沖縄戦いまだ終わらず
都道府県魅力度ランキング上位の常連であり、実際に訪れる人の多い沖縄県。
私自身も訪れたことがありますが、青い海と空、そして琉球王国時代から続く独自の文化はたしかに魅力的で何度も訪れたくなる気持ちが分かります。
一方で普天間飛行場を名護市辺野古へ移設する基地移転問題、オスプレイの配置問題など安全保障に関わる課題がつねに政治の争点になり続け、これは日本の国土面積の約0.6%しかない沖縄県へ在日米軍専用施設面積の約70%以上が集中していることに起因します。
この長年に渡り是正されない不平等な基地負担による沖縄県人たちの不満と怒りは、ときに沖縄独立という言葉まで飛び出すほどに強いものです。
騒音、米軍兵士の暴行、戦闘機墜落の危険性、さらには飛行場移転先の辺野古における環境破壊など、怒りの原因は複雑かつ多岐に渡りますが、その源流は1945年4月から6月にかけて行われた太平洋戦争における日本で唯一の地上戦の舞台となった史実に集約されます。
当時の状況は「鉄の暴風」とも評され、銃弾、艦砲射撃などが嵐のように飛び交った凄まじい風景が想像できます。
著者の佐野眞一氏はノンフィクション作家の大御所であり多くの社会問題を取り上げていますが、この沖縄の問題についても精力的に取材を続けており、本書は2010年前後に取材した内容を元に書かれています。
まず本書では沖縄戦で家族を失い、孤児となった人たちを取材しています。
目の前で家族を失い、自らも負傷しながら戦場を彷徨い歩き、やがて孤児院へ収容されるといった経験を持つ人たちへインタビューを行っています。
中には当時は幼過ぎて自分の名前も覚えていない方や、孤児院から引き取られた先の環境から学校へ通わせてもらえず文字を読み書きできないといった方もいます。
また当然ながらこうした経験は強烈なトラウマとなって残り続け、高齢になっても被害者たちを苦しめている現状にも言及しています(晩発性PTSD)。
続いて有名な「ひめゆり学徒隊」の生存者へも取材を行っています。
彼女たちはおもに傷病兵の看護のために動員された当時の女学生たちすが、半数以上が米軍の攻撃、または集団自決によって命を落としています。
もちろん本書に掲載されているインタビューからもその悲惨さが充分に伝わってきますが、著者は糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」には亡くなった1人1人の生徒や教師の名前と写真のパネル、遺留品等が展示されており、是非訪れて実際に目にして感じてほしいと記しています。
そして次に沖縄の各地で起きた集団自決の真実へ迫っています。
中でも渡嘉敷島には200名のうち150人ほどが集団自決をした当時の現場が保存されており、著者はそこで生き残った人へ取材を行っています。
圧倒的な戦力を持つ米軍の上陸に伴い、抵抗する術を失った住民たちは日本軍兵士たちによって集団自決を迫られたといいます。
「生きて虜囚の辱めを受けず」とは日本軍全体の方針であり、沖縄に限らず各地の戦場で見られた痛ましい光景ですが、老若男女問わず兵士ではない住民たちが集団自決を迫られたのは地上戦の行われた沖縄以外にありません。
そのための手段として手榴弾が用いられましたが、その数は充分ではなく、中には刃物によって頸動脈を断ったり、我が子の首を締めて窒息死させるなど、この世の地獄のような状況が生まれました。
著者はこの現場で兄と一緒に母、妹と弟を手にかけた凄まじい経験を持った方へのインタビューを行っています。
自分も母も号泣しながら何度も石を振り下ろし撲殺した様子を聴いているときは、息もできないほどだったと著者は言います。
その直後に現場を訪れた米兵たちは「いままで目にしたものの中で最も悲惨」と表現する光景が残されていました。
そして最後に文庫版に加筆する形で2014年に行われた飛行場の辺野古移転を焦点とした沖縄知事選挙についても触れらています。
事実上、3期目の続投を目指す移設賛成派の仲井眞弘多氏と、移設反対を掲げる翁長雄志氏による一騎打ちでしたが、当時からたとえ翁長氏が知事になろうとも飛行場移設は止められないという危惧があり、残念ながらそれが現実のものになったことを今の私たちは知っています。
いくら沖縄の観光名所、音楽や料理をはじめとした文化を知ろうとも、本書に掲載されているような戦争の歴史を知らなければ、本当の沖縄を知ったことにはならないと実感した1冊でした。
壁
安部公房氏が27歳のときに発表して芥川賞を受賞し、その名前が世に知られ日本を代表する作家へと駆け上るきっかけとなった作品です。
いわゆるオムニバス形式であり、最初の2つは中編小説、残りの4作品は短編小説になっています。
- S・カルマ氏の犯罪
- バベルの塔の狸
- 赤い繭
- 洪水
- 魔法のチョーク
- 事業
著者がまだ若いということもあり、のちに発表される「失踪三部作」(砂の女、他人の顔、燃え尽きた地図)とは明らかに作風が異なります。
全盛期の作品は重厚なミステリー小説のような雰囲気がありますが、本作品は荒唐無稽なSF小説といった印象を受けました。
その一方で作品で扱っているテーマには後の作品と共通したものがあり、それは現代の人間や集団(社会)が持つ潜在意識を深く観察して、それを象徴的にストーリー化している点です。
本書の中でもっとも長い作品である「S・カルマ氏の犯罪」では理由や原因は不明ながらも、とにかく自分の名前を忘れた(失った)男が主人公です。
名前以外の記憶はあるのに、名前だけを思い出せない主人公は、やがて犯罪者として理不尽な裁判にかけられることになりますが、その裁判の内容も支離滅裂なものであり、あらすじを紹介すること自体にはあまり意味がありません。
とにかく突然訪れる理不尽さと意味不明さは、まるで寝ている間に見る夢を鮮明に描いたような作品であり、妙な説得力を感じさせる作品です。
次に「バベルの塔の狸」では、売れない詩人が持つ妄想が1匹の狸のような動物となって主人公から分離し、行動を共にするというストーリーです。
こちらも前作に劣らず荒唐無稽なものですが、そもそも人間の脳内において現実と妄想を区別する境界線(壁)は曖昧なものであり、とくにストレスが多い現代社会では妄想が現実を支配することもあり得るという意味においては、こちらも妙な説得力を感じさせるのです。
本作品は1951年(昭和26年)に発表されており、令和の時代に読んでも驚くほど古典的な作品といった印象はまったく受けません。
純文学とはかなり距離を離れた作品ですが、その代表者である川端康成氏が本作を高く評価したというのは面白い点であり、こうした作品が新しい時代を切り開くことを当時から予感していた点にも驚かされます。
燃えつきた地図
『砂の女』、『他人の顔』、そして本書『燃えつきた地図』は安部公房氏の代表作であると同時に失踪三部作と呼ばれており、いずれも1960年代に発表されています。
3作品のうち2冊は本ブログでレビュー済であり、本作品が最後の1冊ということになります。
たしかに"失踪"がキーワードになっていますが、そのシチュエーションは作品ごとにかなり異なっています。
「砂の女」では主人公が砂の家に閉じ込めれ、世間から失踪者と見なされる立場となります。
とくに作品の序盤から中盤にかけて描かれる周囲から孤立した部落内で行われる怪奇めいた風習は、ホラー小説を思わせる雰囲気があります。
「他人の顔」では主人公が自らの意志で妻の前から失踪します。
自らの顔を失ったと感じている主人公が、異常なまでの執着心で精巧な他人の顔を作り出し、そのまま他人になりすましてゆく過程は人間が内面に抱える闇を描くサイコスリラーのような雰囲気があります。
そして本作「燃えつきた地図」の主人公は興信所員(今でいう探偵)であり、失踪してしまった夫を探し出して欲しいという依頼を受けるところからストーリーが始まります。
殆ど形跡らしきものを残さずに、こつ然と日常から姿を消した人間を探し出す過程は、まさしくミステリー小説そのものです。
一方でそれぞの作品にホラーやサイコスリラー、ミステリーのような雰囲気はあっても、決してそのものではなく、"安部公房ワールド"としか言いようのない独自のジャンルを築き上げています。
何百万という人びとが暮らす大都会を巨大なコミュニティと見なすことができると同時に、誰もが自分以外の他人へ対して感心がない、つまり人間関係が希薄なコンクリートジャングル、あるいは東京砂漠といった言葉で表現することも可能です。
そして失踪者を捜索する主人公の前に登場すののは一癖も二癖もある人物ばかりです。
たとえば天然なのか何か秘密を隠しているのか分からない失踪者の妻であり依頼人でもある女、その弟で住所職業不定のアウトローな雰囲気を漂わせる男、精神的に不安定で虚言癖のある失踪者の元部下などです。
主人公は各地に足を向けますが、失踪者の発見につながる決定的な情報がなかなか出てきません。
その過程を読んでゆくと、失踪者の捜索というよりもいつの間にか主人公自身が都会の抱える孤独や闇を巡礼しているかのような錯覚に陥ってきます。
そういえば失踪三部作以外にも本ブログで紹介した「箱男」も、登場するのは人との接触を断ち、社会から身を隠した人たちであり、やはり"失踪"というキーワードが関わっています。
昭和30年代から現代人の抱える"孤独"を象徴的に小説化し続けてきた安部公房という作家の前衛的な取り組みは令和の時代になっても読者を惹きつけてやまないのです。
贅沢な時間
本書は三笠書房から「知的生きかた文庫 わたしの時間シリーズ」として出版されている1冊です。
著者は下重暁子氏であり、本ブログでも彼女の本を何冊か紹介しています。
下重氏は故・野沢陽子氏の1年後輩でNHKアナウンサーとして入社し、のちに作家へ転向して多くのノンフィクションやエッセイを手掛けています。
現在90歳近くでご存命であり、おそらく本書は50代後半の頃に発表したエッセイであり、タイトル通り「贅沢な時間」をテーマにしています。
内容は5章からなっており、生活や人生の局面ごとに「贅沢な時間」に言及していますので、簡単に紹介してみたいと思います。
第1章 あたり前の日常を楽しむ贅沢
休日はベランダで朝食をとりながら季節を感じたり、毎日の食卓、またお酒や外食の楽しみ方など、人生とは切っても切り離せない"食事"の話にはじまり、休憩の時間や入浴、就寝など日常のライフサイクルを中心に贅沢な時間の過ごし方について言及しています。第2章 新しい自分に出会う贅沢
習い事をはじめとした趣味に関する話がまとめられています。人間は何歳になってからも新しく学べぶことでき、また新しい学びを通じて刺激と楽しみを得ることができるのです。
第3章 旅の仕方を変える贅沢
有名な観光地を巡るというありきたりの旅行ではなく、ゆっくりと日常から離れてリラックスできることこそ贅沢なのです。ここでは著者が自分流の旅の仕方を紹介しています。
第4章 四季を遊ぶ贅沢
季節の変わり目、つまり風流を楽しむ暮らしは日本人が古来より得意としていた分野です。著者が季節の行事、また衣替えなどを楽しみながら暮らしている様子が分かります。
第5章 一人時間を味わい尽くす贅沢
"一人の時間を楽しむ工夫"というよりは、"一人の時間を大切にする"といった視点で書かれています。 本テーマに興味のある方は、過去に本ブログで紹介した「極上の孤独」も読んでみることをおすすめします。誤解を恐れずに言えば、ネットや本屋で見かける小手先の工夫や知恵による効率化によって生活の質を向上させようというライフハックのような内容とは一線を画しており、時には非効率な方がより人生を楽しめるといった方向の内容です。
すくなくとも人生を幸せに生きてゆくには「お金をかける=贅沢」、「タイパ・コスパ=豊かな生活」といった発想は変える必要があると思わせてくれる1冊です。
中国の隠者
"隠者"という単語と、岩波新書というだけの理由で手にとってみた本です。
"隠者"というと"世捨て人"という言葉とほぼ同義であり、ここに中国というキーワードが入ると個人的には"仙人"ようなイメージを持ちます。
ただし本書は老荘思想に出てきそうな仙人へ言及したものではなく、サブタイトルに「乱世と知識人」とある通り、優れた知識を持ちながらもあえて仕官の誘いを断り、もしくは1度は仕官するもその地位をあっさりと捨てて俗世界から距離を置いて生きてきた人びとたちを取り上げています。
著者の富士正晴氏は作家、詩人、また版画家として活躍された方のようです。
富士氏は中国思想や歴史の専門家ではありませんが、何よりも彼自身が晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動していたそうで、「竹林の隠者」と呼ばれていたようです。
つまり中国の隠者たちを自らの境遇に重ねていたはずであり、本書はそうした隠者たちの経歴や暮らしぶりに言及し、考察した1冊となります。
はじめは春秋時代の孔子、そしてその弟子たちの中でもっとも隠者の風格のあった顔回へ言及しています。
続いて范曄が「後漢書」の中で隠者たちへ言及した逸民伝(いつみんでん)に登場する隠者たちを紹介しています。
そして3世紀の魏晋時代の代表的な隠者たち「竹林の七賢」、その中でもとくに阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)を中心に、彼らの生き方を著者独自の切り口で考察していきます。
最後は隠者のような生活を送った詩人として有名な陶淵明(とう えんめい)の生涯を追っています。
陶淵明は田園詩人として知られて、また著者自身も詩人であったことから、本書に登場する隠者たちの中ではもっとも大きな影響を受けたと思われます。
著者は「金瓶梅」、「紅楼夢」といった有名な文学作品を翻訳した経験もあり、中国語には通じていたようです。
一方で学者のような専門家ではないため、時には自身の感覚で翻訳しながらも、要所は吉川幸次郎(中国文学者)や貝塚茂樹(中国史学者)の解説を引用したり、また陶淵明への鋭い考察で知られる魯迅の言葉を紹介したりしています。
「竹林の七賢」、「陶淵明」などは名前だけをかろうじて知っている程度ですが、本書は隠者へ対しての体系的な研究を目的としたものではなく、散文的に隠者を論じたエッセイといった印象を受けました。
所々に漢文のために読み下し文が登場するものの、これは古典の雰囲気を伝える上で欠かせない要素でもあり、全体としてはそれほど難解な印象は受けませんでした。
たまに私にとってはお手上げのような専門書を手にとってしまい、途中で諦めて放り出してしまった経験はありますが、本書は最後まで知的好奇心の赴くまま楽しみながら読むことができました。
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