本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

死顔


吉村昭氏の5つの短編が収録されており、文庫本で約150ページというコンパクトなサイズにまとまっています。

  • ひとすじの煙
  • 二人
  • 山茶花
  • クレイスロック号遭難
  • 死顔

本書に収録されている作品はいずれも平成17年(2005年)から18年(2006年)にかけて発表された短編であり、吉村氏は平成18年7月31日に79歳で亡くなっていることもあり最晩年の作品ということになります。

この中でも注目すべきは生前最後の作品となった「死顔」になるでしょう。

またよく知られていることですが、吉村氏の妻である津本節子氏も吉村氏と同業の作家であり、本書のあとがきとして吉村氏の最後の様子を語っているという点も注目です。

「死顔」は私小説であり、入院している次兄を見舞い、それから幾日も経たぬうちに亡くなり、そして葬儀へ出席した日々を描いた作品です。

作品は吉村氏らしく淡々と当時の状況と自身の心情が綴らており、そこからは寂しさのようなものは感じられても大きな悲哀は感じられません。

それは亡くなった次兄が87歳という高齢であり、残された家族にも天寿を全うできたという気持ちがあり、当時の著者自身も70代となり切迫した気持ちにならなかったからではないでしょうか。

ちなみに吉村氏は九男一女の大家族で育ちますが、早逝や戦死した兄弟も多く、両親も10代の頃に相次いで亡くしていることから、若い頃から肉親の死を何度も身近に見てきた経験があります。

またこの作品を執筆する頃には、自身の死期をある程度悟っていたのかも知れません。

著者は癌で亡くなっていますが、比較的直前まで普通の生活を送っていたようです。

また用意周到な取材や資料調べをしてから作品を執筆し、締め切りを破ったことのない著者らしく、かなり前から遺書を克明に残していました。

その要点をまとめると、延命治療は望まないこと、自身の死は3日間伏せてその間に妻と長男長女一家の家族のみの家族葬を済ませること、弔花弔電は一切断ることなどが記されていました。

妻によると吉村氏は亡くなる前日の朝、衰弱状態にありながらもビールとコーヒーを僅かに口にして「ああ、うまい」と言い、その日の夜に自らの力で点滴の管を抜き、首の下にあるカテーテルも引き抜き、駆けつけた介護士の処置も拒否して未明に亡くなったそうです。

その場にいた妻と長女は泣いていたとあり、壮絶な最期を迎えたような印象もありますが、きっと吉村氏は自らの死期を悟って自分なりの自然な形で最期を迎えたのではないでしょうか。

最期に余談ですが、本書に収録されている「クレイスロック号遭難」は未発表作品として後に発見された作品です。

北海道近海におけるロシア船籍の遭難を扱ったもので、作家人生の後半を幕末から明治にかけての歴史小説を多く手掛けていた関係で最後まで精力的に活動していたことが伺えます。

著者がまだまだ健在であれば、次回大作のプロットのような位置付けの作品になったはずであり、その死が惜しまれます。

孟嘗君と戦国時代


日本を代表する歴史小説作家である宮城谷昌光氏が、孟嘗君を通じて春秋・戦国時代を読み解くという趣旨で執筆した、いわゆる歴史解説本です。

タイトルには"戦国時代"とありますが、実際には"春秋時代"にもしっかり言及されており、たとえば人気漫画「キングダム」などを通じて同時代に興味を持っている人にはうってつけの1冊です。

私がはじめて春秋・戦国時代に興味を持ったのは学生時代に読んだ海音寺潮五郎氏の「孫氏」が初めてでしたが、本書の著者である宮城谷氏の作品を次々と夢中に読み進めるうちにこの時代が大好きになりました。

大小さまざまな国が興っては消えてゆく戦乱の時代であったと同時に、孔子、老子、墨子など諸子百家といわれる思想文化が黄金期を迎え、さらに歴史には残る名宰相や名将軍たちが次々と登場する時代でもありました。

とはいえ周が衰えて春秋時代が始まり(西周の滅亡)、奏の統一によって戦国時代が終わるまでの期間は500年以上にも及び、その規模や期間においては日本の戦国時代とはスケールが違うだけに戸惑うこともあります。

そこで本書は取っ付きにくいと思われがちな春秋・戦国時代をより多くの人たちに興味を持ってもらうために執筆された1冊であるといえます。

それだけに決して難解な内容ではなく、本書で紹介されているエピソードはどれも読者の注目を引きやすいものばかりです。

加えてこの時代を分かりやすく理解するためのシンボル的な存在として、戦国時代に斉と魏という2つの大国で宰相を務めた孟嘗君を"戦国時代そのもの"として取り上げています。

ちなみに孟嘗君の活躍を詳細に知りたい人は、著者が「孟嘗君」というタイトルで長編小説を発表しているため、是非そちらを読んでみることをお勧めします。
(本ブログではまだ紹介していないため、いつか再読した際には記事にしたいと思います。)

私自身は過去に著者の作品を読んできた中で、本書に書かれているエピソードの大部分は重複している印象でしたが、改めて再確認するという意味で楽しく読むことができました。

大江戸死体考


ほぼタイトルだけで手にとってみた1冊です。

江戸時代をさなざまな視点から切り取った本は多いですが、"死体"という視点から考察している本はユニークだと思います。

著者の氏家幹人氏は、歴史研究家としておもに江戸時代に関する多くの著書があるようです。

現在の東京では江戸時代とは比べものにならないくらいの人口を抱えています。

これだけの人間が活動しているにも関わらず、もし道端や町中を流れる川で死体が見つかったらとしたら、ニュースになるに違いありません。

つまり現代社会の都市では生活から死が意図的に排除されていますが、江戸時代ではそうではありませんでした。

本書でははじめに江戸における漂流死体の多さについて言及しています。
当時はあまりに浮き死体が多く、いちいち検死する人手が足りないので、海水が流入する水路や川を流れる死体を見つけても奉行所へ届け出る必要はなく、漂着した場合は突き放してよいという規則だったようです。

また当時の江戸では生活水利用のための井戸が無数に掘られており、そこへ身投げをする人も多かったということです。

それも直後にはその事実に気付かず、井戸の中の死体が腐敗し、汲み上げた水が臭うという段階に至ってはじめて気付いたという事例もあったようです。

元禄時代には情死(いわゆる心中)が流行した時期があり、さまざまな理由やケースで情死した様子が当時の文献には残されています。

また江戸時代には"死体"そのものに利用価値がありました。

それはいわゆる"据物斬り"と言われるものであり、日本刀の切れ味や耐久性を試すために用いられたのです。

切れ味だけなら畳や巻藁でも試せますが、日本刀の本質的な存在価値は"殺人のための道具"であり、その道具としての真価を確かめるためには人体を試し切りするのがもっとも信頼があったのです。

もっとも江戸も中期に入り武士とはいえ泰平の世が続く中で実際に人を斬った経験を持つ者は皆無となり、試し切りは一種の専門家たちの手に委ねられました。

その中でもっとも有名なのが、御様御用(おためしごよう)を務めた山田浅右衛門です。

時代小説好きであれば名前を聞いたことのある人は多いと思いますが、山田浅右衛門という名前は代々世襲された名前であり、罪人の首を刎ねる処刑執行人としてのイメージが大きいかも知れませんが、本来は罪人の死体を使って試し斬りをし、刀剣の鑑定を行うのが本業でした。

本書のサブタイトルは"人斬り浅右衛門の時代"であり、後半では代々の浅右衛門をはじめ、彼の弟子たちの仕事ぶりから普段の生活に至るまでを当時の記録から引用しています。

単純に江戸時代を舞台にした小説を読むのも楽しいですが、併せて本書のような作品を読むことで、当時の風景や社会に奥行きを感じることが出来て、より一層楽しめるようになるのではないでしょうか。

観応の擾乱


本ブログでは中公新書から発刊されている日本の大乱シリーズを今まで3冊レビューしています。


シリーズは全4冊らしいので、本書が最後の1冊ということになります。

擾乱(じょうらん)」という難しい言葉が使われていることもあり、ひょっとするとシリーズ中ではもっとも知名度が低い"大乱"かもしれません。

一方で私が日本史の中でも南北朝時代)が好きで、吉川英治私本太平記」をはじめ何冊かの作品を本ブログで紹介していることもあり、個人的にはシリーズの中でもっとも馴染みの深いのが本書で取り上げられている「観応の擾乱」になります。

シリーズはいずれも歴史学者によって執筆されていますが、各学者が自らの専門として研究している範囲は特定の時代に限られており、その分深くまで掘り下げて研究するのが一般的です。
そのため各作品とも著者は異なり、本書は南北朝時代を専門に研究している亀田俊和氏によって執筆されています。

私が抱く「観応の擾乱」のイメージを一言で表すと"日本史上最大の兄弟喧嘩"です。

2人だけの兄弟喧嘩であれば周りに被害はありませんが、その2人が権力者のトップ1と2(足利尊氏足利直義)だったことが大乱につながります。

つまり日本全国の守護大名たちも真っ二つに両陣営へと分かれ、当事者のみならず日本各地で争いを始めてしまうからです。

さらにそこへ室町幕府(北朝)によって劣勢に立たされた南朝陣営も争いに加わるため、事態はさらに複雑になっていきます。

ところで室町幕府の初代将軍である足利尊氏は不思議な人物です。

たとえば織田信長のように強烈なリーダーシップで家臣をまとめ上げるタイプではなく、いざという時の瞬発力は文句無しなのですが、どうも持続力には欠け、情熱や意欲を失ったかのように政治へ対して無関心になるタイミングがあります。

そのため鎌倉幕府を滅ぼし、さらにライバルだった新田義貞後醍醐天皇に勝利した後は、実務を弟の足利直義や執事の高師直やに丸投げし、自身は引退したような生活を送っていた時期がありました。

観応の擾乱はまさにそうした時期に勃発したものであり、はじめは足利直義と高師直の間で勃発します。

正確な図式は足利尊氏&高師直 VS 足利直義 ということになりますが、尊氏には当事者意識があまり感じられません。

この争いは直義の勝利によって決着しますが、第二幕は尊氏 VS 直義という対立が始まります。

窮地に陥るに至って尊氏はようやくやる気を取り戻す一方で、今度は直義側に覇気が感じられなくなります。

どうも2人の間には心底憎しみ合った形跡は無く、取り巻きの大名たちに担ぎ上げられた結果として引くに引けない事態にまで進展してしまったような雰囲気があります。

しかもこの乱の過程においては両陣営ともに頻繁に入れ替えが発生しており、その過程がまるで派閥争いをしている政治家のようです。

またこの乱の重要なキーパーソンが尊氏の息子である義詮直冬であることも分かってきます。

本書から観応の擾乱における詳しい過程を知ることができると同時に、著者の亀田氏は定説とされてきた解釈に疑問を持ち、自らの考えを述べている箇所などは従来の太平記への印象を変えるようなきっかけを与えてくれます。

とにかく新書という手軽に読めるという意味で太平記ファンなら必読であると同時に、そうでない人にとっても日本史の面白さを発掘するきっかけになる1冊になっています。

近畿地方のある場所について


本ブログではジャンルを問わず色々な本を紹介しようと思いつつも、ホラー小説の分野はラヴクラフト全集を紹介した程度だったこともあり、2年近く前に購入したまま積ん読状態になっていましたが、"今どきのホラー小説"を読んでみようと引っ張り出してみました。

著者は「背筋」というペンネームであること、はじめに本作品が話題になったのは小説投稿サイトであるという点も"今どきのホラー小説"を感じさせてくれます。

ホラー小説はミステリー小説と似ている部分があり、ストーリーそのものを紹介してしまうとネタバレになってしまい、これから読む人の意欲を半減させてしまうため極力避けたいと思います。

まず面白いと思ったのは、本作品のストーリーそのものは極めてシンプルですが、多くのショートストーリーによって構成されているという点です。

正確にはショートストーリ-ですらなく、中には掲示板(BBS)の書き込みだけ、独り言のような記述だけで終わる場合もあります。

また作品中ではタイトルにある"近畿地方のある場所"は"●●●●●"という伏せ字で記載されていますが、ショートストーリーのいずれもが直接的、間接的に関わらずその場所へ関係のあるものになっています。

このショートストーリーを読者の頭の中で組み合わせてゆくこで、"●●●●●"にある怪奇の正体を推測できるという構成になっています。

私自身は読み進めてゆくと、令和版のクトゥルフ神話のような印象を受けました。

理由として主人公たちの脅威となる怪異は人間の力をはるかに凌駕した一種の"邪神"のような圧倒的な力を持っているという点です。

クトゥルフ神話であれば"異形の神々"と呼ばれるような存在であり、その正体を探ろうとした人間は命を失うか、運が良くても正気を失うという末路を辿ることになります。

また本作品がミステリー作品と違うのは、怪異の正体が明確に解説されていないという点です。

こうした手法はホラー小説では常套手段でもあり、読者それぞれの判断に委ねる余地を残しておいた方がより印象に残るものです。

私自身は自分なりの答えを得ることが出来て納得することができましたが、読む人によってはこの部分にストレスを感じてしまうかもしれません。

この物語では""が重要なキーワードになっていることから本ブログで過去に紹介した「山怪」シリーズを、また民俗学な雰囲気は柳田国男の「遠野物語」を連想してしまう要素もあり、個人的には楽しく読むことができました。

やはり日本の夏は怪談やホラーが風物詩であり、冷たいビールを片手に本書を読みながら夏の夜を過ごすのも悪くないと思います。