本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

人斬り剣奥儀

人斬り剣奥儀 (PHP文芸文庫)

津本陽氏といえば剣豪小説を得意とした作家ですが、その剣豪小説の短編が10作品も収められている贅沢な1冊です。

  • 小太刀勢源
  • 松柏折る
  • 身の位
  • 肩の砕き
  • 抜き、即、斬
  • 念流手の内
  • 天に消えた星
  • 抜刀隊
  • 剣光三国峠
  • ボンベン小僧

いずれも凄まじい剣の遣い手たちが主人公になっていますが、富田勢源柳生連也(厳包)白井亨など知る人ぞ知る剣の達人もいれば、無名の若い剣士が主人公になっている作品もあります。

また時代背景も戦国から幕末、明治とかなり幅広くなっており、一口に剣豪小説と言ってもバラエティに富んだ飽きの来ない作品構成になっています。

津本陽氏の特徴は、命を賭けた対決を表現する迫真の表現力と著者自身が剣道と居合の有段者ということもあり、各流派の特徴や剣技を細やかに解説してくれる点にあります。

荒唐無稽でエンターテイメント性のある剣豪小説も楽しめるかも知れませんが、個人的にはやはり地に足の着いたリアリティのある津本作品が好みです。

全編に渡って漂う緊張感が読者を引き込み、一旦読み始めると手放せなくなること間違いなしです。

新陰流小笠原長治

新陰流小笠原長治 (新潮文庫)

歴史小説好きの私にとって小笠原長治の名前は知っていても、戦国時代の剣豪といった程度の印象しか持っていませんでした。

何と言っても戦国時代の主役は武将たちであり、上泉伊勢守塚原卜伝柳生宗厳・宗矩宮本武蔵といった有名どころの剣豪でなければ具体的なイメージが沸いてきません。

しかし津本陽氏は、本作品の主人公・小笠原長治をはじめ一般的に知られていない剣豪を題材にした作品が多く、私にとって新たな発見で喜ばせてくれるのです。

簡単に説明すると小笠原長治は、剣聖と呼ばれた上泉伊勢守の孫弟子であたる人物で、戦国後期から江戸時代初期に活躍した剣豪です。
ほぼ同世代には示現流の開祖となった東郷重位がおり、彼も津本陽氏によって「薩南示現流」という作品で主人公として描かれています。

小笠原家は武田家につらなる名族でしたが、今川、武田、徳川、そして北条といった勢力に翻弄され、長治も幼少の頃より戦国の厳しさ身をもって経験しながら育ちます。

最後に仕えることになった北条家が秀吉の小田原征伐によって滅亡した時点で長治は二十歳の青年でした。

幼い頃より権謀術数を目の当たりにし、自らが生まれ育った小笠原家が戦乱に翻弄されるのを体験し、戦国武将としてではなく一介の武芸者としてひたすら剣の道を極める道を選びます。

長治が同時代に活躍した剣豪たちと違うのは、未知なる強敵を求めて琉球、そして(大陸)へと渡り、双節棍(ヌンチャク)や矛といった、日本には無い武器の達人たちと渡り合ったことです。

異国の地で腕試しというエピソードは大山倍達を主人公にした「空手バカ一代」にも通ずるものがあり、小笠原長治がその先駆けだったと考えると、時代を超えた男のロマンを感じてしまうのです。

漂流

漂流 (新潮文庫)

船乗りが突然の嵐に襲われ漂流し、やがて無人島に辿り着く。。

生き延びるためにはそこで飲水や食料を探し出す必要があり、雨風を凌ぐための住居を確保しなければなりません。
やがて無人島での生活が安定してくると、故郷に帰るために島から脱出する方法を試行錯誤してゆくことになります。

これを十五少年漂流記風に描けば冒険小説ということになりますが、本書は江戸時代に無人島へ漂流することになり、そこで13年間もの時間を過ごし奇跡的に帰還した土佐(高知県)の船乗り長平の史実に基づいた小説です。

長平が漂着した島は現在の伊豆諸島南部に位置し、現在も無人島でありつづける鳥島です。

周囲6.5km、草木はまばらで水源もない苛酷な環境下にある島でしたが、温暖な気候でアホウドリの繁殖地であるという幸運にも恵まれました。

実際に長平たちが無人島で生き延びた具体的な方法については本作品の醍醐味でもあり、ここで詳細を紹介することは控えますが、某テレビ番組の無人島サバイバル生活を見ているようなエンターテイメント性があります。

しかし忘れてはならないのは、長平たちは文字通りのサバイバルを体験したのであり、仲間たちの死、故郷に戻れる保証がない絶望と隣合わせの精神状態といった切迫感と悲壮感が読者にも伝わってきます。

著者が江戸時代の漂流者の記録に興味を持ったきっかけは、終戦後に南の島々から突然のように姿を現し帰国した日本兵へ対する驚きであると述べています。

世間からまったく隔離され、家族あるいは恋人に2度と会えない不安、そして彼らにとっても自分がすでに過去の人(故人)となっている風景を想像すると絶望的な気持ちになるのも分かります。

運良く故郷へ帰還して歓喜の再会を果たす者もいれば、妻が未亡人として再婚し家族離散という悲哀を味わう者もいるのです。

いずれにしても極限状態を経験した長平の壮絶な人生が読者に感動を与えるとともに、日々何気なく過ごしている私たちがいかに快適な暮らしに恵まれているかを実感させてくれるのです。

三陸海岸大津波

三陸海岸大津波 (文春文庫)

本書は昭和40年代前半に吉村昭氏が三陸沿岸を訪れ、津波の資料を集め体験談を取材した内容をまとめたものであり、過去3回の津波災害の記録が収められています。

  • 明治二十九年の津波
  • 昭和八年の津波
  • チリ地震津波(昭和三十九年)

吉村氏は三陸海岸が好きで取材前にも何度か訪れていますが、その理由を次のように表現しています。

私を魅する原因は、三陸地方の海が人間の生活と密接な関係をもって存在しているように思えるからである。
~ 中略 ~
三陸沿岸の海は土地の人々のためにある。海は生活の場であり、人々は海と真剣に向かい合っている。

つまり埋め立てられた都会の海、もしくは観光地として景色が良いだけの海にはない魅力を感じているのと同時に、それは表裏一体であることを鋭く指摘しています。

海は、人々に多くの恵みをあたえてくれると同時に、人々の生命をおびやかす苛酷な試練をも課す。海は大自然の常として、人間を豊かにする反面、容赦なく死をも強いる。

三陸地方では津波を「よだ」と呼んでいましたが、太古よりここに住む人々は「よだ」によって多くの犠牲を払ってきました。
それは古老の伝承や教訓となって脈々と子孫に受け継がれ、生活の知恵として根付いてゆきましたが、それでも明治29年の津波では2万6千名以上もの死者を出す大災害となりました

本書に収められている津波の体験談、とくに一瞬にして家族を失った当時の小学生が残した作文には時代を超えて訴えるものがあります。

吉村氏が取材した時点(昭和40年代)で明治29年津波の体験談を聞くことができたのは高齢者の2人のみで、まさにギリギリのタイミングだったといえます。
本書の最後にそのうちの1人である星野氏が語った言葉が印象深く残っていると著者は綴っています。

「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」

吉村氏はこれを生涯において3度の大津波というすさまじい体験をし、津波と戦いながら生きてきた人の重みある言葉と受け取っていますが、本書が発表されて40年後に再び東日本大震災による津波で大きな被害を受けることを知っている私(読者)は複雑な気持ちになると同時に、世代を超えて災害の教訓を未来に伝えることの難しさを実感せずにはいられないのです。

過去の教訓から決意を新たにするという意味でも本書の果たす役割は小さくないはずであり、少しでも多くの人に読んでもらいたい1冊です。

羆嵐

羆嵐 (新潮文庫)

1915年(大正4年)、北海道苫前郡内の開拓村で獣害史最大の惨劇が発生します。
それはヒグマが人を襲い、7名が死亡、3名が重傷を負ったという悲惨な出来事であり「三毛別羆事件」として知られています。

しかも襲われた人間は山菜を取りに行った途中でも登山の最中でもなく、人間の暮らす集落に姿を現し家の壁を突き破って襲撃するという驚くべきものでした。

人間を獲物として認識したヒグマは火を恐れることもなく、焚火によって身を守ろうとした人びとを次々と襲撃してゆきます。
そしてついに開拓民たちは村を放棄し避難することを選択します。

やがて警察や青年団によって200名もの討伐隊が組織され、さらに軍隊にまで出動が要請されるという事態に発展します。

しかし余りにも巨大で兇暴なヒグマを目の前に人びとは震え上がり、統制は乱れがちになります。
その中でヒグマ退治に立ち上がったのが、半世紀にもわたり熊撃ちを続けてきたある1人の初老のマタギだったのでした。

本書はこの三毛別羆事件を題材にした小説です。

故人の遺族を考慮して名前を変えている部分はあるものの、事件の発生前からその後の顛末に至るまでが詳細に描かれています。

第三者の立場で淡々と出来事を描いてゆく吉村昭氏のスタイルはこうした題材にもっともマッチしているといえます。

今から100年前の事件ですが、手付かずの自然が開発されてゆくにつれ、人間と野生動物がうまく共存できなかった故の悲劇を見ることもできるのです。

落日の宴 勘定奉行川路聖謨(下)

新装版 落日の宴 勘定奉行川路聖謨(下) (講談社文庫)

これまで多くの歴史小説を読んできましたが、ここ2年ほど吉村昭氏の小説を手にとる機会が増えています。

吉村氏の小説は、彼自身の主観が直接的に表現されることが少なく、また登場人物の抱く思考や感情が描写される機会も少ないため、読者を熱狂させる劇場型の歴史小説ではありません。

それよりも主人公たちの辿った足取りやそこで起きた出来事をなるべく細かく忠実に描くことに力を注いでいる感想を持ちます。

作品によっては退屈と感じる場面にも遭遇しますが、そうした何気ないエピソードの積み重ねが歴史を作り上げているという事実に気付いてからは、逆に楽しく読むことが出来るようになりました。

本書の主人公・川路聖謨(かわじ としあきら)は、幕末にロシア使節プチャーチンと緊迫したハードな交渉を重ねてゆきます。

やがてそれは日本の将来に重大な影響をもたらすものの、実際には地道で遅々として進まない交渉を継続した結果であり、ある日突然飛躍的に成し遂げたものではありませんでした。

プチャーチンと共にこの交渉の中心であり続けた川路を主人公にして劇的な物語を描こうとしても難しいでしょう。

しかし地道でありながらも誠実さを持って確かな足取りを一歩ずつ残して交渉を進めてきたという意味では、記録型の歴史小説を得意とする著者の作風にぴったりの人物であるといえます。

川路は、自分を抜擢し重宝した阿部正弘が病死し、続いて老中首座に就いた堀田正睦が失脚したのちに井伊直弼が大老として実験を握ってからは、幕府の中枢から遠ざけられ高齢で身体が不自由だったこともあり、晩年は不遇の時代を過ごすことになります。

しかし吉村氏は、川路のそんな時代をも淡々と描き続け、倒幕軍が江戸に到着すると聞くやピストルで自らの命を絶つ場面まで筆を置くことはありませんでした。

そこには西郷隆盛や坂本龍馬、土方歳三の最期のように強烈な印象はありませんが、自らのすべてを幕府に捧げ続け、そして力尽きた1人の老人の静かな死は何とも言えない余韻を読者に残すのです。

落日の宴 勘定奉行川路聖謨(上)

新装版 落日の宴 勘定奉行川路聖謨(上) (講談社文庫)

幕末・明治維新といえば志士、そして新選組をはじめとした幕府側の剣士などに注目が集まりますが、彼らが後世に残る活躍をするきっかけとなったとなったのが黒船来航であり、その結果として巻き起こった開国論攘夷論のせめぎ合いであるといえます。

結果的に江戸幕府は倒れることになりますが、幕府の指導者たちははじめから無策であった訳ではありません。
むしろアメリカやそれに続いて来航したロシアとの交渉に際しては、教養と学問を身に付けた有能な幕臣が外国との交渉を粘り強く進めたことは案外知られていません。

その代表格といえるのが本書の主人公・川路聖謨(かわじ としあきら)であり、彼はロシア使節のプチャーチンと開国、そして領土問題の交渉において大きな成果を収めました。

プチャーチンが長崎を訪れた1853年時点で川路はすでに勘定奉行に就任していましたが、元々は小普請組の小吏という低い身分であり、豊富な知識と冷静な判断力を閣老たちに評価され実力で勝ち取った昇進でした。

またその背景には安政の改革を実行した老中首座・阿部正弘が身分にとらわれず能力第一主義で有能な人材を抜擢したという幸運もありました。

川路は当時すでに50歳を過ぎていましたが、ロシアと交渉するために文字通り日本中を奔走する日々を送ります。

吉村昭氏らしく、一刻を争うような事態へ対して慌ただしく対処してゆく川路の足取りや交渉内容が仔細漏らさず描かれているという印象を受けます。

川路は一流の剣客ではなく、神算鬼謀の軍師といった人物でもありませんでした。
そして何よりも新しい時代を作り上げるという変革を望むタイプではなく、幕府の有能な忠臣といった人物像がもっとも当てはまります。

外国語には堪能でなかったものの、外国事情に通じ、巧妙な駆け引きと聡明な判断力を駆使しながら海千山千のプチャーチン相手に一歩も引かない交渉を進めます。

その中でも作者が特筆した点が、川路の根底にある揺るぎない誠実さであり、プチャーチンは川路を手強い交渉相手と認めながらも、ヨーロッパにも珍しいほどの優れた人物として激賞しています。

それは鎖国政策を続けてきた日本に優れた国際感覚を持った人物がいたことを意味し、それを世間に広く知ってもらうために作者は筆を取ったのではないでしょうか。

山怪 弐 山人が語る不思議な話

(山怪 続編) 山怪 弐   山人が語る不思議な話 続編

多くの子どもがそうだったように、私も妖怪や心霊現象といった恐ろしくも不思議なエピソードが大好きな1人でした。

かつては心霊研究家や霊能者がテレビに出演することは普通でしたし、当時は彼らの能力を疑うことなく食い入るように見ていました。
さらに水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される漫画やアニメも何度見返したか分かりません。

小学生高学年にもなるとこうした不思議な世界は徐々に頭の片隅に追いやられるようになりましたが、成人したのちに柳田國男の著書を読み、また日本各地の文化を知るようになると依然として例えば沖縄のユタ、東北地方のイタコ拝み屋(祈祷師)といった人びとが今も活動していることを知り、忘れ去ったはずの不思議な世界に再び興味を惹かれるのです。

本書は日本各地の山間地域で今も現在進行系で生まれつつある不思議な体験をひたすら収録した田中康弘氏「山怪」の第2弾です。

構成は前作とまったく同じで、第1弾に収まりきれなかった、もしくは取材によって新たに追加されたエピソードが収録されています。

あえて言えば狐憑き蛇の憑依、もしくは犬神憑きといった話は前作に無かった類のエピソードかも知れませんが、いずれにせよ山村に住む人々、猟師や林業従事者、修験道の行者など"山"との関わりが深い人たちの体験談であることに違いはありません。

本書の面白い点の1つは、しばしば不思議な現象を迷信や錯覚としてまったく信じない人びとの話も収録している部分です。

著者は取材の過程では決してその考えを否定しませんが、一方で彼らに共通するものを冷静に観察しているのです。

時々あれは何だったのかと思い出し、それを他人に話したりする。そして最後に、"あれは錯覚だったのだ"と再確認しようとする。
一生のうちに何度もこの作業を繰り返すことこそ、怪異を認めている証拠ではないだろうか。中には完全に記憶から消し去る人もいる。しかしそれがふとした弾みで口から飛び出す場合もあり、そんな時は当の本人が一番驚いているのである。

さらには、まったく違うベクトルで怪異を受け止める人もいます。

八甲田山麓のある宿泊施設で明治時代の陸軍歩兵の霊(もちろん八甲田雪中行軍遭難事件の犠牲者と思われる)が真夜中に館内を歩き回るのをほとんどの従業員が目撃しているものの、怪談話にもなっていないというエピソードです。

「最初は驚くんだけどねえ、すぐ慣れるみたいだよ。何かする訳じゃないし、怖いと感じもしないらしいね。ただ歩いているだけだから」

他にも日常風景や自然現象と同じように怪異を受け止める人びと、つまり怪異が生活の奥深くに根付いてる地域も存在しているのです。

しかし私たちに彼らを時代遅れの迷信深い人と批判する資格はありません。

なぜならお盆には亡くなった先祖が家に帰ってくる、四十九日の法要が終るまでは死者は成仏しないという風習を迷信と放言する人は少ないはずだからです。

人知を超えた存在、科学では説明しきれない事象、それは日本の山に今も息づいているのです。

山怪 山人が語る不思議な話

山怪 山人が語る不思議な話

日本の山には何かがいる。
生物なのか非生物なのか、固体なのか気体なのか、見えるのか見えないのか。
まったくもってはっきりとはしないが、何かがいる。
その何かは、古今東西さまざまな形で現れ、老若男女を脅かす。
誰もが存在を認めているが、それが何かは誰にも分からない。
敢えてその名を問われれば、山怪と答えるしかないのである。

本書の冒頭はこのようはじまりますが、内容はホラー小説でもなければ心霊現象を取り扱ったものでもなく、日本各地の山間部で暮らす人びとの不思議な体験や言い伝えをひたすら収録しています。

著者の田中康弘氏は長年にわたり山関係、狩猟関係の現場を渡り歩いたノンフィクション作家ですが、本来こうした不思議な体験談は取材過程のサイドストーリー、もしくは副産物に過ぎませんでした。

元々は囲炉裏で語られたきたようなこのような民話は、現代では全滅しているといっても過言ではありません。

電気が日本の隅々にまで行き渡り、テレビやインターネットが普及して久しいですが、もはやとうに年寄りの昔話は子どもたちにとって娯楽ではなくなっているのです。

そもそも何十年にもわたり核家族化と過疎化が同時進行している状況下で、老人たちが昔話を語る相手さえいないというのが現実です。

著者はこうした小さな逸話が絶滅の危機に瀕していることに気付き、本格的に収集をはじめたのです。

この視点はまさに慧眼というべきものでしょう。

かつて柳田國男によって明治43年に発表された「遠野物語」もまったく同じ視点で発表された本ですが、100年以上前の時点で柳田氏は多くの民話が明治近代化とともに失われつつあるという危機感を抱いていました。

はたして21世紀の現時点でめぼしい逸話が収集できるのか個人的には疑問でしたが、著者はそれを見事にやってのけます。

むしろ21世紀に入ってからも山では新しい逸話が生まれ続けていることに驚きを覚えます。

収録されているエピソードのほとんどは狐火を見た話、大蛇を目撃した話、山に轟く謎の音など、実際の体験談であるが故に起承転結がなくとりとめのない小さな素朴な逸話ばかりですが、だからこそ私自身は食い入るように読み続けてしまうのです。

まずは現在も数少ないマタギ文化が残っている、またマタギ発祥の地といわれる秋田県阿仁地区のエピソードから不思議で魅力的な世界がはじまります.....。

赤と黒 (下)

赤と黒 (下巻) (新潮文庫)

上巻のレビューでは、本作品を恋愛小説、社会風刺小説、そして主人公ジュリヤンの立身出世の物語という3つの要素が含まれていると紹介しました。

実際にどの要素が印象に残るかは、読者によって異なると思いますが、私自身は立身出世の物語として印象が強く残りました。

恋愛小説をまったく読まない訳ではありませんが、美青年と貴婦人、または美少女の恋愛という構図は、当時の読者層(おもに女性)には喜ばれたかも知れませんが、私自身はどうも感情移入も共感も難しい設定です。

社会風刺小説という点では申し分のない内容ですが、著者のスタンダールは当時の支配階級である貴族や聖職者へ対して容赦ない非難を浴びせています。
その舌鋒の鋭さは、反社会的とさえいえます。

またスタンダールはそれなりの野心を持っていましたが、現実には恋愛や出世、そして作家活動さえもうまく行かず、存命中はほとんど顧みられなかった人物であり、その鬱憤を作品中に書き連ねたという側面があることも否めません。

その点でジュリヤンが野心を抱き貴族や聖職者たちへ近づき立身出世を図るという構図は、スタンダール自身の心情と重なる部分があり、(多かれ少なかれどの小説にも言えることですが)赤裸々な私小説としての要素が垣間見れます。

ジュリヤンは聖書やラテン語に通じた才能豊かな美青年でしたが、貴族階級を心底憎み軽蔑していたため、決して彼らと同化することはありませんでした。

これは彼自身の立身出世を考えれば矛盾する理屈であると同時に、その烈しい感情がその聡明な頭脳さえも支配したということです。

文学作品にしばしば登場する青年は、自己を確立しきれていない矛盾と混沌を抱えた存在であり、それ故に強烈なエネルギーを周囲に放つことで魅力的な主人公になりえるのです。

たとえば大江健三郎氏の「遅れてきた青年」は本書より130年後に発表された作品ですが、野望と混沌としたエネルギーを秘めていたという点で両主人公に驚くほど共通点があります。

本作品はフランス革命、ナポレオンの台頭を経て王政復古の時代に書かれた作品ですが、王党派を批判し先鋭化した自由思想の持ち主であったスタンダールが、あと20年早く生まれて青年として革命に立ち会ったならばまったく別の作品を書いたのではないでしょうか。

赤と黒 (上)

赤と黒 (上) (新潮文庫)

日本のみならず世界的に大きな影響を与えたフランス文学
そのフランス文学の中でも最高傑作の1つに挙げられるのが1830年に発表された本書スタンダールの「赤と黒」です。

文庫本にしても800ページにも及ぶ長編ですが、この作品には多くの要素が含まれています。

まず挙げられるのが、美しき青年ジュリヤンレーナル夫人、そしてラ・モール嬢との愛を描いた恋愛小説としての要素、そして彼女たちをとりまく貴族階層や聖職者たちの暮らしや処世術を社会風刺小説として描いた側面、さらに製材屋の息子として生まれたジュリヤンが、野心を心に秘めながらフランスの片田舎からパリへと上京し権謀術数の中で立身出世してゆく小説として読むことができます。

多く要素を詰め込むことで作品全体の焦点がぼやけてしまい、印象に残らない小説になってしまう危険性がありますが、この「赤と黒」はどの要素も高いレベルで完成されています。

身分が低く何の後ろ盾も持たないジュリヤンは、地方の有力者であるレーナル夫人の3人の子どもたちの家庭教師として住み込むことになりますが、そこから身分の違いという理由以前に不倫という禁断の恋愛に発展してゆき、続いてラ・モール伯爵の秘書として有能な活躍するジュリアンと彼の愛娘との恋は、父親が有力貴族との政略結婚を望んでいる中での裏切り行為になってしまうというジレンマを抱えています。

そこで描かれる葛藤や恋の駆け引きは、当時の主な読者層であるご婦人方でなくともドキドキハラハラなくしては読めなかったでしょう。

この小説が執筆・発表された時期は1814年~1830年の王政復古の時期にあたり、ここで描かれる有力者へ対する痛烈な社会風刺は、もはや風刺のレベルに留まらずスタンダール自身の政治的主張までもが垣間見れる過激な内容になっています。

立身出世を企む主人公ジュリヤンは、貴族や高位にある聖職者へ憧れを抱くのではなく、徹底的に彼らを軽蔑し嫌悪しながらも利用しようとするのです。

フランスにおける絶対君主制の崩壊、フランス革命、それに続くナポレオンの台頭と失脚の末に訪れた王政復古は、世界史の中でもっとも受験生を悩ませる複雑な時期でもあり、当時の社会的、政治的な停滞を小説を通じて鋭く観察している点は、本書が不朽の名作と評される大きな要素となっているはずです。

私自身が文学史に詳しい訳ではありませんが、ともかく18世紀前半に書かれた小説が、21世紀の読者を楽しませてくれるという点だけでも読む価値があります。

聞き出す力

聞き出す力

プロインタビュアーを自称する吉田豪氏が「週刊漫画ゴラク」で連載したコラムを書籍化した1冊です。

プレゼンテーションを指南する書籍が多い中で、聞く側をテーマにした阿川佐和子氏の「聞く力」がベストセラーとなりましたが、本書はそのブームに便乗したことを著者はあっさりと認めています。

吉田氏の単行本を読むのは今回がはじめてですが、ずいぶん前に購読していたプロレス雑誌で彼の記事はかなり読んだ記憶があります。

当時はプロレスラーや格闘家のインタビューがメインでしたが、その内容はいつも個性的でした。

それは試合の内容を細かく言及してゆくよりも、試合以外の話題を掘り下げる傾向があり、そこからは意外性のある(もしくはいかにもその人らしい)エピソードが飛び出してきます。

いずれにせよ面白い記事だったことは間違いありませんでしたが、出版不況により雑誌が次々と休刊してゆく過程で、元々実力のあった吉田氏がプロインタビュアーへ転身して活躍していることにそれほど違和感はありませんでした。

肝心の本書の内容ですが、やはり予想通りというべきかインタビューのテクニックに関することは読んでいてもあまり頭に入ってきません。

たとえばインタビュー前に入念に下調べをするという点は、プロとしての真摯な姿勢を感じるものの、それほど目新しさは感じさせません。

それよりも折に触れて明かされる過去のエピソードの方が圧倒的に面白いのです。

大物俳優からアイドル、スポーツ選手、政治家に至るまでさまざまなジャンルの有名人にインタビューを試みています。

例えば吉田氏が長渕剛のインタビューのためにスタジオを訪れてみたら、彼は本格的な機器を現場に持ち込んでのハードなトレーニング中であり、インタビュー内容も「殺すぞ!」とか「死ぬ気」を連呼する物騒な内容になった挙句、原稿チェックで発言内容が大幅に修正されていたなど、数々のエピソードが収録されています。

つまり本書は上手なインタビュー(聞き手)の指南書としてだけでなく、こうした楽しいエピソードを期待して読むだけでも充分に価値があるのです。

下天を謀る〈下〉

下天を謀る〈下〉 (新潮文庫)

藤堂高虎の生涯を描いた歴史小説「下天を謀る」の下巻レビューです。

人生に8度も主君を変えたといわれるだけあって、高虎の実像は分かりにくい側面があります。

傍目からは、常に強い方へ鞍替えを続けた世渡り上手という見方ができますが、それだけの男であれば家康から絶大な信頼を得て32万石もの大名にまで出世はできません。

たとえ有能であっても、いつ裏切るか分からない武将を側に置いておくほど家康は甘い男ではないからです。

本作品で高虎の運命を変えた人物として登場するのが、牢人暮らしをしていた高虎を見い出して召し抱えた羽柴秀長です。

秀長は秀吉の弟として軍事のみならず内政にも手腕を発揮した温厚な人物として知られますが、武力一辺倒だった高虎を文武両道の武将として成長させてくれた恩人になったのです。

秀吉政権下で朝鮮出兵(文禄・慶長の役)へ反対していた秀長でしたが、その直前に病死するという不幸に見舞われます。

さらにその後を継いだ養子の秀保も早世してしまい、秀長の家系(大和豊臣家)はあっけなく断絶してしまいます。

高虎は豊臣家直系の大名として取り立てられますが、亡き主人・秀長と行動を共にしていた千利休豊臣秀次らが次々と切腹を命じられるに至り、豊臣政権へ対して高虎自身の心も離れてゆきます。

これが秀吉の死後、豊臣家で重宝されている大名(徳川家から見た外様大名)にも関わらず、いち早く家康へ味方することになるのです。

高虎が損得勘定だけの人間でなかったことは、関ヶ原の戦い大阪の陣でも激闘を繰り広げ、体中隙間がないほど戦場傷に覆われていたというエピソードからも分かります。

戦場での功名を追いかけてきた高虎が、どういう遍歴を辿って天下を宰領を補佐するまでに至ったのか。
長編小説ということもあり実績だけではなく、その内面的な変化についても細かく描写されています。

藤堂高虎の新しい人物像を開拓したスケールの大きな歴史小説として、戦国時代ファンなら是非抑えておきたい作品です。

下天を謀る〈上〉

下天を謀る〈上〉 (新潮文庫)

最近紹介する機会の多い安部龍太郎氏の歴史小説ですが、今回の主人公は藤堂高虎です。

浅井長政にはじまり徳川家康に仕えるまで実に8度も主君を変えたといわれ、のちに32万3,000石の大大名となった戦国武将です。

儒教に影響された江戸時代の武士道は主君へ忠義を貫き通すことを美徳としていましたが、戦国時代は主君を見限って他家に仕えることは必ずしも悪いことではありませんでした。

現代でいえばキャリアアップのために転職をするようなものであり、実際に高虎も主君を変えるたびに出世してゆきました。

彼のキャリアを見てゆく上で比較として分かりやすいのが石田三成です。

二人とも同じ近江の出身であり、浅井家の滅亡後ほぼ同じ時期に三成は秀吉に見出され、そして高虎は秀吉の弟である秀長に仕えることになります。

同じ豊臣家(羽柴家)の家臣として、三成は文官タイプ、高虎は武将タイプとして順調に頭角を現してゆきます。

そして秀吉の死後、高虎はいち早く豊臣家を見限り徳川家康に急接近しますが、三成は徳川家と敵対し関ヶ原の戦いで敗れて滅びることになります。

藤堂高虎の身の丈は六尺三寸(約190cm)あったといわれ、その体躯から分かる通り猛将として敵将を討ち取り手柄を挙げてきました。

ただし歳を重ねるにつれ築城の名人として、また内政や外交の面でも手腕を発揮して文武両道の武将として家康から重宝されました。

高虎は家康の最期にあっても外様大名で唯一枕元に侍ることを許され、その死後も2代将軍秀忠、3代将軍家光の世話役を勤めるなど、三河以来の家臣以上に信頼されていたのです。

本作品は上下巻合わせて1000ページ近くに及ぶ大長編歴史小説です。
多くの武将が現れては消えていった戦国時代を最後まで生き抜き、太平の世を見届けた藤堂高虎の生涯を思う存分味わうことができます。

満潮の時刻

満潮の時刻 (新潮文庫)

本作品は遠藤周作氏の没後5年を経過して書籍化された作品ですが、遺稿ではなく、かなり以前に執筆した作品が偶然このタイミングで書籍化されたものです。

家庭を持ち四十代の働き盛りの明石が、突然の喀血により結核に侵されていることを知る。
長期の入院治療を余儀なくされた主人公は、そこにいる病人たち、その生命の終焉と出会うことによって、心の中に確実な変化が起きていることを感じてゆく...。

これは物語の導入部でありながら、全体のあらすじでもありますが、遠藤周作ファンであれば著者自身の体験を小説化した作品だと分かるはずです。

遠藤周作には「海と毒薬」、「沈黙」、「深い河」といったやや難解で深刻なテーマを扱った日本を代表する文学作品を発表する一方で、狐狸庵山人としてユーモア溢れる軽快なエッセーを書くこともでも知られれています。

さらに歴史小説にも精力的に取り組むなど著者の活動範囲はかなり広いのですが、その中でも本書は読みやすい現代小説に位置付けられます。

人間誰しも(子どもであっても)"死"というものを漠然と考えるときがありますが、本作品の主人公のように(当時はまだ致命的な病気であった)結核に侵され、実際に死の淵をさまよって初めて真剣に考えはじめるのではないでしょうか。

これは普段は健康を意識しなくとも、風邪で寝込んだ時に健康の大切さを知るのに似ているかも知れません。

ともかく著者も病魔に侵され"死"を身近に感じることで体験したことがあったです。
それは"世の中を達観する"ことであったり、まして"悟りを開く"ことではなく、今まで何気なく見ていたものが、違う意味を持って見えてくるという類のものです。

作品でその象徴となるのが、病院の屋上から眺めた乳白色の空の中で煙突から真っ直ぐにのぼる煙であったり、人もまばらな長崎の古い洋館に展示されていたすり減った銅板の踏み絵であったりします。

つまり本作品にも著者が作家として終生追い続けたキリスト教文学の要素をはっきり見ることができます。

さらに加えるならば、著者はのちに自らの体験などから医療問題を言及するようになりますが、この作品でも鋭い視点から観察が行われています。

著者の死によって充分な見直しが行われないまま書籍化された作品でありながらも、遠藤周作らしさが凝縮されている1冊です。

外交ドキュメント 歴史認識

外交ドキュメント 歴史認識 (岩波新書)

テレビや新聞、インターネットからは日本と近隣国、その中でも特に中国、韓国との関係は最悪ではなくとも、あまり良い状態ではないことは伝わってきます。

特に外交の場合、今日の状況を知るだけでは充分ではなく、過去から続く両国関係の延長線上に今があると認識しなければ正確な状況を把握することは難しいでしょう。

一方でメディア場合、こうした過去の問題に触れてはいても、時間や紙面の都合から抜粋されたものになりがちであり、その情報量は充分ではありません。

はじめで触れられている通り、本書は外交史の専門家である服部龍二氏が、日本と中韓との間で行われてきた外交の過程を問題別、時間軸に新書という形でコンパクトにまとめて解説したものであり、こうした情報を得るための手段として極めて優れています。

本書の主たる目的は批評や提言ではなく、日本外交の視点から政策過程を分析することにある。諸外国の関係悪化だけでなく、修復の局面にも紙幅を割く。筆者が断を下すというよりも読者のために材料を整理して提供したい。何度でも再燃しうる歴史問題を論じるうえで、そのことは基礎的な作業になるだろう。『外交ドキュメント 歴史認識』と題したゆえんである。

中韓との外交関係は歴史問題、つまり日本との歴史認識の相違が主な焦点となる場面が多いのです。

一口に歴史問題と言っても細かい視点まで入れるとキリがありません。
中でも本書が主に取り上げているのは以下の点です。

  • 歴史教科書問題
  • 靖国神社公式参拝
  • 従軍慰安婦問題
  • 村山談話

本書では終戦後の東京裁判、そして中韓との国交正常化に至るまでの過程は概要のみにとどめ、1980年代以降の外交政策ヘ対して具体的な言及を行っています。

つまり現在から遡って30~40年間の外交過程が対象となりますが、まず本書から分かることは、日中韓いずれも一貫した外交政策を取り続けた国は存在しないという点です。

それは国内外の政治や経済状況など、複雑なパワーバランスを反映した結果であり、歴史認識に両者が歩み寄るときもあれば、片方、または両者が離れてしまう局面が何度も登場します。

分かり易い例を挙げれば、積極的な外交政策で知られる中曽根首相と改革派で親日家といわれた胡耀邦総書記との良好な関係は、日中関係がもっとも歩み寄った時期でもありましたが、保守派の反発によって胡耀邦が失脚し、江沢民が総書記に就任したのちに日中関係は急速に悪化してゆきます。

韓国ではもっと頻繁に同じ現象が起きており、日本においても歴代首相が下す靖国神社公式参拝の判断如何で中韓の態度が大きく左右します。

ある歴史問題を切り取り、舌鋒鋭い論客やジャーナリストが論じる本やコラムは読者にとって刺激的に映るでしょう。
しかし同時に読者が充分に"考える"ことをせずに、安易にそうした論調へ流れてしまうといった危険性もはらんでいます。

さらにメディアはこうした意見を保守反日、または右翼左翼といったレッテルに二分したがる傾向にあり、議論の視点を狭めてしまうという点で好ましくありません。

読者への判断材料を提供するために書かれた本書ですが、終章でわずかに著者の外交へ対する提言が垣間見れます。

外交とは、関係各国の利害を調整する行為である。相手国がある以上、外交に完全な勝利を求めるのは難しいし、危険でもある。一国が完勝しようとすれば、相手国に鬱積した感情を残すことになり、長期的には和解を遠ざけかねない。

誰が首相が就任しても、どんな政党が政権を運営しても外交問題が一気に解決するこはないでしょう。

どんな局面にあっても地道で粘り強い信頼関係の構築を続けることこそが、唯一の打開策であることを歴史は教えているのです。

ヒロシマ・ノート

ヒロシマ・ノート (岩波新書)

大江健三郎氏が1963年から65年にかけて広島を訪れた時の体験を綴った随筆です。

1945年8月6日...。
この広島において人類に初めて原子爆弾が投下された日は、日本のみならず人類史においても特筆すべき出来事でした。

ある作家はこの歴史的な出来事を小説として発表しましたが、大江健三郎氏は「ヒロシマ・ノート」という形で後世に残すことを選択したのです。

すさまじい威力を持った原爆が一瞬で広島の町を壊滅させ、約14万人もの生命を奪ったことは周知の事実ですが、こうして文章に書いてみると余りにもあっけない表現です。

また同時に原爆によって形成されたキノコ雲を遠くから眺めているような、傍観者の表現のようにも感じます。

しかしそのキノコ雲の下で唐突に原爆の直撃に会った人びとにとっては、どんな地獄絵図でも表現不可能な、著者によれば"人間の悲惨の極み"ともいうべき状況が繰り広げられていました。

著者が見聞し本書に収録した原爆にまつわる数々の出来事は、どれも悪夢を超えた悲惨なものですが、それでも広島で起きた惨劇の氷山の一角にしか過ぎません。


1963年に広島に降り立った著者は、第九回原水爆禁止世界大会に立ち合います。
そこには政治的な思惑が入り乱れ、遅々として大会が進行しない状況が繰り広げれ、著者はそこに呆然と立ち尽くし虚しさを覚えます。

そんな中で著者は、原爆投下1週間前に赴任し原爆投下直後から現在に至るまで精力的に原爆症治療にあたる広島日赤病院の重藤医院長、そして大会に際して原爆病院の患者代表として挨拶をした宮本氏の2人に出会うことによって、そこに"真の広島の人たち"の姿を見出し、その魅力に引き寄せられてゆきます。

残念なことに宮本氏は数ヶ月後に原爆症によって亡くなることになりますが、大江氏はこの"真の広島の人たち"を"正統的な人間"とも表現しています。

広島の現実を正面からうけとめ、絶望しすぎず、希望をもちすぎることもない、そのような実際的な人間のイメージがうかびあがってくるように思える。
~中略~
まったく勝算のない、最悪の状況に立ち向かいうる存在とは、やはり、このような正統的な人間よりほかはない。

逆に言えば狂気、あるいは絶望の果の自殺や精神的異常から自分自身を救い出すため、広島の人びとが他にとり得る方法が残っていなかったことを意味しています。


本書に度々登場する"人間の惨劇の極み"は、読者にたびたびショックを与えますが、当事者でない私たちが抱いたその印象は時間の経過とともに薄らいでゆきます。
またすでに被爆者の体験談を聞くことが難しいに時代に入っており、それもやがて不可能になるでしょう。

原爆が起こした最悪の惨劇は、本書に限らず多くの人たちによって発掘され、資料や手記といった形で残っています。

われわれに出来ることは、折に触れて繰り返しそうした記録を読むことで、二度と同じ過ちを繰り返していけないと新たに胸に刻むことなのです。

その峰の彼方

その峰の彼方 (文春文庫)

今から10年以上前になりますが、新田次郎氏の山岳小説を夢中になって読んでいた時期がありました。

そんな私にとって本書の作者である笹本稜平氏は、現役作家における山岳小説の第一人者でもあります。

ただし新田氏がノンフィクション小説を得意としていた一方で、笹本氏は山を舞台にした多様なフィクション小説を得意としている点で特徴が異なります。

その中でも「その峰の彼方」は、正統派かつ本格的な山岳小説といえるでしょう。

舞台はアメリカのアラスカ州にそびえる北米最高峰・マッキンリー、近年では先住民の呼び名である"デナリ"が正式名称となっているようです。

実績を残しつつも日本の山岳界に窮屈さと閉鎖感を感じていた主人公・津田は、デナリの魅力に取り憑かれ、アメリカ国籍を取得してデナリの麓にある小さな町・タルキートナでツアー会社を営んでいました。

そんなある日、学生時代からの友人である吉沢の元へ津田が厳冬のデナリで遭難に合ったとの連絡が入ります。

吉沢は急遽日本からアラスカへ飛び、地元のレンジャーたちと津田を救出すべくデナリへと向かうのでした。


ここまでは長い物語の導入部ですが、本作品には山岳小説にある幾つもの要素が取り入れられています。

まず何と言っても外せないのがデナリを舞台としている点です。

デナリはエベレストよりも2700メートル低い山ですが、登山に要する高低差はエベレストに勝り、加えて北極圏に近い高緯度にあるため冷え込みが強く、気圧が低い(空気が薄い)といった厳しい自然条件下にあります。また一方では、独立峰に近い山容と巨大な氷河を兼ね添えた雄大な山でもあります。

つまり山岳小説には欠かせないデナリの美しさと厳しさが物語の中で何度も描写されてゆきます。

そこへ誰も成し遂げていないカシンリッジ・ルート冬期単独登攀を目指した津田の挑戦は、冒険小説としての魅力を充分に備えています。

また遭難し行方不明となった津田を捜索する吉沢たち一行の苦闘は、山岳救助の緊迫感に溢れています。

タルキートナには津田の生還を信じる、出産を控えた妻の祥子、先住民のリーダーであり津田のメンターでもあるワイズマン、津田が登山前に構想してた新しいビジネスのパートナーであり山岳部の先輩でもある高井の姿があります。

他にも挙げればキリがありませんが、ともかく多くの要素を取り入れた本作品からは、著者のかける意欲が伝わってきます。

そして作品自体はかなりの長編になっていますが、何と言ってもクライマックスは津田自身に迫る生命の危機とともに訪れる内面的な経験ではないでしょうか。

作品ではそれをオカルト的な超常現象やサードマンのような心理的作用ではなく、人知を超えた大自然の意志という形で描いています。

ただし作品中でその正体が明らかにされている訳ではなく、その解釈はそれぞれの読者に委ねられています。

ぜひ読み応えのある山岳小説にチャレンジしてみは如何でしょうか。

続・暴力団

続・暴力団 (新潮新書)

前作「暴力団は2011年出版でしたが、2012年には立て続けに「続・暴力団」が出版されました。

前回は暴力団の組織構成、資金調達の仕組みなど基本的な知識を中心に紹介していましたが、今回は現在進行系、つまり最新の暴力団情報を中心に取り上げています。

本書はその中でも全国的に施行された暴力団排除条例(暴排条例)をクローズアップしています。
この条例は、一般人と暴力団の接点を断ち切る、すなわち彼らの資金調達源(シノギ)を閉ざすことで暴力団組織を弱体化させることを目的としたものです。

この条例が登場する以前から暴力団は斜陽産業であり、全国のいたる所で苦境に立たされた暴力団は変質しつつあります。

私たちから見ると暴力団の衰退は好ましい状況のように思えますが、著者(溝口敦氏)は次のように警告します。

今日の暴力団は昨日の暴力団とは違います。昨日の暴力団と思って関係すると大けがを負います。ひと言でいえば、暴力団の一部は兇暴で秘密主義のマフィアに近づいています。
損か得かで動き、近隣住民との関係など、どうでもよくなりました。

つまり追い詰められた暴力団は、生き残るためになりふり構わず犯罪に走る傾向が出てきているのです。

また暴走族に代表される不良少年たちは、警察からの監視や伝統的な習慣の厳しい暴力団に所属せず、関東連合OBに代表される"半グレ集団"を形成し、暴力団と協調、対立を繰り返しながら独自の勢力を築いています。

ちなみに会社間で取り交わされる契約書にも2012年頃から暴排条例に関する一文が入るようになり、私自身も身近に感じていますが、著者はこの条例のポイントを暴力団ではなく、地域の住民を直接的な対象としている点だと指摘しています。

つまり条例では警察が主体となって暴力団を排除するのではなく、住民たちの責務として暴力団を排除しなければならないのです。

その結果として暴力団との関係を絶とうとして恐喝され、最悪の結果として殺害されてしまう事件、逆にその関係を断ち切れず、芸能界から引退せざるを得なかったケースについても具体例を挙げて紹介しています。

極端な例ですが、昭和の名作「男はつらいよ」の主人公・寅さんを現在の法令や条例で定義すると、「テキ屋の渡世人=暴力団の構成員」という図式が成り立ち、一昔前に見られた住民と暴力団の交流は完全に暴排条例ではアウトということになります。

暴力団と一般市民との関係が変わりつつあると同時に、警察との関係も変化が見られます。

暴力団は警察の間には、お互い情報交換し合う癒着の習慣がありましたが、従来の関係性は崩れ、暴力団はメリットのなくなった警察へ情報を提供しなくなり、その結果として検挙率も低下しています。

それどころか従来の暴力団では暗黙のルールで禁じられていた、警察官をターゲットにした殺傷事件さえ起こすようになりました。

そして前作でも紹介されていた「暴力団に出会ってしまったらどうすればよいか?」については、より突っ込んだ内容で言及しています。

本書で具体的に挙げられている有名芸能人やスポーツ選手と暴力団の関係だけでなく、一般市民がふとしたきっかけで暴力団を出会う確率もゼロではありません。

そうした場合の対処法については、著者自身の経験を踏まえながら解説しています。

暴力団を漠然と""として捉えるだけでは不十分であり、現時点における暴力団の実態、そして今後彼らがどのように変質してゆく可能性があるのかという点は、一般市民にとってもいざという時のために知っておきたいところです。

暴力団

暴力団 (新潮新書)

暴力団」。

あるいは「ヤクザ」、「極道」、「任侠」...呼び方によってイメージも異なりますが、その実態を知る人は少ないのではないでしょうか。

著者の溝口敦氏は元警察官でもヤクザでもなく、半世紀近くにわたり暴力団を取材し続けたノンフィクション作家です。

組織の垣根を超えて多くの暴力団を取材し続けた裏世界に精通した作家であり、過去には山口組に関する著書を巡って脅しを受け、左背中を刺され重傷を負った経験を持っています。

本書は暴力団同士の抗争に深く迫ったノンフィクションではなく、今日現在で23団体指定暴力団)、1万8100人の構成員を抱える暴力団の実態を分かり易く解説した1冊です。

まずは山口組に代表される広域団体の仕組み、直系組長(直参)、若頭舎弟といった独自の業界用語の解説にはじまり出世の仕組みなど、馴染みのない人にとって業界独自のルールは新鮮に映ることでしょう。

また企業でいえば売上を得る事業を「シノギ」と呼びますが、伝統的な資金獲得手段として覚せい剤恐喝賭博ノミ行為を挙げています。

さらに昔と違い暴力団系の建設会社が公共事業の下請けに入ることが難しい現在では、解体業産廃処理によっても資金を得ているようです。

続けて入れ墨指詰め(エンコ詰め)といった伝統的な習慣、最近では非課税である新興宗教団体をケースなど今の暴力団を知ることができます。


ここまで解説してき暴力団は日本独自の存在ですが、続いて海外のマフィア(犯罪組織)との特徴を比較する試みもされています。

やはり際立つ違いは、諸外国では組織犯罪集団そのものを違法としているケースが殆どなの対し、日本では暴力団対策法組織犯罪処罰法という法律はあるものの、暴力団の存在そのものは認めている点です。

分かり易いい例を挙げれば、暴力団が繁華街などに看板を掲げて事務所を構えることは容認されており、存在が違法とされている諸外国ではそれだけで摘発対象となる点は大きく異なります。

暴力団とかかわり合いを持たずに人生を過ごすに越したことはありませんが、もし思いがけず出会ったらどうしたよいか?

そうした場合の対処法に関しても、経験・知識豊富な著者がアドバイスを送っています。

身近に暮らしながも目に見えにくい暴力団に対する基礎知識を与えてくれる本書は、ある種のサバイバル指南といえるかも知れません。

文明に抗した弥生の人びと

文明に抗した弥生の人びと (歴史文化ライブラリー)

最近、私の中ではちょっとした考古学・古代史ブームが来ています。

具体的には1万年にも渡る縄文時代、そして1000年あまりの弥生時代、それに続く古墳時代から天皇を中心とした中央集権体制が整う8世紀中盤くらいまでの時代です。

本書は2017年7月に発刊された駒沢大学文学部准教授を勤める寺前直人氏が、弥生時代の実像に言及した1冊です。

弥生時代といえば薄手で堅い弥生式土器、そして何よりも大陸から伝わった稲作、つまり農耕社会が本格的に成立した時代です。
その他にも青銅器鉄器が用いられるようになった点も特徴です。

その結果として水田稲作が安定的な食糧供給、つまり人口増加をもたらすと同時に、「持つ者と持たざる者」という社会的・経済的格差を生み出したというのが大まかなイメージです。

しかし実際には、弥生時代の解釈を巡って専門家たち同士の間でも議論が行われている状態であり、先ほどの解釈が必ずしも正しいと立証されていないのが最先端の考古学らしいです。

その代表例を挙げると、弥生時代の母体として縄文時代があるという連続性を重視する見方と、(稲作や青銅器の伝播をはじめとした)大陸からの影響が縄文文化を一気に駆逐してしまった、つまり縄文~弥生時代間は断絶しているという見方があります。

著者の寺前直人氏は大枠では前者の説を支持する立場をとっていますが、一例の発見のみを挙げてそれを立証することは難しく、水田や土器、土偶などさまざまな角度からそれらを検証する必要があります。

具体的に着目した点は目次からも大まかに掴むことができます。

  • 弥生文化を疑う
  • 弥生文化像をもとめて
    • 弥生文化の発見
    • 二つの弥生文化像
    • 農耕社会の定着
  • 水田登場前史
    • 縄文時代とは?
    • 縄文時代の儀礼とその背景
    • 土偶と石棒
  • 水田をいとなむ社会のはじまり
    • 農耕社会の登場
    • 水田稲作とともにもたらされた道具と技術
    • 狩猟採集の技の継続と発展
    • 水田稲作を開始した社会の人間関係
    • 財産と生命を守る施設
  • 東から西へ
    • 水田稲作開始期の土偶の起源
    • 弥生時代の石棒
  • 多様な金属器社会
    • 金属社会と権力
    • 青銅製武器の祭器化をめぐって
    • 銅鐸と社会
    • 石器をつかい続けた社会
  • 文明と野生の対峙としての弥生時代

特筆すべきは、青銅器をはじめとした石器よりも便利な金属が大陸より伝播したのちも、弥生人はあえて不便な石器を使い続けた形跡があるという説です。

その結論に至るまでの考古学的な発見、および論証については本書を読んでからのお楽しみですが、いずれにせよ読者の知らなかった新しい弥生時代のイメージを与えてくれることは間違いありません。

ぼんやりの時間

ぼんやりの時間 (岩波新書)

忙しい日々を過ごしている社会人や学生、あるいは主婦は多いのではないでしょうか。

近代化と都市化が人びとに便利な暮らし提供するようにしました。
そして人間社会は効率化を追い求め、やがて人間の心を破壊してゆくと著者の辰濃和男氏は警告しています。

仕事や家事、あるいは勉学に追われるというのは昔から変わらないのかも知れませんが、世の中の流れは最近になってますます高速化しています。

代表例としてインターネットの普及が挙げられます。
今さらインターネットの便利さを説明する必要もありませんが、一方で電車に載っている時間や食事の時間、歩いて移動している時間さえもゲームやSNSに没頭する人びとを生み出しました。

本人たちにすればそれは"息抜き"の時間と主張するかも知れませんが、著者の主張する"ぼんやりの時間"とは「何もしない・何も考えない時間」のことを指します。

瞑想とも少し違い、たとえば土手にごろりと寝転がって景色や空をぼんやりと眺めて1日中過ごすというような行為です。

とは言いえ生活のために長時間労働が必要な人も多いはずであり、著者自身も長い間、新聞社で昼夜関係なく働いていた経験を持っています。

1日のうち、1ヶ月のうち数度はたとえ短くともぼんやりする時間をとることは決して無駄ではなく、むしろ生きる糧になるはずだと読者に呼びかけています。

第1章では、騒がしい世間に流されず"ぼんやりの時間"の大切さを体現した偉人たちを紹介しています。紹介されている人たちはざっと以下の通りです。

  • 哲学者・串田孫一
  • 詩人・岸田衿子
  • 作家・池波正太郎
  • 詩人・高木護
  • 作家・H・Dソロー
  • 作家・深沢七郎
  • 僧侶・山田無文

中には長い間を放浪の旅で過ごした人、文明に背を向けて自給自足で暮らした人など少し極端な例もありますが、著者に言わせればかれらは"ぼんやりの達人"と言えるでしょう。

第2章では、読者にとっても現実的なぼんやりな過ごし方を紹介しています。
散歩や温泉、または静かで心安らぐ自分の居場所を見つけるなど、比較的容易な方法を例を交えながら解説してくれます。

最後の第3章では「ぼんやりと」と響き合う一文字として、""、""、""、""、""について考察しています。
全編に渡って共通することでもありますが、著者は"ぼんやり"を科学的にではなく、哲学的な視点で考察しているのが特徴であり、心を破壊しようとする巨大な近代へ対抗し、よりよい人生を送るために"ぼんやりする権利"の大切さを説いています。

自分の生き方を見つめ直すためにも、忙しく毎日を過ごしている人にほど手にとって欲しい1冊です。

読書力

読書力 (岩波新書)

以前、「読む筋トレ」を読書を指南する本(実際には筋トレを指南する本だった)と勘違いして手にとったことを書きましたが、今回の「読書力」は正真正銘の読書指南本です。

もちろん私自身は人に読書を勧めたいと思っていますが、教育学者である著者の齋藤孝氏のトーンはさらに強い口調です。

読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき「技」だと考えている。
~ 中略 ~
読書力がありさえすればなんとかなる。数多くの学生たちを見てきて、しばしば切実にそう思う。

このように今の若者の間で廃れてしまった読書の習慣を復活させるための啓蒙書というのが本書の立ち位置になっています。

なぜならば著者自身、そして教育者としての経験から読書は「自分をつくる最良の方法だから」を理由として挙げています。

そして資源を持たない日本にとって読書力の低下は、国そのものの地盤沈下に直結するとも断言しています。

スマホなどを使ってのSNSやゲームの利用時間で日本は世界のトップレベルだと思いますが、それが国の経済や文化の発展、さらには国民の幸せに直結するとは思えず、むしろ悪い方へ向いつつあるのではないかという疑問があります。

もちろんインターネットによる恩恵も多く、良い面・悪い面の双方を持っていることは確かです。

私自身も本から多大な影響を受けていることは間違いなく、著者の主張するように学校教育の場に読書を習慣化するプログラムを組み込むという点はまったく賛成です。

現状はせいぜい夏休みや冬休みの宿題として読書感想文がある程度であり、著者は読書力を培うためには「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」を4~5年以内で達成することをラインとして挙げていることからも分かる通り、まったく不十分な状態です。

一方でいきなり読書を習慣化するのも経験の少ない人にとっては敷居が高く、著者はスポーツの上達方法に例えて具体例をステップごとに分けて解説してくれています。

さらに読書の内容をより自身へ定着させるための方法として、本へのラインの引き方、読書会の進め方などを紹介しており、すでに読書が習慣化している人にとっても有意義なアドバイスになるはずです。

最後に名著百選ではないと断わった上で、著者の経験を踏まえながらおすすめの文庫本100タイトルを簡単な解説とともに掲載しており、読書習慣のあるなしに関わらず参考になるのではないでしょうか。

本書は岩波新書ということもあり、読書習慣のない人がいきなり手に取る確率は低いように思えます。

少なくとも大学生、または教育に携わる人たち、あるいは私のように読書を定期的に続けている人向けに執筆されており、そうした人を通じて読書習慣を周りの若者たちへ広げてほしいという願望が込められているのではないでしょうか。

即物的な効果を期待して本を読むのは好きではありませんが、読書が人生を豊かにしてくれるのもまた事実です。

このブログは自分の読んだ本の備忘録としての意味合いが強いですが、それに加えてわずかながらも世の中へ読書の啓蒙ができればそれに越したことはありません。

縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか?

縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか? (歴博フォーラム)

本書は、国立歴史民俗博物館が編集した第99回歴博フォーラム(2015年開催)「縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか?」の記録集です。

つまり縄文時代を解説した書籍ではなく、パネリストたちが最新の研究成果について講演を行った内容が収録されています。

私の持つ縄文時代とは、竪穴式住居に住み縄文土器土偶を制作し、狩猟漁猟採集によって食料を自給していた素朴ながらも平等な社会というかなり単純なイメージを持っていました。

一口に縄文時代といっても1万年以上も続いた時代であり、本書の中でも指摘されている通り、そうしたイメージは21世紀の平成時代と8世紀の平安時代を同じに見てしまう危険性があります。

そして実際の縄文時代は、その日暮らしをしていた貧しい人々ではなく、優れた技術と文化を持ち、少なくとも複雑な社会的を構成する過程にあった多様な時代であったことが判明しています。

第99回歴博フォーラムで登壇した10人の講演内容は以下の通りです(カッコ内は登壇者)。

  • 縄文時代はどのように語られてきたのか(山田 康弘)
  • 縄文文化における北の範囲(福田 正宏)
  • 縄文文化における南の範囲(伊藤慎二)
  • 東日本の縄文文化(菅野 智則)
  • 中部日本の縄文文化(長田 友也)
  • 西日本の縄文社会の特色とその背景(瀬口 眞司)
  • 環状集落にみる社会複雑化(谷口 康浩)
  • 縄文社会の複雑化と民族誌(高橋 龍三郎)
  • 縄文社会をどう考えるべきか(阿部 芳郎)
  • 総括-弥生文化から縄文文化を考える(設楽 博己)

一括りに縄文式と言われますが、実際にはお互いの地域が影響しあって多様な土器が生まれたこと、東日本と西日本では地域間の交流がありながらもその生活様式が異なること、また中央に墓(または儀式の場)を配置した大規模な環状集落が営まれていたことなどが紹介されています。

本書には発表で実際に使用された写真や図なども掲載されており、一般読者にも充分に伝わる内容になっています。

また各自の講演テーマも相互に関係し合っているため、一貫性を持って読むことができます。

つまり第一線で活躍する研究者による最先端の研究成果を誰でも読める形にした本書は、贅沢な1冊なのです。

出雲国誕生

出雲国誕生 (歴史文化ライブラリー)

7世紀はじめに推古天皇のもと聖徳太子らが中心となり、中国の文化や制度が積極的に取り入れられました。

これは国を治めるためにで実施されている律令制を日本に導入しようとする試みでした。

政争によりその試みは道半ばで挫折しますが、それは一時的なものに過ぎず、聖徳太子の死後も律令制国家への体制構築は着々と進みんでゆきました。

そして701年、天武天皇を中心として大宝律令が発布されます。

これは日本ではじめて全国区の法と制度が確立したことを意味し、中央には平城京が建設され、地方へ国司が派遣されました。

ちなみに今なお続く元号制度も大宝律令により定められたものです。

一方で歴史学、考古学上においては、制度が施行された詳しい実態は解明途中という段階です。

713年、元明天皇によって60余りの諸国に、地名の由来や特産物、古老が語る伝承などを報告する風土記を中央政府へ提出するよう命じますが、今ではその殆どが失われ、出雲国、常陸国、播磨国、豊後国、肥前国が残るに過ぎません。

中でも写本ではあるものの、ほぼ完全な形で伝わるのは「出雲国風土記」だけであり、この記録の研究と現地で行われた発掘調査を元に、古代の地方都市成立の実態を解明しようと試みたのが本書です。

地方の中心都市には政治の中心となる国府が置かれ、その周辺には国分寺・国分尼寺軍団工房などが設置され、真っすぐで幅の広い街道が整備されました。

こうした施設の発掘調査は出雲(島根県松江市)だけでなく、風土記が失われた日本各地でも同様に行われており、本書ではこうした研究成果も併せて紹介しています。

著者の大橋泰夫氏は島根大学の教授として現地の発掘調査にも関わっており、本書ではこれら施設の構造から配置関係、また利用の実態などを丁寧に解説しています。

それだけに専門的な内容が多いと思われますが、これを読者が丁寧に読み込んでゆくことで教科書だけでは分からない古代国家の姿がリアルに浮かび上がってくるのです。