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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上)


全日本選手権を13連覇し、15年間無敗だった柔道家・木村政彦の実像に迫った1冊です。

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」

これは木村を評する際に使われた言葉ですが、幾多の名選手がオリンピック柔道で金メダルを獲得しても今だに生き続けている言葉です。

木村政彦をはじめて知ったのは、かなり昔に読んだ「空手バカ一代」ですが、前田光世(コンデ・コマ)がブラジルへ伝えたグレイシー柔術の使い手であり、日本人柔道家を次々と撃破していったエリオ・グレイシーを腕絡みで破った動画はYoutubeでも見ていただけにずっと気になっていた柔道家でした。
(この時の腕絡みは、"キムラロック"として今でも世界中で使われています。)

団塊世代より上の世代の人たちにとって木村政彦は、力道山のタッグパートナーであると同時に、巌流島決戦において力道山とのプロレス対決で敗北した柔道家として記憶している人も多いかもしれません。

よく"「プロレスは八百長か?」"という議論がされることがありますが、これは議論そのものが的外れです。

プロレスは観客を熱狂させ楽しませることが目的のエンターテイメントです。
つまり筋書き(シナリオ)があるのは当然で、プロレスが八百長であれば、映画やドラマ、演劇でさえも八百長という図式が成り立ちます。

鍛え抜いた肉体同士がぶつかり合うという点でスポーツ競技と混同されがちですが、アスリートたちが繰り広げる迫力満点のエンターテイメントと捉えれば適切かも知れません。

しかし力道山と木村政彦の一戦は、セメントマッチ(プロレス用語でいう真剣勝負)であったという説もあり、その真相は本書の中で明らかにされてゆきます。


上巻となる本書では、木村が柔道家として全盛期を迎える時期をメインに扱っています。

木村が猛稽古をしたことは知られていますが、本書で明かされる当時の稽古の様子は1日10時間以上にも及び、師匠である牛島辰熊の厳しい指導も相まって想像を絶する内容になっています。

素質はもちろんですが、人の3倍練習する努力の積み重ねが、"柔道の鬼"と言われた木村を作り上げたことがよく分かると同時に、立ち技中心の講道館ルールでも、寝技中心の高専柔道ルールいずれにおいても圧倒的な強さを誇り、異種格闘技を想定して空手まで習っていたというのだから驚きです。

全盛期の木村は身長170cm、体重85Kgだったと言われ、(体格に恵まれていたものの)当時としても決して巨漢とはいえないサイズでありながら、相手の身長や体重がどれだけ自分より勝っていても圧倒的な強さで勝ち続けてきました。


また本作品を語る上で欠かせないのが、木村を取り巻く柔道界の歴史にもかなりの紙面を割いて言及しており、この時代の流れには無敗の木村でさえ無縁ではいられなかったのです。

本書を通じて、かつては講道館武徳会高専柔道と三団体が存在していたこと、そして戦後の占領政策によって柔道の一流派に過ぎなかった講道館が柔道界を支配してゆく過程がよく分かります。

具体的なルールや技についてもかなり詳しく説明されていますが、それは著者の増田俊也氏自身が、かつて北海道大学で高専柔道の流れを組む"七帝柔道"の競技者であったことが関係しており、それだけに読み始めから作者の本気度が伝わってくる優れたノンフィクションになっています。