本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

読書力

読書力 (岩波新書)

以前、「読む筋トレ」を読書を指南する本(実際には筋トレを指南する本だった)と勘違いして手にとったことを書きましたが、今回の「読書力」は正真正銘の読書指南本です。

もちろん私自身は人に読書を勧めたいと思っていますが、教育学者である著者の齋藤孝氏のトーンはさらに強い口調です。

読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき「技」だと考えている。
~ 中略 ~
読書力がありさえすればなんとかなる。数多くの学生たちを見てきて、しばしば切実にそう思う。

このように今の若者の間で廃れてしまった読書の習慣を復活させるための啓蒙書というのが本書の立ち位置になっています。

なぜならば著者自身、そして教育者としての経験から読書は「自分をつくる最良の方法だから」を理由として挙げています。

そして資源を持たない日本にとって読書力の低下は、国そのものの地盤沈下に直結するとも断言しています。

スマホなどを使ってのSNSやゲームの利用時間で日本は世界のトップレベルだと思いますが、それが国の経済や文化の発展、さらには国民の幸せに直結するとは思えず、むしろ悪い方へ向いつつあるのではないかという疑問があります。

もちろんインターネットによる恩恵も多く、良い面・悪い面の双方を持っていることは確かです。

私自身も本から多大な影響を受けていることは間違いなく、著者の主張するように学校教育の場に読書を習慣化するプログラムを組み込むという点はまったく賛成です。

現状はせいぜい夏休みや冬休みの宿題として読書感想文がある程度であり、著者は読書力を培うためには「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」を4~5年以内で達成することをラインとして挙げていることからも分かる通り、まったく不十分な状態です。

一方でいきなり読書を習慣化するのも経験の少ない人にとっては敷居が高く、著者はスポーツの上達方法に例えて具体例をステップごとに分けて解説してくれています。

さらに読書の内容をより自身へ定着させるための方法として、本へのラインの引き方、読書会の進め方などを紹介しており、すでに読書が習慣化している人にとっても有意義なアドバイスになるはずです。

最後に名著百選ではないと断わった上で、著者の経験を踏まえながらおすすめの文庫本100タイトルを簡単な解説とともに掲載しており、読書習慣のあるなしに関わらず参考になるのではないでしょうか。

本書は岩波新書ということもあり、読書習慣のない人がいきなり手に取る確率は低いように思えます。

少なくとも大学生、または教育に携わる人たち、あるいは私のように読書を定期的に続けている人向けに執筆されており、そうした人を通じて読書習慣を周りの若者たちへ広げてほしいという願望が込められているのではないでしょうか。

即物的な効果を期待して本を読むのは好きではありませんが、読書が人生を豊かにしてくれるのもまた事実です。

このブログは自分の読んだ本の備忘録としての意味合いが強いですが、それに加えてわずかながらも世の中へ読書の啓蒙ができればそれに越したことはありません。

縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか?

縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか? (歴博フォーラム)

本書は、国立歴史民俗博物館が編集した第99回歴博フォーラム(2015年開催)「縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか?」の記録集です。

つまり縄文時代を解説した書籍ではなく、パネリストたちが最新の研究成果について講演を行った内容が収録されています。

私の持つ縄文時代とは、竪穴式住居に住み縄文土器土偶を制作し、狩猟漁猟採集によって食料を自給していた素朴ながらも平等な社会というかなり単純なイメージを持っていました。

一口に縄文時代といっても1万年以上も続いた時代であり、本書の中でも指摘されている通り、そうしたイメージは21世紀の平成時代と8世紀の平安時代を同じに見てしまう危険性があります。

そして実際の縄文時代は、その日暮らしをしていた貧しい人々ではなく、優れた技術と文化を持ち、少なくとも複雑な社会的を構成する過程にあった多様な時代であったことが判明しています。

第99回歴博フォーラムで登壇した10人の講演内容は以下の通りです(カッコ内は登壇者)。

  • 縄文時代はどのように語られてきたのか(山田 康弘)
  • 縄文文化における北の範囲(福田 正宏)
  • 縄文文化における南の範囲(伊藤慎二)
  • 東日本の縄文文化(菅野 智則)
  • 中部日本の縄文文化(長田 友也)
  • 西日本の縄文社会の特色とその背景(瀬口 眞司)
  • 環状集落にみる社会複雑化(谷口 康浩)
  • 縄文社会の複雑化と民族誌(高橋 龍三郎)
  • 縄文社会をどう考えるべきか(阿部 芳郎)
  • 総括-弥生文化から縄文文化を考える(設楽 博己)

一括りに縄文式と言われますが、実際にはお互いの地域が影響しあって多様な土器が生まれたこと、東日本と西日本では地域間の交流がありながらもその生活様式が異なること、また中央に墓(または儀式の場)を配置した大規模な環状集落が営まれていたことなどが紹介されています。

本書には発表で実際に使用された写真や図なども掲載されており、一般読者にも充分に伝わる内容になっています。

また各自の講演テーマも相互に関係し合っているため、一貫性を持って読むことができます。

つまり第一線で活躍する研究者による最先端の研究成果を誰でも読める形にした本書は、贅沢な1冊なのです。

出雲国誕生

出雲国誕生 (歴史文化ライブラリー)

7世紀はじめに推古天皇のもと聖徳太子らが中心となり、中国の文化や制度が積極的に取り入れられました。

これは国を治めるためにで実施されている律令制を日本に導入しようとする試みでした。

政争によりその試みは道半ばで挫折しますが、それは一時的なものに過ぎず、聖徳太子の死後も律令制国家への体制構築は着々と進みんでゆきました。

そして701年、天武天皇を中心として大宝律令が発布されます。

これは日本ではじめて全国区の法と制度が確立したことを意味し、中央には平城京が建設され、地方へ国司が派遣されました。

ちなみに今なお続く元号制度も大宝律令により定められたものです。

一方で歴史学、考古学上においては、制度が施行された詳しい実態は解明途中という段階です。

713年、元明天皇によって60余りの諸国に、地名の由来や特産物、古老が語る伝承などを報告する風土記を中央政府へ提出するよう命じますが、今ではその殆どが失われ、出雲国、常陸国、播磨国、豊後国、肥前国が残るに過ぎません。

中でも写本ではあるものの、ほぼ完全な形で伝わるのは「出雲国風土記」だけであり、この記録の研究と現地で行われた発掘調査を元に、古代の地方都市成立の実態を解明しようと試みたのが本書です。

地方の中心都市には政治の中心となる国府が置かれ、その周辺には国分寺・国分尼寺軍団工房などが設置され、真っすぐで幅の広い街道が整備されました。

こうした施設の発掘調査は出雲(島根県松江市)だけでなく、風土記が失われた日本各地でも同様に行われており、本書ではこうした研究成果も併せて紹介しています。

著者の大橋泰夫氏は島根大学の教授として現地の発掘調査にも関わっており、本書ではこれら施設の構造から配置関係、また利用の実態などを丁寧に解説しています。

それだけに専門的な内容が多いと思われますが、これを読者が丁寧に読み込んでゆくことで教科書だけでは分からない古代国家の姿がリアルに浮かび上がってくるのです。

人生、負け勝ち

人生、負け勝ち (幻冬舎文庫)

2003年から2008年までの6年間、女子バレー日本代表を率いた柳本晶一氏の自叙伝です。

テレビでもお馴染みとなった顔で、覚えている人も多いのではないしょうか。

現役時代に実績を残した選手が監督になることが多いですが、柳本氏自身も男子バレー日本代表の経験があり、事業団バレーでも何度も優秀経験があります。

引退後も順風満帆に見えた柳本氏でしたが、10年間にわたり監督を勤めた日新製鋼の男子バレー部はあえなく廃部、その後、東洋紡の女子バレーを監督して立て直すもまたしても活動休止。

1人で全国行脚を行って選手の引取先を探し終えた頃には「燃え尽き症候群」に陥っていたと告白しています。

そんな失意の日々を過ごす中、低迷する女子バレー日本代表を立て直すべく柳本氏に白羽の矢が立つのです。

当然ながら監督はコートでプレーすることはできません。
ただしコートで戦う選手たちは監督が選び、その戦術に従って戦います。

つまり監督とは企業の経営者(管理職)に通じるものがあるのです。

とくに男性でありながら女性だけの集団を指導する難しさ、そして何よりもスポーツという勝負の厳しい世界で実績を残し続けなければなりません。

期待の若手選手を抜擢してチームを活性化させてゆく一方、実績のあるベテラン選手を起用することで得られる安定感も必要です。

さらにメンバーの個性を理解し、チームを引っ張るキャプテンの人選も誤ってはなりません。

柳本氏の自叙伝を読んでいると目標や戦術を定める一方で、チームを1つにまとめ上げるマネジメントにもっとも気を使っていたことが分かります。

選手間に生まれる嫉妬、自信を失った選手、中には強烈な個性でチーム内で浮いてしまう選手もいます。

柳本氏は感情を一切入れず、実力だけで選手を評価し、必要な選手には土下座をしてでも来てもらうと言い切っています。

またメンバーを固定せず選手間の競争意識を煽り、ギリギリまでレギュラーチームを作らないのも柳本流です。

もちろん企業組織とトップアスリートの集団ではマネジメント方法が違ってくると思いますが、のちに「再建屋」と呼ばれることになる柳本氏の手法は、低迷する組織を立て直すためのヒントが詰まっていると言えます。

スポーツジャーナリストの松瀬学氏は柳本監督を次のように評しています。

名将とそうでない者とは「負けて学べるか」が隔てる。柳本監督は、負けの中から勝利の芽を見つけてきた。
「負けて勝つ」、愉快な口癖である。

柳本氏自信が経験してきた何度もの挫折が血肉となって生かされているのです。

管見妄語 始末に困る人

管見妄語 始末に困る人 (新潮文庫)

本書は藤原正彦氏が週刊新潮に連載したエッセー「管見妄語」を文庫本化したものです。

"管見"とは視野の狭いこと、"妄語"とは嘘つきという意味ですが、数学者、教授として豊富な海外留学の経験もある著者の謙遜であることは言うまでもありません。

個人的には読んでいない藤原正彦氏のエッセーを見かけると、何も考えずに手に入れるほどファンなのです。

エッセーとは自身の経験や心情を吐露しなければ成り立たない分野ですが、本書も例外ではありません。

一世代以上は年齢が離れているにも関わらず、藤原氏の言葉は私に新しい視点を与え、納得のできる主張をしっかり伝え、また楽しませてくれます。

ともかく私にとって藤原氏に比肩できるエッセイストは中々いません。

週刊誌へ掲載されていたこともあり、エッセーの話題は新鮮な時事を扱ったものが多くあります。

何より収録されているエッセーは東日本大震災を挟んで連載されていたこともあり、未曾有の災害が発生した当時の著者の考えをよく知ることができます。

ニュースから流れる被災地の状況を気の毒に思い、著者自身何をやっても気の晴れない日々が続いたこと告白しています。

一連の著作の中で"惻隠の情"、つまり弱者や敗者を憐れむ心を日本人の美徳と主張してきた著者ですが、多くのイベントや番組などが自粛モードに入る中、あえて涙を振り払い庶民は全力で消費活動を活発にしようと呼びかけています。

「浮かれている場合か」、「不謹慎だ」という言葉がある中、本書はイギリス留学中に学んだユーモアの大切さを読者たちに伝えてくれます。

イギリスではユーモアは何よりも大切にされ、それは世の中の不条理を吹き飛ばす批判精神であり、前を向いて楽しく生きてゆくための欠かせない要素と考えられています。

著者のユーモアに読者は勇気づけられ、明日を元気に生きてゆくための心のビタミンを得ることができるのです。

京都ぎらい

京都ぎらい (朝日新書)

日本の伝統的な文化が息づく千年の都・京都

連日観光客で賑わう京都ですが、そんな伝統ゆえの"敷居の高さ"が存在することは関東に住む私からもなんとなく分かります。

本書は京都で生まれ育った井上章一氏が、"いやらしさ"を通じて京都の文化論を語るという変わった切り口をとっています。

著者は嵐山で有名な京都右京区の嵯峨で生まれ育ちましたが、洛中に住む人から見ると、洛外の田舎者という軽蔑の目で見られるという経験をしています。

つまり同じ京都市に住んでいても、歴然とした一種の"中華思想"、"エリート意識"が存在するのです。

本書の中では明確な線引きがされている訳ではありませんが、確実に洛中といわれる範囲は上京区、中京区、下京区くらいであり、右京区、左京区、山科区、伏見区あたりは確実に洛外というレッテルが貼られるそうです。

似たようなものに東京23区内にも高級住宅地に住む金持ちとしてのステータス、下町に住む江戸っ子としてのステータスらしきものは存在しますが、もともと東京には地方出身者が多いこともあり、千年もの伝統に裏打ちされた京都ほど重苦しい雰囲気はありません。

著者は洛中人をつけあがらせる要因の1つに、東京を中心としたテレビや雑誌のメディアが事あるごとに洛中の神社仏閣や老舗料亭などを持ち上げる特集がいけないと指摘しています。

たしかに東京に住む人が京都へのあこがれを抱く感覚は理解できますが、面白いことに京都の隣に位置する大阪には、そうした京都を持ち上げる傾向が見られないことです。

さらに本書では、京都の持つ坊さんや舞妓さんの文化、有力寺院の持つ大きな実力、そして伝統行事を通した著者の歴史観まで幅広く取り扱ってゆきます。

繰り返しになりますが、京都の魅力を紹介する本は数多く存在しますが、本書は京都のいやらしさを紹介しています。

ただしいずれの本も論じているのは、いずれも京都の伝統や歴史、文化であり、視点を変えるユニークさが本書をベストセラーに押し上げたのです。

等伯 下

等伯 下 (文春文庫)

狩野派は室町時代の足利家に仕えてきた経歴を持ち、戦国時代に入ったのちも織田・豊富・徳川に仕え、明治時代へ至るという日本史上最大の画派です。

すでに狩野永徳の代には画壇で絶対的な発言力を持ち、彼は生まれながらにして狩野派の伝統や技法を一身に受け継ぐ運命にあった御曹司として育てられました。

一方で地方(能登)で名声を得ているに過ぎない絵仏師の長谷川等伯は、武士の四男として生まれ養子となったのちに絵を学び始めました。

この対照的な2人が、権力の中心地である京を舞台に天下一の絵師をめぐって対決するというストーリーが本作品の主軸を構成します。

これを圧倒的に逆境の立場にいる等伯側に立って描くという構図は歴史小説として大変分かりやすいのですが、同時にそれだけでは薄っぺらい凡作になってしまう危険性があります。

にも関わらず読者を熱中させる重厚な歴史小説として完成されているのは、よく練られた著者(安部龍太郎氏)のサイドストーリーによるところが大きいのです。

これは詳細な経歴が明らかではない等伯がどのような遍歴を辿り、どのように成長したのかという歴史の空白を埋める作家としての想像力と表現力が優れているからに他なりません。

幾度となく等伯の目の前に現れ、武士として主家の復興に協力するよう促す長兄・武之丞

等伯を懸命に支える妻の静子、そして静子と死に別れたのちに再婚相手となる清子、父を凌ぐ才能を持った息子・久蔵たちとの家族の物語。

利休宗園といった精神面で等伯を支えた人物たち。

こうした数々のストーリーが張り巡らされ、作品を読み応えのある重厚な歴史小説に仕立ててゆきます。

それは狩野派へ対抗するために豪華絢爛な絵を描き続けてきた等伯が、のちに彼の代表作となる「松林図屏風」という素朴な水墨画を完成させるところでクライマックスを迎えます。

絵師として野望を抱き、四苦八苦の末にやがて境地へ辿り着くまでの物語は、読者の共感と感動を呼ぶに違いありません。

等伯 上

等伯 上 (文春文庫)

バサラ将軍」に続き安部龍太郎氏の作品となりますが、本書もやはりタイトルに惹かれて手に取った1冊です。

内容はタイトルから推測できる通り、狩野永徳と並び安土桃山時代を代表する絵師であった長谷川等伯を主人公にした長編歴史小説です。

武将や剣豪でなくとも千利休に代表される茶人、または商人や学者を主人公にした歴史小説は数多く出版されていますが、絵師を主人公にした歴史小説は読んだことがありません。

等伯(信春)は能登国の七尾城に拠点を持っていた畠山氏に仕える奥村家の四男(末っ子)として生まれましたが、長谷川家の養子となり、そこで絵仏師としての修行に打ち込むことになります。

かつて越中守護として力を奮った畠山氏も戦国時代の下克上には逆らえず、重臣であった七人衆に権力を握られ七尾を追い出される形で没落してゆきました。

とくに七尾は一向一揆の勢力が強かったこともあり政治的に安定せず、その後も上杉謙信織田信長柴田勝家前田利家と次々と支配者が変わってゆくことになります。

本来であれば養子となった等伯が主家(畠山家)へ尽くす義理はありませんが、武家の出自という宿命から逃れることはできず自身や家族にまで危険が及ぶようになります。

それと同時に早くも20代で越中や能登近辺で名の知れた絵師となった等伯ですが、その心中には文化の中心である都に上り、天下一の絵師になるという野心を抱いていたのです。

時は戦国。
京都を中心とした地域は、戦国の風雲児と名を馳せつつある織田信長が七面六臂の活躍をしていましたが、同時に戦争も絶えない状況でした。

それでも自らの野望を叶えるため戦乱の真っ只中に足を踏み入れる等伯でしたが、彼が天下一の絵師となるためには対決を避けれない人物がいました。

それは当時すでに一大流派を築き上げ、多くの弟子たちの頂点に君臨する狩野派の棟梁、つまり狩野永徳であり、弟子すら持たず裸一貫で京へ辿り着いた等伯にとってあまりにも巨大な敵でした。

絵師としての一世一代の戦いが幕を切って落とされます。

バサラ将軍

バサラ将軍 (文春文庫)

安部龍太郎氏の作品に興味があったこと、私の好きな太平記を題材にしている小説ということもあり迷わず手にとった1冊です。

単行本には6篇の短編小説が収められています。
カッコ内には個人的な備忘録として各作品の主人公となる登場人物を付け足してみました。

  • 兄の横顔(足利直義)
  • 師直の恋(高師直)
  • 狼藉なり(高師直)
  • 智謀の淵(竹沢右京亮)
  • バサラ将軍(足利義満)
  • アーリアが来た(源太)

本書の作品はいずれも安倍氏にとって初期の短編作品であり、作家としての原点を見い出すことのできる作品になっています。

太平記(南北朝時代)は争乱と権謀術数に満ちた世界でしたが、同時に"バサラ"という言葉に代表されるように個性的な武将が多く登場した時代でもありました。

彼らの強烈な個性を短編小説という限られた紙面へ思い切る書きつけるような勢いを感じる作品ばかりです。

中でも「智謀の淵」は、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目となった「神霊矢口渡」を題材に独自のストーリーで仕立てた異色の作品で印象に残ります。

一度は義貞によって隆盛を極めた新田家を再興すべく、南朝方として果敢に抵抗を続ける新田義興、そして義興を滅ぼすために手段を選ばない北朝方の有力者・畠山国清

出世を目論む竹沢右京亮は、国清の指示によって旧主である義興に近づき、多摩川の矢口の渡で義興をだまし討ちによって殺害します。

一族郎党のためとはいえ、かつての主をだまし討ちした後味の悪さは拭い去り難く、さらに右京亮の手柄のおこぼれに預かろうと江戸高良、冬長、そして小俣次郎が言葉巧みに近づいてきます。

しかも一世一代の任務を果たしたにも関わらず、肝心の国清から右京亮へ対しての恩賞は約束通りではなく、すべてが思い通りに運ばない中で右京亮は家臣である源兵衛の忠告にも関わらず、やがて自暴自棄になり破滅の道へと進み始めるのです。

これは右京亮に限った話ではなく、足利一族として絶大な権力を持っていた足利直義や高師直でさえも例外ではなく、浮き沈みの烈しい戦乱を行きてゆく男たちの刹那的があるゆえの激しい生き様が作品の中に生々と息づいていつのです。

考古学の散歩道

考古学の散歩道 (岩波新書 新赤版 (312))

今日も日本各地で遺跡の発掘や調査が行わています。

その作業は大変地道なものであり、大発見でもなければニュースでその成果が報じられる機会はなかなかありません。

一般人が普段接する機会の少ない考古学の現場や発見を肩の凝らない文章で広く世の中へ紹介するために出版されたのが本書であり、当時一線で活躍していた考古学者の田中琢氏、佐原真一氏の両名がエッセーという形で執筆しています。

よって本書で取り扱うテーマは、考古学に関心が無い人でも興味を引きやすい内容になっています。

たとえば現代の日本の人口は約1億2500万人ですが、前期旧石器時代(今から50万年前)にはじめて日本列島で人が生活しはじめた頃の人口は1万5000人程度に過ぎず、縄文時代に入ると15~25万人に増え、前4世紀頃より大陸(朝鮮半島)から移住してくる人びとが爆発的に増え、「古事記」や「日本書紀」が成立する8世紀の奈良時代の人口は、600~700万人と推算されるそうです。

私自身は8世紀の人口は予想よりも多いという印象を持ちましたが、こうした計算は遺跡の分布状況や面積から人口密度を算定して行われるそうです。

また縄文人はおしゃれで、イアリングや指輪、ネックレス、ブレスレットといった装身具を身に付け、西日本では女性が、東日本では男性の方が装身具を身に付けていた割合が高かったそうです。

この時代の装身具は地球上のほとんどの地域でほぼ同一歩調をとっていますが、日本では7世紀後半になると状況が一変し、世界的に見ても異常な装身具欠如の時代が始まり、それが1000年以上も継続するのです。

つまり私たちにもお馴染みのキモノで自分を飾る時代が長く続き、装身具は頭上の笄(こうがい)や櫛などに限られるのです。

多くのピアスや指輪を装着した若者を見て顔をしかめる人は多いかも知れませんが、考古学の視点から見るとキモノの文化はたかが千数百年に過ぎず、耳たぶに大きな穴を開け耳飾りをした縄文人の文化が1万年以上も続いたことを考えると、案外、日本人の抱く伝統の感覚はいい加減なものかも知れません。

何しろ私の何百代も前の祖父がアクセサリーを全身にまとい、顔に入れ墨までしている姿を想像すると思わず微笑まずにはいられません。

ここで紹介したのは本書のほんの触りですが、他にも食文化や太古の自然、考古学や文化財保護の歴史など話題は多岐に渡っています。

読み物として楽しめることはもちろんのこと、考古学の新たな可能性をも感じさせる1冊になっています。