本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

七帝柔道記II


以前本ブログで紹介した増田俊也氏「七帝柔道記」の続編です。

書店で本書を見つけて迷わず購入しましたが、それは前作が青春スポーツ小説として抜群に面白かったからです。

オリンピック柔道とはまったく異なる寝技中心のルールで行われる七帝柔道(高専柔道)にすべてを捧げた若者たちの青春を描いた作品であり、しかもこの競技は世間から注目される機会もすくないマイナースポーツです。

つまり日本一になったとしても競技者として生活してゆくことは無理であることを承知で長時間に及ぶ苦しい練習に学生生活の大部分を捧げ、勉学や単位取得のための障壁にはなっても手助けになることはありません。

なぜこれだけの練習を続ける必要があるのか?

その理由は、昔から七帝柔道は「練習量がすべてを決定する」と言われているからです。

つまり大学に入学した時点で寝技を本格的に習った経験のある学生は皆無であり、加えて寝技を習得するためには元々持っている素質よりも経験が物を言うという性質を持っているからだと思います。

それ故に大学から寝技を始めた選手が、中高の柔道経験者へ対して勝利することも珍しくありません。

主人公は著者自身であり、自らの経験をそのまま青春小説かした内容となっており、前作では1、2年の頃が描かれており、本作品では3、4年の時期が対象になっています。

3年生にもなると完全にチームの主力であり、さらに4年生になればチームを引っ張る必要があります。

下級生の頃には厳しくてうるさい先輩という存在が邪魔で早く上級生になりたいと考えますが、いざ上級生になると自分のことだけではなく、後輩含めたチーム全体のことを考える必要があり、その重圧を実感すると下級生の頃の方が気楽だったと思うものです。

しかも主人公が所属する北大柔道部は、年に1度行われる七帝戦で最下位という結果が続いて低迷しており、そのプレッシャーはより重いものになります。

延々と続く苦しい練習に耐えながら四苦八苦する毎日は出口の見えない迷路のようなものであり、そうした場面は読者としても苦しい気分になってゆくほどです。

一方で大学で資格の勉強をしたり、一流企業へ就職するために勉学へ勤しんだり、または起業するために人脈つくりに勤しむ学生とは正反対の、つまり損得勘定を超えて七帝柔道という競技に青春のすべてを捧げている主人公たちが輝いて見えるのも事実です。

また私自身が若者だけが持つことのできる無鉄砲なパワーがより輝いて見える年齢になってきているという要因もあるかも知れません。

ちなみに私の好きなTV番組の1つに夏の間だけ放映される「熱闘甲子園」という番組があるのですが、これは甲子園の試合結果を伝えると同時に青春ドキュメンタリーという側面があります。

この番組が好きな人であれば、本作品を夢中で読むことができるのではないかと思います。

山本元帥!阿川大尉が参りました


連合艦隊司令長官・山本五十六についての書籍は数多く出版されていますが、伝記において決定版ともいうべき作品が1965年(昭和40年)に発表された阿川弘之氏による「山本五十六」であり、過去に本ブログでも紹介しています。

本書はその「山本五十六」を発表した翌年に単身海を渡り、山本元帥の戦没地、つまり彼が搭乗していた戦闘機の墜落地点を探索するための旅の様子が旅エッセイのように紹介されています。

その場所とはソロモン諸島にあるブーゲンビル島のジャングルの奥地にあり、日本からはオーストラリア、ニューブリテン島と飛行機を4~5回乗り継ぎ、さらには船を使わなければ到達できない場所にあります。

今から60年前ということもあり、現地は電気や水道といったインフラも充分に整備されていない状態でした。

その旅の過程で起きるさまざまなトラブルが描かれていたり、、また当時は戦後20年ほどしか経過していなこともあり、現地の住民たちが幾つもの軍歌を歌い著者を驚かせたというエピソードが紹介されています。

もし阿川氏が目的地に辿り着くことができれば、戦後はじめて山本五十六の戦没地を訪ねた日本人ということになりますが、その結果は本書を読んでのお楽しみにしておきます。

本書の後半では旅エッセイのような雰囲気から一転して、キスカ島撤退作戦の模様を描いた「私記キスカ撤退」が掲載されています。

このキスカ島撤退作戦はあまり知られていませんが、その西側にある日本軍守備隊が全滅(玉砕)したアッツ島の戦いを知っている人は多いと思います。

このアッツ島に駐留する部隊が全滅したあとも、すぐ近くのキスカ島には日本軍兵士5000千人以上が孤立無援状態で駐留し続けていました。

この作戦は旧日本軍にとって戦略的価値を失ったキスカ島から兵士たちを無傷で撤退させることを目的に遂行され、のちに「奇跡の作戦」とも呼ばれるようになりました。

キスカ島はアメリカのアラスカ州に属する今現在も無人の過酷な気象条件の島であり、圧倒的な戦力差、不足する燃料という不利な条件の中で苦悩しながらも作戦を遂行してゆく過程が細かく紹介されています。

ちなみにタイトルから分かる通り、阿川氏は海軍予備学生として戦中に入隊し、終戦を大尉(いわゆるポツダム大尉)で迎えています。

その様子は自身の著書「春の城」で詳しく描かれおり、こちらも私小説における名作の1つとしてお薦めできる1冊です。

渋沢家三代


著者の佐野眞一氏は1996年に「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」を発表して大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。

私はまだ読んでいない作品ですが、民俗学者として生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続けた宮本常一にとって最大の理解者でありパトロンであったのが渋沢敬三であり、彼は渋沢栄一の孫にあたります。

著者はそこから渋沢家の歴史に興味を持ち、本書を執筆するきっかけになったといいます。

よく知られているように渋沢栄一は500社にも及ぶ企業の設立に関わったことから「日本資本主義の父」と呼ばれ、本人にその気さえあれば三菱・三井を凌ぐ財閥を形成することが出来たはずです。

しかし本人は自らが設立した企業の株を多くても5%以上持つことはなく、企業支配そのものに興味を持ちませんでした。

それは戦後にGHQが一旦は渋沢家を財閥指定したものの、その実態が無いことからすぐに解除したことからも分かります。

それゆえ渋沢家は「財なき財閥」とも言われ、そうした経緯も新一万円札の顔として選ばれた大きな要因になっています。

ちなみにタイトルにある渋沢家三代とは渋沢栄一・篤二・敬三を指します。

ノンフィクションが本業の佐野氏ですが、本書は取材よりも資料を元にした伝記・または近代歴史小説と呼ばれるジャンルに属します。

また"渋沢栄一"を扱った書籍は数多く出版されていることもあり、私も何冊か読んだことがありますが、"渋沢家そのもの"をテーマにしたものは本作品を除いてほぼ皆無です。

その理由も当然で、渋沢家は栄一から代を重ねるごとに日本経済へ与える影響力が急速に縮小してゆき、中でも栄一の息子である篤二に至っては放蕩により廃嫡されるという渋沢家の歴史の中では半ばタブーとされている事実があるなど、特筆すべき華やかさが無いことに起因します。

さらにあまり知られていない事実として、栄一の女性関係は息子の篤二以上に派手であり、複数の愛人を持ち生涯で認知した子供は20人近くにのぼると言われています。

つまり篤二が廃嫡された背景には、単純な放蕩以上の理由があったことが推測されます。

その結果として篤二の息子である敬三は、父を飛び越えて栄一の後継者、つまり渋沢家の当主の地位に就くという重圧を背負うことになります。

その敬三は官民含めて多くの役職を務めることになりますが、冒頭にあるようにGHQに渋沢家は財閥には該当しないと通告されながらも、東京三田にあったの5000坪の豪邸を進んで財産税代わりに物納したといいます。

そして小さな家に移り住んだ後の口癖が、
「ニコニコしながら没落していけばいい。いざとなったら元の深谷の百姓に戻ればいい」
であったといいます。

人間は逆境になればなるほど本性が出てしまうものですが、こうした何気ない言葉の中に維新志士として時代の荒波を経験した祖父・栄一の精神を受け継いでいる凄味を感じます。

こうした作品のアプローチは普通の歴史小説や伝記にはないものであり、やはりノンフィクション作家である佐野氏らしい作品に仕上がっていると思います。

いちのすけのまくら


春風亭一之輔師匠が週間朝日で2014年5月から2017年6月まで連載していたエッセイを書籍化したものです。

当時は真打ち昇進から1年ほど経過した時期で、「笑点」メンバーになる以前の連載ということになります。

笑点」はたまにしか見ませんが、私が知る限りすこし強面の顔での毒舌キャラ(なかでも司会の昇太師匠が標的になることが多い)という側面と、飄々としながら時事ネタで笑いを取る一面があり、今や完全に番組に馴染んでいる「笑点」の欠かせないメンバーになっているというイメージです。

さらに年間800~900席という数の落語をこなしながらも「最もチケットの取れない噺家」としても知られており、紛れもなく落語会のトップランナーの1人です。

これだけの活躍をしていると努力家でストイックな噺家という印象を受けますが、実際に本書を読んでみると「」へ対して厳しい一面は殆ど見せず、完全に脱力系のエッセイになっています。

しかもここに連載されているエッセイは手書きの原稿という形ではなく、寄席の合間で立ち寄った喫茶店や移動時間などを利用してガラケーでひたすら文字を打ち込んで連載を続けていたといいます。(さすがに今ではスマホを使用していると思いますが。)

忙しい毎日の中で週1回といえども連載を続けるのは大変だと思いますが、落語には"まくら"という本編に入るまでのフリートークを行うのが慣例としてあります。

前座や年配の噺家であれば"まくら"を最小限にしたり、演目と関連した定型的な内容を喋ることも珍しくありませんが、やはり最近の出来事や時事ネタの方がウケると思います。

つまり本書のタイトルにある通り"まくら"のネタを作る習慣のある噺家にとって、エッセイの連載も同じような作業ではないかと推測できます。

実際に連載の中でも時事ネタを使って落語の登場人物(熊さん、八っつぁん、ご隠居さんなど)に演じさせて、そのまま"まくら"に使えるような回もあります。

また先輩・後輩とのやり取り、家庭での出来事、前座や学生時代の思い出などを話題に出すことも多く、噺家らしく毎回最後にオチを付けて終えるという形をとっています。

また著者は本書の解説をビッグネームへ頼むのが恐縮だと思ったのか、自分の高1の長男に書かせるといった試みも笑わせてくれます。
(しかもその解説がよく書けているので驚きです。)

よって深い話は殆ど掲載されていませんが、色々な話題について気楽に読むには最適な1冊だと思います。

ちなみに私は一之輔師匠は間違いなく影で努力するタイプの噺家だと思っていますが、エッセイからはそうした姿を微塵も感じさせないのは、彼自身の美学なのかも知れません。

私自身はまだ一之輔師匠の落語を生で聴いたことはありませんが、なるべく近いうちに噺を聴きに行きたいと思います。

師匠


本書は落語家の立川志らく師匠が、自らの師匠・談志について語った1冊です。

私自身は昔からの落語ファンではないため、音声や動画を通じて談志師匠の落語を聴いたことはありますが、生で聴いたことはありません。

落語の良し悪しには詳しくありませんが、十八番である「らくだ」、「芝浜」の迫力は動画からも伝わり、談志にしかできない落語という印象を受けます。

また音声で30代の頃の落語を聴いてみても、キレのある畳み掛けるような話芸はとても若手の噺家とは思えない技術と貫禄が感じられます。

一方で自分が落語家を志望して誰かに弟子入りすると考えた場合、談志師匠は選びたくないなと思ってしまいます。

それはよく知られているように、破天荒な言動や短気な性格という印象があり、とにかく面倒臭そうだからです。

実は入門前の志らく師匠もまったく同じことを考えていたようで、はじめは金原亭馬生師匠(昭和の名人・古今亭志ん生師匠の長男)へ弟子入りするつもりでしたが、弟子入りする前に馬生師匠が亡くなってしまい、たまたま入った池袋演芸場で出番のあった談志師匠の落語を聴いてシビレてしまい、弟子入りを決意したそうです。

そして実際に弟子入りして毎日師匠の家へ通うようになると、予想通りというべきか色々な場面でカミナリを落とされる日々が続きます。

弟子の立場から見ると理不尽としか思えないようなことばかりですが、どんな場合でも談志独特の価値観に基づいたものであり、弟子の中で唯一師匠の家に通い続けて家事やカバン持ちをしているうちに、その考えか少しずつ理解できるようになってきます(ちなみにほかの弟子は人間修行と称して築地の魚河岸へ送られていたそうです。)。

志らく師匠は兄弟子の中でも年齢の近い談春師匠と行動を共にすることが多く、兄弟子たちとの二つ目昇進のための試み、晴れて二つ目となり祝賀パーティーにまつわる話、その他数々のエピソードなどを読んでいると、苦労しながらも青春小説のような爽やかさを感じてくるから不思議です。

たまに談志師匠が弟子の反論に合って言葉に詰まる場面や、珍しく弟子を褒める場面などもあり、理不尽一辺倒ではない師匠の優しさが垣間見れるのもポイントです。

しかし師匠と弟子の関係は永遠に続くものではなく、ガンを患い声が出なくなってきた談志師匠の晩年に差し掛かると別れを予感した寂しさが滲んでくるようになります。

その頃は志らく師匠を含め弟子たちは真打ちとしてそれぞれ忙しい日々を過ごしていることもあり、カバン持ちの頃のように病身の談志師匠に付き添うこともできません。

そして言葉も交わすことも出来ないほど衰弱した師匠との最後の対面は本作品のクライマックスだといえます。

作品からは弟子たちの中でもっとも長く談志師匠の側にいた志らく師匠は、もっとも師匠を理解し、そして自分が師匠からもっとも評価されていたという自負が感じられます。

同時に「それは勘違いだ」、「思い上がりだ」という兄弟子やファンたちの声が聞こえてきそうですが、そうした批判も覚悟した上での作品であることも感じられました。