レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ひとびとの跫音〈上〉

ひとびとの跫音〈上〉 (中公文庫)

数多くの歴史小説を手掛け"国民的作家"とまで評された司馬遼太郎氏の長編小説です。

主人公は正岡子規の養子となった正岡忠三郎です。

彼は子規の死後に正岡家の養子となりますが、父と違い俳人や文筆家を志すことはありませんでした。

それどころか阪急鉄道という一般企業に入社し、その生涯において歴史の残る輝かしい業績を残すこともありませんでした。

もちろん自身の代表作である「坂の上の雲」において正岡子規が主人公の1人だった経緯もありますが、忠三郎を主人公にした一番の理由は、彼が著者にとって身近な知人だったからに他なりません。

著者は小説の冒頭で次のように書いています。

私は、この会社にかつて勤めいていた忠三郎さんのことを書こうとしている。ことというのは、想い出なのか、事歴なのか、あるいは人間についてなのか、いまのところよくわからない。

そして本書を読み進んで驚くのは、歴史上の偉人を対象にするときとまったく同じ調子で、自らの知人である忠三郎さんを書いていることです。

つまり歴史上の偉人も、身近な知人も、まったく同じ距離感で小説を書いています。

それは歴史小説を通じてさまざまな人間像を描き続けてきた司馬遼太郎氏の集大成を見るかのようであり、本書はそのスタイルの完成形なのかもしれません。