全宗
火坂雅志氏による戦国時代小説です。
江戸時代に入るまでは僧侶が代表的な知識人層でした。
彼らの専門知識や教養は戦国武将たちにも重宝され、そこに注目した火坂氏は織田信長に仕えた沢彦、徳川家康に仕えた金地院崇伝を主人公にした作品を発表してきました。
そして今回紹介するのは、豊臣秀吉へ仕えた施薬院全宗(やくいん ぜんそう)を主人公にした歴史小説です。
歴史小説を注意深く読んでいると、秀吉の侍医としてその名前が登場することはありますが、その詳細に触れらている作品は殆どありません。
つまり全宗は医者であると同時に秀吉のブレーンでもあったのです。
彼は早くに両親を亡くして比叡山薬樹院の住持となっていましたが、信長の比叡山焼き討ちに遭ったのちに、当時医学の頂点にいた曲直瀬道三の弟子となり、その後に秀吉に仕えることになります。
全宗は甲賀出身であることから、本作品ではその出自を忍び(下忍)としています。
命がけで故郷を逃れた全宗には、強烈な上昇志向、つまり戦国武将たちのように立身出世へ対するギラギラした野望を持っていました。
全宗は曲直瀬道三門下で頭角を表してゆきますが、やがて師の道三は彼の持つ医者という身分に不相応な野望にも気付き始めます。
それは政治的な野心であり、たとえ師であろうとも敵として立ち塞がる相手は容赦しないという覚悟を伴ったものでした。
普通の武将であれば戦場での働きによって立身出世を成し遂げようとしますが、彼は武力によってではなく、独力して身に付けた医学という知識を武器にして成り上がってゆくことを決意します。
もちろん全宗には先祖から授かった領地や格式のある血統はなく、自分と同じような境遇から頭角を現し始めた秀吉に目を付けます。
信長の勢力が全盛期の頃から秀吉の将来を見抜き、彼に天下を取らせることによって自らの野望を達成しようと目論むのです。
火坂氏らしい戦国時代においてユニークな方法で立身出世を遂げるストーリーという着目点は読者を楽しませてくれます。
DRY
本ブログでも何度か紹介している原田ひ香氏の小説です。
主人公は北沢藍33歳。
かつてタワーマンションで夫と2人の子どもの3人で暮らしていましたが、自らの不倫が原因で離婚し、親権も夫側に取られしまい1人暮らしをしている女性です。
もっとも離婚前から夫との仲はうまくいっておらず、義理の父母とも折り合いが悪い状況が続いていました。
そして藍の母である孝子58歳。
彼女は定職にはつかず、あちこちに男を作っては水商売のようなことをして暮らしています。
次に藍の祖母のヤス80歳。
夫を早くに亡くし、年金暮らしをしています。
ちなみに藍の父は物心がつく前に離婚して家を出ており、顔も覚えていません。
また母と祖母に共通するのは、2人とも家事や子育てに関心が薄く、こうした2人を避けるように藍は10年間も実家に寄り付くことがありませんでした。
さらに母と祖母の相性が悪く、喧嘩が元で母が祖母へ対して傷害事件を起こしてしまい、藍は久しぶりに実家へ顔を出すようになります。
(幸い祖母のケガは軽症であった)
2人とも生活に必要な充分な収入がなく、いわゆる貧困層と言われている生活をしていました。
さらに藍も離婚してからの引っ越しなどで貯金を取り崩してしまい、経済的な余裕が無い状態です。
彼女は実家に顔を出すようになってから幼馴染である美代子と再会しますが、彼女も親戚から祖父の介護を押し付けられて、定職に付かず祖父の年金を頼りに暮らしている状態でした。
この美代子との再会がストーリーを思いがけない方向へ展開してゆくことになりますが、ネタバレになるため本ブログでは紹介するのは控えたいと思います。
著者の作品は現代の社会問題を切り取ったものが多く、本作品では貧困問題が大きなテーマになっています。
主人公の藍は1度は手に入れた安定した生活を離婚によって失いますが、もともと実家は裕福ではなく、家庭問題によって祖母から貧困の連鎖が3代続く状況になっています。
そして主人公の幼馴染である美代子は日々の介護に追われて定職に就くことが出来ず、結果的に平均的な生活水準を送ることが難しい状況に陥っています。
貧困問題は単に当事者たちの経済的な困窮だけに留まらず、差別、孤立、そして犯罪といった副次的な問題へと広がっています。
そうした意味で本作品はエンターテイメント小説としての側面と、社会派小説としての側面があるといえます。
ちなみに本作品に限らず、著者の作品には登場人物の収入や資産状況、つまりお金について具体的に言及されていることが多く、ストーリーそのものに生々しい現実感を感じることができます。
北極圏1万2000キロ
本書は伝説的な冒険家・植村直己氏がグリーンランドからカナダを経て、アメリカ(アラスカ)までの1万2000キロを犬ぞりで走破した過程を執筆したものです。
1万2000キロといわれても実感が沸かない数字ですが、ためしに北海道の最北端・稚内から九州の最南端・佐多岬までの運転ルートを検索してみると約2800キロであり、全然足りません。
東京~ロンドン間が直線で約1万キロという距離のため、とにかく途方もない距離であることが分かります。
またグリーンランドとカナダは陸続きではなく、凍結した海上を移動する必要があります。
そのためこの犬ぞりの冒険は冬季に行う必要があり、植村氏は2シーズン(1974年、1975年)に分けてこの冒険を敢行しています。
北極圏に住むイヌイットにも前例が無い、人類史上初の試みでもありました。
ちなみに犬ぞりを日常的に使用するのはグリーンランドのイヌイットのみであり、カナダ、アメリカに住むイヌイットはスノーモービルを利用しているようです。
もちろんスノーモービルを使用した方が早くて快適ですが、北極圏の大部分は無人地帯であるため機械の故障や破損は死へと直結します。
一方で10数頭で行う犬ぞりは、犬の世話が必要なもののリスクを分散することができるため、今回のような冒険での使用は合理的であるといえます。
植村氏は冒険にあたりグリーンランドで犬ぞりを扱うための訓練も行い、万全の準備を行います。
ただし当然のように犬ぞりで運べる重量には上限があり、またときには1000キロ以上の無人地帯を走破する必要があり、途中で食料を調達するためにカリブーやアザラシといった野生動物をハントする必要がありました。
さらには当時はGPSもなく、1日中太陽が昇らない極夜をコンパスや地形によって進まなければいけない危険、薄い海氷を踏み抜いて溺れてしまう危機、油断した隙に犬に逃げられてしまう危機など、本書を読んでゆくと冒険に成功したことが奇跡のように思えます。
実際に植村氏自身がもうこれ以上進めないと弱気になる場面が幾度もあり、その度ごとに強い意志力、そして優しいイヌイットたちの援助によって再び前進してゆく姿には読者も勇気づけられます。
ちなみに本ブログでは角幡唯介氏が北極圏を冒険した書籍も紹介していますが、併せて読むことでより北極圏地域へ対する理解が深まり楽しむことができます。
- アグルーカの行方
- 極夜行前
- 極夜行
加えて北極圏に住むイヌイットの生活に魅了され、1972年にグリーンランドを訪れてそのまま現地のイヌイット女性と結婚して猟師として生活を続ける大島郁雄氏の著書「エスキモーになった日本人」もお勧めです。
青春を山に賭けて
1970年に日本人としてはじめてエベレスト登頂を果たすと同時に、世界ではじめて五大陸最高峰の制覇を果たした植村直己氏がその翌年に出版した本です。
ちなみに五大陸最高峰と植村氏が登頂した時期は以下の通りです。
- モンブラン(ヨーロッパ大陸 / 4,810m / 1966年7月)
- キリマンジャロ(アフリカ大陸 / 5,895m / 1966年10月)
- アコンカグア(南アメリカ大陸 / 6,961m / 1968年2月)
- エベレスト(アジア大陸 / 8,848m / 1970年5月)
- マッキンリー(北アメリカ大陸 / 6,190m / 1970年8月)※現在の呼称はデナリ
ちなみにエベレスト以外はすべて単独登頂で達成していますが、彼は決して人間嫌いだった訳ではなく、自身(広い定義でいえば人間)の可能性へ挑戦したいといった考えがあったようです。
さらに本書ではアコンカグアに登頂したあとに60日間かけてアマゾン川を上流から河口までイカダで下るという冒険、さらにはアルプス最難関といわれるグランド・ジョラス北壁登攀の様子も紹介されています。
彼が活躍するフィールドは登山だけに留まらず、のちに犬ぞりで北極圏を冒険にも挑戦しています。
本書では一通りこうした冒険の過程が描かれていますが、さすがに1冊の本ですべての冒険を克明かつ詳細に書くには無理があり、エベレスト挑戦だけにテーマを絞った「エベレストを越えて」といった著書があったりします。
本書を読んで印象に残るのは個別の冒険譚というよりは、著者自身が語る自らの半生です。
植村氏は明治大学の山岳部に入りますが、それまで登山経験が殆どない初心者だったといい、合宿があまりに厳しくて辞めることも考えたといいます。
しかし生来の負けず嫌いだった植村氏は誰よりも熱心にトレーニングに励み、大学生時代に年間120~130日間は山に入っていたといいます。
そして大学卒業後は就職もせず、アルバイトで溜めたわずかな資金だけを頼りに単身アメリカへ渡ることになります。
アメリカの農園ではメキシコ人たちに混ざって資金稼ぎをしていたところを移民官に見つかり強制送還されそうになり、次にアルプス山麓にあるフランスのモルジンヌのスキー場で3年以上に渡り働き、この町を生活拠点にしがらモンブラン、キリマンジャロの登頂を果たします。
外国語を話せない、知り合いもいない、お金もないといった条件の中で躊躇せずとにかく前のめりに挑戦してゆく姿は冒険だけに留まらず、世界中を1人で渡り歩く上で欠かせないスキルだということがよく分かり、本書を通じて一番印象に残りました。
深重の海
いつの間にか本ブログでは津本陽氏の著書を40册以上紹介していることになります。
本書は第79回直木賞受賞作であると同時に津本氏が作家として世間に知られるきっかけとなった作品です。
津本氏といえば剣豪小説や歴史小説の名手として知られていますが、本作品はそのいずれにも属しません。
舞台は紀伊半島南東部にある太地湾(現・和歌山県太地町)であり、かつて日本における捕鯨文化の中心地として栄えた地域です。
そこで17世紀から続く伝統的な古式捕鯨が時代の激流に呑み込まれて衰退してゆく過程を描いた作品です。
作品を読めば分かるため詳細は割愛しますが、古式捕鯨とは網や銛を用い、さらには灯台からクジラの動きを見張る人たちを含めると数百人にも及ぶ規模で行われる捕鯨方式のことです。
クジラは肉や脂、さらには骨やヒゲ、皮に至るまで余すところなく利用できる資源であり、江戸時代には「一頭で七郷が潤う」と言われるほどの一大産業でした。
実際に代々鯨方棟梁を務めてきた和田家は、井原西鶴の「日本永代蔵」において日本十大分限者(日本の富豪TOP10)の1人として鴻池家や紀伊国屋と並んで紹介されるほどの繁栄を誇っていました。
一方で古式捕鯨に用いられる勢子舟や網船は小さな木造船であり、暴れるクジラによって、さらには海の難所として知られている熊野灘によって多くの命が失われてきた危険な漁場でもあったのです。
本作品の山場であり、古式捕鯨を一気に衰退させるきっかけとなったのが明治11年に発生した大背美流れです。
これは不漁が続き、年越しの支度金も無いほどの困窮に陥った漁師たちが熊野灘に現れた巨大なセミクジラを危険を承知で深追いした結果、100人以上の漁師が犠牲になった海難事故を指します。
本作品ではその一部始終がこと細かく描かれており、ドキュメンタリー映画のような緊張感があります。
そもそも不漁となったのはアメリカを中心とした蒸気船や爆薬付の捕鯨砲を用いた近代捕鯨によるクジラの乱獲が原因であり、古式捕鯨とは桁違いの効率性を備えていました。
多くの仲間を失い困窮する漁師たちは、それでも古式捕鯨を再興させるために資金集めなどに奔走します。
本作品はこうした経緯を代々続く漁師である弥大夫、孫才次親子の視点から描いいますが、大きな時代の流れによって1つの文化が滅んでゆく生々しさと哀しさを感じさせると同時に、著者の出身地である和歌山県を舞台にしている郷土愛も感じられます。
ちなみに同じ熊野太地の捕鯨を扱った作品に吉村昭氏の「鯨の絵巻」があり、併せて読むことでより奥行きを持った歴史を知ることができます。
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