本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

大家さんと僕


2017年に発表され、メディアでも大きく取り上げられたお笑い芸人・矢部太郎氏が大家さんとの心温まる交流を描いたエッセイです。

エッセイと言いましたが、本書の内容は文章ではなく4コマ漫画で描かれています。

1ページに2話分の4コマ漫画が掲載れていて約120ページに渡る作品ですが、時系列のストーリーになっており、独特のほのぼのとした画風で描かれています。

戸建ての1階に大家のおばあちゃんが住んでおり、矢部氏は2階に賃貸で住んでいる形になります。

このおばあちゃんは昭和はじめの生まれの品の良い老人で、作者にとって祖父母と同じくらい、つまり二周りくらい年齢差があります。

始めは大家さんが作者が留守の間に洗濯物を取り込んだり、帰宅すると電話で挨拶をしたりとその距離感の近さに戸惑いますが、時間が経過するにつれ大家さんとの距離が縮まってゆく仮定がよく描かれています。

やがて日常的にお茶をしたり食事へ行ったり、自然と旅行にも同行するほど親密な交流をするようになります。

昭和の時代にはドラマなどで大家さんへ手渡しで家賃を支払ったりする場面が登場しますが、私自身は7回ほど引っ越しを経験しているものの物件の管理自体は不動産会社が行っていることが多く、大家さんの顔さえ知らずに住んでいたパターンが殆どでした。

実際に本書で描かれている内容は今から約10年前の出来事なので、平成という世にあってまるでタイムスリップしたかのような貴重な経験が描かれている点も人気になった要因だと思います。

ロケーションも東京の新宿という立地であり、大都会の真ん中でこの場所だけ時代に取り残されているかのような不思議な印象を受けます。

私自身も実際に新宿周辺にも関わらず、今でも驚くほど古い一軒家が残ったりしているのを発見した経験があります。

長い間独身で過ごしたおばあちゃんにとって強く記憶に残っているのは思春期と重なっている戦争中の出来事であり、折に触れてその時の話をするというのが定番のようです。

東日本大震災のときには東京も交通網が麻痺して混乱しましたが、おばあちゃんは戦時中の空襲時に比べたら驚くほどの事ではないと平然としています。

やはり戦争を経験した世代は多少の不便さがあっても我慢できる強さがあります。

一方で私たちの世代は電気水道ガスといったライフラインはおろか、インターネット回線が止まっただけでもかなりの動揺を受ける人が多いのではないでしょうか。

残念ながら2017年8月に大家さんがお亡くなりになり、その後自宅も取り壊されたということです。

価値観や幸せの尺度は人や世代によってさまざまであり、改めてその大切さを気づかせてくれる作品です。

なめくじ艦隊


本書は古今亭志ん生の半生記です。

昭和には数多の名人、大看板と言われる落語家たちが登場しましたが、あえて1人だけに絞るとすれば、この"志ん生"の名前を挙げる人がもっとも多いのではないでしょうか。

もっとも私自身が生まれた時には志ん生はすでに亡くなっており、録音でしか噺を聴いたことがありませんが、実際に寄席で彼の落語を聴いたことのある人は高齢の方ではないでしょうか。

自伝のタイトルで「なめくじ艦隊」とは変わっていますが、これは赤貧時代に地面の低い湿地帯に建てられた家賃タダという長屋に住んでいた時代に四方八方から現れたなめくじから来ています。

ズウズウしてくて切っても突いても動じない"なめくじのしぶとさ"を自分自身の姿に重ね合わせて、さらにこの時の長屋風景を徳川夢声氏が「なめくじ艦隊」と名付けたところから本人が気に入ってそのまま採用したようです。

私自身ほとんど関心がありませんが、ここ数年、連日に渡って芸人の不祥事が大きくニュースで取り上げられています。

芸人になるような人間はロクなもんじゃないという昭和の風景が遠いものになりつつあると感じますが、明治生まれの志ん生はさらに数段その上を行っている破天荒さです。

志ん生の父は江戸時代生まれのサムライだったこともあり厳しく怖かったようですが、父親に反発するように放蕩息子に育ちます。

神田、浅草で育った孝蔵少年(志ん生の本名・∶美濃部孝蔵)は、13歳から酒場で冷酒をマスからガブガブ飲み、14歳から賭場へ出入りして博打でスッカラカンになり、父親の大事にしていたキセルを勝手に売り払ったりという、自らを末恐ろしい子供だったと回想しています。

今で言う中学生ですから、コンプライアンスのかけらも感じられません。

奉公にやってもすぐに逃げ出してくる孝蔵少年を持て余した家族は、逃げ戻ってこないよう彼を下関から船に乗せて京城(今のソウル)の印刷会社へ奉公に出しますが、それでもすぐに仕事を辞めて自力で東京まで戻ってくるという行動力です。

どんな仕事をやっても長続きしない彼は、友人の勧めで落語家になることを決心します。

それでも放蕩グセはまったく改まらず、営業先の浜松で一銭も持っていない状態で宿へ泊まり、留置所へ入れられ同じ部屋に入ってきたヤクザの親分相手に一席やったり、女房をもらったあくる日から遊びに出て、彼女が用意した箪笥、長持、琴などの結納品を1ヶ月半ですべて売り払ってスッカラカンにしてしまったというから驚きです。

それは子どもが生まれてからも改まらず、計6回も家賃滞納で家を追い出されるという経験をしています。

そして辿り着いたのが、冒頭に紹介したなめくじ艦隊が出没する家賃タダの長屋ということになります。

本書の秀逸なところは、自らの半生を語るほかにも江戸周辺の当時の風景、落語家仲間のこと、芸人界の伝統やしきたり、寄席の風景などが紹介されている点です。

本作品は、1956年(昭和31年)に発表されおり、当時の志ん生は66歳ということになりますが、すでに遠い記憶になりつつあった江戸、明治の風情を知る最後の世代だったといえます。

本書の文章は江戸弁の口語調で書かれており、おそらくインタビュー形式での取材をもとに文字起こしたと作品だと思われますが、まるで志ん生の落語のような雰囲気と調子があります。

大看板になってからも自分ほど貧乏を味わい尽くした人間はいないと胸を張って語った志ん生師匠の半生は味わい深いものです。

多くの有名人から半生記が出版されていますが、本書は傑作の中の1冊に数えられるべき作品ではないでしょうか。

決定版 この国のけじめ


本書は藤原正彦氏の新聞や雑誌に発表したエッセイをまとめたものです。

元々、単行本として発刊されていた同書を文庫化するにあたり、幾つかのエッセイを追加して"決定版"として出版したようです。

本書では掲載されたエッセイを時系列で掲載したものではなく、いくつかのテーマに分類しています。

用意されているテーマは以下の通りです。

  • 藤原家三代
  • 祖国愛
  • 甦れ、読み書き算盤
  • 学びのヒント
  • 私の作家批評
  • この国のけじめ
  • 日々の風景

この中でも、"祖国愛、"この国のけじめ"に掲載されているエッセイは、ベストセラーとなった「国家の品格」の骨格となっているエッセイです。

戦後、欧米に追従した市場原理主義が波及した結果、日本に古来からある世界に誇れる文化、教養、情緒などが消えつつある現状に警告を鳴らしています。

日本は物質的には豊かになりましたが、著者はそれを「たかが経済」であると主張しています。

日本固有の国柄を無視して国や経済界が自由競争社会を促進した結果、弱肉強食の世界が訪れ、たとえば日本人が本来持っていた「惻隠の情」などが失われ、経済と引き換えにもっと大きなものを失った日本人は不幸になってしまったというものです。

"甦れ、読み書き算盤"、"学びのヒント"では、本ブログでも紹介した「祖国とは国語」とほぼ同じ主張であり、幼児期、小学校から導入されている英語教育を真っ向から批判しています。

著は数学者として大学で教鞭をとっており、さらにアメリカ、イギリスへの留学経験があるだけに説得力があります。

民間団体は学校や文部科学省へ対して、現場で即戦力となる若者を育成する教育改革を求めますが、著者は一見何の役にも立ちそうにない、文学、歴史、科学、芸術などの教養こそがもっとも重要であり、学生時代に例えば投資や起業などの"社会勉強は不要"であると断言し、人間としてのバランス感覚に優れた幹の太い人材を育てる重要性を訴えています。

"私の作家批評"は文字通り著者のお気に入り作家を紹介するエッセイであり、"日々の風景"では日常の出来事を、"藤原家三代"では自ら生い立ち、父や母との思い出を語るもっとも一般的なエッセイが掲載されています。

読書は楽しませてくれるユーモアから、日本の行く末を真剣に論じた自らの大局観を披露するエッセイまで内容は多様であり、藤原正彦ワールドを存分に堪能できる1冊になっています。

新三河物語(下)


 

新三河物語」の最終巻では、信長が本能寺の変で斃れ、つづく秀吉との対決、やがて秀吉の死後に関ヶ原合戦大阪冬・夏の陣を経て江戸幕府の樹立によって家康が天下統一を果たすまでの過程が描かれています。

まだ家康の勢力が小さな頃の譜代の家臣たちは、つねに家康と行動を共にしてきました。

しかし領土が広がり新参の家臣たちが増えてくるに従い、城主として、あるいは攻略する方面ごとに軍を率いて家康と別行動を取ることが多くなります。

その中で本作品の主人公ともいえる元祖「三河物語」の著者である大久保忠教は、おもに信州方面での任務に就くことになります。

その間に家康が秀吉が繰り広げる小牧長久手の戦いが起こりますが、忠教は油断ならない真田昌幸に睨みをきかせるため小諸城から動きませんでした。

つまり下巻になってからの本作品は、家康をすこし遠い位置から見ている大久保一族の視点から見て書かれています。

そして残念なことに、その距離は物理的なものに留まらず、心の距離にも及んでゆくのです。

その要因を簡単に言えば、家康が天下人になるにつれ世の中から戦がなくなってゆきます。
一方で家康の先祖から松平家に仕えて譜代の家臣たちは、おもに戦場での槍働きで活躍してきた猛者たちです。

しかし天下が定まるにつれ時代が求めるのは内政能力となり、新しい人材たちがそれを担うことになります。

例えば晩年の家康が信頼した本多正信藤堂高虎らはいずれも譜代家臣でありませんでしたが、彼らの発言は譜代家臣のそれより重用されることになります。

結果として家康と彼らの思惑により譜代の家臣、酒井家や石川家、さらには大久保家が失脚してゆくことになります。

家康の天下統一にもっとも貢献したのは人質時代から家康に仕え続けた譜代家臣たちでしたが、失脚以前から彼らに与えられた領地の石高は驚くほど少ないものでした。

こうした家康へ対しての譜代家臣の想いが作品中に書かれています。
猜疑のかたまりとなった晩年の今川義元、織田信長、豊臣秀吉となんらかわりはない。
徳川家康だけはそれら三人とはちがう、と三河に生まれた者は誇りたかったのに、いまの家康の迷執のひどさをみれば、落胆せざるをえない。

それでも結果として譜代家臣たちが家康へ向かって反乱することはありませんでした。

もちろん本作品の主人公ともいえる大久保一族にも悔しさややるせなさがあったことは間違いありませんが、その根底には三河武士としての意地や誇りがあったことも間違いありません。

現実の世の中は必ずしも努力が報わる訳ではく、不平等で不条理な場面に出くわすことが当然のようにあります。

そんな時に作品中での大久保一族の生き様は読者へ励ましを与えてくれるはずです。

新三河物語(中)


 


大久保一族の視点から家康の生涯を描いた「新三河物語」の中巻です。

上巻では義元の死によって今川家から独立し、さらに一向一揆を鎮圧して西三河を版図に加えるまでの過程が描かれていました。

本巻では、いよいよ万全の体勢で東三河、さらには遠江へ進出する過程、南下してきた武田信玄との激突、さらには最大の同盟国であり庇護者でもあった織田信長が本能寺に斃れるまでが描かれています。

精強で知られる三河武士ですが、戦国最強クラスの武力を誇った武田家との戦いでは質・量ともに劣勢に立たされますが、ここで得た経験は家康を大きく成長させたと言えます。

それは家康に仕える家臣たちにとっても同じであり、信玄と相手に敗れたとはいえ正面から戦いを挑んだ徳川家は周りから嘲笑されるどころか一目置かれるようになります。

この中巻での山場は、三方ヶ原の戦いで信玄に敗北を喫した家康が、長篠の戦いで信玄の後を継いだ勝頼へ対して大勝利を収める場面です。

この戦いで大久保忠世・忠佐兄弟は馬防柵の外に出て、柵の無い部分へ回り込もうとした敵の主力・山県昌景と渡り合い、信長が見惚れるような戦いを繰り広げます。

ともかくこの戦いによって家康は武田の兵が敗走する背中をはじめて見ることになるのです。

これによって家康は三河、遠江に加えて駿河、甲斐を手に入れ大大名の地位を確立します。

さらに続く信州への進出には、大久保忠世が任せられることになるのです。

ところで本作品は今どきの歴史小説の中ではかなり硬派であり、随所に著者のこだわりが垣間見られます。

巻頭には家康が活動した地域の地図と城の所在が記されており、さらには大久保一族の詳細な家系図も掲載されています。

家系図には30人以上の大久保家の武将が紹介されており、(いみな)と通称の両方が記されています。

当時は名前を諱(本名)で呼ぶことはなく、通称で呼ぶことが一般的であり、作品中でも文脈によって忠世は七郎右衛門、忠佐は治右衛門、忠教は平助として書かれることが多く、馴れるまでは家系図と作品を往復しながら読まないと登場人物が頭に入ってこないため、すこし大変です。

歴史小説初心者にとってはすこし敷居が高い作品ですが、逆に言えば戦国時代の雰囲気に没頭して読むことができる作品であるといえます。