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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下)


引き続き史上最強と言われた柔道家、木村政彦の実像に迫ったノンフィクション作品のレビューです。

まず本書を読んで印象に残るのは、著者である増田俊也氏の"執念"を感じるという点です。

その"執念"とは、柔道界で15年間無敗を誇りながらも、柔道団体、戦争、さらにはプロレス興行を仕切る裏社会やメディアの思惑といった時代の流れに翻弄され、失意の中で亡くなり世間から忘れられつつある木村政彦の名誉を回復させることに他なりません。

優れたノンフィクション作品には、作者の取材対象へ対する"執念"は欠かせない要素であり、その意味では申し分のない作品になっています。

木村の名誉回復のために避けて通れないのが、日本のプロレスを作り上げ国民的人気を誇っていた"力道山"との対決、そして敗北を避けて通ることはできません。

毎日10時間以上にも及ぶ想像を絶する稽古によって超人的ともいえる強さを身に着けた木村でしたが、著者はその木村が人生を転がり落ちていった理由にも言及しています。

それを一言で表せば、彼の剛毅さとは裏表の関係にある脇の甘さです。

大酒飲みで女好き、伝統的な権威を歯牙にもかけないという、まるで戦国武将のような豪快さは多くの人を惹きつけましたが、同時に政治的な駆け引きは一切せず、思想を持たずに生きた点が彼の人生を狂わせたと著者は分析しています。

例えば木村の師匠である牛島辰熊は、強さと同時に維新志士のような風格があり、決して世渡り上手ではなかったものの、他人に振り回され続ける人生は送りませんでした。

戦後混乱の中で家族を養うために闇市で商売をするようになった木村は、かつての猛練習から遠ざかり呑んだくれて荒んだ生活を送るようになります。

それでもかつて打ち込んだ柔道の貯金だけで国内では無敵であり続け、さらにブラジリアン柔術最強の使い手であるエリオ・グレイシーを相手に完勝するだけに全盛期の強さがどれだけのものだったか想像もつかないものでした。

しかし転向したプロレスの世界では、かつての名声を食いつぶすかのように試合では勝ったり負けたりを繰り返し、力道山の"引き立て役"に甘んじることになります。

これはエンターテイメントであるプロレスにおいてスター(主人公)は力道山であって、木村は脇役に過ぎないというシナリオに基づいたものでしたが、プロレス界における水面下(=政治的な)の綱引きにおいて、木村が力道山に敗れたことを意味していました。

戦後の日本で1から這い上がろうとあらゆる手段を駆使した力道山と、すでに戦前の柔道界においてあらゆる名誉を手にし新たな目標を見出すことの出来なかった木村政彦との違いが出てしまったと言い換えることもできます。

木村自身はプロレス界を失意のうちに引退する形となり、母校の拓殖大学で柔道指導を行う表面上は静かな後半生を送りますが、彼の心の中で暗い炎がくすぶり続けていたと考えると何とも言えない切ない気持ちになります。

ただし講道館柔道が柔道界を支配してゆく流れに逆らった多くの柔道家たちも木村同様に日の目を見ることなく亡くなってゆきます。
また力道山自身も破滅的な人生を送り、若くしてヤクザとの喧嘩で刺殺される運命を辿ります。


本書は第34回大宅壮一ノンフィクション賞を獲得しており、かつて最強と言われながらも講道館柔道の歴史から抹殺され、世間から忘れられつつあった"木村政彦"の名前を世の中に知らしめる、つまり彼の名誉を回復するという著者の願いは半ば果たしたのではないでしょうか。

私自身も本書から得られたことは新鮮なことばかりで、そこに著者の膨大な取材の苦労と執念が感じられる文句なしの作品だと思います。