本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

一号線を北上せよ


"一号線"といえば国道1号、つまり東京~横浜間の別名・第二京浜を個人的には思い浮かべますが、本書ではヴェトナムのホーチミン~ハイノ間を結ぶ国道1号のことを指します。

ヴェトナムでもっとも大きい2つの都市を海岸沿いに縦断する国道であり、その距離は約1800km(日本列島でいえば青森~下関間の距離)にも及びます。

しかもこの道を旅するのが「深夜特急」で知られる沢木耕太郎となると、同作品のファンであれば本書を手に取らない理由はありません。

この旅を行ったのは本ブログで以前に紹介したNHKの番組製作のために訪れたブラジルへの旅を描いた「イルカと墜落」の翌年であり、2002年ということになります。

著者は1947年生まれで当時54歳であり、ユーラシア大陸をバスで横断したときの年齢が20代半ばであることを考えると、決して若いとは言えない年齢です。

当時のヴェトナムはインフラの整備状況が充分な状態とは言えず、一気にバスで踏破しようとすれば、かなり過酷な旅になるはずです。

しかし若くはなく、作家として確固たる地位を築いている沢木氏にとって若い頃のように乏しい所持金を気にしたり、バスの中で長時間にわたり過酷な道に耐え続けるといった苦痛を自ら求めるような旅をする必要はありません。

また作家としてのスケジュールを考えると、定職に就いていない若い頃のように、心ゆくまでヴェトナムに滞在し続けるといったことも出来ません。

つまり本書で描かれているヴェトナム旅行は若い頃のように無計画なものではなく、年齢相応の旅を楽しむというスタイルを取っています。

このような表現をすると、刺激が少ない物足りない内容ではないかと思う人がいるかも知れませんが、実際には旅のそして何よりも人生の経験を積み重ねてきた円熟味のようなものが感じられ、「深夜特急」とは違った魅力を楽しむことが出来ます。

無理のない距離で途中下車し、その町の風景やそこに住む人々の暮らしをじっくりと観察する余裕のようなものがあり、こういった旅なら自分もしてみたいと思わせるものがあります。

一方でバイクタクシーや商店などで料金を吹っ掛けられていると感じたら躊躇なく値切り交渉をする場面などは、昔と変わらない著者らしい旅慣れたしたたかさを感じさせます。

著者は林芙美子氏の小説「浮雲」からの文章を引用しつつ最後を次のように結んでいます。
「何時か、何処かで、消えるともなく消えてゆく、浮雲」のような旅人になるのも悪くないな、と思ったりもしていた。

私自身は今まで1人旅をした経験が殆どないこともあり、なかなかこの心境に達することはできません。

一方で本書を読むと、何歳になっても体が動く限りは自分なりの1人旅を楽しむことが出来るのではないかと思わせるものがあり、ちょっとした冒険を楽しんでみたい気持ちに駆られます。

新麻雀放浪記


タイトルから分かる通り阿佐田哲也氏による大ヒットシリーズ「麻雀放浪記」の続編です。

正直に言えば続編が存在することすら知りませんでしたが、古本屋で偶然目にして迷わず手に取った1冊です。

前シリーズは戦後間もない混沌としたバラック街の奥深くで開かれている賭場、個性的な"博打打ち"、そして"バイニン(麻雀玄人)"たちとの勝負といったアウトローな雰囲気が魅力的な作品でした。

それでもシリーズ終盤となる昭和30年頃になると、日本が戦後から復興しつつある反面、日陰に生きる博打打ちたちが次々と姿を消してゆく哀しさも描かれていました。

著者自身をモデルにした主人公・坊や哲も博打の世界から足を洗い、十数年が経過した時点から物語が始まります。

生来の博打打ちが会社員となってそれなりに充実した日々を送っている訳もなく、かなり冴えない状況にいます。
私はすっかり中年男になって、腹がふくれ、禿げあがり、途方もなく長い時間眠るようになっていた。
もう誰も、坊や哲、などとは呼ばない。
それどころか、昔、骨と皮だけになって打ちまくっていた頃の写真を見せても、それがこの私とは誰も信じない。

実際の生活は、定職を持たず、妻子もつくらず年老いた両親の住む生家に転がり込みといったいわばニート状態です。

所持金もなく、タバコ1箱を万引きするといったつまらない理由で留置所へ放り込まれてしまいます。

落ちるところまで落ちたという感じですが、その留置所の中で同じく万引きで捕まっていた1人の学生と出会うことが大きな転機となってゆきます。

本書の副題は"申年生まれのフレンズ"とあり、作品の舞台が昭和50年前後であることを考えると、この学生は1956年生まれということになります。
主人公は学生に"ヒヨッ子"というあだ名を付けます。

やがて水商売をしている同じくらいの若い女性花枝とも出会い、主人公はいわば彼らの"博打の師匠"という形で、日本各地、さらに海外を舞台に物語が展開してゆきます。

戦後の混沌とした世界の中で命を的に"博打打ち"として生きてきた坊や哲、そして彼がその世界から足を洗う頃に生まれてきたヒヨッ子、花枝とは親子ほどの年齢差があります。

博打打ちたちは麻雀などで一時的にコンビを組むことはあっても、本質的には一匹狼として生きてゆくものです。

息つく間もない殺伐とした勝負の場面が描かれている一方で、それを誰よりも知っている坊や哲が彼らに博打を指南してゆく姿は前作にはない雰囲気です。

やがて勝負勘を取り戻してきた坊や哲が、マカオのカジノで大勝負に挑むという場面が作品のクライマックスになってゆきます。

読み終わって思うのは、どんな舞台であれ阿佐田哲也氏の描くギャンブルの世界は抜群に面白いと改めて実感したことです。

そしてその面白さは今ではとても公言できない著者自身の経験に裏打ちされているのは間違いないと同時に、著者のような経歴を持つ作家が今後誕生するような余地がないことを考えると寂しさも感じるのです。

炎のなかの休暇


吉村昭氏による私小説です。

著者にとってエッセイで自らの生い立ちや日常を語ることはあっても、それを私小説として発表している作品は珍しいのではないでしょうか。

タイトルの""とは、東京大空襲をはじめとする大戦中におけるアメリカのB29による焼夷弾投下を指し、"休暇"とは、戦中の国家総動員法による勤労動員はあるものの、学校が休校状態となったこと、加えて著者の場合は肺結核を患い療養を行っていた時期とも重なるため、その間を長期休暇に例えたものになりあmす。

ちなみに著者自身は徴兵検査で第一乙種に指定されるものの、実際の徴兵には至らずに終戦を迎えています。

つまり本書は戦中、戦後間もない頃の体験を小説化したものであり、昭和52年から55年にかけて発表された8つの短編が収録されています。

空襲により町を焼け野原にして多数の遺体が至るところに転がる風景、戦中の言論統制、さらには終戦を迎えて一層ひどくなった物資の困窮を主観的、かつ感情的に描けばどこまでも悲惨な表現が可能ですが、不思議とどの作品からもそうした印象は受けません。

それは戦争を経験した著者がもっとも多感な時期、つまり青春時代と重なるからであり、後世から見れば大変な時期ではあったものの、著者自身の心情は灰色一色ではありません。

一方で読者の立場からは、戦争がもたらす悲劇が誇張のないリアリティな表現を通じて伝わってくるという迫力があります。

たとえば兄の1人が戦死して遺骨となって自宅へ戻り、それを見て泣き叫ぶ母親の描写、父親が不在のときに大規模な空襲があり、異臭を放つ遺体の群から父親を捜索する描写(このとき父親は結果的に無事だった)、更にはその父も母も間もなく病死してしまう場面などです。

短編集ということもあり、作品間に時系列、間接的なつながりはあっても、それぞれの作品が独立したストーリーとして成立しています。

簡単にそれぞれの短編で描かれているエピソードを書き出してみたいと思います。
  • 近所へ引っ越してきた歯科医一家の息子と毎日のようにトンボを追いかけ、やがてその一家が心中を図った事件
  • ロシアから亡命し近所へ引っ越してきたロドルフ一家のこと
  • 空襲で行方不明となった父親を探しに愛人宅を訪れたこと、
  • 近隣から非難されながらも一心不乱にランチュウの養殖を続けた近所の転居人のこと
  • 結核を患い病臥していた頃に定期的に見舞いに訪れてきた友人との関係

どれも戦争全体から見ればささいな出来事ではあるものの、著者自身の体験だけにそれぞれの場面が鮮やかに描き出されている印象を受けます。

吉村氏は日暮里で生まれ育っていますが、50歳前後の頃に夜間空襲で焼け、大半の住民が居なくなり、さらに戦後復興により戦前の面影が消えてしまった生家の近隣を度々訪れるようになったといいます。

頭の中で消えてしまった町を再構築してゆくうちに、昔の記憶や思い出が突然のように蘇るといいます。

本書はいわば作家・吉村昭氏の原風景が描かれているといってよく、同氏のファンにとって必読の1冊ではないでしょうか。

勝負眼


本書はサイバーエージェント元社長(現会長)藤田晋氏による週刊文春での連載を書籍化したものです。

本書に掲載されている記事の大部分が当時社長だった時に執筆されていること、連載1回あたり2400字程度で、それが50週分連載されていること、さらに社員数約9000人、売上高約9000億円というサイバーエージェントという企業規模を考えると、現役経営者が出版した本としては異例なほど充実しています。

実際に本書で触れらていることは会社経営、趣味のこと、さらにはプライベートな出来事まで多岐にわたりますが、視点としては完全にビジネス書を意識して書かれています。

私自身がかつてサイバーエージェント社と仕事をしていた時期もあり、個人的にはかなり身近に感じている企業です。

藤田氏にとってはじめての著書「渋谷ではたらく社長の告白」を再読したときに本ブログで紹介していますが、はじめて読んだのは2005年に発売された直後でした。

ベンチャー企業創業者としての経験が生々しく綴られている内容に当時は驚いた記憶があり、その後の若いベンチャー起業家にとって一種のバイブルのような存在になっていったように思います。

創業者である著者が社長を辞めると宣言したのは2023年であり、当初は2026年に社長交代の予定でしたが、1年前倒しして2025年11月に会長へと退いています。

私個人としては当時の社長交代宣言を意外に思いました。
なぜなら現在68歳でソフトバンクグループを率い続ける孫正義氏のような存在になってゆくと勝手に想像していたからです、

本書では著者が社長交代を決意した理由が明確に述べられています。
サイバーエージェントは若い社員を思い切って要職に起用する。それが組織の活気に繋がっているし、成長の原動力にもなっている。
なのに、その会社のトップがずっと変わらず、気がついたら60歳というのでは説得力がない。事業内容も若者向けが多く、社長の若さはイメージ的にも必要だ。

26歳で最年少上場社長になった立場を考えると、社内におけるその影響力の強さや自分への依存度の高さを容易に想像できますが、それらを俯瞰的して観察できているといえます。

藤田氏は創業者にありがちなワンマンタイプの社長ではなく、自らの経営者としての強みを「忍耐力」と答えていますが、実際には感情を表に出して怒鳴りたい場面が幾度となくありながらも、その度に自制を続けてきたエピソードがたびたび登場します。

彼は本書を一番読んで欲しいのは、これからもサイバーエージェントで働き続ける社員たちであると言っていますが、それを知って本書の執筆に時間をかけて内容を充実させようとした理由にも納得しました。

先ほど内容は完全にビジネス書であると紹介しましたが、藤田氏は多趣味なことでも知られており、麻雀、競馬、サッカー、映画鑑賞やヒップホップ、そしてお酒いずれにも造詣が深く、いずれもビジネス的に示唆に富む内容でありながらも、単純にエッセイとして楽しく読むことができる1冊です。

志ん朝の風流入門


著者の古今亭志ん朝といえば、昭和の名人として別格の存在である古今亭志ん生の息子であり、36人抜きという異例の抜擢人事での真打ち昇進、「ミスター落語」と評されるほどの完成された話芸、さらに立川談志が同世代に生きた落語家の中で唯一認めていた存在であり、とにかく落語の歴史を語る上で欠かせない噺家です。

唯一惜しむらくは、平成13年に63歳という若さで亡くなったことであり、ファンたちが円熟した名人芸を充分に楽しめる時間が短かったという点ではないでしょうか。

話は変わりますが、よく日本人は四季の移り変わりを愛でる心情があるといいます。
そしてタイトルにある風流とは、季節それぞれの風情を楽しむといった意味もあります。

つまり本書は志ん朝師匠が、落語ではなく風流という視点から四季を語った1冊になります。

作品の元となったのは昭和53年から7年間にわたりNHKラジオで放送された志ん朝自身が担当した「お好み邦楽選」であるといいますが、私自身はそのラジオを聴ける年代ではありませんでしたし、それどころか志ん朝師匠の高座を実際に見たことさえありません。

それでも残された音源や映像を通じて志ん朝師匠の落語は聴いたことはあります。

私自身はたまに落語を聴く程度には好きですが、噺家を評価できるほどの熱心なファンでないことを前提にすると、とにかく綺麗な江戸弁そして日本語を使い、初心者から通な人まで万人へお薦めできる噺家であるということです。

当時のファンからはまるで江戸へタイムスリップしたかのような感覚を与えてくれる名人だったという評価がありますが、本書を読むとそれが単純に話芸の巧みさだけではなく、江戸時代、もっといえば日本の歴史へ対する深い理解と知識に裏打ちされたものであることが分かります。

風流というと心情的なものと捉えがちですが、日本人は昔からそれらを言葉として表現する術を持っていました。

本書を読み進めてゆくと、風流を語る上での語彙は、現代人の方がはるかに乏しくなっていることを実感します。

志ん朝師匠が解説している風流を幾つか紹介してみたいと思います。

たとえば"初音(はつね)"とは、その年に初めて聞く音ではなく、ホトトギスとウグイスに限って、その年はじめての鳴き声を指した言葉であるということです。

そして"節分"とは季節と季節の区切りを指す言葉であり、つまり昔の節分行事は年に4回行われていたということです。

昔は"虫"という言葉は、コオロギやキリギリスに代表される秋の草むらに鳴く虫だけが対象だったこと、その中でもとくにカンタンとスズムシの鳴き声がもっとも美しいとされていました。

さらには昔から日本人がとくに愛してきた花は梅、桜、そして菊であったこと、そうした花々をどのように日本人は愛でていたのかについても細かく解説されています。

例を挙げてゆくとキリがありませんが、本書は決して風流に関する学術書ではありません。

先ほど説明した通り、本書はラジオ番組の台本が元になっているから全般的に口語調で書かれており、さらに所々に登場する志ん朝師匠の小噺が読者を和ませてくれます。

昔の日本人は天気予報など科学的に自然を観察する手段が少なかった分、五感を用いて繊細かつ敏感に自然を観察してきたことが良く分かります。

四季の移り変わりに本書を手にとって読んでいると、自然へ対する感受性が高まったような気がするのです。