本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

沙中の回廊〈下〉

沙中の回廊〈下〉 (文春文庫)

引き続き晋の名宰相と言われた"士会"を主人公とした「沙中の回廊」の下巻レビューです。

士会は戦乱の時代とはいえ謀術数の限りを尽くしライバルを1人ずつ葬ってゆく策略家でも、豪快な武将肌の人物でもありませんでした。

兵法が確立していない時代において士会は天才的な戦略家ではありましたが、決して武力を安易に用いることはなく、外交面や内政面も重視する国全体の利益の視点から物事を考えられる人間でした。

しかし士会の生きた時代には運悪く、晋にとっての長年のライバルである楚に名君"荘王"が君臨していました。

無敵を誇る楚を相手に国内情勢が安定しない晋は必然的に守勢に回ることになり、更に外交のまずさから秦という大国をも敵に回すことになります。


楚は国王である荘王を中心として結束の固い強力な軍隊を有しているのに対し、士会は晋の将軍の中の1人でしかない立場でありながら、戦いを通じて唯一荘王に対抗できる人物として名を知られてゆくことになります。


やがて士会の能力と人格が認められ、すでに老齢に差しかかった時期に晋の宰相の座に就くことになりますが、その宰相の地位さえも数年であっさりと譲ってしまうことになります。

宰相という人臣としての地位を極めますが、その地位に執着するが故に数々の内乱を巻き起こしてきた先例を多く見てきた士会にとって、引き際を誤って自らがその1人となることが最も恐ろしいことだったに違いありません。

人間は苦しい時にその本性が出ると言いますが、むしろ富や地位を得たときにこそ本性が出るものではないでしょうか。


日本は高齢化社会といいますが、それを考慮しても過去の名声にしがみ付いて地位を手放したがらず、なかなか後進に道を譲ることをしないケースが多いように思えますし、その結果、過去の名声を汚名に変えてしまう人が多いのは非常に残念です。

沙中の回廊〈上〉

沙中の回廊〈上〉 (文春文庫)

春秋戦国時代を題材とした小説を数多く手掛ける宮城谷昌光氏による歴史小説。

中国の戦国史としては「三国志」が最も有名ですが、5百年以上に渡って続いた「春秋戦国時代」も魅力的な歴史上の人物が数多く登場します。

ただし5百年という期間や登場する国の数が数十以上にのぼることから、分かりにくい部分があるのも事実です。

著者の宮城谷氏は春秋戦国時代を通史としてではなく、作品ごとに1人1人の人物にスポットを当ててくれるため、どの作品から読み始めても魅力溢れるこの時代にすんなり入り込むことが出来ます。。


本作品では、晋の名宰相として後世から高い評価を受けている"士会"が主人公として登場します。


士会の生きた時代は春秋時代に分類され、大雑把に説明すると""、そして""という2大強国が、周りの国々を巻き込み覇権を争っていた時代です。

士会は長命だったこともあり歴代5人の晋の君主に仕えることになりますが、その最初の1人である名君"文公(重耳)"に見出されるところから歴史上に姿を見せます(ちなみに文公を主人公とした同氏の小説に「重耳」があります)。


ところが士会は、文公の死後に起こった後継者争いに巻き込まれて、隣の敵国である""へ亡命することになります。

そこで、その才能に気付いた秦の君主"康公"により士会は重く用いられてゆきますが、彼の活躍する場はかつての故国であった"晋"への攻略に関するものであり、決して故国へ対して恨みや憎しみを持っていなかった士会にとって、その心中は複雑であったに違いありません。


春秋戦国時代を通じて士会のように亡命を余儀なく選択し、やがてそこで活躍する人物は珍しくありませんが、士会については、彼の能力を見抜いた晋の大臣"郤缺(げきけつ)"の策略により再び晋に戻ることになります。


士会が戻った晋は相変わらず名門同士の派閥争いを続けている状態でしたが、士会はその中に加わることも、そして自ら派閥を作ることなく超然とした態度を取り続けます。


文公や彼に仕えた狐偃(こえん)先軫(せんしん)といった偉大な人間を見てきた士会にとって、出世や保身に走る国の首脳陣をみて、心の中では落胆していたに違いありません。

時代は戦乱の真っ只中であり、私欲を捨てて自らが正しいと信じる道を歩む士会のようなやり方は、生き延びるためには決して利口なやり方とはいえません。

しかしながら士会は後に名宰相と評されるまでになる人物であり、目まぐるしい戦乱の世の中をどのように生きてゆくのか、読者の興味を掴んで離しません。

下北サンデーズ

下北サンデーズ (幻冬舎文庫)

下北沢で活動する小劇団「下北サンデーズ」を舞台に繰り広げられる、愛と青春のストーリーの物語。

著者の石田衣良氏はベストセラー作家として知られていますが、彼の作品を読んだのは今回が初めてです。

大学進学のために田舎から上京した"里中ゆいか"が、下北サンデーズに入団を志願するところから物語が始まります。

出だしは丁寧に書かれていますが、ページが進むにつれ少しずつテンポが速くなり、後半は怒涛にようにストーリーが展開してゆく辺りに読者を引き込んで離さないところに有名作家としての技量を感じます。

下北沢という空間を余すことなく利用し、夢を追う若者の喜怒哀楽が濃厚に伝わってくる内容です。

私も田舎から上京してきた1人ですが、超高層ビルが立ち並ぶ単純な都会のイメージとは違った、オシャレな中にもどこかレトロな雰囲気の漂う私自身の"下北"のイメージと重なる部分があり、すんなりと物語に入ってゆけました。


また登場人物はどれも個性豊かであり、1人1人の夢や葛藤も様々です。
読者にとって、その中に1人くらいは自らの青春と重ねられる人物が登場するのではないでしょうか。


ストーリー展開はかなり分かりやすく、これは著者がTVドラマの原作を意識していたことと無縁ではないかもしれません(実際にはドラマを見ていませんので、あくまで推測です)。


もちろんストーリーが単純であることが小説の良し悪しを決める要素ではなく、はじめに書いたようにテンポや雰囲気に重点を置いた楽しめる作品であることは間違いありません。

東北―つくられた異境

東北―つくられた異境 (中公新書)

東日本大震災を機会に何気に手にとった1冊です。

昔は"奥羽"と言われ、現在は"東北"と呼ばれている地域(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島)の文化的位置付けを数々の文献を紐解くことでその姿に迫ろうとした1冊です。


明治初期の「白河以北一山百文」に代表されるように、戊辰戦争において幕府側に加わった勢力(いわゆる朝敵)が多い東北地方は、天皇の威光が届かない文化成熟度の遅れた荒地であると侮辱的な扱いを受けてきました。

著者は東北地方(奥羽)が、江戸時代の中期頃より文化人たちに辺境視されてきた歴史があることを様々な文献を通じて例を挙げてゆきます。

もちろんこれは江戸を中心とした文化圏からの偏見であることは確かですが、大和文化とアイヌ文化が融合した多様で独自の文化が根付いていた証拠でもあります。


わずか100年前の東北地方に住む人々が中央権力にどれだけ虐げられてきたか、またそこに住む人々がそれだけ劣等感を抱いていたかを知り、正直驚きを感じました。


今でこそ東北地方への偏見は薄まってきており、今回の大震災でも多くの国民が支援を惜しまない一体感が普通になりつつありますが、今から115年ほど前に発生した明治三陸地震では、政府の援助も不十分であり、しかも当時は"方言"が濃厚に残っていた時代でもあり、救援に駆けつけた医師と意思疎通を行うことすら困難な場面があったようです。



一方で本書では、こうした東北地方の地位向上のために文化的・社会的活動を行ったきた人物についても丁寧に解説しています。


東北と一言でいいますが、四国の3.7倍、九州の1.6倍もの面積を持ち、本州の3割の面積を占めており、それだけに東北が日本に果たす役割は決して小さいものであるはずはありません。

震災後特に多くなった気がしますが、日本を"小さな国"と表現する機会を見受けます。

これは首都圏で密集して住んでいる人たちの視点が入り込んでいる表現であり、孤立した被災地の人々や断絶したインフラを考えると、決して東北が近くも狭くもないことを実感できます(実際、世界的に見ても日本の国土は大きな部類に入ります)。


アイヌ文化についての本を読んだときにも感じたことですが、現代においても京都にある仏閣や江戸時代の資料館、時代劇を見て日本の文化・風土を知ったつもりになる人、そもそも日本が単一民族国家であると勘違いしている人も少なくありません。

こうした姿勢が多くの伝承されるべき豊かな文化を失わせてしまった事に気付くべきですし、こうした歴史に憤りを感じる1人です。

本書は研究者が書いた本のため専門的な内容が多いですが、東北地方が中央権力から迫害され、葬られてきた歴史があるということを気付かせてくれる教科書であるといえます。