

物語は人里離れた資産家の屋敷を事件の舞台としており、現実感よりもミステリー小説のための雰囲気作りを重要視しています。

また登場人物たちの職業から分かる通り、彼ら(彼女たち)は一癖も二癖もある個性を持っており、誰が殺人事件の犯人でもおかしくない雰囲気を醸し出しています。

人によってはミステリー小説の設定として"わざとらしい"と感じてしまうかもしれませんが、私個人は清々しささえ漂う(ミステリー小説の)本職ではない坂口氏だからこそ成し得た明らかな確信的な舞台作りとしてすんなり受け入れることができました。

結果として用意された小世界ともいえる山奥の屋敷で起こる出来事は、個性的なキャラクターたちの絶妙なやり取り、そして綿密な描写として作品のあちこちに残された伏線、犯人の壮大な犯行計画などと共に、ミステリー小説の王道的な作品として単純に楽しむことができました。

ミステリー小説ファン、そして坂口安吾ファンの両方に読んでほしい1冊です。