神の代理人
塩野七生氏によるカトリックにおける最高位聖職者である4人のローマ法王を主人公とした歴史小説です。
中でも本書で取り上げられているのは、イタリアのルネサンス期に活躍したローマ法王たちです。
世界史の教科書でルネサンスとは、芸術とともに人文主義(ヒューマニズム)が開花した時代であったと解説されていた記憶があり、伝統的なカトリックの価値観(教会への絶対服従)とは相性が悪いものだと思っていました。
実際にこの時代の価値観がのちの宗教改革(プロテスタントの誕生)へと繋がっていきますが、一方でミケランジェロやダヴィンチ、ラファエロといった有名な芸術家たちはカトリック教会がおもなスポンサーとなり後世へ残る作品を生み出したという事実もあり、本書で取り上げられている法王たち自身も彼らの熱心なパトロンでした。
本書に登場する4人のローマ法王は以下の通りです。
- ピオ2世(在位:1458~1464年)
- アレッサンドロ6世(在位:1492~1503年)
- ジュリオ2世(在位:1503~1513年)
- レオーネ10世(在位:1513~1521年)
そしてこのローマ法王たちの軌跡を知る上で欠かせないが、当時のイタリア、それを取り巻くヨーロッパ主要国とその周辺の状況です。
まずイタリア国内の北から主要な勢力を挙げてゆくだけでもミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フェラーラ公国、フィレンツェ共和国、ローマ法王領、ナポリ王国があり、イタリアは中世を通じて日本の戦国時代のような群雄割拠状態にあります。
そのイタリアへ政治的・経済的な影響力を及ぼそうとフランス王国、神聖ローマ(ドイツ)帝国、スペイン王国らが虎視眈々とその機会を狙っています。
加えてヨーロッパのすぐ隣で東ローマ帝国を滅亡させ勢力を伸ばしてきているオスマン帝国が存在します。
こうして紹介してみると当時の複雑な勢力図を理解するのは大変に思えますが、そこは作品を読み進めてゆく過程で自然と頭へ入ってくるように書かれているので心配ありません。
本書に登場するローマ法王たちは、それらの国と時には同盟を結び、時には争うなど目まぐるしく立場を変え、カトリックを統率する聖職者というより、その実態は権謀術数を弄する政治家に近いという印象であり、現代の精神的指導者としての立場とは大きく異なります。
ただしイスラム教におけるスルタン、日本でも比叡山をはじめとした宗教勢力が大きな軍事力を持っていたことを考えると、中世ではこれが世界標準だったと捉えることもできます。
450ページにわたりびっしりと書かれている読み応えのある作品ですが、それぞれのローマ法王がとった政策は個性的であり、法王が代替わりした途端に方針を180度転換するようなこともしばしば起こり、最後まで退屈することはありませんでした。
1冊の文庫本としてはかなり満足度の高い内容であり、改めて中世ヨーロッパを歴史小説として楽しませてくれる塩野氏の作品に感銘を受けた1冊でもあります。
働かない技術
「中年の危機(ミドルエイジ・クライシス)」という言葉があります。
これは人生の折り返し地点に立ち、自身のキャリアの終着点が何となく見え始め、さらに体力的にも衰えを実感し始めることもあり、残りの人生へ対して不安や葛藤を抱いてしまう現象です。
本書のタイトルにある"働かない"とは、会社を辞めて不労所得で生活するという意味ではなく、若い頃にがむしゃらに働き、それを是として受け入れてきた世代の人たちが、働き方改革やワークライフバランスに代表される新しい価値観へ適応する必要性を表したものです。
本書では30代後半~40代のミドル世代(=大企業でいえば課長世代)へ向けて、これからの時代に「企業人」として行きてゆくための心構えや、今後必要とされる働く技術を解説・提案しています。
ただし、これは簡単なことでないことも確かです。
なぜならそれは社会人として自分を作り上げてきた価値観を作り変えることを意味し、若い世代のように柔軟な適応能力が失われつつある中年世代にとってその過程は苦痛を伴うものだからです。
本書では経営コンサルタントの新井健一氏が、これからの労働へ対する価値観を解説した上で、なぜ従来の価値観では通用しなくなるのか、さらにはこの価値観へ対応できない職場(会社)の待つ末路などを分かりやすく解説しています。
その上で冒頭にある今後必要とされる働く技術を解説・提案してゆきますが、その前提としてこれからの日本企業では、役割給人材、職務給人材の2つのタイプに分かれてゆくといいます。
役割給人材は特定の企業内で後輩メンバーを育成する役割を担い、職務給人材はポストに求められる職務の範囲内で責務を果たす人材のことです。
もちろんどちらにも長所・短所がありますが、それぞれの特徴についても解説されおり、自分がどちらに向いているのかを考える機会になります。
全体的に難しい専門用語などは使われておらず、新書という形態もあり、手軽に読めるビジネス書といった印象を受けました。
私自身もここ数年で大きく働き方の価値観が変わりつつあることを実感しており、中年の危機によって呆然と立ち尽くしてしまわないために本書から得られたヒントは多かったように思います。
ノラや
内田百閒(うちだ ひゃっけん)は夏目漱石の門下生として、また数々の小説や随筆を残した昭和を代表をする作家として知られています。
名前は以前から知っていたものの、その作品を読むのは今回がはじめてです。
本書は月刊誌「小説新潮」に連載された随筆の中で、家猫のノラ失踪の顛末とそのあとに住みついたクルについて書かれたものがまとめられたものです。
時期としては昭和31~45年の間、内田氏にとっては60代後半~80歳の時期に相当し、晩年に書かれた随筆ということになります。
内田氏は作品中で元々猫が好きだったわけではないと述べており、たまたま近所の野良猫が庭を訪れるようになり、餌を与えるうちに自宅に棲み着き、夫婦揃ってその猫を溺愛するようになったという経緯です。
作品中に描かれるノラやクルの愛くるしい仕草や性格、癖、また生活の中に猫のいる風景は、猫好きであれば読みながら思わず頬が緩んでしまいます。
私自身も2匹の雌猫を飼っており、1匹は元野良、もう1匹は元保護猫であることから著者の気持ちはよく分かるような気がします。
ところでノラとクルは同時に棲み着いていたわけではなく、ノラは飼い猫になってから約1年後に失踪し、クルはその2ヶ月後に自宅に棲み着くようなった猫です。
ノラが失踪した後、内田氏は毎日のようにノラの居た頃を思い出しては泣き出すという日々だったようで、それは数年が経過しノラが戻ってくる見込みがなくなってからも変わりませんでした。
作品中では昼夜構わず数え切れないほど涙を流す場面が登場し、すこし泣き過ぎではないかと思ったりしまたが、70歳近くではじめて猫を飼い、年をとって涙もろくなっていることが関係しているに違いありません。
さらに失踪したノラの行方を知るために幾度となく新聞の折込ビラを配布したり、読者が教えてくれた迷い猫が帰って来るおまじないと毎日続けたりと、出来る限りのことを試みます。
一方で作品を読み進めてゆくと、ノラが失踪した悲しみを新しく家に来たクルが少しずつ癒やしてくれる過程についてもよく分かります。
クルは失踪することはありませんでしたが、約5年度に重い病気にかかり、この時も毎日のように獣医に往診してもらうといった手厚い看護を夫婦で続けます。
そしてこの2匹の猫を失った悲しみがあまりも大きかったこともあり、その後に猫を飼うことは二度とありませんでした。
作品中には内田氏が猫たちへ抱いた喜怒哀楽がすべて描かれており、猫たちが人生を豊かなものにしてくれたことは間違いありません。
ちなみに本書は猫好きにとって有名な文学作品のようであり、長い猫ブームが続いているだけに長く読み継がれている作品になっているようです。
月下美人
吉村昭氏の短編集です。
本書には8作品が収められいますが、全ページの3分の1が表題作の「月下美人」に割り当てられています。
この「月下美人」は以前本ブログで紹介した作品「逃亡」の取材ノートというべき作品です。
この「逃亡」は昭和19年に霞ヶ浦海軍航空隊に所属する若い整備兵が、米国のスパイと思われる謎の日本人の指示で戦闘機を爆破し、そのまま終戦まで逃亡を続けたという事実を元にした戦史小説です。
著者は最初、この事実を偽名を名乗る人物からの電話により知ることになります。
(結局、この人物の正体は最後まで判明せず。)
この情報提供を頼りに直接本人へ取材をすべく訪れますが、彼は結婚して東京郊外の市役所に勤めており、職場の同僚はおろか妻にもそうした過去を秘密にして暮らし続け、最初は著者へ対して心を許さず警戒していました。
終戦から25年が経過しているとはいえ、本人にとっては出来れば誰にも知られたくない過去であったことは容易に想像できます。
しかし著者の取材申し入れが長年に渡る心の重荷を下ろす機会になると考えた元整備兵は、重い口を開く決心をするのです。
ただし当然のように吉村氏が発表した「逃亡」では作品中の出来事はノンフィクションであるものの、プライバシーを考慮して登場人物はすべて仮名(小説では望月)で執筆されています。
しかし作品が発表され肩の荷が下りたと感じた元整備兵は、かつて逃亡を続けた自らの軌跡を確かめるかのように旅へ出るようになり、ついには本人自らが歴史研究家との共著で本名を公表して回想録を出版するに至るのです。
そこまでの過程はそれほど単純ではなく、元整備兵の心の浮き沈みが激しく、何度となく吉村氏を困惑させるような出来事があったことが書かれています。
一方で著者が取材を申し込まなければ元整備兵がそうした過去を生涯心に秘めたまま人生を終えた可能性も充分あり、吉村氏は彼へ対して一種の罪悪感を抱き続けていました。
そうした作品発表の前後を併せて10年間にも及ぶ彼との関わり合いが書かれた「月下美人」は、元になった「逃亡」と併せて是非読んで欲しい作品です。
残りの7作品については私小説的な短編になっており、吉村昭の代表作といえば長編小説が有名ですが、短編小説を書かせても超一流の作家であるというのが個人的な感想です。
つまり本書はとてもお得な1冊であり、吉村昭ファンであれば必読の1冊といえるでしょう。
遠い幻影
吉村昭氏の短編集で、300ページ弱の文庫本に14篇の作品が収められています。
- 梅の蕾
- 青い星
- ジングベル
- アルバム
- 光る藻
- 父親の旅
- 尾行
- 夾竹桃
- 桜まつり
- クルージング
- 眼
- 遠い幻影
今まで読んできた吉村昭氏の作品もかなりの数になってきたこともあり、上記のうち半数以上は自らの体験を元に幾らかの要素を付け足した、いわば"準私小説"のような作品であることが読んでいると分かります。
残りの作品は、僻地の診療所へ自ら志願して赴任したきた医師、囚人の脱走騒ぎを体験した刑務官、探偵のアルバイトをする学生など、さまざまな題材が扱われています。
吉村昭氏のおもな長編小説は、はじめは純文学、続いて第二次世界大戦を扱った戦史小説、そして江戸時から明治時代を扱った歴史小説へとテーマが変わっていきます。
それに比べて短編小説はその変化の遍歴が分かりにくい部分がありますが、それでも作風が確実に変わっていっていることが分かります。
著者はあとがきで次のように語っています。
竹は節があるから強靭なのであり、直立した地上茎は、細いのに高く伸びても折れることはない。
私が短編小説を書くのは、竹にとっての節に似た意味を持つからである。
竹の節のように、一定の時間の間隔をあけて短編小説を書く。苦しい仕事ではあるが、それを書かなければ、小説を書く私が、もろくも途中から折れてしまうような危惧をいだいている。
つまり長編小説でテーマが変わってゆく過程は、まずは短編小説がきっかけになっていると捉えることができます。
たとえば本書では1980年代に書いた私小説を、同じテーマや場面を扱いながらもあえて準私小説のような形で書き直しているような作品もあり、著者がさまざまな試みによって自らのスタイルを進化させようとしている姿勢が見てとれます。
この"進化するための努力"は、著者が言うように"苦しい仕事"でもあり、作家として確固たる地位を築き上げてのちも、その地位に甘んじることのないプロとしてのストイックさが作品からも充分に伝わってきます。
著者の徹底した取材や調査によって書かれた作品は、なるべく華美な装飾を避けるかのように抑制された表現で事実をそのまま記述し、それを綿密な構成でつなぎ合わせるようにして完成している印象を受けますが、そのバックボーンが本書に収録されている短編小説であると考えると、感慨深いものがあります。
登録:
投稿
(
Atom
)




