本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

てくてくカメラ紀行



2003年。
カメラマンの石川文洋氏は、65歳にして日本縦断徒歩の旅を出発します。

宗谷岬から那覇市までを約150日間かけて、3300kmの道のりを踏破することになりますが、その記録は岩波新書から出版されている「日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦におて日記形式で詳しく触れられており、本ブログでも紹介しています。

自分の限界に挑戦する旅というより、マイペースで歩きながら職業柄、日本各地の風景や人びとをカメラに収めながらの比較的気軽な旅といった印象があります。

石川氏はこの旅で、1万2000枚の写真を撮りましたが、前述の本では新書という紙面の都合もあり、掲載されている写真の数は限られていました。

そこで旅の写真を中心とした書籍が、本書「てくてくカメラ紀行」です。

著者の徒歩旅行を都道府県ごとに章立てして写真を掲載しています。
紀行文も掲載されていますが、あくまでも写真がメインであり、読むというよりも鑑賞するための本といえるでしょう。

個人的にうれしいのは、写真メインの本でありながら、簡単に持ち運びできるコンパクトな文庫サイズであることです。
350ページ以上にわたって各地の風景、そしてそこに暮らす人びとの姿が収められた写真が散りばめられています。

そこに掲載されている写真は、世界遺産のような壮大な風景ではないものの、素朴であるが故に眺めていて飽きません。

私の印象に残った写真を挙げてみても、特別なシチュエーションで撮影されたものは1枚もありません。

  • 夕涼みする親子(山形県)
  • サザエを漁る漁師(新潟県)
  • 秋祭り(京都府)
  • 普賢岳を背景に噴火で消失した鉄筋校舎跡(長崎県)
  • 小学校の生徒たち(沖縄県)

活字を目で追うのも楽しいですが、たまには気分転換に写真を眺めながらページをめくるのも悪くありません。

そら、そうよ ~勝つ理由、負ける理由



プロ野球選手として主に阪神タイガースで活躍した岡田彰布氏の著書です。

以前に本ブログで岡田氏の「頑固力」を紹介しまたが、こちらは主に阪神タイガースの監督としての経験を踏まえた采配や選手の起用といった話題が中心でしたが、本書で語られるのはスバリ組織論です。

本書の内容を紹介する前に岡田監督の成績を見てみます。

  • 阪神監督時代
    • 2004年 4位(Bクラス)
    • 2005年 1位(Aクラス)
    • 2006年 2位(Aクラス)
    • 2007年 3位(Aクラス)
    • 2008年 2位(Aクラス)

  • オリックス監督時代
    • 2010年 5位(Bクラス)
    • 2011年 4位(Bクラス)
    • 2012年 6位(Bクラス)※途中休養

阪神監督として5年で4回のAクラス、そして1回の優勝という成績は結果を出していると言えます。

一方オリックスの監督としての3年間はいずれもBクラス、最終年は事実上の更迭という残念な結果に終わっています。

よって本書で語られる組織論は阪神を良い例として、オリックスが悪い例として引き合いに出されています。

ただし本書で岡田氏の主張していることは次の言葉にほぼ集約されているといえます。

勝つチームをつくるために必要なのは、組織の力だ。
プロ野球は現場だけの力でも、フロントだけの力でも勝てない。
両者の力が合わさってこそ、結果が出る。そのためには、現場とフロントが同じ方向を向いて、どういうチームをつくるのかを、お互いでしっかりと話し合わなければいけない。
現場とフロントが1つになって、組織は初めて力を発揮する。

本書の示す現場とは、監督やコーチたち(選手は含まない)であり、"フロント"とは球団社長や本部長、場合によってはオーナーも含まれます。

最近は野球ファンの目も肥えており、監督やコーチの采配や指導力だけでなく、フロントの行う球団運営の手法が批判の矛先になることが多くなっています。

ただよく考えると、フロントは現場の人事や予算に関する主導権があり、さらにFAやトレード、ドラフトといった戦力補強にも一定の発言権を持っているから当然といえます。

これを企業に例えると、営業や製造といった部門が"現場"、経営陣、人事や財務といった間接部門が"フロント"といえます。

この2つの要素がうまく噛み合わない企業が業績を伸ばせる訳もなく、それだけに岡田監督が実際に経験し、そして分析した本書の内容は、ビジネスにも充分に応用できるといえます。


最後に蛇足ですが、悪い例として挙げられているオリックスはあくまでも組織論とはいえ、ファンが気の毒に思えるほどこき下ろされているのでご注意ください。

峠うどん物語 下



国道の走る峠に市営斎場と向かい合って営業している「峠うどん」を舞台にして繰り広げられる物語の下巻です。

作品自体は上下巻を通じて10編の短編で構成されています。

基本的にそれぞれの短編は独立した形で完結していますが、全編をつなぐストーリーも存在しています。

その1つが「峠うどん」の商売についてです。

中学に通う主人公・淑子(よしこ)の祖父母がうどん屋を経営していますが、職人気質の祖父は客席を増やして葬儀帰りの団体客を受け入れるような提案にまったく耳を貸しません。
つまり商売っ気が無いのです。

葬儀帰りの悲しみに沈んだ人を慰めるような味にこだわったうどんが売りであり、そんなお店だけに人生の終焉つまり""を扱った作品でありながら、人情味溢れるストーリーが繰り広げられます。

そこへ頑固な祖父とおせっかいな祖母、そして何にでも興味津々な孫の淑子、時には教師である淑子の両親が加わりストーリーが多彩に広がってゆきます。

下巻の終わりへ近づくにつれ毎週楽しみにしていた連続ドラマが最終回を迎えつつあるような寂しさを覚えますが、それも読者としていつの間にか「峠うどん」へ愛着を抱き始めているからです。

著者の重松清氏はあとがきで次のように書いています。
舞台は、斎場のすぐ近くにあるうどん屋 - 書き出す前に決めていたのは、それだけだった。

作者自身が、好奇心と期待を胸にどんなお客が入ってくるかを待っていたに違いありません。

峠うどん物語 上



峠のてっぺんにぽつんと建っているうどん屋「峠うどん」

元々は「長寿庵」という屋号でしたが、お店の面している国道を挟んだ真向かいに市営斎場が建設されてからは洒落にならないという理由で今の屋号に変更されたのでした。

かつてはトラックやタクシー運転手、ドライブを楽しむ家族連れで賑わったお店でしたが、今やお通夜やお葬式に参列したひとたちのお店に様変わりしたのです。

一方で変わらないのは、昔ながらの職人技が凝縮された手打ち麺と手作りの出汁にこだわり続けていることです。

そこは中学校へ通う主人公・淑子(よしこ)の祖父と祖母が2人で切り盛りするうどん屋でもあり、週末になる度に峠うどんを手伝いに出かけるのが日課でした。

ここまでは作品の導入部であると同時に物語の設定でもあり、このうどん屋を舞台にして起きるストーリーを短編として繋いでゆくというスタイルをとっています。

父親のかつての同級生、淑子の同級生の従兄弟の死、または斎場に働く職員のエピソードなどが登場しますが、作品自体は決して暗い雰囲気で進んでゆくわけではありません。

もちろん亡くなった人へ対して悲しむ人たちの姿が描かれる一方で、中学生の淑子は人の死を理屈では分かっていても、自分自身に経験か無いため実感としては乏しいのです。

それを人生経験豊かな祖父母をはじめ、お店を訪れる人たちを通じて少しずつ理解してゆき、彼女は成長してゆくのです。

私自身も成人するまで葬儀に出席した経験が殆どありませんでしたが、やはり年とともにそうした機会が増えてきます。

亡くなった人との関係もさまざまですが、まさしくそうした面を本作品は追求しており、多彩なストーリーが展開されてゆきます。

上巻では5つのストーリーが収められていますが、いずれも峠うどんが舞台としてキーポイントになっています。

つまり峠うどんに設置された定点観測カメラから物語が展開してゆきますが、そうした仕掛けの演劇を鑑賞しているような気分で読み進めるとより楽しめると思います。

悲素(下)



上巻に引き続き和歌山毒物カレー事件を扱った「悲素」下巻のレビューです。

著者の帚木蓬生氏は自身が医師ということもあり、砒素中毒患者を解析することで事件へ捜査協力を行った医学博士を主人公にして描いています。

主人公の沢井教授は毒薬中毒を専門にしていることから、過去にオウム真理教教団による一連のサリン事件の捜査協力を行った経歴を持っています。

作品の中では過去の松本サリン事件での出来事に触れるタイミングが出てきます。
ほかにも過去の毒薬が使用された事件や戦争の歴史にも触れてゆくことで、読者へ毒薬へ対する医学知識を与えてくれると共に、物語の奥行き深めてくれます。

上巻では事件の発生から、その被害者を診断結果を解析するところまでを描いていましたが、下巻では事件の全貌が見えてくるとともに、医学的見地からの証拠固めの過程からはじまりす。

そして中盤からは逮捕、取り調べ、裁判へと一気にストーリーが流れてゆきます。

よって後半では沢井教授が専門家の立場から公判に出廷する場面が登場します。

警察、検事、そして裁判官や弁護士はそれぞれの立場から沢井教授へ分析結果や意見を求めますが、そこで語られる内容はどれも同じようなものです。

作品の読者にとっては冗長に感じてしまいう部分ですが、事件の過程を克明に描こうとする作者の意思も同時に感じることができます。

たとえば砒素中毒タリウム中毒鉛中毒、あるいはギラン・バレー症候群との違いは作品中で沢井教授の口から何度も語られることもあり、読者もその違いを覚えてしまうほどです。

こうした点は医療サスペンスと共通する部分であり、実際に著者もそうした作品を手掛けています。

しかし本作品が迫力と説得力を持つのは実際に起きた事件を題材にしている点であり、エンターテイメントと片付けることのできない重さがあります。

私の場合リアルタイムでこの事件を知っていたものの、ニュースやワイドショーを熱心に見ていたわけではないため"何となく知っていた"程度です。

しかしこうした捜査の過程や裏側を描いた作品を読むことで、たとえ事件から時間が経過しても知ることには意義があると思います。

なぜなら砒素に限らず人体に有害な物質は工業を始め産業に欠かせない側面があり、世の中から無くすことは出来ません。
つまりいくら厳重に毒薬が管理されようともこうした事件が再び起きない保証はどこにもないからです。

悲素(上)



1998年7月25日に発生した和歌山毒物カレー事件を扱った小説です。

主人公は、毒薬の特定や被害者の診断を通じて警察の捜査に協力した九州大学の医学教授です。

登場人物は仮名ですが、作品の内容は事件を忠実になぞった実録小説といえます。

私自身もワイドショーで連日報道され、世間的に大きな注目を浴びた事件として記憶に残っていますが、夏祭りに集まった地域住民たちがカレーによって集団中毒になったこと、容疑者が逮捕される前から報道され続けていていたという印象がある程度です。

主人公の沢井教授はテレビでこの事件を知ることにりますが、報道される被害者の病状と、その毒物が青酸であることに矛盾があることをすぐに感じます。

それは神経内科、衛生学、そして環境中毒学を専門としている沢井は毒薬の知識に精通していたからです。

やがて毒薬の正体が砒素化合物と判明すると、沢井の元へ和歌山県警から捜査協力の依頼が届くことになります。

なぜなら沢井は日本ヒ素研究会の副理事であり、日本で数少ない砒素中毒者の臨床経験のある医学者だったからです。

本作品の特徴は、一貫して沢井教授の目線から描かれているという点です。
よって作品の序盤は、沢井教授自身がメディアや捜査官からの情報によって少しずつ事件の全容が明らかになってゆくというミステリー小説のような楽しみ方ができます。

ただしミステリー小説であれば、どんなに残酷な殺人鬼であってもエンターテイメントとして楽しむことができますが、この作品では犠牲者の数からその症状まで事実を元に描いている点で異なります。

「事実は小説より奇なり」と言われますが、容疑者によって毒物カレー事件以外にも保険金詐欺を目的として砒素が日常的ともいえる頻度で使用され続けた背景が明らかになるにつれ、沢井教授とともに読者の背筋にも寒いものが走ってゆきます。

私が住んでいる地域でも毎年夏祭りが開催され自治会の人たちが出店する屋台に多くの住民が集まります。

私自身も運営に関わった経験がありますが、そこでは子どもも大人も警戒心を抱くことなく提供される食物を口へ運びます。

そこへ致死量の毒物が混入されているとしたら・・・・・。

題材となっているのはその「if」が実際に起きてしまった事件であり、救急車が駆けつけた現場は阿鼻叫喚だったといいます。

本書を医学の力が犯罪を暴いてゆくストーリーといえば聞こえはいいですが、地道な研究を続けてきた医学者たちがその成果を社会へ還元するために奮闘した記録なのです。

小説ヤマト運輸



高杉良氏による"クロネコヤマト"でお馴染みのヤマト運輸を扱った実録小説です。

昭和50年(1975年)。
社長の小倉昌男が、どの運送会社も手掛けていない"小口便"の市場へ乗り出すことを決意する場面から物語が始まります。

オイルショックの影響で輸送需要が大幅に落ち込んでいた状況であったものの、社内からは小口便では採算性がとれないという反対意見が大多数でした。

彼らが生み出した"宅急便"という言葉が定着したように、今や無くてはならないサービスとして成功した結果は周知の通りです。

言うまでもなく新しい分野への挑戦は大きなリスクを伴いますが、そこへ成功の確信を持って躊躇なくチャレンジした小倉昌男には時代の流れを読む慧眼が備わっていました。


やがて物語は時間を遡り、大正8年(1919年)のヤマト運輸創業時に遡ります。
当時は自動車の存在自体が珍しい時代であり、鉄道や船、短距離であれば人力や馬による物資輸送が主力でした。

昌夫の父である康臣が創業したヤマト運輸(当時は大和運輸)は、関東大震災、軍による接収や空襲という苦難を乗り越えながら大手の運送会社として成長するまでに至ります。


そこからまた時代が冒頭に戻り、宅急便をさらに進化させクール宅急便、スキー宅急便、ゴルフ宅急便とサービスを拡充させてゆく過程が描かれてゆきます。

これらすべて順調だったわけではなく、むしろ知名度が広まるまでの取扱個数の伸び悩み、運輸省(現・国土交通省)からの免許発行や規制緩和を巡る闘いなど障壁の連続だったことが分かります。

つまり本書にはヤマト運輸の誕生から成長までの軌跡が詰まっているといえます。


また作品からもう1つ浮かび上がってくるのが、父であり創業者である康臣、そして息子であり二代目社長である昌男との間にあるストーリーです。

創業者の康臣は三越百貨店をはじめとして多くの取引先を開拓し、ヤマト運輸を大手企業へと押し上げます。

その会社へ息子の昌男も入社することになりますが、康臣は息子を決して甘やかすことなく、むしろ厳しい現場へ送り込んで鍛え上げるとともに、経営者としての資質を見極めようとします。

そして二代目社長となった昌男は、運賃の大幅値下げを要求してきた三越百貨店との取引を打ち切り、主力だった大口便から事業撤退し小口便へ舵を切ることになります。

一見すると父親が懸命に切り開いた事業を息子が否定したように思われますが、決してそうではありません。

二人はその時代でもっとも相応しい事業へ乗り出す決断を下しただけであり、父親が初代創業者、息子が第2創業者の役割を担ったという点で、理想的なバトンリレーであったといえます。


本書は1994年までのヤマト運輸を描いて終わっていますが、それから20年以上が経過し、今はドライバーたちの長時間労働やサービス残業をはじめとした労働環境が社会問題としても取り上げられています。

もちろんこれはヤマト運輸だけでなく業界全体が抱える問題でもありますが、やはりリーディングカンパニーとしてのヤマト運輸が注目されるのは仕方ないと言うより、当然であると言えます。
直近ではドライバーたちの待遇改善や消費税増税を理由とした運賃の値上げを行っていますが、肝心の業績は芳しくないようです。

経営も創業一家の手を離れ、歴代社長も10人以上に引き継がれて現在に至っています。

今も続くヤマト運輸の物語がどのような軌跡を辿ってゆくのか、密かに見守ってゆきたいと思います。

三遊亭円朝と江戸落語



私自身が落語の熱心なファンというわけではありませんが、最近は若い世代にも人気が出ているようです。

落語の良いところは、堅苦しさがなく気楽に聞けるという点でしょうか。
最近は機会がありませんが、2割くらいの客入りの中でのんびりと昼席を楽しむ、もしくは映画代わりに夜席を楽しんだあとに1杯飲みにいくというのは、何とも言えない贅沢な時間の過ごし方です。

公演日を気にすることなく、いつでも開いている常設寄席の存在は日本演芸の屋台骨を支える存在だと思っていますが、新型コロナウィルスの影響で休演する常設寄席も出てきているようで心配です。

話が逸れましたが、本書では江戸から明治にかけて活躍した落語家である初代・三遊亭円朝(圓朝)を扱っています。

志ん生、志ん朝、談志など、名人を挙げればキリがありませんが、現代落語において円朝の果たした功績は比類するものがなく、大作を創作する一方で、明治以降の言文一致運動においても文壇へ大きな影響を与えたと言われています。

まず前半では円朝の生い立ちを辿ってゆきます。

放蕩三昧の落語家であった父・円太郎のせいで一家困窮する幼少時代を送りますが、名人と謳われた円生の元へ弟子入りして若いながらもメキメキと頭角を表します。

しかし弟子の実力に嫉妬したのか、やがて師匠との間に確執が生まれてしまいます。
それでも円朝は常に前向きであり続け、没落しつつあった三遊亭一家の再興を誓い、自らの活躍にとどまらず多くの弟子を育てます。

後半ではそんな円朝が創作した作品(噺)の筋を紹介しています。
本書で取り上げられているのは、以下の作品です。

  • 真景累ヶ淵
  • 怪談牡丹燈籠
  • 塩原多助一代記
  • 黄金餅
  • 文七元結

さらに終盤では「円朝をあるく」と題して、先に登場した作品ゆかりの地を写真付きで掲載しています。

ともかく1冊まるごと円朝を扱った、落語に興味のない人でも歴史上の偉人として、落語ファンには新時代を切り開いた稀代の名人として楽しめます。

Youtubeでも落語を聞くことはできますが、やはり落語は生で聞くのが格別であり、コロナ騒ぎが収まったら久しぶりに寄席へ足を運んでみたいと思わせてくれます。