本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

ロング・ロング・アゴー



重松清氏の短編が6つ収録されている文庫本です。

何気ない日常を切り取って物語へと綴ることに長けている著者ですが、本書に収められている作品は少年・少女の日常、またはかつての日常を切り取っています。

  • 転校で別れた友達
  • 小さい頃一緒に遊んだ年上の友だち
  • 印象に残っている担任
  • 初恋の相手
  • 親戚の名物おじさん

本書の中で扱っている題材を並べてみましたが、誰にでも子どもの頃の思い出として当てはまるものがあるのではないでしょうか。

かつての自分がそのまま主人公のように当てはまる読者もいるかも知れません。
それくらい身近な出来事がテーマになっている作品が多く、かつ共感と感動を呼べるストーリーへと昇格させる著者の技量には舌を巻くしかありません。

かつて毎日遊んだ友だちとも大人になれば会う機会が滅多にないという人も多いはずです。
場合によっては会えずじまいで永遠の別れを経験するかも知れません。

それでも多感な時期を一緒に過ごしたかつての友は、心の中で大切な位置を占め続けるはずです。

何故なら彼らの存在は、大人になり住む場所や付き合う友人が変わったとしても、そこに至るまでの自己形成に多大な影響を与えてくれたはずだからです。

どの作品も自分の子どもの頃を思い出しながら読んでしまい、それでいて少しずつ違った余韻を与えてくれる秀逸な作品ばかりです。

そして読み終わってから、ふと少年の頃の自分がこの作品を読んだらどんな感想を持っただろうという空想が湧いてくるのです。

友だちと毎日学校や放課後に遊ぶことが当たり前で、そんな日々が終わることなど頭によぎることもなかった頃の自分には、本作品を読んでもピンと来なかったかも知れません。

読んでくれるかは分かりませんが、作品に登場する主人公たちと同じ歳くらいの娘に本書を勧めてみたいと思います。

なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか



八幡神社は日本国内に7817社あるとされ、八幡神社八幡宮若宮神社などが該当します。

その数は2位の伊勢信仰系列の4425社を引き離し、圧倒的な1位に君臨しています。

個人的には、石清水八幡宮で元服した"八幡太郎"で有名な源義家にはじまり、源氏の氏神から必勝祈願を願う武将たちが信仰する神社へと発展したという印象があります。

一方でそこで祀られている八幡神は、「古事記」や「日本書紀」にまったく登場しません。

日本には八百万の神が存在すると言われますが、この2つの書物(記紀神話)に登場する神は327柱に過ぎないことを考えると不思議なことではないのかも知れません。

その八幡神は海外から渡来してきた神とされ、新羅(今の韓国)からの渡来人がもたらした信仰を起源とするという説が有力です。

やがて東大寺と密接な関係を持つようになり、仏教と強く結びつくことで八幡大菩薩としても崇められるようになります。

それが仏教の布教という国家的事業の後押しもあり、全国へ広がっていったという経緯を持っています。

本書では八幡神社のほかに10神社についても同じように、その起源や祀られている神を系統だって説明しています。

  • 天神(天満宮、天神社、北野神社など)
  • 稲荷(稲荷神社、宇賀神社、稲荷社など)
  • 伊勢(神明社、神明宮、皇大神宮、伊勢新宮など)
  • 出雲(出雲大社、出雲大神宮、気多大社、大國魂神社など)
  • 春日(春日大社、春日神社、吉田神社など)
  • 熊野(熊野神社、王子神社、十二所神社、若一王子など)
  • 祇園(八坂神社、須賀神社、八雲神社、津島神社、須佐神社など)
  • 諏訪(諏訪神社、諏訪社、南方神社など)
  • 白山(白山神社、白山社、白山比咩神社、白山姫神社など)
  • 住吉の信仰系統

案内板によってそこに鎮座する神社の由来を知ることができても、その神社の属する系統を知る機会は殆どありません。

そうした意味で本書は有意義であり、日本人であるならば知っておいて損はないと言えるでしょう。

平成史



巻末に年表が掲載されているものの、本書の内容は"平成"という時代を著者(保阪正康氏)の視点から総括した内容となっており、いわゆる年表に沿った内容ではありません。

新書という分量を考えると、あらゆる視点から平成を論ずることは不可能ですが、それでも話題は比較的多岐に渡っている印象を受けました。

著者は昭和・平成で3つずつキーワードを挙げており、本書を読み解くヒントになっています。

昭和

  • 天皇(戦前の神格化天皇、戦後の人間天皇、あるいは象徴天皇)
  • 戦争(戦前の軍事主導体制、戦後の非軍事体制)
  • 臣民(戦前の一君万民主義下の臣民、戦後の市民的権利を持つ市民)

平成

  • 天皇(人間天皇と戦争の精算の役)
  • 政治(選挙制度の改革と議員の劣化)
  • 災害(天災と人災)

年号と密接に結びついるもの、それでも"天皇"というキーワードが2度出てくるのは注目すべき点です。

著者は戦前生まれであり、少年時代に戦争を体感している世代です。
そうした年代の人たちにとって天皇は、大元帥、のちに日本の象徴という2つの時代を経験していることになり、それだけに天皇へ対する思い入れが若い世代より深い印象を受けます。

つまり著者は、近代史においては天皇の言動や立場を分析することにより時代が見えてくるという歴史観を持っています。

一方で政治についてはかなり辛辣な意見を持っているようです。
特に1994年(平成6年)に導入された小選挙区制比例代表並立制が元凶であるとし、
「思想を持った政治家が敗者となり、生活次元の利害関係に長けている者が勝者となる」
と断言しています。

いずれにせよ平成が終わり近い未来に戦前・戦中を知る世代がいなくなり、日本には戦争を経験したことのない人びとのみが暮らす国になります。
つまり真の意味で「戦後」と呼ばれることはなくなるのです。

自分が生きている時代が、歴史の流れの中からどのような時代に位置するのかを考えるのは、誰にとっても必要ではないかと考えさせてくれる1冊です。

裁判官の人情お言葉集



本ブログでも紹介した「裁判官の爆笑お言葉集」の第二弾です。

まずは裁判官の印象に残る"お言葉"が紹介され、その裁判のきっかけとなった事件やその背景が紹介されてゆく構成は前作と同じです。

数々のエピソードが掲載されてきますが、その一部を紹介してみたいと思います。

  • 「あまりに弁解が過ぎると、被害者の家族は怒り、裁判所は悲しくなります。」
危険運転で殺人未遂、危険運転致死傷の罪に問われながも言い訳がましい説明を続けた被告人へ対しての言葉です。
おそらく裁判官の腹の中は怒りに煮えくり返っていたに違いありませんが、感情に左右されず法に忠実であることを求められる立場の人間が持たねばならない自制心との葛藤が垣間見られます。

  • 「久しぶりでしょう。息子さんを抱いてください。子どもの感触を忘れなかったら、更生できますよ。」
妻と幼い息子がいながら犯罪に手を染めた被告人へ対しての言葉です。
ドラマの1シーンのようにジーンとくる言葉です。

  • 肩の力を抜いてほしい。90点でなく、60点でもいいんじゃないかな。
育児で重度のノイローゼになり、長男を死亡させた被告人へ対しての言葉です。
社会的にエリートとされる裁判官から人間の弱さを認めるセリフが出てくると良い意味で意外性があります。まるで相田みつをのような一言です。


1つ1つのエピソードは2~4ページでまとまっており、ちょっとした時間で少しずつ読める本のため手軽に手にとってみてはいかがでしょう?

バッタを倒しにアフリカへ



まず本書で目を引くのは、タイトルと奇抜な格好をした著者です。

ただし著者の前野ウルド浩太郎氏は、趣味がコスプレの人でも芸人でもない、バッタを専門に研究する昆虫学者です。

日本では制度的な問題もあり、学問だけで生計を立てるのは不可能といえるでしょう。
研究者であろうと学者であろうと、自分が発見したことを社会へ還元することを求められます。

その代表的なものが"論文"ですが、論文が直ちに世紀の大発見やノーベル賞につながることは殆どなく、地道な活動が必要とされます。

それでも研究に専念しながら安定した給料をもらえる常勤研究者となれるのは一握りというのが厳しい現実なのです。

著者はポスドク、つまり任期付研究員として任期まであと数ヶ月という不安な日々を送っていました。

その時の心境を著者は次のように綴っています。

進むべき道は二つ。誰かに雇われてこのまま実験室で確実に業績を積み上げていくか、それとも未知数のアフリカに渡るか。安定をとるか、本物をとるか。どちらに進んだほうが自分のなりたい昆虫学者、ファーブルに近づけるだろうか。アフリカに渡ってもやっていける勝算があれば・・・・。

ただこう考えている時点で、彼の中では結論が出ていたと言えます。

アフリカで農作物に被害をもたらしているサバクトビバッタを研究している著者にとって、現地でのフィールドワークは何よりも魅力的なものであり、これこそファーブルも実践していたスタイルだったからです。

ただし研究チームを結成するような予算はどこにもなく、イスラム教圏であるモーリタニアに単身で乗り込むことになります。

もちろんインフラは充分に整っておらず、日本語はもちろん英語も殆ど通じない国です(モーリタニアにはフランス語が公用語)。

つまり言語も気候も文化もまったく異なる国での生活は、ハプニングだらけの日々となります。
しかも研究対象は自然であり、日本の約3倍の国土面積を持つモーリタニアの砂漠でバッタの集団を発見するのは容易なことではありませんでした。

ストレスやホームシックで心が折れそうになる中、本書で目を引くのが著者のユーモアセンスです。

トラブルを単に悲劇と捉えるのではなく、それを自虐的なユーモアにしてなるべくポジティブな方向へ持ってゆく姿勢こそが読者が惹きつけられベストセラーとなった理由でもあるのです。

たとえば砂漠でサソリに刺され毒に苦しめられた際に、次のように締めくくっています。

サソリに刺されると悲惨な目に遭うことがわかったが、致命傷にならないことをこの身をもって実証できたのは大きかった。これで闇の生物に怯えることなく、安心して調査ができる(サソリに2回刺されると、アナフィラキシーショックを引き起こす場合があり、実際には死へのリーチがかかっていたのだが、無知のおかげで勇気リンリンだった)。

また本書を読み進めてゆくと単なる研究者の珍道中ではなく、感動的な自伝になるから不思議です。
夢を語るのは恥ずかしく、夢を追うのは代償を伴いますが、それが叶ったときの喜びは病みつきになると著者は正直に告白しています。

なお著者は研究者としての成果だけでなく、セルフプロデュース能力にも長けています。
ポスドクはある意味でフリーランサーとみなすことができ、同じような立場で頑張っている人たちにとって参考になる部分も多いのではないでしょうか。

禅学入門



元々本書は、1934年に鈴木大拙氏が海外へ禅を紹介するために執筆した「An Intrroduction to Zen Buddhism」が原本になっており、それを鈴木氏自らが1940年に邦訳して国内出版したものとなります。

禅に馴染みのない欧米人向けの入門書ということもあり、仏教が身近にある日本人であれば容易に読めると思い手に取りましたが、その考えは序盤で裏切られました。

決して書かれている文章そのものが難解というわけではありません。
たとえば物語が理論的に構成されていない小説、回答が掲載されていない参考書を読むと人はストレスを感じるはずですが、それと同じような感覚になります。

しかしそれこそが""が何かを知るにあたり当然のようにぶつかる壁でもあるのです。

禅が目指す「悟り」とは、論理的二元主義とは違う物事の見方を会得することでもあるからです。

少し考えれば、生と死、善と悪、肯定と否定、白と黒、富と貧、楽と苦、暖かい寒い、好き嫌い、高い低いなど世の中のあらゆる物が二元主義に支配されていることが分かります。

むしろそれ以外の見方を知らないと言ってよいくらいです。

こうした価値判断、固定概念を徹底的に捨て去るための手助けとして"法案"がありますが、理論的な考えを捨てきれないと意味不明で難解な質問にしか思えません。

たとえば禅師が座禅の際に弟子たちの肩を打つときに使われる竹篦(しっぺい)を示しながら次のような問いを発します。

「お前達がこれを竹篦と言うなら、それは肯定だ。もしまたそうでないと言うなら、それは否定だ。だが肯定もせずに、さてこれを何と言うか。さあ言って見よ。」

まさしく"禅問答"です。

この質問を少しでも不合理と考えた時点で、イコール理論的な考え方を捨てきれていないということになり、そこに禅は存在しません。
そもそも理論から自由である"禅"は、文字で説明することすら不可能なのです。

そう考えると、禅には初心者向けの入門書も、ましてや上級者向けの学術書も存在しないということになり、本書そのものの存在が矛盾であると言えます。


それでも過去の先達が辿った道やその語録を用いつつ、読者に少しでも"禅"の世界を垣間見せようとする著者の努力は伝わってきます。

加えて禅を通じた修行の方法、僧たちの生活などにも具体的に触れられている箇所は、わずかに入門書として相応しいと思える部分です。

いずれにしても気軽に禅を学びたいと手にとった本書が、迷宮の入り口になってしまう人は私を含めて多いはずです。


ちなみに鈴木大拙氏は、仏教学者であると同時に臨済宗の僧侶でもあります。
つまり本書で触れられている内容は、只管打坐で知られる曹洞宗など他の禅宗が定義する"禅"とは当然のように異なることは頭に入れておくべきでしょう。

楚漢名臣列伝



まず最初に、やはり宮城谷昌光氏が描く中国史は最高のエンターテイメントだということを再認識させてくれた1冊です。

タイトルから分かる通り、本書は"楚漢"、つまり項羽と劉邦の戦いが繰り広げられた秦王朝末期から前漢にかけて活躍した名臣たちへスポットを当てた1冊になっています。

本書に登場するのは次の10人です。

  • 張良
  • 范増
  • 陳余
  • 章邯
  • 蕭何
  • 田横
  • 夏侯嬰
  • 曹参
  • 陳平
  • 周勃


やはり楚漢戦争の勝者となった漢(劉邦)陣営で活躍した人物の占める割当がもっとも高いですが、范増、章邯に関しては楚(項羽)陣営で活躍した人物であり、陳余田横の2人はどちらの陣営にも組みせず活躍しました。
張良は劉邦の軍師として知られていますが、実際には韓王の臣下として劉邦へ助力していた期間が長い人物です。

当然のように歴史的に勝者となった人もいれば、敗者となった人もいます。
しかし登場する人物たちに共通するのは、その能力と個性を充分に発揮して歴史上に確かな足跡を残したという点はもちろん、生き方そのものが(著者の個人的観点から見て)爽やかであるという点も重要になっています。

たとえば陳平は貧しさの中で大志を抱き続け、はじめは項羽に仕えるものの、自分が重用も信用もされないことを知ると、劉邦のもとに走り彼が持つ能力を最大限に発揮する機会を得ます。

一方で秦の降将という立場から項羽の臣下となった章邯は、劉邦との戦いで孤立して不利な戦況に陥っても最後まで裏切ることなく、自害に追い込まれるまで戦い抜きます。

意外にも漢の上将軍として比類なき活躍をした韓信、元盗賊の頭領であり項羽をゲリラ戦で悩ませ続けた彭越、項羽麾下随一の猛将である黥布(英布)といった有名な武将が名臣リストは漏れています。

たしかにこの3人の能力や功績は、本書で紹介されている人物に勝るとも劣らないものです。
しかし彼らは才能を自らの栄達のみのために利用し、他人を助けるために用いなかったように思えます。

つまり著者にとって彼らは有能ではあっても名臣ではなかったということになります。
もっと分かりやすく言うと、彼らの生き方から感銘を受ける点がなかったということになるでしょう。

日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦



おもに戦場カメラマンとして長年に渡り活躍してきた石川文洋氏が、徒歩で日本縦断を行った記録を1冊の本にまとめたものです。

宗谷岬をスタート時点として日本海側の海岸線を歩いて南下し、最後は那覇市でゴールするというルートです。

津軽海峡、そして鹿児島~沖縄間はフェリーを使用しますが、それ以外は完全に徒歩です。

1日30キロを目標に150日間かけて日本縦断を行う計画ですが、体力の限界を追い求めるストイックなものではなく、どちからといえばコツコツと気楽に歩く旅という印象です。

仕事柄、途中で原稿を書かなければいけないときは連泊して原稿を仕上げ、久しぶりに友人と再会して祝杯を交わすなど比較的自由な旅といえるでしょう。

著者自身、今回の目的を「歩いて旅をしたい」という単純な動機であることを告白していますが、各地の風景や人びとの生活をカメラに収めながらの行程を楽しんでいます。

ただタイトルにある通りスタート時点で著者は65歳という年齢であり、決して若いわけではありませんが、最近は60・70代でもマラソンやテニスなど、比較的激しいスポーツを続けている方も多い時代です。


本章は写真を掲載しつつ毎日の旅を記録した日記形式で書かれています。

また日記の合間に旅で感じたことをまとめたコラムを掲載しているため、内容が単調になることもなく、良くまとまった内容になっています。

持ち物や服装、シューズなど、これから徒歩の旅を始めてみようという人にとって有益な情報もあり、また宿泊した宿や食事なども紹介されています。

一方で、やはりというべきか日本の道路は車が走ることを最優先にした作りになっているため、たとえ国道であっても路肩が狭く整備されていない箇所も多く、身の危険を感じることもあったようです。

なお本書が出版されたのは2004年ですが、Webで著者の近況を調べてみたところ、今年(2019年)の6月には81歳にして太平洋側のルートで2回目の徒歩日本列島縦断を成し遂げたというニュースがありました。

さすがに80歳を過ぎての日本縦断には脱帽するしかありませんが、私も歩くのは嫌いでないので、将来"日本横断"くらいのチャレンジなら悪くないという気持ちにさせてくれます。

人生にとって組織とはなにか



著者の加藤秀俊氏は社会学者であり、"組織"についてその性質や仕組みについて理論的に説明できる専門家ということになります。

ただし本書は、強い組織を作るハウツー本や、組織の中で頂点に昇り詰めるための自己啓発本ではありません。

縄文時代の原始的な組織にはじまり、封建時代の地縁を中心とした組織、そして明治以降近代の社縁を中心とした組織が形成されるまでの歴史を語っています。

その中で一番紙面を割いているのが、読者の大半がサラリーマンであることを想定して"会社"という組織へ対する説明です。

学術的な用語はほとんど登場しないため非常に分かり易い一方で、本書から目新しい視点や考えを得ることもありませんでした。

本書は1990年に出版されています。
よって本書で論じられている"会社"は、インターネット登場以前ということもあり懐かしい昭和のサラリーマン像を思い出させるものになっています。


令和の時代にとって実用的な本とは言い難いですが、人間が社会的な動物である以上、テクノロジーが発達し時代が進んでも組織の本質的な部分は昔から大きく変わっていないはずです。

私自身、会社、サークル、町内会など色々なものが当たり前になり過ぎてしまい、本質的な意味でそれらを"組織"として意識して考える機会が殆ど無かったのも事実です。

そのきっかけを与えてくれただけでも本書の価値があるような気がします。

フランス反骨変人列伝



フランスの文学、歴史に造詣の深い安達正勝氏が、世界史の教科書に登場しない人物にスポットを当てています。

しかも時代の流れに逆らった反骨精神旺盛な人、理解に苦しむ変人という実に魅力的(?)な人選をしています。

本書に登場人物は4人ですが、ネタばれしない程度に紹介してみようと思います。



  • モンテスパン侯爵


  • モンテスパン侯爵は、フランスの最盛期に君臨していた太陽王ルイ14世に逆らった地方貴族です。

    ルイ14世は教科書にも必ず登場する有名人であり、絶対王政を象徴する言葉として「朕は国家なり」という言葉が知られています。

    ともかく当時のフランスで王に逆らうなど考えられないことであり、立場も実力も歴然とした差がある中で1人王に逆らい続けたのです。

    その理由は本書を読んでのお楽しみですが、ともかくモンテスパン侯爵は牢獄に入れられようとも、大金を失おうとも自らの信念を曲げませんでした。

    今でいえば大企業の新卒社会人が、1人で社長に歯向かうほど無謀な行動でしたが、なぜか彼の反骨精神にある種の感動を覚えてしまいます。


  • ネー元帥


  • ネーは樽職人の息子として生まれながら、ナポレオンの部下として叩き上げで元帥にまで昇りつめた軍人です。

    勇者の中の勇者」とあだ名れるほど勇敢で優秀な軍人であり、今回登場する4人の中ではもっとも知名度が高いはずです。

    なぜ優秀な軍人であるネーが本書に登場するかといえば、ともかく不器用で世渡りが下手だったからです。

    体育会系の人間を「脳みそまで筋肉でできている」と揶揄することがありますが、まさしくその典型的な人物なのです。

    ネーが生きた時代は、王政→革命→ナポレオン帝政→復古王政 と目まぐるしい動きがありました。

    こうした激動の時代を生き抜くのは、よほどの知力と運が必要ですが、戦場では無類の強さを発揮できても、その他はからっきしだったネー元帥がどのような顛末を辿るかは本書を読んでのお楽しみです。


  • ラスネール


  • 本書では"犯罪者詩人"として紹介されているラスネールですが、4人の中ではもっとも変人といっていいでしょう。

    ラスネールは文学や詩の才能がありつつも社会に認められず鬱屈してゆき、やがて犯罪に手を染めてゆきますが、皮肉にも彼が国中から注目を浴びるのは、殺人を犯し逮捕されたあとの裁判所における振る舞いや雄弁さによってです。

    本書で彼の生涯が語られますが、彼自身が獄中で残した「回想録」も有名であり、日本語訳でも出版されています。



  • 六代目サンソン


  • 以前、同じ著者による「死刑執行人サンソン」を本ブログで紹介していますが、そこに登場するのは主にフランス革命期に死刑執行人だった"四代目サンソン"であり、本書で登場するのは六代目です。

    ムッシュ・ド・パリ」という称号で代々パリで死刑執行人を担ってきたサンソン家ですが、彼らはその役割から市民たちに恐れられ、また軽蔑されてきました。

    それでも彼らは職務を忠実に執行し続け、表に感情を出すことはありませんでしたが、この六代目は死刑制度に疑問を懐き続け、自分の仕事に嫌悪を懐き続けました。

    本章を読みすすめると、変人列伝というより現代社会でも充分に通用する死刑制度の是非を問う真面目なドキュメンタリーという印象を受けます。

    「人に人の命を奪う権利」があるのかという根本的な問いが本章には込められています。



    本書に登場する4人を簡単に紹介してみましたが、歴史教養、娯楽という両面でおすすめできる1冊です。

    学術書のような堅苦しさは微塵もなく、読者が楽しみながら歴史を学べるという著者の意図は見事に成功している1冊といえます。

    ナポレオンの生涯



    著者のロジェ・デュフレスはフランス人であり、世界有数のナポレオン研究の識者のようです。

    ただ私自身が本書を手にとった一番の理由は、訳者が安達正勝氏であるという点であり、本ブログでも紹介した安藤氏の「物語 フランス革命」や「死刑執行人サンソン」はフランス革命の魅力を分かりやすく読者へ伝えてくれる優れた本でした。

    本書を紹介するために訳者まえがきを引用するのがもっとも分かりやすいと思います。

    コンパクトながら、内容が非常に詳しい。単なる伝記ではなく、ナポレオンがフランスおよびヨーロッパにおいて実際どんな政策を繰り広げていたのかが詳しく述べられており、この点に関しては、ナポレオンの分厚い伝記にもまさっていると言って、過言ではない。


    たしかに本書は一般的な新書の形式と分量です。

    ナポレオンの業績以外の無駄な記述を一切省いたような筋肉質な文章構成で、当然の結果として1ページあたりの情報量が豊富です。

    また年代順に整理して書かれているため、読み終えてからも該当箇所を探しやすいという点で優れています。


    ナポレオン賛美に終わることなく、批判的観点もしっかりと保持されている。ナポレオンは超人的天才ではあったが、彼も人の子、弱点はあった。フランス人であるにも関わらず、著者が批判も怠らなかったのは、われわれ日本人にとって大変ありがたいことである。

    これもまったくその通りで、上り調子にある時にナポレオンが推し進めた政治や戦争は殆どすべてがうまく行き、想像力が産み出すこの上もなく大胆な政策を、可能か不可能かという現実感覚に適応させる能力があったと称賛しています。


    一方でナポレオン体制に陰りが見え始めたときは、自分の思い違いをこれまでにもまして認めなくなる。自分の過ちを状況ないしは他人のせいにして、自分の見込み違いであったとは考えない。こうした頑固さが、彼の命取りになったと辛辣な指摘をしています。


    物語としてナポレオンを知りたい人には不向きかもしれませんが、本書はナポレオンの業績のみならず、彼が19世紀はじめ、または後世に残した世界への影響についても触れられており、歴史的評価の中でナポレオンをどのように捉えるべきかのヒントを読者に与えてくれる1冊になっています。

    関ヶ原連判状 下巻



    西軍、東軍陣営に分かれた天下分け目の戦い(関ヶ原の戦い)が始まろうとする中、細川幽斎が中心となって第三の勢力を作り上げようという謀略の全貌に迫った作品です。

    本来であれば幽斎自らが東西を奔走して計画を作り上げるのが一番分かりやすいのですが、なにせ彼の年齢は60台後半という当時ではかなりの高齢であり、彼に変わって手足のように動く駒が必要になります。

    そこで登場するのがもう1人の主人公ともいうべき石堂多聞です。

    彼はかつて越前の白山神社直属の戦闘集団・牛首一族の出身であり、信長によって派遣された柴田勝家の一向一揆鎮圧の際に一族が殲滅された際の生き残りという設定です。

    用心棒のような役回りですが、その前に石田三成配下の猛将・蒲生郷舎(源兵衛)が幽斎の陰謀を暴くべく立ちはだかります。

    作品を通じて各所で多聞たち一行が敵と渡り合う戦闘シーンが描かれることになりますが、つい最近まで津本陽の剣豪小説を読んでいたせいか描写の迫力不足が否めません。

    また合戦についても西軍へ対して幽斎が立て籠もった田辺城の攻防戦の過程が詳しく書かれている程度です。

    ただ本作品の主題はあくまで幽斎の仕掛ける謀略であり、こうした戦闘シーンは割り切って読むべき作品なのかも知れません。

    少なくとも謀略についてはその過程がこと細やかに描かれており、勅令を得るための朝廷工作は幕末時代に通じるものがあります。

    上下巻800ページにも及ぶ長編であり、幽斎が仕掛けた一世一代、最後の大博打ともいうべき謀略の全貌を解き明かすという知的好奇心は満たしてくれます。

    関ヶ原連判状 上巻



    歴史小説には大きく2種類の作品があります。

    1つはなるべく史実に忠実に描いてく作品、そしてもう1つは歴史に"If(もしも)"を取り入れたフィクション要素を取り入れた作品です。

    しかし本書はそのどちらにも組しない3番めのジャンルに属する作品という見方ができます。

    著者の安部龍太郎氏は、本ブログでも紹介した「信長はなぜ葬られたのか」において、本能寺の変は壮大な陰謀によって企てられた計画という大胆な説を唱えています。

    本書もその流れの中で執筆された小説であり、表面上は史実をなぞりながらも、その裏に隠された壮大な陰謀に焦点を当てて書かれています。

    その陰謀の中心にいるのは細川幽斎(藤孝)であり、智将と言われた彼に相応しい役回りといえるでしょう。

    幽斎は足利将軍家の家臣から出発して織田家、豊臣家、徳川家と主人を変え、最終的には豊前小倉藩40万石の基礎を築いた武将です。

    さらに信長の家臣時代には、明智光秀の指揮下で活躍していた経歴を持っています。

    ちなみに生まれ年は織田信長と一緒ですから、作品の舞台となる関ヶ原の戦いの頃には66歳という高齢になります。

    まさに戦国時代の生き字引きのような存在であると同時に、底知れぬ考えを秘めた古狸のような存在でもあったのです。


    世の中の武将たちが豊臣方の西軍、または徳川方の東軍に味方すべきか迷っている、またはいち早く決断して駆け付ける中で幽斎はそのどちらでもない第三の道を探り出そうとします。


    作品の性質上ネタバレはあまり好ましくないため、あらすじの説明は控えますが、戦国ミステリー小説、または戦国スパイ小説としてじっくりと読める作品になっています。

    天平の甍



    井上靖氏による天平時代の遣唐使を扱った文学作品です。

    本書に限らず遣隋使や遣唐使を扱った書籍から分かることは、日本から大陸に渡るという行為は当時の造船・航海技術の未熟さを考えると命懸けであったということです。

    つまり日本の僧が中国へ留学するためには、死の覚悟が必要だったのです。

    物語に登場するのは、遣唐使と一緒に留学のために大陸へ渡る普照(ふしょう)、栄叡(ようえい)、戒融(かいゆう)、玄郎(げんろう)という4人の若い僧です。

    4人とも当時の記録に存在していた僧のようですが、著者はこの4人を実に個性的に描いています。

    留学と言っても言葉や習慣の違いからホームシックになる人もいれば、肌が合い過ぎてそのまま帰国せずに居着いてしまう人もいます。

    また新しい仏教を学ぶのに人もいれば、学問以外に熱中するものを見つけて没頭する人もいるでしょう。

    このように平安時代初期の僧たちを色鮮やかに描いているという点で画期的な作品であるといえます。


    また作品にはもう1人キーとなる人物が登場します。
    それは日本史の教科書でもおなじみの鑑真和上であり、中国の揚州で生まれた唐の高名な僧でありながら、日本への渡航を決意します。

    遣唐使の場合と同じように鑑真の試みは命懸けであり、実際彼は4回も渡航に失敗し、その間に失明というハンデを負いながらも5回目で渡日に成功します。

    唐から見れば当時の日本は仏教が伝来してから間もない制度やインフラ面も不足している未開の国でしたが、不屈の精神と情熱が彼を突き動かし続けたのであり、渡日した時には既に66歳という高齢でした。

    歴史書からは当時の人びとの抱いていた情熱は伝わりにくいですが、本書のような作品を通じて読者が当時を生きた人たちへ思いを巡らすというのは良い体験だと思いますし、いつかは鑑真のために創建された唐招提寺へ訪れてみたいと思いが強くなりました。


    ちなみにタイトルにある甍(いらか)は難しい漢字ですが、ざっくりと瓦(かわら)と同じ意味で捉えておけばよさそうです。

    柳生兵庫助〈8〉



    長編剣豪小説「柳生兵庫助」もいよいよ最終巻です。

    兵庫助が兵法師範役として尾張徳川家に仕えてから長い年月が経ち、老齢に差し掛かかってからは隠居所で平穏な日々を送ります。

    二男二女をもうけたお千代には先立たれますがという女性と再婚し、後進の指導や自らの稽古を変わらずに続けています。


    多くの強豪と剣を交えそのいずれにも勝利してきた兵庫助はすでに円熟の境地に達しており、すでに名人・達人という存在でした。

    よって本巻に登場するのはおもに次の世代を担う若者であり、兵庫助が彼らを指導するというストーリーになっています。

    まずは叔父宗矩の息子である柳生十兵衛(三厳)です。
    血の気のが多く、悪人を辻切りをしたり、道場破りを繰り返す十兵衛をたまたま逗留していた武蔵と一緒に懲らしめます。


    次に兵庫助の2人の息子である茂左衛門(もちの利方)七郎兵衛(のちの厳包)たちが日々稽古を続け成長してゆく姿も描かれています。

    その過程はシリーズ1巻目で描かれた兵庫助の少年時代と重なるものがあり、長編シリーズならではの感慨に浸ることができます。


    かつて祖父の石舟斎がそうだったように、兵庫助は老年となってからも若く頑強な相手に何もさせずに勝利する圧倒的な強さを誇っていました。

    人間が肉体的にもっとも最盛期にあるのは20代くらいですが、剣豪には老年になってからも無敵であり続けるエピソードが数多く存在します。

    後世の幕末にも天真一刀流の白井亨、一刀正伝無刀流を開いた山岡鉄舟、また新選組の斎藤一にも同じように晩年まで無敵を誇ったエピソードがあります。

    もちろん近代のスポーツ科学ではあり得ない理論ですが、いわゆる"達人"と言われる人たちです。

    彼らに共通するのは、実戦や修行を通して鍛錬を長年続けることで、人の心や動きが手に取るよう読めるようになるということです。

    兵庫助はこれを次のように語っています。

    「これが儂の力ではなく、神仏の力であることはあきらかじゃ」

    具体的には日々の鍛錬はもちろん、山籠りと禅によって得た言葉に表せない境地を"神仏"という人間を超越した存在で表現したのです。

    柳生兵庫助〈7〉



    柳生兵庫助の生涯を描いた長編小説ですが、本書には兵庫助にとって永遠のライバルとして宮本武蔵が登場します。

    同時代を生きた2人の剣豪ですが、実際に兵庫助と武蔵が出会い立ち合いを行ったという記録はありません。

    吉川英治「宮本武蔵」において武蔵が柳生の里を訪れる場面がありますが、これもフィクションだと思われます。

    ただ津本陽氏は、どうしても本作品中でこの2人を出会わせ、そして立ち合いを行う場面を描きたかったのでしょう。
    そしてそれは、そのまま読者へのサプライズにもなっているのです。

    全編を通じて何度か兵庫助と武蔵が出会う場面が登場します。

    2人は最初、修行中の兵法家同士として出会い、やがてライバル関係になります。
    そしてお互いの力量を認め合い、ライバルというより同志に近い関係に変化してゆきます。

    ただし大大名ともいうべき尾張徳川家に仕える兵庫助と、未だ浪人として諸国修行を続ける武蔵とでは身分や待遇にかなりの差があります。

    それでも兵庫助にとって兵法指南役として仕える徳川義直よりも、そして大勢の弟子たちの誰よりも2人の間には共感があったのです。


    兵庫助のいる名古屋城下に武蔵が訪れますが、その際に家老である成瀬隼人正(正成)が兵庫助と次のようなやりとりをします。

    隼人正:「武蔵は名人か?」
    兵庫助:「仰せのごとくにござりまする。あれほどの兵法者には、なかなかにめぐりあいませぬ」
    隼人正:「うむ、伊豫殿(兵庫助)がいま立ちおうたなら、勝てるであろうかの」
    兵庫助:「われらは兵法者なれば、挑まれしときはいかなる相手とも立あいまする。主命なれば従いまするが、あいなるべくは武蔵と試合はいたしとうござりませぬ」
    隼人正:「それはなにゆえじゃ」
    兵庫助:「それがしか武蔵のいずれかが、おそらく落命いたすゆえにござりまする。命を捨てるは惜しからねど、得がたき兵法者を失うは惜しみてもあまりあることと存じまする」

    武蔵もまったく同じことを考えていたに違いなく、もはや戦わずともお互いの力量は分かりきっていたのです。

    柳生兵庫助〈6〉



    兵庫助は幼少の頃より剣術の修行に励み、若くして加藤清正へ兵法師範として仕えるも1年で退去し、10年にも渡る諸国修行の旅を続けます。

    その間に祖父・石舟斎より柳生新陰流の印可状・目録一式を受け継ぎ、新陰流の三代目として相応しい実力・名声を手に入れます。

    間違いなく達人の境地にあった兵庫助ですが、世間的に主人を持たない侍は単なる"浪人"であるのが現実です。


    もちろん兵庫助を家臣にしようと魅力的な条件を提示した大名もいたはずですが、彼自身に叔父宗矩のように俗世間で出世しようという野望はなく、剣一筋で生きることを望んでいました。

    そんな兵庫助へ対して理解を示した上で兵法師範として迎えてくれたのが、尾張初代藩主である徳川義直です。

    義直が歴史小説に取り上げられる機会は少ない気がしますが、江戸時代初期に活躍した名君の1人です。

    家康の九男として生まれ、優れた藩政を行い尾張藩の礎を築いた人物です。

    戦国武将のような激しい気性の持ち主であり、かつ家康の実子としてのプライドもあったため、家康の孫である第三代将軍・家光との相性は良くなかったようですが、尾張藩が徳川御三家の筆頭として地位を得るようになったのは、義直の功績によるところが大きかったはずです。

    徳川御三家筆頭ということは、すなわち格式において全大名のトップであることを意味し、将軍・家光が師事していたのが叔父の宗矩であり、義直が師事したのが兵庫助ということを考えると、柳生新陰流が兵法家としてNo1、2を独占したと見ることができます。

    面白いのは義直と家光が叔父と甥という関係であり、その兵法指南役である宗矩と兵庫助の関係も同じ叔父と甥という関係であるということです。


    兵庫助はかつて清正へ仕えたときに家臣間のいざこざ(出世争い)に辟易した経験があり、兵法一筋の奉公、つまり剣術や兵法に関すること以外は一切やらないという条件を義直へ出し、義直はそれを快諾します。

    もし兵庫助が出世を望むのであれば、宗矩のように兵法指南役のほかに大目付として諜報活動に励むなど、ほかの役目も兼任する方が望ましいはずですが、彼はそれを剣術修行の妨げになると判断して退けるのです。

    兵庫助らしい判断ですが、剛毅な性格の義直には一途に剣の道を極めようとする姿にむしろ好印象と信頼を抱いたのではないでしょうか。

    柳生兵庫助〈5〉



    本作品は長編ということもあり、主人公・兵庫助の周りにはさまざまな人間が登場します。

    まずは祖父であり師匠でもある石舟斎
    そして諸国修行の旅に兵庫助と行動を共にする恋人の千世、伊賀忍者の子猿、柳生家の家来でありながら石舟斎の高弟でもある松右衛門など、その顔はバラエティに富んでいます。


    その中で兵庫助と特殊な関係にあるのが、叔父である柳生宗矩です。
    宗矩は石舟斎の末子ですが、石舟斎の孫である兵庫助とは8歳しか年齢が離れていません。

    宗矩は徳川将軍家の兵法指南役として幕府の中枢で重きをなしている人物であり、剣豪というより1万石の所領を持つ大名といった方が正確な表現です。

    一方の兵庫助は一度は兵法師範として加藤清正に仕官するもすぐに辞め、剣術修行のために諸国を旅する身分です。


    兵庫助は、宗矩へ対して剣の腕よりも巧みな世渡りで出世したという軽い嫌悪感を抱いている一方で、宗矩は兵庫助へ対して剣術のほかに取り柄のない、権謀渦巻く政治の場では通用しない人間とたかをくくっている側面があります。

    この2人が面と向かって対決することはありませんが、本作品では対照的な存在として描かれています。

    もちろん本作品の読者としては兵庫助を応援したい気持ちになりますが、実際には宗矩からの依頼によって兵庫助が危険な役回りを担うことになります。

    石舟斎より直々に印可状と目録一式を受け継いだのは兵庫助でしたが、叔父として、また石舟斎亡きあとの柳生家の当主として君臨する宗矩には頭が上がらなかったというのが現実のようです。

    ただ実際には2人が対照的であるがゆえに柳生新陰流にとってはこれ以上ない都合の良い組み合わせだったと言えます。

    兵庫助は剣の実力で柳生新陰流の名を高め、宗矩は徳川幕府の中枢で重臣としての腕を振るうことで政治的に柳生新陰流の地位を確固たるものにしたと言えるでしょう。

    新陰流を切り開いた上泉信綱、柳生石舟斎はいずれも武将としての立身出世よりも、俗世間からある程度の距離を置いて剣の道を極める方に熱心だったことを考えると、兵庫助の気質もまったく同じだったといえるでしょう。

    むしろ柳生一族にとって宗矩の存在が異端だったという見方ができますが、剣術を含めた兵法の極意は勝利を得ることであり、それを処世術にまで応用した彼の器量も大きかったと言えます。

    いずれにせよ作品中で対比的に書かれるこの2人がストーリーを面白くしていることは間違いありません。

    柳生兵庫助〈4〉



    数々の戦いに勝ち続け、各地にいる達人を訪ねながら修行を続けてきた兵介は、柳生の里へ帰ってきます。

    もはや兵介の剣の腕は新陰流の三代目を継ぐに相応しいレベルにまで達していましたが、祖父・石舟斎の勧めで十津川金龍院で薙刀を学ぶことになります。

    武芸に飽くなき情熱を持っていた兵介は剣のみならず、剣が苦手とする薙刀や槍の扱いにも熟練することで自らの剣を完全無欠にする意欲があったのです。

    兵介の祖父・石舟斎の盟友であった胤栄は宝蔵院流槍術の創始者でしたが、お互いに剣と槍の技量を磨き合った関係であったことを考えると当時としては自然な流れでもありました。


    山深い十津川へ薙刀を習いに出向くのですが、そこで隠遁生活を送っていた棒庵という老人に兵介は手も足も出ないという経験をします。

    ここまでの完全な敗北は疋田豊五郎と対峙して以来でしたが、ともかく兵介は棒庵の元で新当流薙刀術の奥義を学ぶことになります。

    それは手取り足取りの修行ではなく、修験道の行場としれ知られている笙ノ窟(しょうのいわや)に百日間籠もるというものでした。

    やはり剣豪の修行には山篭もりが似合います。

    私たち一般人からすると山篭もりをして強くなる理由が今ひとつ理解できませんが、共通するのは大自然の霊気を受けて感覚が研ぎ澄まされる、欲望を消し去ることで不動心を得られるといった精神修行であり、現代スポーツで言うところのメンタルトレーニングに近いのかもしれません。

    本作品において、兵介が山籠りを終え柳生の里に帰還した時点で最強の剣士になったと言えそうです。
    そしてそれは最強の敵が兵介たちの前に現れることを示唆する伏線でもあったのです。

    柳生兵庫助〈3〉



    疋田豊五郎に敗北した兵介でしたが、この出来事が彼をさらに1段上に成長をもたらしてくれるきっかけになりました。

    一方で叔父の柳生宗矩が徳川将軍家の兵法指南役となった今、柳生新陰流がすべての流派の頂点に君臨したと言っても過言ではありません。

    これは諸国を廻り武者修行を続ける兵介を倒せば、その地位を奪い返せるチャンスを得るということを意味しています。

    すでに剣術が圧倒的な地位を獲得していた幕末時代と違い、この時代の兵法者は槍、鎖鎌、飛び道具などおよそ武器と呼ばれるものは何でも使用し、奇襲も含めて勝てば何をやってもよいという風潮がありました。

    戦国時代で幾度も繰り広げられてきた合戦、つまり乱戦の中を生き残ってきた気性の荒い猛者も多く、殺伐とした時代だったと言えるでしょう。


    その中で兵介は、場所を選ばず試合を所望してくる兵法者と立ち会い、また山賊に落ちぶれた元兵法者に付け狙われながらも何とか無事に修行を続けてゆきます。

    こうした兵法者同士の対決シーンで緊迫感を読者へ伝えるという点において津本陽氏の手腕は抜群といってよいでしょう。

    自身が剣道有段者ということもあり、剣術への造詣の深さはもちろんのこと、白刃で命のやり取りをする人間の心理を巧みに捉えた描写は、手に汗握る迫真のシーンを演出してくれます。

    また兵介のお伴をしている小猿、千世をはじめとした忍者たちの使う武器も実に個性的です。

    棒手裏剣焙烙玉微塵(金輪の3方向に鎖と分銅を取り付けた武器)といったいかにも忍者が使いそうな武器が登場し、ともすれば単調になりがちな戦いのシーンを多彩にしてくれます。

    長編小説において読者を楽しませる要素をなるべく多く取り入れてゆく努力が感じられ、だからこそ読者は心地よく作品を読み続けられるのです。

    柳生兵庫助〈2〉



    津本陽氏の描く長編大作・柳生兵庫助の第2巻です。

    前回は内容について殆ど触れませんでしたが、今回は少しストーリーに触れてみます。


    物語は兵庫助の少年時代から始まります。
    のどかで自然豊かな柳生の里で兵庫助は育ち、剣豪として日本中に名を馳せた祖父・柳生宗厳は健在であるものの、老齢ということもあり"石舟斎"と号して半ば隠居生活を送っていました。

    もちろん兵庫助も幼少の頃より剣の修行に打ち込み、青年になる頃には非凡な才能を見せるようになります。

    この噂を聞きつけた加藤清正が兵庫助を兵法師範として熊本に迎えることになります。
    しかも実高三千石という破格の待遇です。

    これは兵庫助の剣術が優れていたこともありますが、戦国大名たちにとって"柳生"という名の持つブランド力によるところが大きかったと言えます。

    しかしここで兵庫助が清正へ仕え続けてしまってはストーリーが面白くなりません。

    兵庫助は熊本で発生した百姓一揆を鎮圧する際、同じ清正の家臣であった伊藤長門守と言い争いになり最後には斬ってしまうのです。

    伊藤に限らず、加藤家の中には若輩の新参者(兵庫助)が厚遇されていることを嫉妬している家臣たちもいたのです。

    兵庫助にとって剣の道を極めることが最も重要であり、複雑な人間関係の中で他人を出し抜いて出世することに興味は無かったのです。

    結果的に1年足らずで加藤家を退転し、修行のために諸国流浪の旅に出ることになります。


    剣で他者に遅れを取ることはないと自負していた兵庫助ですが、最初に訪れた小倉の細川家に使えていた老剣士・疋田豊五郎の前に敗北を喫することになります。

    老齢ではあるものの豊五郎は祖父・石舟斎とともに、かつての上泉信綱の直弟子でもあり、師匠より自らの流派を開くことを許されるほど高名な剣豪でした。

    簡単に言えば先輩に鼻っ柱をへし折られた形ですが、同時に若い兵庫助にとって世間が広いことを痛感した出来事でもあり、ますます剣術修行に励むきっかけになった敗北でもあったのです。

    柳生兵庫助〈1〉



    津本陽氏の長編剣豪小説です。

    "柳生"という文字だけで戦国時代を代表する剣豪というイメージがありますが、本書の主人公を紹介する前に簡単に整理してみたいと思います。

    新陰流(柳生新陰流)といえば、徳川将軍家の流儀として定着したことで有名になりましたが、その開祖は上野(今の群馬県)の武将であった上泉信綱です。

    上泉は主家の長野家が没落したあとに剣術修行のため諸国流浪の旅に出ますが、そこで出会ったのが大和の氏族であった柳生宗厳(むねとし)です。

    宗厳は昔からの盟友であった宝蔵院の胤栄とともに上泉の元で約2年の修行に励み、新陰流の印可状を得る腕前になります。

    この2人は吉川英治の小説「宮本武蔵」に登場することもあり、馴染みのある人は多いかもしれません。

    ともかく新陰流は宗厳からその子どもへと受け継がれ、柳生新陰流という一大流派に発展してゆきます。

    宗厳の末子である宗矩(むねのり)は、のちに徳川家2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の兵法指南役となり、一万石以上の所領を持つ大名にまで立身します。

    そして本作品の主人公になるのは宗厳の孫、そして宗矩の甥にあたる利厳(通称:兵介)です。

    ちなみに宗矩の息子、主人公の兵介にとって甥にあたるのが隻眼の剣士として有名な柳生三厳(通称:十兵衛)になります。


    柳生利厳は宮本武蔵とほぼ同年代を生きた剣豪ですが、2人が対決としたという史実どころか出会ったという記録さえ残っていません。

    武蔵は自身で二天一流という流派を開きましたが、利厳は生まれながらにして上泉信綱から祖父へ伝わった新陰流を受け継ぐ立場にありました。

    2人の人生を比べたとき、前者には新しい流派を生み出す苦しみがあり、後者には一大流派を受け継ぐプレッシャーがあったという見方もできます。

    この長編で兵介がどのように描かれてゆくかじっくり味わってみたいと思います。

    生を踏んで恐れず 高橋是清の生涯



    高橋是清を主人公にした津本陽氏の歴史小説です。

    大蔵大臣を7回努め、総理大臣や政友会総裁も経験した戦前の代表的な政治家ですが、以前本ブログで「高橋是清自伝」を紹介しているため詳しい経歴については割愛します。

    本書は基本的に自伝の内容をそのまま踏襲するストーリーになっています。
    つまりアメリカへの留学、実業家時代、さらに日銀副総裁として主にイギリスで日露戦争のための戦時外債の公募を行った時期にスポットを当てています。

    自伝では殆ど触れられなかった大蔵大臣時代を読みたかった私としては少し残念な点であり、自伝と比べて約半分のページ数で歴史小説として完結しています。

    自伝では事務的な内容についても触れられているため、人によっては冗長に感じることがあるかも知れませんが、本書は一流作家によって要点を絞ってテンポよく書かれいるため、圧倒的に読みやすくなっています。

    よって高橋是清という人物に興味を持った人は、自伝よりまず本書を手に取ることをお勧めします。

    入念な下調べをしてから執筆することで定評のある津本氏の作品だけあって自伝と比べても正確性に遜色なく、自伝では記載され得ない是清が暗殺されることになる二・二六事件についても触れています。

    そこには日中戦争、そして日米開戦へ向けて軍部が暴走し始める暗い時代においてもプロフェッショナルとしての信念を貫き通した80歳を過ぎた彼の晩年が鮮やかに描かれています。

    軍部の標的になることを恐れ、沈黙を守る政治家が多い時期にも関わらず高橋は閣議において次のような発言を行っています。

    「いったい軍部は、アメリカとロシアの両面作戦をするつもりなのか。国防というものは、攻めこまれないように、守るに足るだけでいいのだ。大体軍部は常識に欠けている。(中略)その常識を欠いた幹部が政治にまでくちばしをいれるのは言語道断、国家の災いというべきである」

    数多の辛苦を経験し乗り越えてきた人間は、時代に流されることのないバランス感覚と勇気を兼ね備えていたと言えるでしょう。

    沖縄を変えた男 栽弘義――高校野球に捧げた生涯



    本書はかつて沖縄水産高校を率い1990年、91年に甲子園準優勝を成し遂げた栽弘義監督の実像に迫ったノンフィクションです。

    高校野球の監督を"沖縄を変えた男"と表現するのは大げさと思うかも知れませんが、高校野球(特に甲子園)はアマチュアスポーツを超えた国民的な人気イベントと言うべき人気を誇り、中でも沖縄県の野球熱は日本トップクラスです。

    今でこそ沖縄県は野球の強豪県として定着し、プロ野球で活躍する沖縄県出身選手も珍しくない時代になりましたが、戦前から戦後、そして沖縄返還(1972年)が行われた時点においても沖縄は長い間、野球の弱小県の地位に留まっていました。

    かつ日本国内においてさえ沖縄県人への差別が残っていた時代において、甲子園で良い成績を残すということは戦争で傷ついた沖縄人たちの心を癒やし、また彼らのアイデンティティを取り戻すためにも必要な象徴的なイベントであり、それを実現した栽監督を"沖縄を変えた男"と評価するのは決して大げさではないのです。

    私自身も高校野球ファンの1人ということもあり、沖縄出身の球児たちが甲子園で快進撃を続ける姿に県民一丸となって熱狂する姿は容易に想像ができます。

    この表舞台だけに目を向けると栽監督の業績は華々しいものですが、その裏に秘められた強烈な逸話についても著者がかつての教え子だった球児を丹念に取材して聞き出しています。

    代表的なものが、昭和のスポ根を地でゆく暴力が練習や試合時に振るわれていた点です。
    時には選手へ対して「殺すぞ」という過激な発言も出ていたようです。

    さらに先輩が後輩へ対しナイフで脅すような恫喝まがいの上下関係があったことも事実のようです。

    私がもっとも悲劇的だと感じたのは、肩や肘を痛めた将来有望な投手へ対し監督命令として連投させ続け、野球選手としての生命を実質的に絶たれてしまったという例です。

    暴力については現在では一発アウトな内容であることはもちろんですが、最近では体が成長過程にある高校投手の球数制限が議論になっており、この面でもかなりブラックな起用方法を続けて来たと言えます。

    これだけを見れば、野球監督として実績を残すために高校球児を食い物にするヤクザまがいの監督という評価になりますが、彼が抱いていた沖縄人としての誇り、野球へ対する情熱は本物であり、そこをさらに掘り下げてゆくとまた違った一面が見えてくるのです。


    本書を読み進めると場面ごとにさまざな感情が湧いてくる1冊ですが、栽弘義という男をどのように評価するかは読者1人1人に委ねられています。

    ご依頼の件



    ショートショートの神様”と言われた星新一の作品が40編収められた文庫本です。

    もうこれだけでほかに説明が不要なくらいに定番の1冊です。

    本ブログで星新一の本を紹介するのは初めてですが、短い作品であれば1~2分、長くとも5分もあれば読めてしまう作品だけに具体的に内容を説明することが難しい類の本です。

    一般的にSF作家のジャンルに入れられることが多い星ですが、1000編にも及ぶ彼の残した短編小説のジャンルはSFに限らず、ファンタジー、ホラー、推理ものなど様々な味付けがされています。

    電車に乗っている10分間、寝る前の5分間、それこそトイレの中でも軽く読めてしまうショートショートは、短い時間で気分転換させてくれる一服の清涼剤のような存在です。

    したがって本書は美辞麗句や情緒をじっくり味わうのではなく、短編の中で見事に完結された起承転結、もっとわかり易く言えばオチを想像しながらテンポよく読み進める方が楽しめます。

    作品中には殆ど名前が登場しません。
    "青年"、"初老の男"、"その男"、"その女"など三人称で語られるため、余計な固有名詞を覚える必要がなく、ひたすらストーリーに没頭することができます。

    バラエティに富むストーリーではあるものの、どの作品にも共通しているのは現代人へ対する風刺小説という側面を持っているという点です。

    現代人の心の奥底にある願望、欲望、もしくは不満や不安を時には満たし、時には手痛いしっぺ返しを喰らわせてゆきます。

    作品に出てくる人物がどういう結末を迎えるにせよどこか憎めない、まるで落語に登場する長屋の住人のように思えてくるのは私だけではないはずです。