本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

沙高樓綺譚

沙高樓綺譚 (文春文庫)

浅田次郎氏によるシリーズ短編集です。。

順序が前後してしまいますが、本書は以前紹介した「草原からの死者」の1作目にあたりますが、私のように逆の順番で読んでも全く違和感を感じません。

都心の青山にある"沙高樓"で繰り広げられる、決して公になることのない物語。

ミステリーな雰囲気とあと引く余韻はシリーズ初回からしかっりと定着しており、完成された著者の技倆の高さを感じます。

5作品(5人の物語)が収録されていますが、日本刀女の執念映画撮影ガーデニング極道と見事なまでにテーマがバラバラでありながらも、作品全体を通して不思議な一体感に包まれています。

読書をする理由は読む本や人によってそれぞれですが、本書は娯楽のための読書という意味では最上の部類に入るのではないでしょうか。

たとえば温泉宿などでゆっくりと1人で本書を読めたら、最高の贅沢かもしれません。

葬式にお坊さんはいらない

葬式にお坊さんは要らない―日本の葬式はなぜ世界で一番高いのか (日文新書 64)
現代の日本人にとって冠婚葬祭の中でもとりわけ結婚式葬式は重要なものとして捉えられているのではないでしょうか。

結婚式は最近登場した「スマ婚」をはじめ、人前式など多様化が目立ちますが、未だに葬式については斎場にお坊さんを呼んで読経をしてもらい、寺や宗旨宗派を問わない永代供養の墓地へ納骨するのが一般的ではないでしょうか。

著者はその葬式のあり方について、副題に「日本の葬式はなぜ世界で一番高いのか」と付けたように、問題提起を行っています。

日本人の9割は仏教徒でありながら、年末年始や観光以外に宗教上の活動拠点ともいえる寺院へ訪れる機会が少ないのではないでしょうか?


一方で日本には7万にものぼる寺院があり、その収入の殆どを檀家からの"お布施"によって賄われているという現実があります。
(日本のコンビニの数が4万強であることを考えると、その数の多さに驚きます)


著者は従来の葬式を簡素化した"直葬"を紹介する傍ら、檀家の減少により多くの寺院が廃業に追い込まれる将来を示唆しています。


宗教の本来の役割は人を幸せに導くこと、分かり易くいえば生きる上での悩み解消することですが、現代ではカウンセリングや精神科医をはじめとした様々な専門家がいることから、寺院へ対して悩み相談を行う機会も減っています。

また多くのボランティア団体の登場により、仏教が人々を救済するというイメージも薄れつつあります(個人的にはキリスト教系の団体の方がボランティア活動に積極的という印象があります)。


お経の意味はともかく、自分の宗派の宗旨や歴史を説明できない人も多いのではないでしょうか。

もっとも仏教に葬式の習慣はなく、まして死者へ戒名を授けるという習慣も世界中の仏教国では、日本だけです。

そもそも檀家制度に代表される一連の制度は、徳川幕府の成立期に黒衣の宰相といわれた"金地院崇伝(こんちいん・すうでん)"によって整えられたものです。


著者は葬式のあり方から仏教(その中でも主に寺院)の果たす役割をもう一度見つめ直すことを強く訴えています。

本書は"その時"が来てからは遅いかもしれない"葬式"という行事を見つめ直す機会を与えてくれます。

自壊する帝国

自壊する帝国 (新潮文庫)

前作「国家の罠」では鈴木宗男氏らと共に官僚としてロシア外交に携わった日々、そして背任容疑で逮捕され拘置所での取り調べの過程を克明に描いた作品ですが、本書はその続編ともいえるものです。

ただし続編とはいってもテーマは大きく異なり、著者が1987年にロシアに赴任してから1991年12月25日にゴルバチョフが大統領を辞任し、ソ連が崩壊するまでのロシアの内幕を中心とした作品です。

外交官としてソ連の体制派、反体制派の双方に太い人脈のパイプを築いていった過程を回想していますが、その交友範囲は広く、政治的指導者に留まらず、学者や宗教家、反体制側の活動家にまで及んでいます。

ただし本書には収集した情報をどのように分析し、外交に活かしたかについては殆ど触れらていませんが、そこで出会った人々の性格、そして考え方などを冷静に観察しようとする姿勢が感じられます。

ソ連の領土は広大であり、社会主義(マルクス・レーニン主義)というイデオロギーが様々な文化、民族、宗教を飲み込んだ国家であるために、日本では考えられないくらいに多様な人々が暮らしています。


その中枢ともいえるのがクレムリンにあるソ連共産党であり、広い国土と比べて極めて閉鎖的な空間に政治的指導者たちが集中しています。しかも指導者たちの中には早くからソ連の崩壊を予測している人も存在し、決して熱心な社会主義信奉者とは限りません。


にも関わらず、冷戦時代にはアメリカと双璧をなす軍事大国であり、ソ連の国内情勢の帰趨は全世界に大きな影響を与えるものでした。


そんな閉ざされた組織へ対し、佐藤氏は懸命にロシア人の根底に根ざす考え方を理解しようとします。

ロシアはアルコール依存症の人の割合が世界一という統計があるように、ロシア人は酒を飲みながら人相見をし、素面のときと酔ったときで言うことがブレないかを観察しているそうです。

佐藤氏はロシア人と(徹底的かつ何度も)ウオトカ(ウォッカ)を飲み交わしてゆくうちに、情報提供者という枠組みを超えて友情を培い、やがてソ連という帝国の深層部へ迫ってゆくことになります。

その過程でソ連より独立を果たしたリトアニア政府より独立に貢献した外国人60人の中の1人として勲章を授与された例は、象徴的であるといえます。


佐藤氏の著書を読んで感じるのは、優れた外交官は優れたジャーナリストになり得るということです。
本書は回想録や体験記としてだけではなく、ロシアという国を理解する上でも極めて重要な作品であるといえます。

日米開戦と山本五十六

日米開戦と山本五十六

主に日本とアメリカとの間に行われた太平洋戦争

そしてその結果がアメリカ側(連合国側)の勝利に終わったという事実は知っていても、その戦争(開戦)の理由を明確に答えられる人は少ないのではないでしょうか?

それもそのハズであり、未だに学者たちの間でも決定的な答えは出ていません。

戦争とは他の手段を以ってする政治の延長である」という有名な言葉が示す通り、未来は常に予測できない(=不確かである)以上、多少なりとも政策は常に多面性を持ったものであり、その結果として国家間の国益が真正面から対立し、交渉や調整での進展が困難である場合には戦争という政治的手段が取られるという序文には説得力があります。

もちろん結果を知る後世から見れば、枢軸国連合国へ戦いを挑んだ構図は軍事・経済的に無謀といえるものでした。

さらに地理的に孤立している日本が、孤立主義と参戦派で世論の揺れているアメリカという強大な国家を連合軍としての参戦を決意させるきっかけとなる奇襲攻撃という戦略は自殺行為にも等しいものでした。

こうした無謀な行いに対して"軍部の暴走"という理由で片付けてしまうのは合理的なように見えますが、当時のドイツの破竹の勢い(=ロシアの苦戦)、アメリカの輸出禁止処置やハル・ノートによりジリ貧に陥った首脳陣の危機感、軍部統制の制度上の欠陥、日中・日露戦争で不敗を誇ったがための慢心など、複雑な状況が絡み合った当時の状況に身を置いてみれば愚行ではあっても、必ずしも暴走とは言い切ることができないのではないでしょうか?

更に加えるとすれば、日本史上最大の犠牲者を出した戦争に対しての考察として、これほど曖昧な理由(=軍部の暴走)で終わらせてしまうことに個人的に違和感を覚えます。

本書では戦争の内容よりも日米の"開戦の経緯"について識者たちが考察を行っていくという形式をとっており、その顔ぶれも様々です。

内容も各人の主張や考えを素直に掲載している雰囲気があり、全体的に好感が持てます。

  • 森山優(静岡県立大学大学准教授)
  • 秦郁彦(現代史家)
  • 野村実(元防衛大教授)
  • 半藤一利(作家)
  • 大井篤(元海軍大佐・軍事評論家)
  • 土門周平(戦史研究家)
  • 猪瀬直樹(作家)
  • 須藤眞志(京都産業大学名誉教授)
  • 江藤淳(文芸評論家)
  • 土肥一夫(元海軍中佐)
  • 横山一郎(元海軍少将)
  • 内田成志(元海軍大佐)

特に旧海軍の士官といった貴重な当事者たちの太平洋戦争の考察には興味深いものがあり、いずれも故人となってしまわれた方々だけに貴重なものでもあります。

幾つかのテーマで"山本五十六"が取り上げられているのも、真珠湾攻撃の司令官として開戦の象徴ともいえる人物であると同時に、太平洋戦争の反開戦派としても知られた人物を通して考察することで、当時の日本の抱えていた矛盾を浮き彫りしています。

本書を読んでも戦争の原因そのものが明確になる訳ではありませんが、多角的に行わなる考察を吸収し、マスメディアの偏った情報に流されない、自分なりの考えを持つことが大切です。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

「インテリジェンス 武器なき戦争」の対談に登場した元外務省官僚の佐藤優氏による回想録です。

作品の前半は、著者がかつてロシア外交の担当者として従事した平和条約の締結、そして北方領土の返還という大きな目標に向かって政治家"鈴木宗男"とタッグを組み難しい交渉を続ける舞台裏が克明に記されています。

もちろんそれは佐藤氏の任務であるとともに国益に沿った行動であり、幾つもの困難を乗り越えて順調に進んでいくものと思われていました。

1997年のクラスノヤルスク合意では、2000年までの平和条約締結に向けて両国が全力を尽くすとの約束が取り交わされましたが、諸々の障壁により実現することは出来ませんでした。

次善策としてロシアとの関係が深いイスラエルを経由して交渉を進めていくことになりますが、2001年に小泉内閣が誕生し、田中真紀子氏が外務大臣に就任してから流れが変わり始めます。

外務省内部の改革を目論む田中氏と、長年に渡り外務省と太いパイプを使って外交に携わってきた鈴木氏との間で軋轢が生まれます。


国民の圧倒的な支持のもと、時代の流れは首相・小泉純一郎側へあり、その片腕ともいえる田中真紀子氏への支持も当然のように高いものでした。

すれ違いは少しずつ大きくなり、構造改革を掲げる小泉政権にとって鈴木宗男は"古い利権政治の象徴"として断罪されてゆくことになりますが、まるで露払いのように、まずは最も関わりの深かった佐藤氏が標的となります。

中盤から後半にかけては、2002年に著者が検察により背任容疑で逮捕・起訴され、512日にわたり拘束された日々を記していますが、検察官の取り調べの模様、そして著者自身の獄中日記が主な内容になってゆきます。

特に著者は外務省において情報分析を担当していただけあって、自らに降りかかった災難に対しても努めて冷静に分析し、かつ外交、政治力学、そして社会学的な観点から自分の置かれた立場を考察するという視点は非常に興味深いものです。

国家レベルの機密情報に長年携わった著者だけに、マスコミによって沸騰する世論、それが引き起こす政治的な圧力というものの怖さを情報のプロが教えてくれているような気がします。

もちろん単純に本書の主張に沿って佐藤氏の逮捕を冤罪であると断定することは出来ませんが、本書での著者の主張は一貫して国益に沿った外交活動において(少なくとも意識的に)不正行為を行った認識はないというものであり、かつその内容には説得力があります。

本書のタイトルが「国家の罠」であるのも頷けます。

著者が逮捕されてから10年が経過しますが、ロシアとの間で北方領土の問題は相変わらずとして横たわり、将来の見通しも不透明な状態です。

そう考えると、著者が国策捜査により逮捕されて道半ばにしてリタイヤせざるを得なかったという事実は、国家の損失であるように思えてなりません。

吐カ喇列島

吐カ喇列島 (光文社新書 365)

吐カ喇(トカラ)列島をこよなく愛する筆者によって書かれた紀行文です。。

トカラ列島は屋久島と奄美大島の間に100キロ以上に渡って連なる7つの有人島と5つの無人島から構成される島々です。

現在でも週に2度のフェリーが交通手段のすべてであり、そのためか決して知名度は高くはありません。

本書で具体的に紹介されている島は以下の通りです。

  • 口之島
  • 中之島
  • 臥竜島
  • 平島
  • 諏訪之瀬島
  • 悪石島
  • 子宝島
  • 宝島

これらの島々はまとめて"十島村(としまむら)"と呼ばれる鹿児島県内の1つの行政区域であり、日本一長い村であるものの、人口は700人に満たない地域です。

僻地ということもあり良い意味で観光化されておらず、本州と奄美大島の文化が絶妙にブレンドされた独自の雰囲気に溢れています。

悪石島に伝わる"ボゼ"と呼ばれる仮面装束は、遥か南方のポリネシアを連想してしまう強烈なインパクトを持っています。

30年にわたりトカラ列島に通う著者ならではの、時代の移り変わりによる島の暮らしの変化、そして新たに島へ移住し第二の人生をスタートした人たちなど、ドキュメンタリーを見ているかのような人間ドラマも描かれています。

新書としてはボリュームがあり、島ごとの魅力が丁寧に解説されている読みごたえのある1冊です。

副題の"絶海の島々の豊かな暮らし"にある通り、地理的に不便な場所にあるからこそ独自の豊かな生活や文化が保存されていた側面があり、沖縄とは違った島の魅力を味わうことができます。