本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

代表的日本人

代表的日本人 (岩波文庫)

明治を代表する知識人であった内村鑑三氏の代表的な著書です。

本書の説明をカバーから引用してみます。

新渡戸稲造武士道」、岡倉天心茶の本」と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作。
内村鑑三(1861 - 1930)が、奔流のように押し寄せる西欧文化の中で、どのような日本人として生きるべきかを模索した書。
新たな訳による新版。

新渡戸氏の「武士道」については、以前ブログで紹介しています。

これらの著書に共通しているのは、日本人が海外へ向けて外国語で執筆した本ということもありますが、日清戦争に勝利しアジアから唯一の列強国として、西欧諸国の仲間入りを果たした当時の時代背景を考える必要があります。

西欧列強国はいずれもキリスト教国であり、古代ギリシャやローマの文化的遺産を歴史的背景として共有していますが、彼らから見ると日本は異質な歴史と文化・そして宗教を持った国として映っていました。

そうした西欧諸国(世界)に向けて、広く日本を理解してもらうために書かれた本であるということです。

「武士道」が、日本人(その中でも特に武士階級の人びと)の思想や人生観を中心に紹介した本だとすると、本書「代表的日本人」は、日本の偉人たちを伝記の形で紹介した本だといえます。

本書では5人の日本の偉人が紹介されています。

  • 西郷 隆盛
  • 上杉 鷹山
  • 二宮 尊徳
  • 中江 藤樹
  • 日蓮 上人

伝記という手法で書かれていることもあり、現代の私たちが読んでも非常に分かり易く小学校の高学年生が読んでも充分に理解できるのではないでしょうか。

興味深いことに、新渡戸稲造、内村鑑三は2人ともキリスト教徒であったことです。

また岡倉天心を含めた3人に共通するのは、藩士(武士)の男子として生まれた出自を持つことであり、多感な少年期に明治維新を体験しています。

つまり西欧的な価値観を充分に理解しながらも、安易に迎合しない日本人の気骨を3人から感じることができます。

それが一流の知識人であると共に、国際人でもあった所以ではないでしょうか。

賞の柩

賞の柩 (集英社文庫)

帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)氏による本格医療サスペンスです。

医学研究、そして研究者たちにとっての最高の栄誉であるノーベル賞の影に潜む闇をテーマにしています。

医学に限らず様々な研究においても、例えば会社に勤める営業マンのように成果が常に求められ、我々が抱いているイメージ以上に世俗的で、かつ精神的にも肉体的にもプレッシャーを受け続ける厳しい世界です。

そんな栄光と挫折が交差する世界だからこそ、時には人間の弱い心に悪魔が囁きかけることがあるのです。

まさにSTAP細胞の論文が世間を騒がせている最中であり、旬の話題とも重なる作品です。

ストーリー自体は、サスペンスというよりも探偵小説に近いイメージを抱きました。

東京、パリ、ブタベスト、そしてロンドンなど世界中を舞台に謎に迫る青年医師・津田。

彼はロンドン大学教授、アーサー・ヒル博士がノーベル生理学賞を受賞したことをきっかけに、数年前に白血病で亡くなった自らの恩師・清原教授の死に違和感を覚えたところから、その謎を明らかにするために旅に出ることを決意します。

純粋なサスペンス作品として評価すると意外性の少ないスタンダードな作品ですが、著者の帚木氏は医師でもあることから、本書で描かれる医学研究の現場、そしてその理論には説得力があります。

あくまで本書は医療サスペンスであり、その世界の独自性や専門性、そしてさり気なく医学研究の抱える問題を提起しているという観点からは、ユニークで興味深く読むことのできた作品です。

帚木氏は歴史小説からノンフィクション風の作品まで幅広い作風で活躍しており、是非とも他の作品を読んでみたいと思わせる作家です。

航海者―三浦按針の生涯〈下〉

航海者―三浦按針の生涯〈下〉 (文春文庫)

「事実は小説よりも奇なり」と言われますが、本書の主人公・三浦按針(ウィリアム・アダムス)の生涯はまさしくそれを体現しているのではないでしょうか。

イギリス人の航海士が、漂着の果てに辿り着いた神秘の国・日本。

そこは戦乱の真っ最中であり、最も力を持った大名・徳川家康と運命的な出会いを果たします。

家康はアダムスの人柄と見識を気に入り、海外との外交顧問として重宝します。

家康は信長や秀吉と比べて華美さや奇抜な発想を好みませんでしたが、合理的で現実的な思考については極めて優れていた人物です。

一方のアダムスもポルトガル人やスペイン人とは違い、キリスト教の布教と交易による利益を切り離して思考できる人物でした。

それはアダムスが(イギリス人であるため)カトリック教徒でなかったことも大きな要因ですが、船乗りとして培った分析能力や判断力で適切な助言を家康へ与えることができたのではないでしょうか。

その結果アダムスは旗本として取り立てられ、領地を持つ"サムライ"の地位に得ることになります。

やがて日本で妻子を持つことになりますが、彼は故郷(イギリス)にも妻子を残しているのです。

アダムス中で葛藤する1人の人間の想い、そして時代の大きな変動。

この2つを巧みに対比させ、スケールの大きな作品として仕上がっています。

海洋小説家・白石一郎氏の傑作であり、お薦めできる1冊です。

航海者―三浦按針の生涯〈上〉

航海者―三浦按針の生涯〈上〉 (文春文庫)

本名ウィリアム・アダムス
のちに日本名を三浦按針と名乗ったイギリス人が主人公の歴史小説です。

喜望峰、そしてマゼラン海峡の航路が切り開かれ、大航海時代の後半を迎えた17世紀はじめには、ヨーロッパとアジアとの間で本格的な交易が始まっていました。

まだ見ぬ未知の国への冒険心、そして交易による莫大な利益を求めて、多くの命知らずの船乗りたちが次々とアジアを目指している時代であり、オランダ船に航海士として乗り込んだイギリス人、ウィリアム・アダムスもその1人でした。

上巻では、野心と希望を胸に秘めた航海者としてのアダムスの前半生を描いています。

アダムスたちは5隻からなる大船団でアジアを目指しますが、風や嵐に翻弄され、さらに疫病や飢え、そして戦闘によって大きな犠牲を払うことになります。

"大海原を冒険する船乗りたち"と言えば聞こえが良いですが、実際の運命は目を覆いたるほどに悲惨で惨めなものでした。

1598年6月に同国を出発したアダムスたちの船団は、たった1隻リーフデ号のみが日本へ漂着します。

約2年にも及ぶ航海で100人以上いたリーフデ号の乗組員も24名にまで減っていました。

アダムスたちが辿り着いたのは1600年4月、つまり戦国時代最大の関ヶ原の戦いがはじまる半年前だったのです。

はじめて日本の土地を踏んだイギリス人の数奇な運命を描いた物語がはじまります。

新サハリン探検記―間宮林蔵の道を行く

新サハリン探検記―間宮林蔵の道を行く

吉村昭氏の歴史小説「間宮林蔵」を読んで、是非とも併せて読んでおきたいと手にとった1冊です。

知床からわずか半日(江戸時代でも1日)の航行で辿り着けるサハリン(樺太)は、日本にもっとも近い外国の1つです。

サハリン島の面積は北海道に匹敵し、特に南樺太は江戸時代から昭和初期にかけて日本の領土だった歴史的に関わりの深い場所でもあります。

本書は北海道新聞のサハリン(ユジノサハリンスク)特派員として1年間を過ごした著者が、現在のサハリンを紹介した1冊です。

たとえば北海道のはるか北方に位置するカムチャッカ半島は、世界遺産に登録された後にTVで何度か紹介されたこともあり、サハリンに比べて知名度が高いという印象があります。

つまりサハリンは日本にこれだけ近い島であるにも関わらず、多くの日本人がその実情を知らないというのが現実ではないでしょうか。

サブタイルを見ると、著者が間宮林蔵の足取りを辿ることがメインテーマと思われますが、現在のサハリンに住む人々の生活、豊かに残る自然、1995年に多くの犠牲者を出したサハリンの北部地震などについても多くのページを割いて紹介しています。

内容も著者の職業が新聞記者ということもあり、テーマごとに内容がよくまとまっています。

さらに北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)についても章を割いており、実際に現地に赴いて蓄積する課題や問題点を的確に指摘しているように思えます。

サハリンをテーマにしたタイトルでありながらも、当然のように北方領土について言及しているあたりに北海道新聞の記者としての責任感を感じずにはいられません。

それでも本書のもっとも重要な価値は、1年間を通してサハリンで生活した経験を持つ日本人はごくわずかであり、その経験を元にして執筆された本という希少さではないでしょうか。

サハリンはロシアが実効支配し、国際的にもその領有権が認められています。

しかし日本政府は積極的にサハリンの領有権を主張こそしていませんが、正式にロシア領であることも認めていません。

もちろん北方領土返還の優先度が高いという方針は理解できますし、政治的にも同じタイミングでサハリンの領有権を主張するのは得策でないという考えも分かります。


現代のサハリンの経済は疲弊し、文化や伝統は失われつつあり、治安の悪化など様々な問題を抱えている状態であり、是非とも1人でも多くの日本人に読んで知ってほしい1冊です。

間宮林蔵

新装版 間宮林蔵 (講談社文庫)

本書は吉村昭氏による間宮林蔵を主人公とした歴史小説です。

日本史の教科書には、樺太(サハリン)全島をはじめて探検した人物として紹介されていますが、本書を読むまでの私の知識もその程度でした。

間宮が探検に成功するまは世界的に樺太はユーラシア大陸の半島の1つであるというのが定説であり、ロシアが"サハリン"と呼ぶ島とは別の存在であるとさえ考えられていました。

彼が冒険心旺盛な人物であったことは確かですが、当時の江戸幕府は厳しい鎖国政策を続けていたため、当然のように幕命による探索として樺太に渡りました。

一方で、厳しい自然条件と幕府の統治が及ばない地域で命の危険を顧みずに樺太を探検を志願する人物は、間宮以外にいなかったとうのも実情です。

しかも驚くべきことに、間宮は最終的に単身で樺太へ渡り、樺太に住むアイヌ人を雇い、ギリヤーク人(現在の正式名称はニヴフ人)の案内で樺太のみならず、大陸へ渡り黒竜江下流の探検を敢行したのです。

その期間は約1年にもおよび、殆どの人びとが間宮の生還は絶望的と考えるほどに困難なものであり、その功績は幕府によって高く評価されます。

それはロシアやイギリスなどの外国船が頻繁に日本近海に訪れるようになり、国防上の観点からも間宮の集めた情報は重要な意味を持ったからです。

間宮自身は農民の子として生まれましたが、その任務の困難さを考えると、単に栄達を目的として樺太の探索を行ったとは考えにくく、やはり人類が本能的に持つ"好奇心"が、その原動力になっていたはずです。

幸か不幸か分かりませんが、海外事情に詳しく、過酷な任務を遂行する彼の能力を江戸幕府は"道具"として利用しようとし、間宮もその要望に応えます。

やがて隠密として諸藩の情勢を探るようになり、幕府に禁止されている密貿易を暴く手柄(?)を立てるようになります。

それが間宮林蔵自身にとって本望だったかどうかは、本書を読む読者にお任せしたいと思います。

測量の師匠であった伊能忠敬をはじめとして、天文方として高名な高橋至時、水戸藩主・徳川斉昭藤田東湖渡辺崋山など、間宮と交流のあった人物はいずれも時代の流れを象徴する人物たちであり、彼の半生を追うことで当時の日本の風景が見えてくるような気がしてきます。

単純に歴史小説としてもレベルの高い、読み応えのある作品に仕上がっています。