本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

ひとびとの跫音〈上〉

ひとびとの跫音〈上〉 (中公文庫)

数多くの歴史小説を手掛け"国民的作家"とまで評された司馬遼太郎氏の長編小説です。

主人公は正岡子規の養子となった正岡忠三郎です。

彼は子規の死後に正岡家の養子となりますが、父と違い俳人や文筆家を志すことはありませんでした。

それどころか阪急鉄道という一般企業に入社し、その生涯において歴史の残る輝かしい業績を残すこともありませんでした。

もちろん自身の代表作である「坂の上の雲」において正岡子規が主人公の1人だった経緯もありますが、忠三郎を主人公にした一番の理由は、彼が著者にとって身近な知人だったからに他なりません。

著者は小説の冒頭で次のように書いています。

私は、この会社にかつて勤めいていた忠三郎さんのことを書こうとしている。ことというのは、想い出なのか、事歴なのか、あるいは人間についてなのか、いまのところよくわからない。

そして本書を読み進んで驚くのは、歴史上の偉人を対象にするときとまったく同じ調子で、自らの知人である忠三郎さんを書いていることです。

つまり歴史上の偉人も、身近な知人も、まったく同じ距離感で小説を書いています。

それは歴史小説を通じてさまざまな人間像を描き続けてきた司馬遼太郎氏の集大成を見るかのようであり、本書はそのスタイルの完成形なのかもしれません。

溥儀―清朝最後の皇帝

溥儀―清朝最後の皇帝

歴史上はじめて"皇帝"を名乗ったのは、紀元前221年に中国統一を成し遂げた秦の始皇帝です。

それから2000年以上に及ぶ中国史で、最後に皇帝の座についたのが溥儀です。

しかも溥儀はその生涯において3度も皇帝の座に就いています。

1度目は清の皇帝として、2度めは中華民国の皇帝として、そして3度めは日本によって建国された満州国の皇帝としてです。

しかし歴代の殆どの皇帝と溥儀との間には決定的な差があります。

それは溥儀が1度も実権を手にしていないことです。

つまり溥儀自身が命令できる軍隊が存在したことはなく、そのすべてが傀儡としての皇帝という立場だったのです。

その生涯は歴史と運命に翻弄され続けた数奇な人生と表現するしかありません。


清朝末期、満州国の建国という歴史を紐解けば必ず溥儀が登場するにも関わらず、彼の連続性のある生涯を知る機会がありませんでした。

溥儀自身の手による自伝「わが半生」が著名ですが、中華人民共和国の一市民として共産党の監修&検閲の元に書かれた本であるため、歴史的な価値はあっても客観性に乏しい内容であることが容易に想像できます。

その点で著者の入江曜子氏は、19世紀末期から20世紀初頭にかけての清や満州を題材とした本を多く手掛けており、溥儀の生涯をナビゲートしてくれる人物として申し分ありません。

溥儀は多くの民衆たちの尊敬と熱狂を集めた人物であると同時に、それを利用する人間に用済みと判断されるといつ抹殺されてもおかしくない立場でもありました。

そこに溥儀という人間の歩んだ人生を複雑さを垣間見ることができます。

結果的に溥儀は確固たる信念を持つことなく、天寿をまっとうします。

ただし、それだけで彼を愚かな君主として断定することはできません。

溥儀が歴史上重要な役割を担ったことは間違いなく、20世紀に生きた彼の評価を行うには、21世紀に生きる我々にとって時期が早過ぎるのかも知れません。

日本辺境論

日本辺境論 (新潮新書)

哲学・思想研究家である内田樹氏による1冊です。

本書は「日本人文化論」について書かれており、著者はその特性を"日本人は辺境人である"と表現していることから本書のタイトルになっています。

本書の前半では日本人が辺境人である理由を、太平洋戦争オバマ大統領の就任演説中国文化との交流の歴史など様々な例を取り上げて説明してゆきます。

日本は宗教、思想にとどまらず、日本語でさえも"きょろきょろ"しながら他国の標準を取り入れてきた経緯があり、日本が世界標準を作り出すことは決してないと結論付けています。

後半では日本人の特性が欠点だけではなく、優れた長所にもなり得る点を中心に論じられてゆきます。

その最たる例が日本には世界標準を作り出す能力はないが、世界標準を学ぶ能力については抜きん出ているというものです。

日本人は学びに対しては無防備に開放を行い、学ぶ対象への意味や有用性を一旦保留して、一時的に「愚鈍」になることで知的パフォーマンスを向上させることができるのです。

それは師匠や先生に対して、ほとんど何の疑念も挟まずに師事する弟子や生徒といった伝統的な構図から見て取ることができます

本書をタイトルだけで判断すると大胆で極論めいたように感じるかも知れませんが、実際に本書を読むと著者が学者(教授)であるだけに、その理論的根拠や構成の組み立ては決して飛躍したものではなく、思わず納得してしまうものばかりです。

さらに日本人を辺境人であると定義したのは著者がはじめてではなく、半世紀以上も前から優れた政治学者であり思想家でもあった丸山眞男などの知識人たちが指摘してきたことでもあり、それなりのバックボーンの上に成り立っている考えでもあるのです。

新書という分量だけに緻密で重厚といった内容ではありませんが、"技術立国"や"クールジャパン"といった表層的な事象だけでなく、もう少し日本人論を掘り下げて考えてみたい人にとっては最適な1冊ではないでしょうか。

鷹ノ羽の城

鷹ノ羽の城 (講談社文庫 し 4-2)

白石一郎氏が20代の頃に発表した歴史小説です。

戦国時代の肥後で白人との混血児である武将和仁人鬼親宗の活躍を描いた作品です。

人鬼は実在した武将ですが、彼が混血児だったという記録はありません。

ただし「異様な赤ら顔で目が輝き、幼い頃から毛深く、手足が熊のような大男」という記録が残っており、当時は宣教師が九州に寄港し始めていただけに、けっして荒唐無稽な設定ではありません。

それでも著者が若かったせいか、かなり大胆な設定で書かれていると思います。

和仁家は大友家の支配下にある豪族でしたが、新興勢力の竜造寺家、さらに急激に勢力を伸ばしつつある名門・島津家といった三つ巴の争いが繰り広げられた地域であったため決して安泰な状態ではありませんでした。

子どもの頃からその日本人離れした外見によって父親からも疎まれ、山奥で忍びの一族によって育てられるというのが作品序盤のあらすじです。

やがて成人の歳となり、外見上の差別や戦国武将として過酷な運命の中で生きてゆく過程が後半部分になります。

もし主人公が普通の日本人という設定であれば、何の新鮮味もない普通の戦国小説で終わってしまいます。

世間から差別され、自らの出自に悩む武将が戦乱の世を渡ってゆく複雑な心境が克明に描かれており、混血児という設定が強烈なスパイスとなり、読者に斬新さを与えてくれます。

水神(下)

水神(下) (新潮文庫)

前回紹介したように、本作品作品は筑後・江南原の5人の庄屋が自費を使って水道を建設するまでを描いた歴史小説です。

大筋のストーリーは単純であるにも関わらず、上下巻にも及ぶ長編小説の形をとっています。

水路を建設するまでの経過を詳細に追っていったことも長編になった要因の1つに挙げられますが、何よりも作品全般に渡って当時の農民たちの暮らしを描くことに紙面を割いたことが大きな理由です。

江戸時代の年貢は"五公五民"と言われたように、一般的には収穫の半分を税として納めるのが一般的でした。

それでも土地が豊かであれば暮らしに困窮することはありませんでしたが、ひとたび干ばつ洪水に襲われると、農民たちの暮らしは一気に過酷なものとなりました。

減税のための嘆願は必ずしも聞き入れられるものではなく、小説の舞台となった慢性的に水不足に悩まされている地域では、農民たちが常に過酷な生活を強いられてきました。

まず白米を口にする機会はなく、粟や稗といった穀物が中心の食事が普通であり、いったん飢饉が訪れれば野草はもちろん、木の皮ですら食料になりました。

さらに口減らしのために老人や子どもが犠牲になるのも土地の痩せた地域では珍しいことではありませんでした。

農民たちは決して牛馬のように言葉を発しない存在ではなく、自然と寄り添うようにして知恵を振り絞って日々の暮らしを続けていました。

打桶に従事する庄屋の下男"元助"の視点を中心に描かれた農民たちの暮らしは、貧しくも生命力を感じさせるものであり、本当の主人公が彼ら農民たちであるのは明らかです。

まるで民俗資料を小説化したかのような本作品を農民小説と名付けてもよいかもしれません。

水神(上)

水神(上) (新潮文庫)

このブログではお馴染みになりつつある帚木蓬生氏の歴史小説です。

舞台は筑後にある久留米藩

その領内にある江南原には水量豊かな筑後川が目の前を流れていますが、台地であるため水の恵みを得ることができない地形でした。

そのため常に水不足に悩み続け、そこに暮らす農民たちの暮らしは長年に渡り苦しく貧しいものでした。

そこで農民たちの苦しみを救うべく5人の庄屋が立ち上がり、筑後川に堰を設けて水道を建設する決意を固めます。

5人の庄屋(山下助左衛門、今重富平左衛門、猪山作之丞、栗林欠兵衛、本松平右衛門)たちは、この大事業を自費で受け持つことを決意し、さらに事業失敗の際には死罪をも覚悟した血判を藩へ差し出して懇願するのです。

ストーリー自体は5人の庄屋が水路を建設する決意を固め、それを実現するまでを描いた単純なものです。

にも関わらず、本作は上下巻の2冊に渡る長編小説として書かれています。

そこには著者が当時の農民たちの暮らしを詳細に描写し、読者へ伝えようとする強い意志を感じます。

物語は筑後川で朝から晩まで筑後川に大きな桶を投げ込み、水を細い溝へ流し続ける"打桶(うちおけ)"と呼ばれる仕事に従事する農民"元助"が登場するところから始まり、作品自体もこの元助の目線を中心に進められてゆきます。

元助の父親は島原の乱を鎮圧するために足軽として出兵し、鉄砲で負傷して帰らぬ人となります。

父の顔さえ知らずに育った元助は片足が不自由であり、"打桶"に一生を費やすことを宿命付けられた農民でした。

"打桶"によって多少の水が田畑へ流れますが、水不足を解消するにはあまりにも僅かな量であり、村人たちの暮らしにとっては取るに足らないものです。

日本各地に水不足を解消するための水道の建設例がありますが、著者の出身地が福岡県であることから、久留米藩を舞台にした本作は郷土の歴史を扱った作品ということになります。

描かれる四季の風景や、登場人物の方言には著者の郷土への愛着が感じられ、大作を描くといった気概が読者にも伝わり、ついつい物語の世界へ引き込まれてしまうような迫力があります。

武士の家計簿

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

日本の歴史や古文書の専門家である磯田道史氏が、ある日偶然に古書店から入手した"武士の家計簿"をきっかけに、その内容を解析・研究して執筆した本です。

家計簿を残したのは、金沢藩の「御算用者(ごさんようもの)」を長年勤めた猪山家です。

現在の会社であれば、"経理部"といった職務ですが、猪山家自体は下級武士の階級であり、歴史的にも殆ど無名といってよい存在でした。

しかし発見された家計簿には、饅頭1つに至るまでの詳細な帳面が36年間にも渡って記録されていたといい、手紙などの書面も一緒に保存されていました。

私たちが見ても数字が羅列されているだけの無意味な古文書にしか見えませんが、地道な調査によって内容を明らかにすることで、ある武士の一家の歴史を雄弁に語ってくれるという、まったく新しい視点で書かれています。

本書の要所には図表を使った解説が入れられおり、たとえば現在の通貨と照らし合わせた価値などが一般読者にも分かり易く書かれている点は評価できます。

日常の暮らし、結婚や出産、そして葬式といった一家に欠かすことの出来ないイベントから、藩内における出世、明治維新による幕府体制の解体といった大きな出来事が、武士の一家にどのような影響を与えたのかがノンフィクションで書かれいるといってもよいでしょう。

支配階級である武士によって運営されていた日本の諸藩は慢性的な財政赤字に苦しんでおり、当然のように藩に仕える下級武士の暮らしは決して裕福なものではありませんでした。

それでもエンゲル係数はけっして高くはなく、儀礼や行事に多くの出費が費やされていた現状が明るみになります。

武士にとって血縁の繋がりは現在よりも遥かに濃いものであり、そののために生じる"義理"は、たとえ借財してでも欠かすことが出来なかったようです。

また明治時代が到来し、文明開化の中で旧支配者階級となった"武士"たちが、新しい時代への適用に苦戦する姿までもが分かってきます。

それでも猪山家は会計といった新しい時代でも必要とされる"技能"を持っていた幸運な家系であり、家族が路頭に迷うことなく時代を乗り切ることに成功します。

2010年には映画化され話題になった作品ですが、歴史小説とは一味違う楽しみを与えてくれる1冊です。