本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

堕落論

堕落論 (新潮文庫)

文学史では太宰治と共に「無頼派」に分類される坂口安吾氏の代表的なエッセイです。

様々な宗教、そして武士道に代表される日本独自の美徳概念、天皇という権威的な象徴、そうした一切のものを打ち捨て、泥にまみれて苦しみ続ける中にこそ人間の生きる価値があるというのが、本書で安吾の説く「堕落論」です。

堕落論が出版されたのは、太平洋戦争の終戦翌年の1946年。

(つい1年前までの)戦時中は愛国、一億総玉砕を煽る様々なプロパガンダが登場し、実際に多くの国民が命を失いました。

そして敗戦によって残されたのは、焼き野原となった日本の姿でした。

大切な人を失った上に昨日までの価値観をすべて壊され、呆然と佇む日本人の姿が目に浮かびます。

そんな中で坂口安吾の発表した本作品は、当時の日本人へ大きなセンセーショナルを巻き起こしました。

今まで世間に蔓延していた権威的な価値観を虚偽として排除し、徹底的に現実を見つめる鋭い洞察力が本書の至るところに発揮されます。

意識して格式の高さや文体の美しさを排除し、ユーモラスを交えたり、時には自らの情けない心情を赤裸々に告白するなど、本音で語られた素直な表現が魅力的です。

例えば宗教や制度によって提供される倫理価値観
こうした秩序立った価値観に自らの判断を委ねてしまい、潔癖で疑いの少ない人生を送るのは簡単であるとし、戦争中の日本人がまさしくそうした姿であったと、歯に衣着せぬ表現が至る箇所に見受けられます。

戦後の荒廃した国土の中でも復興に向けてしたたかに生きてゆく民衆の姿が本作品と重なるようです。

70年が経過する現代においても色褪せない、むしろ東日本大震災を経験した今の日本だからこそ再評価すべき作品であるといえます。

殺人者たちの午後

殺人者たちの午後

ジャーナリズム先進国といわれるイギリスで出版された本の和訳です。

内容は過去に殺人の罪を犯した人たちへのインタービューをまとめたノンフィクションです。

本書に登場する殺人者たちは、年齢や性別、職業、そして殺人の対象や動機も様々です。

イギリスでは死刑制度が廃止されており、終身刑が最も重い刑事罰です。

そのため当然ながらインタビューを受けた人たちの中に死刑判決を受けた人は存在せず、服役中の人もいれば、仮釈放され保護観察という形で社会復帰を目指している、もしくは遂げている人たちも存在します。

登人物はいずれも殺人を犯したことで一致していますが、それから一定の期間が経過している点でも一致しており、自分の生い立ちから殺人に至るまでの経緯、そして服役がもたらした心境の変化を語っています。


過去の人生を清算して前向きに生きていこうとする人もいれば、未だに自分自身を信用することが出来ず、刑務所の中での隔離された状態を望んでいる人など、その後の人生の考え方は様々です。

注目すべきは、一貫して殺人という行為へ対しての後悔、そして程度の差こそあれ、人の命を奪ったことに対する罪悪感を持っているということです。

著者でありインタビューアーでもあるトニー・パーカー氏は、本書で私見どころか善悪へ対しても一切言及することなく、淡々と殺人者たちの過去と現在を綴っているに過ぎません。

それだけに読み手となる人たちに考えさせる内容になっています。

"殺人"は殆どの人たちにとって思いも付かない非日常的な行為です。

その一線を越えてしまった人たちを社会から隔離することは簡単ですが、時には殺人という最も重い罪を犯した人たちの心の声に耳を傾けることの重要さを世の中に問いかけているような気がします。

ザ・ゴール 2 ― 思考プロセス

ザ・ゴール 2 ― 思考プロセス

ザ・ゴール」の続編です。

前作と同じように小説形式で書かれたビジネス書であり、主人公も同じくアレックス・ロゴです。

前作から10年が経過し、工場を建て直した実績のあるアレックスが副社長として株主の圧力により売却の危機を迎えたグループ会社を建て直すというストーリーが展開してゆきます。

著者があとがきで述べているように、前回が製造業の現場を舞台に繰り広げられた改善プロセスだけに、ともすれば工場で商品を製造するメーカー側の視点に偏りがちで誤解を招きかねない思考プロセスをより万人向けに書き直した1冊です。

本書で解説されている思考プロセスには幾つかのステップがあり、以下の5つから成り立っています。

  1. 現状問題構造ツリー
  2. 現状の問題点(好ましくない結果)を表面的に列挙し、根本的な原因に遡ります。どの問題を解決するのが最も効果的かという問い(=コアの問題)に答えるための手法です。このプロセスを経ることで複雑で多数の問題点が1つないし2つの原因へ集約することが出来ます。
  3. 対立解消図
  4. 一見すると解決不可能な対立や矛盾を含む問題構造の解消を図ります。コアな問題ほど大きな別の悪影響あるため実施されていないことが多く、その壁を乗り越えるための解決手法です。
  5. 未来問題構造ツリー
  6. コアな問題を解決するための画期的なアイデアを実行した結果の影響を検証します。つまり今までは存在しなかった新たな問題点の発生を未然に予測し、先手を打つことが可能になります。
  7. 前提条件ツリー
  8. 改善計画の実行計画です。計画を実行する上での障壁、それを克服するための中間目標を設けます。 計画を実行する上での前提条件を洗い出すことも含まれています。
  9. 移行ツリー
  10. 詳細な実行計画です。詳細な手順とその順番、その計画に関わるすべての人にどのようなリアクションが必要かを伝えるためのコミュニケーション・ツールとしても使えます。

一方で著者は、これらのステップをすべて経由する必要はなく、どれか1つを実施するだけでも充分に効果があるとしています。

いずれにしても本書は改善(問題解決)のための思考方法の手引書であり、ビジネスの現場に持ち込んだ途端に効果が出るような性質のもではありません。

ただし本書の思考プロセスを身に着けることで、ビジネスに限らず個人的な問題の解決にも役に立てるとが可能になります。

それは思考の習慣化に近いものであり、本書を1回読んだだけでは身に付けるのは難しいように感じます。

そのためにも手元に置いて何度か読み返したい1冊です。

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

世界で1000万人が読んだビジネス書」といわれる著名な本です。

イスラエルの物理学者から企業コンサルティングに転身した異色の経歴をもつ著者が執筆している作品ですが、特筆すべきは難しい理論をなるべく省き、読者が受け入れやすいように小説仕立てになっている点です。

実際には小説の主人公であるアレックス・ロゴが、閉鎖の危機にある赤字の工場を改善プロセスによって立て直す過程を描いゆきます。

工場が舞台とはいえ"全体の最適化"が本書のテーマであり、製造、エンジニアリング、営業、流通、経理に至るまでの様々な関係者が登場します。

そのため製造業以外に従事する人にも、どこか一致する部分を見出せると思います。

決して目から鱗が落ちるほどの内容が書かれているわけではありませんが、はじめに何をゴール(目標)とし、そこに到達するまでにどのようなプロセス(過程)で思考し、いかに実践すべきかについてを学ぶ本であるといえます。

"目的を設定し、計画を立てて実行する"という当たり前のプロセスですが、いつの間にか手段が目的化してしまい、前提となるアプローチが間違っているがゆえに状況が悪化してしまう現象は、大企業でさえも珍しくはありません。

また同じ困難な状況に直面しても、その対処方法はリーダーの性格・経験・知識など様々な要素に依存しますが、本書はその過程をプロセス化することにより、なるべく正しい答えを導き出せるような思考方法を明文化しているともいえます。

物理学者による本でありながらも難しい用語や方程式は一切登場せず、小説としても意外なほどに完成度が高いため、一気に読了できるビジネス書です。

山の遭難―あなたの山登りは大丈夫か

山の遭難―あなたの山登りは大丈夫か (平凡社新書)

登山ブームと言われて久しいですが、車の運転と交通事故のように、登山といえば遭難事故の可能性が常に付きまといます。

長年に渡り著者は山の遭難事故をテーマに執筆しており、日本登山の歴史、そしてブームの移り変わりと共に遭難事故と原因がどのように変化していったかを解説した1冊です。

明治期から1960年台までは、未踏のルートを開拓する体育会系登山が多く、絶壁からの転落やより困難なルート(バリエーションルート)に挑戦する過程での事故が多くを占めていました。

しかし登山人口に占める中高年者の割合が高くなるにつれ、自分の体力を見誤ってしまった結果の転倒などの事故、そして初歩的な知識や技量の不足による道迷いや装備不足による遭難の割合が増えてきている傾向があります。


登山ブームと共に登山道が整備され、装備品質の向上などが図られ、確かに昔より登山は気軽に挑戦できる趣味になったことは確かですが、対象が人間のコントロールできない自然であり、しかも人が住んでいない高山である以上、不測の事態が発生するリスクは決して0には出来ません。


それにも関わらず登山ブームの商業的なメリットを優先するがあまり、安易な装備・計画でのツアー登山やガイド登山が氾濫し、登山者たちの安全が疎かになっているのが現状です。


昔は山岳会に入会するのが登山家たちの常識であり、厳しい上下関係があるものの、若い登山家たちが経験とスキルを積むことのできる土壌がありました。


確かに会社の上下関係だけでも辟易しているのに、趣味の集まりでも上下関係に従わなければいけない窮屈さを敬遠する気持ちは分かりますが、それ以上に登山の基本は"自己責任"であり、その責任を果たすためには一定の技量が必要になるのは仕方がない事であり、つまり本来はそれだけの危険性を伴うスポーツだったわけです。


本書は主だった遭難事故の事例から、統計データを用いての傾向まで登山未経験者にとっても分かり易く書かれているのは好感が持てます。


また後半になるにつれて山岳地帯での救助活動にも紙面を割いており、安易な救助要請が目立つ現状に危機感を持っています。


その1つに自治体(警察・消防)による救助活動は無料であるというものです。


もちろん本質的に救助活動が無料であるハズもなく、安易な気持ちで登山をはじめた遭難志願者ともいえる人たちへ(大部分が登山とは無関係の人々の)多額の税金が費やされてる現状に対して、著者は遭難者へ対する"有料化"を提案しています。


本書に書かれているような救助の実態、そして財政難と言われる現状を考えれば、全くもって著者の提案へ賛成せざるを得ません。


そもそもヘリコプター等による救出にはレスキュー隊側にも命の危険性が伴い、本来であれば無料、有料に関わらず安易な救護要請は慎むべきです。

著者は登山愛好家の1人であることは間違いないと思いますが、本書ではあえて登山の魅力には触れず、淡々と遭難の実態、悲惨さと、そこに潜む問題点を指摘するスタイルを貫いています。


たまに山歩きをする程度の私にとっても、気の引き締まる思いで読んだ1冊です。

シェエラザード(下)

シェエラザード(下) (講談社文庫)

シェエラザード」下巻のレビューです。

上巻を読み始めたときには、主人公たち一行が地没船「弥勒丸」に眠る埋蔵金を追い求める冒険譚を想像していましたが、物語は意外な方向に進み始めます。

それは金塊運搬計画に関わった関係者、そして数少ない「弥勒丸」の生存者の証言と共に、やがて当時の回想録が小説のメインになってゆくことです。

主人公(と思い込んでいた)の軽部たち一行は、当事者たちの回想録を引き出すためのいわば"聞き役"に周り、厚いベールに包まれた真実が少しずつ明らかになってゆきます。

ネタばれしてしまうと一番面白くない部類の作品のため、物語の詳細には触れませんが、この小説を通じて感じるのは、戦争の悲惨さと平和な現代の日本の対象的な風景です。


戦況を正しく理解出来ていない(もしくは理解しようとしない)大本営作戦本部のエリート参謀たちが、多くの兵士を無駄に死に至らしめ、そして軍人に留まらず多くの民間人をも巻き込んだ悲劇を生み出しました。


その悲劇の真っ只中を生きてきた人間たちのドラマが、本作品の主題であるといえます。


本作品はフィクションとはいえ実際の"阿波丸事件"をモチーフにしているため、決して荒唐無稽な話ではなく、非常にリアリティのある内容です。

しかもこの"阿波丸事件"は、有名なタイタニック号以上に大規模な海難事故にも関わらず、米軍の潜水艦に沈められた経緯が不明なこともあり、いかに戦争が理不尽なものとはいえ、余りにも取り上げられる機会が少ない事件の1つです。

過去の呪縛と清算。

人間の執念がつむぎ出す壮大な歴史ロマン・ミステリーです。

シェエラザード(上)

シェエラザード(上) (講談社文庫)


浅田次郎氏による長編小説。

謎の台湾人"宋英明"から、太平洋戦争末期に二千人以上の民間人と共に沈んだ「弥勒丸」の引き揚げ計画が町金を生業にする軽部と相棒の日比野の元へ持ち込まれるところから物語が始まります。

その「弥勒丸」には、時価二兆円もの金塊が積まれていました。

しかし時を同じくして複数の人物へ対しても引き揚げの依頼が行われていることが判明し、軽部たち一行と共に読者たちを混乱させます。

事態を把握しようする軽部は、新聞社に勤めている昔の恋人"久光律子"に協力を要請し、「弥勒丸」の引き上げ計画を実現すべく多くの謎と対面することになります。

やがて軽部の周りで「弥勒丸」引き揚げ計画に携わっている人物が謎の怪死を遂げていきます。

しかも手を下しているのは、依頼者であるはずの謎の台湾人。。。。

前半ではあまりにも多くの謎が立ちはだかり、なかなか読書のテンポが上がりません。


しかしこれらの謎は壮大なスケールの本作品の舞台装置のようなもので、その1つ1つのカラクリが明かされるにつれ、どんどん引き込まれてゆくこと間違いなしの大作です。


本土決戦が叫ばれていた太平洋戦争の末期になると日本の海軍はほぼ壊滅状態であり、各地で情報が寸断される混沌とした状況に陥り、それが"M資金"や"山下財宝"といった埋蔵金伝説を生み出す背景になりましたが、本作品はこうしたテーマを題材にした代表作であるといえます。

頑固力



2004年~2008年に阪神タイガースの監督として活躍した岡田彰布氏による著書です。

選手としての経験・実績もある人ですが、本書では主に阪神タイガースの監督時代を振り返っています。

岡田氏は大阪に生まれ、物心が付いた頃から阪神ファンとして育ち、やがて憧れの阪神へ入団、現役時代もそのほとんどを阪神で過ごした、いわば"タイガースの生え抜き"です。

ファンの間でも人気の高い70年台阪神の黄金時代の打線(バース、掛布、岡田)の一翼を担った主力選手であり、文句なしにファンの支持を得て就任した監督です。

阪神ファンは熱心なことで知られていますが、それは世間から監督や選手の言動が常に注目されるプレッシャーの強い環境でもあることも意味していました。


監督を務めた5年間でAクラス4回(うち優勝1回)という成績は優秀であり、JFK(ジェフ、藤川、久保田)という投手陣の必勝パターンの確立、金本を不動の4番に起用するなど、客観的に見ても岡田監督の打ちたてたチームカラーは分かり易いという印象があります。

本書から簡単に抜き出しただけでも、次のような自らのポリシーを紹介しています。

  • 殺される選手がいるなら、その補強は正しくない
  • 阪神に敗戦処理投手はいない
  • 監督はマウンドへ行くべからず
  • スクイズのサインは出さない

本書でも触れられていますが、岡田監督は野村監督よりも星野監督のやり方を明確に支持しており、完全理論武装した"ID野球"よりも選手の性格や潜在能力、そしてチームカラーといった数値化が難しい要素も重視する手法をとっているようです。

原監督に至っては巨人の大型&強力補強を皮肉り、「原監督は面白いのか?」と評するほどであり、かなりの本音が垣間見れます。

野球監督とはいえ、個人の経験や性格、そして考え方は人それぞれであり、更にチームの状況等が重なると無数のタイプが存在してもおかしくありません。

これは会社の社長や管理職についても同じことが言え、指揮官としての責任を担ってきた岡田監督の言葉には沢山のヒントが隠されているのではないでしょうか。

北の大地の無法松

北の大地の無法松

北海道東部にある女満別(めまんべつ)

札幌や旭川といった町からも遠く、決して賑わっているとはいえない地域です。

有名人の半生を綴った伝記は数多くありますが、本作品はその女満別に住む無名の老人(大江省二さん)を対象とした伝記です。

大江さんの両親が開拓者として女満別にやってきたのは明治時代の終わりであり、大江氏は大正時代に生まれています。

まだ当時の女満別には電気も水道もなく、太陽を見るのも覚束ないほどの木々で覆われた開拓地で育ちます。

家も丸太を立て掛けて作ったような"小屋"のようなもので、白米も滅多に食べることの出来ないような生活でした。

電気・水道もなく、大正時代といえども江戸時代の東京に住んでいた人たちの方が便利な生活であったといえるような環境です。

もちろんそれが当時の開拓民たちにとっては標準的な生活だったわけで、大江さんの家が特別貧しかったわけではありませんでした。

むしろ圧倒的な大自然、夜空に輝く満天の星、助け合って暮らす家族たちとの生活など、ある面では現代に生きる私たちが願っても得られないような環境であったともいえます。

つまり決して物質的なものだけが幸せの尺度ではないことが良く分かります。

やがて大江氏の成長と共に女満別も急速に近代化してゆき、大工、タクシードライバー時代の経験、黒澤明監督の映画撮影のためにカラスを捕獲して手伝いを行った思い出など、面白いエピソードが散りばめられています。

結局は平凡に見える人生でも、掘り下げてゆけば"平凡な人生などは存在しない"ことがよく分かります。

淡い思い出の恋愛談、都会での失敗談、職業の遍歴等々、、何の変哲も無い話題ばかりなのですが、どれも味わい深いものがあります。

女満別で生まれ育ち、第二次世界大戦、そして高度経済成長といった激動の時代を不器用ながらも真っ直ぐに生き抜いた1人の人間のドラマが綴られている1冊です。

将来いつかは民俗学の資料としての価値が出てきそうな作品です。