燃えつきた地図
『砂の女』、『他人の顔』、そして本書『燃えつきた地図』は安部公房氏の代表作であると同時に失踪三部作と呼ばれており、いずれも1960年代に発表されています。
3作品のうち2冊は本ブログでレビュー済であり、本作品が最後の1冊ということになります。
たしかに"失踪"がキーワードになっていますが、そのシチュエーションは作品ごとにかなり異なっています。
「砂の女」では主人公が砂の家に閉じ込めれ、世間から失踪者と見なされる立場となります。
とくに作品の序盤から中盤にかけて描かれる周囲から孤立した部落内で行われる怪奇めいた風習は、ホラー小説を思わせる雰囲気があります。
「他人の顔」では主人公が自らの意志で妻の前から失踪します。
自らの顔を失ったと感じている主人公が、異常なまでの執着心で精巧な他人の顔を作り出し、そのまま他人になりすましてゆく過程は人間が内面に抱える闇を描くサイコスリラーのような雰囲気があります。
そして本作「燃えつきた地図」の主人公は興信所員(今でいう探偵)であり、失踪してしまった夫を探し出して欲しいという依頼を受けるところからストーリーが始まります。
殆ど形跡らしきものを残さずに、こつ然と日常から姿を消した人間を探し出す過程は、まさしくミステリー小説そのものです。
一方でそれぞの作品にホラーやサイコスリラー、ミステリーのような雰囲気はあっても、決してそのものではなく、"安部公房ワールド"としか言いようのない独自のジャンルを築き上げています。
何百万という人びとが暮らす大都会を巨大なコミュニティと見なすことができると同時に、誰もが自分以外の他人へ対して感心がない、つまり人間関係が希薄なコンクリートジャングル、あるいは東京砂漠といった言葉で表現することも可能です。
そして失踪者を捜索する主人公の前に登場すののは一癖も二癖もある人物ばかりです。
たとえば天然なのか何か秘密を隠しているのか分からない失踪者の妻であり依頼人でもある女、その弟で住所職業不定のアウトローな雰囲気を漂わせる男、精神的に不安定で虚言癖のある失踪者の元部下などです。
主人公は各地に足を向けますが、失踪者の発見につながる決定的な情報がなかなか出てきません。
その過程を読んでゆくと、失踪者の捜索というよりもいつの間にか主人公自身が都会の抱える孤独や闇を巡礼しているかのような錯覚に陥ってきます。
そういえば失踪三部作以外にも本ブログで紹介した「箱男」も、登場するのは人との接触を断ち、社会から身を隠した人たちであり、やはり"失踪"というキーワードが関わっています。
昭和30年代から現代人の抱える"孤独"を象徴的に小説化し続けてきた安部公房という作家の前衛的な取り組みは令和の時代になっても読者を惹きつけてやまないのです。
贅沢な時間
本書は三笠書房から「知的生きかた文庫 わたしの時間シリーズ」として出版されている1冊です。
著者は下重暁子氏であり、本ブログでも彼女の本を何冊か紹介しています。
下重氏は故・野沢陽子氏の1年後輩でNHKアナウンサーとして入社し、のちに作家へ転向して多くのノンフィクションやエッセイを手掛けています。
現在90歳近くでご存命であり、おそらく本書は50代後半の頃に発表したエッセイであり、タイトル通り「贅沢な時間」をテーマにしています。
内容は5章からなっており、生活や人生の局面ごとに「贅沢な時間」に言及していますので、簡単に紹介してみたいと思います。
第1章 あたり前の日常を楽しむ贅沢
休日はベランダで朝食をとりながら季節を感じたり、毎日の食卓、またお酒や外食の楽しみ方など、人生とは切っても切り離せない"食事"の話にはじまり、休憩の時間や入浴、就寝など日常のライフサイクルを中心に贅沢な時間の過ごし方について言及しています。第2章 新しい自分に出会う贅沢
習い事をはじめとした趣味に関する話がまとめられています。人間は何歳になってからも新しく学べぶことでき、また新しい学びを通じて刺激と楽しみを得ることができるのです。
第3章 旅の仕方を変える贅沢
有名な観光地を巡るというありきたりの旅行ではなく、ゆっくりと日常から離れてリラックスできることこそ贅沢なのです。ここでは著者が自分流の旅の仕方を紹介しています。
第4章 四季を遊ぶ贅沢
季節の変わり目、つまり風流を楽しむ暮らしは日本人が古来より得意としていた分野です。著者が季節の行事、また衣替えなどを楽しみながら暮らしている様子が分かります。
第5章 一人時間を味わい尽くす贅沢
"一人の時間を楽しむ工夫"というよりは、"一人の時間を大切にする"といった視点で書かれています。 本テーマに興味のある方は、過去に本ブログで紹介した「極上の孤独」も読んでみることをおすすめします。誤解を恐れずに言えば、ネットや本屋で見かける小手先の工夫や知恵による効率化によって生活の質を向上させようというライフハックのような内容とは一線を画しており、時には非効率な方がより人生を楽しめるといった方向の内容です。
すくなくとも人生を幸せに生きてゆくには「お金をかける=贅沢」、「タイパ・コスパ=豊かな生活」といった発想は変える必要があると思わせてくれる1冊です。
中国の隠者
"隠者"という単語と、岩波新書というだけの理由で手にとってみた本です。
"隠者"というと"世捨て人"という言葉とほぼ同義であり、ここに中国というキーワードが入ると個人的には"仙人"ようなイメージを持ちます。
ただし本書は老荘思想に出てきそうな仙人へ言及したものではなく、サブタイトルに「乱世と知識人」とある通り、優れた知識を持ちながらもあえて仕官の誘いを断り、もしくは1度は仕官するもその地位をあっさりと捨てて俗世界から距離を置いて生きてきた人びとたちを取り上げています。
著者の富士正晴氏は作家、詩人、また版画家として活躍された方のようです。
富士氏は中国思想や歴史の専門家ではありませんが、何よりも彼自身が晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動していたそうで、「竹林の隠者」と呼ばれていたようです。
つまり中国の隠者たちを自らの境遇に重ねていたはずであり、本書はそうした隠者たちの経歴や暮らしぶりに言及し、考察した1冊となります。
はじめは春秋時代の孔子、そしてその弟子たちの中でもっとも隠者の風格のあった顔回へ言及しています。
続いて范曄が「後漢書」の中で隠者たちへ言及した逸民伝(いつみんでん)に登場する隠者たちを紹介しています。
そして3世紀の魏晋時代の代表的な隠者たち「竹林の七賢」、その中でもとくに阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)を中心に、彼らの生き方を著者独自の切り口で考察していきます。
最後は隠者のような生活を送った詩人として有名な陶淵明(とう えんめい)の生涯を追っています。
陶淵明は田園詩人として知られて、また著者自身も詩人であったことから、本書に登場する隠者たちの中ではもっとも大きな影響を受けたと思われます。
著者は「金瓶梅」、「紅楼夢」といった有名な文学作品を翻訳した経験もあり、中国語には通じていたようです。
一方で学者のような専門家ではないため、時には自身の感覚で翻訳しながらも、要所は吉川幸次郎(中国文学者)や貝塚茂樹(中国史学者)の解説を引用したり、また陶淵明への鋭い考察で知られる魯迅の言葉を紹介したりしています。
「竹林の七賢」、「陶淵明」などは名前だけをかろうじて知っている程度ですが、本書は隠者へ対しての体系的な研究を目的としたものではなく、散文的に隠者を論じたエッセイといった印象を受けました。
所々に漢文のために読み下し文が登場するものの、これは古典の雰囲気を伝える上で欠かせない要素でもあり、全体としてはそれほど難解な印象は受けませんでした。
たまに私にとってはお手上げのような専門書を手にとってしまい、途中で諦めて放り出してしまった経験はありますが、本書は最後まで知的好奇心の赴くまま楽しみながら読むことができました。
神の代理人
塩野七生氏によるカトリックにおける最高位聖職者である4人のローマ法王を主人公とした歴史小説です。
中でも本書で取り上げられているのは、イタリアのルネサンス期に活躍したローマ法王たちです。
世界史の教科書でルネサンスとは、芸術とともに人文主義(ヒューマニズム)が開花した時代であったと解説されていた記憶があり、伝統的なカトリックの価値観(教会への絶対服従)とは相性が悪いものだと思っていました。
実際にこの時代の価値観がのちの宗教改革(プロテスタントの誕生)へと繋がっていきますが、一方でミケランジェロやダヴィンチ、ラファエロといった有名な芸術家たちはカトリック教会がおもなスポンサーとなり後世へ残る作品を生み出したという事実もあり、本書で取り上げられている法王たち自身も彼らの熱心なパトロンでした。
本書に登場する4人のローマ法王は以下の通りです。
- ピオ2世(在位:1458~1464年)
- アレッサンドロ6世(在位:1492~1503年)
- ジュリオ2世(在位:1503~1513年)
- レオーネ10世(在位:1513~1521年)
そしてこのローマ法王たちの軌跡を知る上で欠かせないが、当時のイタリア、それを取り巻くヨーロッパ主要国とその周辺の状況です。
まずイタリア国内の北から主要な勢力を挙げてゆくだけでもミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フェラーラ公国、フィレンツェ共和国、ローマ法王領、ナポリ王国があり、イタリアは中世を通じて日本の戦国時代のような群雄割拠状態にあります。
そのイタリアへ政治的・経済的な影響力を及ぼそうとフランス王国、神聖ローマ(ドイツ)帝国、スペイン王国らが虎視眈々とその機会を狙っています。
加えてヨーロッパのすぐ隣で東ローマ帝国を滅亡させ勢力を伸ばしてきているオスマン帝国が存在します。
こうして紹介してみると当時の複雑な勢力図を理解するのは大変に思えますが、そこは作品を読み進めてゆく過程で自然と頭へ入ってくるように書かれているので心配ありません。
本書に登場するローマ法王たちは、それらの国と時には同盟を結び、時には争うなど目まぐるしく立場を変え、カトリックを統率する聖職者というより、その実態は権謀術数を弄する政治家に近いという印象であり、現代の精神的指導者としての立場とは大きく異なります。
ただしイスラム教におけるスルタン、日本でも比叡山をはじめとした宗教勢力が大きな軍事力を持っていたことを考えると、中世ではこれが世界標準だったと捉えることもできます。
450ページにわたりびっしりと書かれている読み応えのある作品ですが、それぞれのローマ法王がとった政策は個性的であり、法王が代替わりした途端に方針を180度転換するようなこともしばしば起こり、最後まで退屈することはありませんでした。
1冊の文庫本としてはかなり満足度の高い内容であり、改めて中世ヨーロッパを歴史小説として楽しませてくれる塩野氏の作品に感銘を受けた1冊でもあります。
働かない技術
「中年の危機(ミドルエイジ・クライシス)」という言葉があります。
これは人生の折り返し地点に立ち、自身のキャリアの終着点が何となく見え始め、さらに体力的にも衰えを実感し始めることもあり、残りの人生へ対して不安や葛藤を抱いてしまう現象です。
本書のタイトルにある"働かない"とは、会社を辞めて不労所得で生活するという意味ではなく、若い頃にがむしゃらに働き、それを是として受け入れてきた世代の人たちが、働き方改革やワークライフバランスに代表される新しい価値観へ適応する必要性を表したものです。
本書では30代後半~40代のミドル世代(=大企業でいえば課長世代)へ向けて、これからの時代に「企業人」として行きてゆくための心構えや、今後必要とされる働く技術を解説・提案しています。
ただし、これは簡単なことでないことも確かです。
なぜならそれは社会人として自分を作り上げてきた価値観を作り変えることを意味し、若い世代のように柔軟な適応能力が失われつつある中年世代にとってその過程は苦痛を伴うものだからです。
本書では経営コンサルタントの新井健一氏が、これからの労働へ対する価値観を解説した上で、なぜ従来の価値観では通用しなくなるのか、さらにはこの価値観へ対応できない職場(会社)の待つ末路などを分かりやすく解説しています。
その上で冒頭にある今後必要とされる働く技術を解説・提案してゆきますが、その前提としてこれからの日本企業では、役割給人材、職務給人材の2つのタイプに分かれてゆくといいます。
役割給人材は特定の企業内で後輩メンバーを育成する役割を担い、職務給人材はポストに求められる職務の範囲内で責務を果たす人材のことです。
もちろんどちらにも長所・短所がありますが、それぞれの特徴についても解説されおり、自分がどちらに向いているのかを考える機会になります。
全体的に難しい専門用語などは使われておらず、新書という形態もあり、手軽に読めるビジネス書といった印象を受けました。
私自身もここ数年で大きく働き方の価値観が変わりつつあることを実感しており、中年の危機によって呆然と立ち尽くしてしまわないために本書から得られたヒントは多かったように思います。
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