本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

東京スカイツリー物語

東京スカイツリー物語

2012年5月に世界一の自立式電波塔として開業した東京スカイツリー

本書はそんな東京スカイツリーのプロジェクトに関わった人びとにスポットを当てたドキュメンタリー作品です。

登場するのは、技術者設計者デザイナー広告マン、そして経営者たち11人です。

1つ1つの物語がプロジェクトX風にまとめられており、NHKの同番組を好きな人であれば本書を夢中になって読んでしまうこと間違いなしです。

1人につき1章を割く形で構成されており、生い立ちから経歴、そして日々の仕事、胸に秘めた想いなどを紹介してゆきます。

著者の松瀬学氏は、ラグビーをはじめとしたスポーツ分野のルポライターとして有名ですが、本書の執筆にあたり丁寧な取材を行ったことが伝わってきます。

そしてこれだけの人たち東京スカイツリーの建設時期に同時並行で取材していたことに驚きます。

彼らに1つ共通しているのは、世界一のタワーを建設するという誰も経験したことがない仕事へチャレンジしなければいけないことです。

しかし仕事は積み重ねていくことで、経験や知識、そして何よりもプロとしての精神を培っていきます。

彼らはいずれも一流のプロであり、今後100年は東京のシンボルであり続けるであろう歴史的な事業をやり遂げます。

仕事へ情熱を失いかけている人を励まし、あるいは初心を忘れかけている人には、「プロとはなにか?」を改めて考えるきっかけを与えてくれます。

東京スカイツリーは"日本の技術力"の結集だけでなく、"モノ作りの精神"をも結集したプロジェクトなのです。

パチンコ「30兆円の闇」

パチンコ「30兆円の闇」 (小学館文庫)

どんな業界にも"矛盾"や"ルールを逸脱した行為"というものは存在します。

ましてパチンコ業界は法整備が未熟にも関わらず、あまりにも巨大な市場なため、その闇が深いものであるといえます。

本書はパチンコ業界の""の部分をジャーナリスト溝口氏が丹念に取材して描き上げたノンフィクションです。

私自身、学生時代に2、3度パチンコをした経験があるものの、今はまったくパチンコ自体に興味はなく、単なる好奇心で手にとった本です。

本書が最初に出版された2005年の時点でパチンコ市場が約30兆円と紹介されています(ネットで調べてみたところ2012年度のパチンコ市場は約19兆円とのことです)。

競馬競輪競艇、さらに宝くじの売上を足しても10兆円に遠く及ばないことを考えると、30兆円という数字が尋常でないことが分かります。

本書ではパチンコメーカ、そしてパチンコホールが存在し、そこに客が来るという一般的なイメージを覆す業界の裏事情が書かれています。

客寄せのため違法でありながらもホールが設置するBロムゴト師がホールから金をせしめるために使用するCロムに代表される裏ロムの存在、日本のパチンコ業界の裏金が韓国や北朝鮮へ流れる闇ルート、政治家や警察の癒着など。。。

実際のホール経営者やパチンコの裏社会で暗躍する技術者や詐欺師への取材を通じて、少しずつ闇の中が照らされてゆくような感覚で読み進めてしまいます。

公営ギャンブルを圧倒的に上回る規模にも関わらず、パチンコはギャンブルとしではなく、風適法(遊技場営業)が適用され、警察によってコントロールされている状態です。

著者は、ここにパチンコ業界が抱える諸悪の根源があると断言しています。

のどかな郊外に突如建てられたパチンコ店は決して珍しくなく、もはや日本の風物詩のような観さえあります。
つまり日本では、人びとの暮らしているあらゆる地域にギャンブル場が存在しているのです。

ギャンブルが決して""というつもりはありませんが、実態に即した法整備、そして不正を排除して健全なギャンブルとして生まれ変わらなければ、パチンコ業界に明るい未来はありません。

パチンコへの興味の有無に関わらず、日本の抱える社会問題にメスを入れた、すべての人にお薦めできる1冊です。

日本人は日本を出ると最強になる

日本人は日本を出ると最強になる 海外で働こう、学ぼう、暮らしてみよう!

かつて下着メーカのトリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長として活躍し、今や多くのビジネス書を執筆している吉越浩一郎氏による1冊です。

海外で働く」ことに興味を持っている人たちを対象に書かれたビジネス書であり、海外での勤務経験、そして妻がフランス人ということもあり、1年の半分をフランスで暮らしている著者ならではの視点で書かれています。

日本では非正規雇用社員の増加、そして政治や政策に閉塞感が漂っています。
そこで一刻も早く海外へ飛び出し、日本の常識が通用しない世界で視野を広げることを強く推奨しています。

そんな本書の目次を紹介しておきます。

  • 海外でも仕事ができる10の条件
  • 外国人にも負けない10の特徴
  • 海外で暮らすと得られる10のメリット
  • 日本にいてはもう成功できない10の理由
  • 日本をもっとよくする10の提言

はっきり言って日本の閉塞感や旧弊を強調し、外国のフェアな環境や快適さを意識的に取り上げる論調になっています。

つまり日本での活躍を前提としてビジネスに励んでいる人にとって、殆ど参考にならないかも知れません。

世界での活躍を夢見る若者の背中を後押しする本である以上、こうした割り切った書き方は"あり"だと思います。

また吉越氏のビジネス本は"分かりやすさ"に定評があり、本書の善悪二元論的な執筆は意識して行われたものでしょう。

とはいえ自動車メーカ、インターネット業界をはじめ、日本にあっても世界に目を向ける必要のある業界は数多くあります。

本書を通じて、世界における日本の客観的な特徴を知ることは決して無意味ではありません。

心の砂時計

心の砂時計 (文芸春秋)

遠藤周作氏の後期のエッセー集です。

遠藤氏は小説のみならず、多くのエッセーを執筆したことで知られていますが、柿生の狐狸庵から再び都内へ移り住んだ時期の作品です。

60代半ば頃の執筆ですが、ひょうきんな狐狸庵山人の一面を覗かせる軽快な筆運びで書かれています。

人間が歳を取ると、世間へ対して悲観的な気持ちになるのは今も昔も変わりません。

それを単なる愚痴として書いてしまうと若い世代に敬遠されてしまいますが、温かい目線とユーモアを交えて書かれる内容には、世代を超えて多くの人に受け入れられるのではないでしょうか。

本書が書かれたのは1990年代初頭ですが、当時、そして現代にも共通する社会問題、単なるグルメの話題、著者の好きな超現象の話題など、その内容は心の赴くまままに多岐に渡ります。

中には池波正太郎を気取ったグルメの話題まであり、そのエピソードの幅広さは読者を飽きさせません。

全体的に晩年の頃に書かれたエッセーと比べて、深刻な題材の登場頻度は少ない印象を受けました。

一心不乱に読書するよりは、電車に揺られながら、トイレで、昼寝のお供にと日常のちょっとした時間に1話、2話ずつ読み進めるのに最適な1冊です。

祖国とは国語

祖国とは国語 (新潮文庫)

藤原正彦氏のエッセー集です。

200ページ余りの文庫本にも関わらず、まったく毛色の異なった3部構成のエッセーで贅沢に楽しめる内容になっています。

それぞれ簡単にレビューしてみたいと思います。

国語教育絶対論


数学者である著者が、義務教育における国語の重要性を説いたエッセーです。

日本が世界で求心力を失いつつある最大の原因が、"国語の衰退"にあるとし、国語による自国文化、伝統、そしてそれによって培われる情緒こそが国力の源泉になると主張しています。

著者の過去の作品にも「祖国愛」というキワードは何度も登場しますが、数学者として世界を巡った経験、そして英語が堪能な著者が主張するからこそ、その内容には説得力があります。

この内容を深く掘り下げた作品に、大ベストセラーとなった「国家の品格」がありますので、興味のある方はそちらも併せて読むことをお薦めします。


いじわるにも程がある


本章では一転して軽妙なエッセーに変わります。

著者にはアメリカやイギリスに留学した経験からアメリカのジョーク、そしてイギリスのユーモアを兼ね備えたセンスがあります。

新聞や雑誌に掲載された何気ない家庭のエピソード、父親との思い出など、素顔の著者が垣間見れる気軽に読めるエッセーです。


満州再訪記


個人的に本書で一番印象に残った章です。

著者が高齢となった母親、妻子を伴って満州の新京(現・長春)を尋ねた旅行記です。

満州から逃避行の実体験を描いた戦後間もないベストセラー「流れる星は生きている」は、著者の母親・藤原てい氏の作品であり、戦後を代表する名著です。

命がけの引き上げを決行する母親の腕に抱かれていた幼い子どもが著者であり、母親に代わって息子が記した「流れる星は生きている」のエピローグです。

本章を読む前に是非「流れる星は生きている」を読むことをお薦めします。



私は著者の父親・新田次郎氏のファンですが、著者の本職は数学者であることもあり、父の影響で本を執筆している程度の認識しかありませんでした。

本書を読むと間違いなくその文才を父と、何よりも精神を継承していることを感じます。

若き数学者のアメリカ

若き数学者のアメリカ (新潮文庫)

藤原正彦氏が1972年にアメリカのミシガン大学の研究員、そしてコロラド大学の助教授として過ごした約2年のアメリカ滞在記を紀行文としてまとめた作品です。

以前紹介した「遥かなるケンブリッジ」の前作にあたる作品で、著者が野心も燃える20台後半に訪れた滞在記だけあって、どこか文章にも若々しさを感じます。

藤原氏は戦時中の満州生まれであり、彼の父親(新田次郎氏)も軍人として満州で従事していました。

アメリカへ留学した1970年初頭は沖縄返還以前であり、太平洋戦争に兵士として参加した経験を持つ人びとが多かった時代です。

幼いながも戦争体験をして、戦勝国(アメリカ)、戦敗国(日本)という意識が今よりも濃かった時代にアメリカへ向かう著者の心境は、日本人としてアメリカ人に舐められたくない日本人数学者としてアメリカで認められたいという意識が強かったようです。

アメリカ人への対抗意識から猛烈に研究に励みますが、孤独と疲労のために体調不良とホームシックで苦しむことになります。

どんよりと曇った寒いミシガン州の天候から逃げるようにフロリダへ旅をして、そこでアメリカン人ガールフレンドと知り合うようになって、少しずつ凍えていた著者の心が温まっていきます。

やがて温和な気候のコロラド大学に助教授になり、アメリカ人の文化を理解するに従い、当初抱いていた対抗意識や劣等感が氷解してゆきます。

つまりアメリカ人として漠然として捉えていたものを、彼らとの交流を通じて少しずつ理解できるようになってゆくのです。

  • アメリカは開拓により切り開かれた広大な国であり、さまざまな文化をバックボーンとした多くの人種で構成されている。つまり日本と違い多様な文化があること。
  • 日本人としてのアイデンティティこそが、多様なアメリカで埋没してしまわないために必要なものであること。
  • 個人主義のアメリカでは誰もが弱みを隠して強気で振る舞う必要があること。
  • それでも人間の感情としての喜怒哀楽は日本人と何ら変わりないこと

このような経緯を辿るまでに先輩・同僚の教授たち、自らが受け持つ学生、同じアパートに住む住人たちや近所の子どもたちなど、読者を飽きさせない豊富なエピソードと共に紹介してゆきます。

本書に登場する人物やエピソードは、今から40年も前のアメリカの滞在記であることを忘れてしまうほど生き生きとした描写されています。

外国滞在記としては金字塔といえるほどの名著だと思います。

功名が辻〈4〉

功名が辻〈4〉 (文春文庫)

信長秀吉が亡くなり、家康による天下統一がいよいよ迫りつつあります。

もちろんそれは後世から見た我々の目線であり、当時は秀頼淀君とそれを補佐する石田三成を中心とした豊臣家が健在であり、天下の行方は余談を許さないものでした。

伊右衛門の妻・千代北政所(寧々)と親しく、また情勢を鋭く見抜く先見性を持っていたこともあり、山内家(掛川6万石)は総力を挙げて徳川家へ味方することに決めます。

多くの大名が徳川家に従い、会津(上杉景勝)討伐への遠征途中ですらも決断に迷っていた中で、伊右衛門は千代の機転により豊臣家からの誘いの手紙を封を開けずに家康へ渡します。

そして家康からの信頼を決定的にしたのが、小山軍議において伊右衛門が掛川の城を徳川家に明け渡して、全軍を率いて対西軍との先陣を願い出た場面です。

6万石の大名が3千人足らずの兵士で先陣を駆けたところで、10万人以上が激突する関ヶ原の戦いにおいて大した影響力を持ちませんが、迷っていた諸大名の決断をうながして東軍を一致団結させるきっかけを作りました。

実際、伊右衛門が関ヶ原の先陣を任されることはなく、後方で戦の経過を見守ち続けるしかありませんでした。

しかし関ヶ原で目立った戦功を立てる機会の無かった伊右衛門へ思いがけなく土佐24万石の領地が与えられることになります。

徳川家へ味方することを決めたからには、率先して徹底的に尽くすという千代の助言を伊右衛門自身が忠実に実行して勝ち得た報酬でした。

そして戦場での働きだけでなく、家康自身が伊右衛門の政治的な功績を正当に評価できる能力をもった名将でもありました。

晴れて24万石の大名になった伊右衛門が、土佐へ赴任して地元の旧長宗我部家の勢力と争いを繰り広げる晩年も興味深い部分です。

30年以上も戦場を駆け巡り出世を重ねた伊右衛門も大大名になった途端に保守的になります。

千代のアドバイスを無視して容赦のない弾圧を加える姿は、器量を超えた責任を与えられたプレッシャーに苦しむ姿でもあったのです。

やがて伊右衛門が亡くなり、千代は見性院として京都で隠居生活に入ります。

夫婦二人三脚で夢を実現したかに見えましたが、彼女にとって台所は火の車でも伊右衛門と目まぐるしく過ごした日々が一番幸せな時期だったようです。

おそらく一足先に亡くなった伊右衛門も同じ想いであったのではないでしょうか。

功名が辻〈3〉

功名が辻〈3〉 (文春文庫)

山内一豊(通称:伊右衛門)、千代の物語も後半に入ります。

長寿という要因はと別に家康が天下を掌握する結果を招いた秀吉の失策は2つあります。

1つ目は秀吉が家康を徹底的に討伐することが出来ず「小牧・長久手の戦い」以降に徹底的な懐柔策を取り続けたこと、そしてもう1つは国力を浪費し、加藤清正福島正則に代表される武断派と、石田三成小西行長に代表される文治派の対立を決定的なものにした朝鮮出兵ではないでしょうか。

秀吉麾下の武将たちが消耗しつつ仲間割れしている中で、もっとも強力な大名である家康が力を蓄えることが出来たのです。

一方で秀吉が天下統一を果たし、そして亡くなるまでの間、伊右衛門・千代の回りでは一見するとたいした動きは見られません。

それも当然で、国内では戦が無くなり、伊右衛門は朝鮮出兵に加わることもありませんでした。

司馬遼太郎氏の筆も秀吉や家康を中心とした話題へ興味が行ってしまい、ほとんど活躍の場がない伊右衛門にページを割くことなく物語が進んでゆく感があります。

しかしそれは伊右衛門を疎かにしてしている訳ではありません。


伊右衛門自身が歴史の中心に立つことはありませんが、彼の仕えた主君たちがいずれも歴史の支配者であったが故に、彼の周りの出来事が日本史の中心であり続けたのです。

そして朝鮮出兵を免れた大名たちも聚楽第をはじめとした莫大な費用負担を普請に強いられ、"殺生関白"こと豊臣秀次の台頭、そして失脚を通して豊臣政権は求心力を少しずつ失ってゆきます。

功名が辻〈2〉

功名が辻〈2〉 (文春文庫)

戦国時代は完全な男社会であり、女性が"武将"として活躍することは皆無でした。

それでも人間社会に男と女しかいないことを考えると、女性が与えた影響は文献の記録以上に大きいものだったことは確実でしょう。

本書の主人公・山内一豊(伊右衛門)の周辺でも、お市の方北政所(寧々)淀殿(茶々)といった時代へ大きな影響を与えた女性が存在します。

そして伊右衛門の妻・千代もその中の1人です。

いざという時のために密かに持っていた嫁入りの持参金・黄金十枚を、夫の名馬を手に入れるために使ったというエピソードは有名であり、伊右衛門が信長やその麾下の武将たちに一目置かれるきっかけを作りました。

さらに千代のもっとも優れていた能力は、"人を見ぬく力"でした。

伊右衛門が最初に仕えたのは信長でしたが、これは独身時代の話であり、単に身近にいた有力大名に仕えたというところでしょう。

そして羽柴秀吉の能力を早くから見抜き、秀吉亡き後はいち早く家康の将来性を確信して伊右衛門の方向性を決定づけたのは千代の助言によるところが大きいようです。

伊右衛門自身は正直・律儀だけが長所であり、戦場での槍働きはともかく、時代の帰趨を見ぬくような能力は持ちあわせていませんでした。

ともかく勝ち馬を見抜く能力にかけては、伊右衛門よりも千代が数段は上だったように思えますし、女性だからこそ男の本質を見抜く賢さと眼力が千代に備わっていたのかもしれません。

天下統一を果たした秀吉によって掛川6万石の大名になった伊右衛門ですが、子飼いの有能な加藤清正福島正伸石田三成などの若手が次々と昇進して、伊右衛門をあっという間に抜き去ってしまいます。

伊右衛門はこれを悲観して出家しようとさえしますが、この処遇は当たり前といえるでしょう。


たしかに信長時代から最前線で現場を経験してきた実績があるものの、元々が信長直属の武将です。

伊右衛門に優れた武勇や智謀が無い以上、秀吉の腹心たちが先に出世するのは当然です。

それでも彼の人生を見ていると「人間万事塞翁が馬」という諺がぴったりです。

秀吉に重宝され過ぎなかったために、彼の死後に家康へ鞍替えするのに躊躇が少なくて済んだのではないでしょうか。

戦場を30年近く駆け抜けてようやく手に入れた掛川六万石。

そんな吹けば飛んでしまうような大名に飛躍の時が近づきつつあります。