本と戯れる日々


もうすぐブログで紹介してきた本も1000冊になろうとしています。
ジャンルを問わず気の向くままに読書しています。

本田宗一郎と「昭和の男たち」

本田宗一郎と「昭和の男たち」 (文春新書)

自動車メーカとしての「ホンダ」、そしてその創業者としての本田宗一郎

数々の伝説的なエピソードの中で、昭和36年(1961年)に果たしたマン島TTレースの初優勝をもっとも有名なエピソードとして挙げる人が多いのではないでしょうか。

当時のマン島TTレースは世界でもっとも権威のあるバイク競技であり、ようやく戦後の復興期から脱しつつあった当時の日本が優勝することなど、世界中の殆どの人が予想していませんでした。

しかも従来のタイムを大きく更新し、125cc、250ccの両クラスにおいて1~5位までを独占する"圧倒的な優勝"でした。

今でこそ日本の技術力が世界的に評価されていますが、当時のようやく成長期に入ったばかりの日本の技術力は欧米に比べて大きく遅れている状態でした。

その中で本田宗一郎と中心とした「ホンダ」の成し遂げた功績は、単に一企業としての評価に留まらず、国家的な偉業と評価しても決して大げさではありませんでした。

本書は、日本のバイクメーカの中でさえ後発だった「ホンダ」が戦後荒廃の中で創業し、わずか15年足らずの間に自社開発したエンジンで世界の頂点を極めるまで、つまりホンダ初期の成長期を描いたノンフィクションです。

そこには先見性のある技術力や優れた販売戦略、緻密な経営によって世界の頂点を極めたというスマートなイメージはありません。

むしろ泥臭い根性と情熱で成し遂げた"昭和スポ根"のような風景が見えてきます。

怒りにまかせて職人を殴りつける宗一郎、馬力の上がらないエンジンとの格闘、未知の海外レース環境に苦戦するチームなど、何もかもが困難の連続であり、ホンダ社員たちは衝突、葛藤を繰り返しながらも、その壁を1つ1つ乗り越えてゆきます。

それはまるで目標に向かって一直線に進む純粋なエネルギーのようなものです。

ホンダの躍進は、戦後に復興と成長してゆく日本の姿と重ねられることが多いですが、まさしくその通りだと思います。

一方で現在において、当時のホンダと同じような状況を再現するのは困難だと思わずにはいられません。

連日工場に泊まりこんで食事とわずかな睡眠以外すべてを仕事に捧げる毎日、失敗すれば容赦なくハンマーで殴られる理不尽な職場は"ブラック企業"と今日であれば言われるでしょう。

しかし当時は娯楽はおろか物資さえ不足しており、働く場所があるだけで幸せだった時代だったのです。

豊かであっても未来の幸福を確信するのが難しい現代、貧しくても明日の可能性を信じることの出来た戦後の日本。

現代の私たちから見ても、そんな彼らの姿が羨ましくさえ思ってしまいます。

高邁な理論ではなく、ダイレクトにそしてシンプルに"働く"ことの意味を教えてくれるような1冊です。

孟子

孟 子 (講談社学術文庫)

以前ブログで貝塚茂樹氏の「孔子」を紹介しましたが、孔孟思想と称されるように儒教において孟子は、孔子に次いで重要な人物です。

ちなみに「孟子」は、儒家・孟子の人名であり、彼自身が書き残した著書名でもありますが、本書「孟子」は、"孟子自身の生涯"に触れつつも、その大部分は"著書としての孟子"を解説しています。

孟子は孔子の死後約100年後に生まれた人物のため2人の間に直接的な師弟関係はありません。
また孟子の生きた戦国時代は、孔子の生きた春秋時代と大きく異なる点がありました。

それは中国思想の黄金期ともいえる諸子百家が活躍した時代だったということです。

百家争鳴といわれるように、墨家法家道家縦横家などに代表される学者や思想家が諸国を遊説し、戦国七雄に代表される国々も身分や出身地にこだわらず優れた人物を求めていました。

それは一人静かに学問や思想を追求する時代は終わり、各派が積極的に教説をアピールし続けなければならない時代に入ったことを意味します。

そのためか書物としての"孟子"には、他流派との論争、諸国の王や大臣を説き伏せる場面が多く登場します。

つまり体系的な儒教の教えというよりも、レトリックを駆使して儒教の正当性を主張する内容が多く見られ、"学者"としてよりも"雄弁家"として孟子が強く印象に残ります。

魏の恵王が政策を問う場面において孟子が例えとして用いたのが「五十歩百歩」であり、現在も有名なことわざとして使われています。

ほかにも「去る者は追わず、来る者は拒まず」といった言葉も孟子から生まれています。

中国古代史の第一人者である著者(貝塚茂樹氏)の手による「孟子」のすぐれた現代語訳、そして簡素で分かり易い解説からなる本書は、孟子を知るためのベストな1冊だと思います。

マンボウ恐妻記

マンボウ恐妻記 (新潮文庫)

タイトルから分かる通り、北杜夫氏が夫婦をテーマに執筆したエッセーです。

これまでも北氏のエッセーでたびたび妻(喜美子さん)が登場しますが、いずれも本書のように口論でも腕力でもかなわない文字通り"恐妻"として登場します。

しかし北氏は、躁鬱病であることで有名です。

憂鬱のときは気力が沸かず、無口で原稿も殆ど書けない状態に陥ります。

いったんになるとバリバリと仕事をこなし、それ以外にも次々と新しいことを始めます。

その結果、作家としての地位を築き上げながら借金を重ね、破産寸前まで株投資にのめり込むことになります。

普通に考えれば、これは尋常なことではありません。

それでも"恐妻"は北氏を見放すことはありませんでした。

つまりそんな北氏と40年にわたり暮らし続けた喜美子さんは、"恐妻"どころか"賢妻"ということになり、やはりタイトル自体が北氏ならではのユーモアであることが分かります。

北氏は精神科医としての資格と経験を持っており、あとから自らの躁鬱状態を冷静に見つめてユーモラスにしてしまうのが、彼のエッセーの真骨頂であるといえます。

1人娘の斉藤由香氏すらあとがきに「よくぞ、この夫婦は離婚しなかったなと思う。」と書かれるほど波瀾万丈に満ちた夫婦生活を楽しく読むことのできるエッセーです。

パレスチナ

パレスチナ新版 (岩波新書)

来年には第二次世界大戦が集結してから70年が経とうとしています。

日本も枢軸国として戦争に参加し多くの犠牲者を出したましたが、日本人の大半が戦争を知らない世代に入っています。

しかし20世紀後半~21世紀に入っても世界から戦争が絶滅したわけではなく、世界の各地が戦争が続いています。

本書のタイトルになっている「パレスチナ」はその代表的な例といえるでしょう。

"パレスチナ"は古くは"カナン"と呼ばれ、この地にユダヤ人によって建国されたのが"イスラエル"です。

パレスチナとは地域を指す言葉で、正確な国境が存在していたわけではなく古くより"カナン人(=パレスチナ人)"と呼ばれる人たち(人種的では大半がアラブ人たち)が暮らしてきました。

そこへイギリスをはじめとした西欧諸国がユダヤ人を後押して突然入植し始めたわけですから、元々住んでいたパレスチナ人との間に衝突が起こるのは、当然の結果だといえます。

中東戦争と呼ばれるイスラエルとアラブ諸国との戦争は、すべての原因がそこにあるといっても過言ではなく、著者は「パレスチナ問題を理解するためには、前世紀末(19世紀)からの現代史を見るだけで充分だと私は思っている。」と断言しています。

本書はイスラエル、そしてパレスチナ人キャンプと何度も取材に訪れた広河隆一氏が、イスラエルを建国したユダヤ人、そしてパレスチナ人との関係を中心に、それを取り巻くアメリカを含めた西欧諸国、そしてアラブ諸国を含めた戦争の真相へ迫るために書いた1冊です。

われわれ日本人が「パレスチナ問題」と認識しているのは、多くの先入観、そして偏った報道に歪められ、何よりも前提となる知識を持っていないことに本書は気付かせてくれます。

例えば"ユダヤ人"という言葉1つとっても、我々日本人は黒い服と帽子をかぶった白人を思い浮かべる人が多いと想いますが、実際のユダヤ人には白人、アフリカ系(黒人)もいれば、インド人、中国人に代表される黄色人種の人びとさえいるのです。

"ユダヤ人"とは、ユダヤ教徒という宗教的な集団を意味し、キリスト教徒やイスラム教徒のユダヤ人は存在しないのです(つまりイスラエルから"ユダヤ人"とは認められません)。

また多くのパレスチナ人の土地を一方的に没収し、そこへユダヤ人が入植したため多くの難民が発生し、イスラエル国内に残ったパレスチナ人たちも経済格差に苦しめられています。

さらにパレスチナ人たちは土地を没収され、理由もなく警察に拘束されても"合法"とされる法律の中で生きているのです。つまりイスラエルにはユダヤ人以外に"法の平等"は存在しません。

もっとも悲劇的なのは、イスラエルによる無差別空爆、無差別虐殺であり、テロリスト掃討という名目の元に無実の多くの人間が殺害されているのです。

パレスチナ人たちもPLO(パレスチナ解放機構)を組織してイスラエルへ武力闘争を続けていますが、圧倒的な軍事力を誇るイスラエルとの戦力差は歴然としており、自爆テロというさらなる悲劇を生んでいます。

イスラエルにとってもユダヤ人の生存を賭けた戦いである以上、一切の妥協は許されないという姿勢も理屈では成り立ちますが、それにしても多くの市民が犠牲になる現状には疑問を抱かざるを得ません。

本書は1987年に出版されて30年近くが経過しようとしていますが、状況が改善しているとは言えず、平和からはほど遠い状況であることに変わりがありません。

つい最近(2014年7月23日)にもイスラエルよるパレスチナ・ガザ地区爆撃によって多くの市民が犠牲になり、国連の人権理事会でイスラエルを非難する決議案の採決を行った際に、日本政府は"棄権票"を投じました。

投票結果が賛成29、反対1(アメリカのみ)、棄権17だったことを考えると、実質的に日本は完全にイスラエル側(アメリカ含めた西欧諸国)の立場であったことが分かります。

わが国の政府が過去の戦争から学ぶことのできない愚かな決断を行ってしまったことが非常に残念です。

日本政府は人道的支援の立場からパレスチナ難民への支援を行っていますが、世界でもっとも悲惨な戦災が及んでいるも関わらず、国連平和維持活動(PKO)先として候補にすら上がりません。

パレスチナ問題を深く知ってもうために、1人でも多くの日本人に読んでもらうことを願います。

高野長英

高野長英 (岩波新書)

鎖国状態の日本へ突如来航した黒船が当時の日本人へ大きな衝撃を与え、明治維新へのきっかけとなった。

漠然とこんな幕末のイメージを持っている人は多いのではないでしょうか?

たしかに黒船来航は象徴的な出来事ではありましたが、この出来事によって日本人たちが突然危機感を抱き始めて、新しい思想に目覚めたわけではありません。

黒船が来航する以前から、アジアで進行しつつあるヨーロッパ諸国の帝国主義植民政策に強い危機感を抱き、優れた技術を外国から積極的に取り入れて日本を近代化すべきと考えていた知識人は決して少なくはありませんでした。

高野長英は、その知識人たちの中でも代表的な役割を担い、佐幕派尊王派といった垣根を超えて幕末の多くの志士たちへ思想面で多大な影響を与えました。

高野長英といえば同じく蛮社の獄で幕府から弾圧された渡辺崋山と一緒に言及されることが多いですが、両者が活躍した内容はだいぶ異なります。

渡辺崋山は田原藩の家老という立場で開明的な考えを持ち、蘭学者たちのパトロンや指導者として活躍しました。

一方の高野長英は蘭学医を目指すためシーボルトの門をたたき、やがて武士としての家督さえも捨ててヨーロッパ列強国の技術や政策を精力的に学び翻訳を行った学者として活躍した人物です。

この2人に共通するのはその考えがあまりにも先進的であり過ぎ、当時はまだ盤石だった江戸幕府から反体制の人間として弾圧され、非業の死を遂げたということです。

ただし渡辺崋山は当時としては開明的な思想を持っていましたが、高い身分の武士であったことから最後まで封建制度の枠を脱却することが出来ず、主君(藩主)のために切腹したのに対し、高野長英は周到な準備の上で脱獄し、長く続いた潜伏生活の中でも自首を考えたことはありませんでした。

華山も長英も蛮社の獄が鳥居耀蔵を中心とした幕府内部の権力争いの犠牲者であることを知っていましたが、その立場や考え方には大きな違いがあったといえます。


長英は明治維新後に正四位を追贈されたことからも分かる通り、その死後に評価された人物です。

そのため伝記にある長英の姿は美化され、事実の信憑性が疑われるものが混じっているようです。

本書は信頼できる史料を検証し、伝聞といった不確かな要素をなるべく排除して書かれた、高野長英の等身大の姿に迫ることを目的に書かれた伝記です。

著者は蘭学に専念するために借金を重ね、酒と遊興のために浪費する長英の気質を、後世の学者である野口英世になぞらえて評価している部分などは、思わずニヤリとしてしまうほど説得力があります。

日本史好きの読者なら、幕末前夜に活躍した1人の偉大な蘭学者の伝記として是非抑えておきたいところです。

ブナの森を楽しむ

ブナの森を楽しむ (岩波新書)

山道を車で走行していると、もっとも目にするのは整然とそびえ立つ杉林です。

もちろん人工的に植えられた木々であり、そこは薄暗く野生動物の住処という雰囲気は微塵も感じられません。

かつてブナは日本の森を象徴する代表的な木であり、ヒトを含めた多くの動物や昆虫たちの食料をとなり、そして多様な生態系を育んできました。

ところがブナを木材という商品価値で見ると、その価値の低さから急速に伐採されてその姿を消してゆきました。

特にブナの原生林に至っては殆ど残されておらず、白神山地世界遺産に指定されたことからもその希少性が分かります。

本書は長年渡り森を研究のフィールドをしてきた著者(西口親雄氏)が、ブナの森の魅力を余すことなく伝えた1冊です。

専門的な内容が含まれるものの、ブナの特徴や見分け方から紹介してくれるため、一般読者でも取っ付き易い内容になっています。

ブナの木と共に暮らす日本特産種の昆虫たち、そこで行われる食物連鎖といった話題から、ヨーロッパのブナ林との比較、後半には森林管理に関する提言や、森を守るボランティア活動といった政策面についても言及しています。

例えばブナは多くの野生動物にとって貴重な食料源であり、ブナを中心とした本来の森が残されていれば秋に人間を襲うクマの被害は少なくなるでしょうし、杉一辺倒の人工的な針葉樹林ではなく、根をしっかりと張る広葉樹が植えられていれば、土砂災害を軽減することが出来たかも知れません。

さらに世界遺産に登録された白神山地へ観光客が押し寄せる現状にも苦言を呈しおり、あとがきでは貴重なブナの原生林を保存するために次のよう書いています。

日本のブナ林のなかでどこか一ヶ所ぐらい、入山禁止の原生林があってもよいのではないかと思う。その条件をもっともよく備えているのが、白神山地といえる。
しかし、白神山地のブナ林が、朝日連峰、熊栗山・裏八幡平・八甲田連峰のブナ林より、とくにすぐれているとは思えない。なぜおおぜいの人が白神山地に入りたいのか、理解に苦しむ。

~中略~

また一般の登山家に申したい。東北には、楽しいブナの森がいっぱいある。なにも白神まで行く必要はない。白神はクマゲラに返そうではないか。

森林と身近に接していない私を含めた多くの日本人にとって、ブナ森の本当の価値を気付く機会は殆どありません。

本書は、そのような読者の視野を広くしてくれる貴重な本ではないでしょうか。