中国の隠者
"隠者"という単語と、岩波新書というだけの理由で手にとってみた本です。
"隠者"というと"世捨て人"という言葉とほぼ同義であり、ここに中国というキーワードが入ると個人的には"仙人"ようなイメージを持ちます。
ただし本書は老荘思想に出てきそうな仙人へ言及したものではなく、サブタイトルに「乱世と知識人」とある通り、優れた知識を持ちながらもあえて仕官の誘いを断り、もしくは1度は仕官するもその地位をあっさりと捨てて俗世界から距離を置いて生きてきた人びとたちを取り上げています。
著者の富士正晴氏は作家、詩人、また版画家として活躍された方のようです。
富士氏は中国思想や歴史の専門家ではありませんが、何よりも彼自身が晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動していたそうで、「竹林の隠者」と呼ばれていたようです。
つまり中国の隠者たちを自らの境遇に重ねていたはずであり、本書はそうした隠者たちの経歴や暮らしぶりに言及し、考察した1冊となります。
はじめは春秋時代の孔子、そしてその弟子たちの中でもっとも隠者の風格のあった顔回へ言及しています。
続いて范曄が「後漢書」の中で隠者たちへ言及した逸民伝(いつみんでん)に登場する隠者たちを紹介しています。
そして3世紀の魏晋時代の代表的な隠者たち「竹林の七賢」、その中でもとくに阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)を中心に、彼らの生き方を著者独自の切り口で考察していきます。
最後は隠者のような生活を送った詩人として有名な陶淵明(とう えんめい)の生涯を追っています。
陶淵明は田園詩人として知られて、また著者自身も詩人であったことから、本書に登場する隠者たちの中ではもっとも大きな影響を受けたと思われます。
著者は「金瓶梅」、「紅楼夢」といった有名な文学作品を翻訳した経験もあり、中国語には通じていたようです。
一方で学者のような専門家ではないため、時には自身の感覚で翻訳しながらも、要所は吉川幸次郎(中国文学者)や貝塚茂樹(中国史学者)の解説を引用したり、また陶淵明への鋭い考察で知られる魯迅の言葉を紹介したりしています。
「竹林の七賢」、「陶淵明」などは名前だけをかろうじて知っている程度ですが、本書は隠者へ対しての体系的な研究を目的としたものではなく、散文的に隠者を論じたエッセイといった印象を受けました。
所々に漢文のために読み下し文が登場するものの、これは古典の雰囲気を伝える上で欠かせない要素でもあり、全体としてはそれほど難解な印象は受けませんでした。
たまに私にとってはお手上げのような専門書を手にとってしまい、途中で諦めて放り出してしまった経験はありますが、本書は最後まで知的好奇心の赴くまま楽しみながら読むことができました。
神の代理人
塩野七生氏によるカトリックにおける最高位聖職者である4人のローマ法王を主人公とした歴史小説です。
中でも本書で取り上げられているのは、イタリアのルネサンス期に活躍したローマ法王たちです。
世界史の教科書でルネサンスとは、芸術とともに人文主義(ヒューマニズム)が開花した時代であったと解説されていた記憶があり、伝統的なカトリックの価値観(教会への絶対服従)とは相性が悪いものだと思っていました。
実際にこの時代の価値観がのちの宗教改革(プロテスタントの誕生)へと繋がっていきますが、一方でミケランジェロやダヴィンチ、ラファエロといった有名な芸術家たちはカトリック教会がおもなスポンサーとなり後世へ残る作品を生み出したという事実もあり、本書で取り上げられている法王たち自身も彼らの熱心なパトロンでした。
本書に登場する4人のローマ法王は以下の通りです。
- ピオ2世(在位:1458~1464年)
- アレッサンドロ6世(在位:1492~1503年)
- ジュリオ2世(在位:1503~1513年)
- レオーネ10世(在位:1513~1521年)
そしてこのローマ法王たちの軌跡を知る上で欠かせないが、当時のイタリア、それを取り巻くヨーロッパ主要国とその周辺の状況です。
まずイタリア国内の北から主要な勢力を挙げてゆくだけでもミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フェラーラ公国、フィレンツェ共和国、ローマ法王領、ナポリ王国があり、イタリアは中世を通じて日本の戦国時代のような群雄割拠状態にあります。
そのイタリアへ政治的・経済的な影響力を及ぼそうとフランス王国、神聖ローマ(ドイツ)帝国、スペイン王国らが虎視眈々とその機会を狙っています。
加えてヨーロッパのすぐ隣で東ローマ帝国を滅亡させ勢力を伸ばしてきているオスマン帝国が存在します。
こうして紹介してみると当時の複雑な勢力図を理解するのは大変に思えますが、そこは作品を読み進めてゆく過程で自然と頭へ入ってくるように書かれているので心配ありません。
本書に登場するローマ法王たちは、それらの国と時には同盟を結び、時には争うなど目まぐるしく立場を変え、カトリックを統率する聖職者というより、その実態は権謀術数を弄する政治家に近いという印象であり、現代の精神的指導者としての立場とは大きく異なります。
ただしイスラム教におけるスルタン、日本でも比叡山をはじめとした宗教勢力が大きな軍事力を持っていたことを考えると、中世ではこれが世界標準だったと捉えることもできます。
450ページにわたりびっしりと書かれている読み応えのある作品ですが、それぞれのローマ法王がとった政策は個性的であり、法王が代替わりした途端に方針を180度転換するようなこともしばしば起こり、最後まで退屈することはありませんでした。
1冊の文庫本としてはかなり満足度の高い内容であり、改めて中世ヨーロッパを歴史小説として楽しませてくれる塩野氏の作品に感銘を受けた1冊でもあります。
働かない技術
「中年の危機(ミドルエイジ・クライシス)」という言葉があります。
これは人生の折り返し地点に立ち、自身のキャリアの終着点が何となく見え始め、さらに体力的にも衰えを実感し始めることもあり、残りの人生へ対して不安や葛藤を抱いてしまう現象です。
本書のタイトルにある"働かない"とは、会社を辞めて不労所得で生活するという意味ではなく、若い頃にがむしゃらに働き、それを是として受け入れてきた世代の人たちが、働き方改革やワークライフバランスに代表される新しい価値観へ適応する必要性を表したものです。
本書では30代後半~40代のミドル世代(=大企業でいえば課長世代)へ向けて、これからの時代に「企業人」として行きてゆくための心構えや、今後必要とされる働く技術を解説・提案しています。
ただし、これは簡単なことでないことも確かです。
なぜならそれは社会人として自分を作り上げてきた価値観を作り変えることを意味し、若い世代のように柔軟な適応能力が失われつつある中年世代にとってその過程は苦痛を伴うものだからです。
本書では経営コンサルタントの新井健一氏が、これからの労働へ対する価値観を解説した上で、なぜ従来の価値観では通用しなくなるのか、さらにはこの価値観へ対応できない職場(会社)の待つ末路などを分かりやすく解説しています。
その上で冒頭にある今後必要とされる働く技術を解説・提案してゆきますが、その前提としてこれからの日本企業では、役割給人材、職務給人材の2つのタイプに分かれてゆくといいます。
役割給人材は特定の企業内で後輩メンバーを育成する役割を担い、職務給人材はポストに求められる職務の範囲内で責務を果たす人材のことです。
もちろんどちらにも長所・短所がありますが、それぞれの特徴についても解説されおり、自分がどちらに向いているのかを考える機会になります。
全体的に難しい専門用語などは使われておらず、新書という形態もあり、手軽に読めるビジネス書といった印象を受けました。
私自身もここ数年で大きく働き方の価値観が変わりつつあることを実感しており、中年の危機によって呆然と立ち尽くしてしまわないために本書から得られたヒントは多かったように思います。
ノラや
内田百閒(うちだ ひゃっけん)は夏目漱石の門下生として、また数々の小説や随筆を残した昭和を代表をする作家として知られています。
名前は以前から知っていたものの、その作品を読むのは今回がはじめてです。
本書は月刊誌「小説新潮」に連載された随筆の中で、家猫のノラ失踪の顛末とそのあとに住みついたクルについて書かれたものがまとめられたものです。
時期としては昭和31~45年の間、内田氏にとっては60代後半~80歳の時期に相当し、晩年に書かれた随筆ということになります。
内田氏は作品中で元々猫が好きだったわけではないと述べており、たまたま近所の野良猫が庭を訪れるようになり、餌を与えるうちに自宅に棲み着き、夫婦揃ってその猫を溺愛するようになったという経緯です。
作品中に描かれるノラやクルの愛くるしい仕草や性格、癖、また生活の中に猫のいる風景は、猫好きであれば読みながら思わず頬が緩んでしまいます。
私自身も2匹の雌猫を飼っており、1匹は元野良、もう1匹は元保護猫であることから著者の気持ちはよく分かるような気がします。
ところでノラとクルは同時に棲み着いていたわけではなく、ノラは飼い猫になってから約1年後に失踪し、クルはその2ヶ月後に自宅に棲み着くようなった猫です。
ノラが失踪した後、内田氏は毎日のようにノラの居た頃を思い出しては泣き出すという日々だったようで、それは数年が経過しノラが戻ってくる見込みがなくなってからも変わりませんでした。
作品中では昼夜構わず数え切れないほど涙を流す場面が登場し、すこし泣き過ぎではないかと思ったりしまたが、70歳近くではじめて猫を飼い、年をとって涙もろくなっていることが関係しているに違いありません。
さらに失踪したノラの行方を知るために幾度となく新聞の折込ビラを配布したり、読者が教えてくれた迷い猫が帰って来るおまじないと毎日続けたりと、出来る限りのことを試みます。
一方で作品を読み進めてゆくと、ノラが失踪した悲しみを新しく家に来たクルが少しずつ癒やしてくれる過程についてもよく分かります。
クルは失踪することはありませんでしたが、約5年度に重い病気にかかり、この時も毎日のように獣医に往診してもらうといった手厚い看護を夫婦で続けます。
そしてこの2匹の猫を失った悲しみがあまりも大きかったこともあり、その後に猫を飼うことは二度とありませんでした。
作品中には内田氏が猫たちへ抱いた喜怒哀楽がすべて描かれており、猫たちが人生を豊かなものにしてくれたことは間違いありません。
ちなみに本書は猫好きにとって有名な文学作品のようであり、長い猫ブームが続いているだけに長く読み継がれている作品になっているようです。
月下美人
吉村昭氏の短編集です。
本書には8作品が収められいますが、全ページの3分の1が表題作の「月下美人」に割り当てられています。
この「月下美人」は以前本ブログで紹介した作品「逃亡」の取材ノートというべき作品です。
この「逃亡」は昭和19年に霞ヶ浦海軍航空隊に所属する若い整備兵が、米国のスパイと思われる謎の日本人の指示で戦闘機を爆破し、そのまま終戦まで逃亡を続けたという事実を元にした戦史小説です。
著者は最初、この事実を偽名を名乗る人物からの電話により知ることになります。
(結局、この人物の正体は最後まで判明せず。)
この情報提供を頼りに直接本人へ取材をすべく訪れますが、彼は結婚して東京郊外の市役所に勤めており、職場の同僚はおろか妻にもそうした過去を秘密にして暮らし続け、最初は著者へ対して心を許さず警戒していました。
終戦から25年が経過しているとはいえ、本人にとっては出来れば誰にも知られたくない過去であったことは容易に想像できます。
しかし著者の取材申し入れが長年に渡る心の重荷を下ろす機会になると考えた元整備兵は、重い口を開く決心をするのです。
ただし当然のように吉村氏が発表した「逃亡」では作品中の出来事はノンフィクションであるものの、プライバシーを考慮して登場人物はすべて仮名(小説では望月)で執筆されています。
しかし作品が発表され肩の荷が下りたと感じた元整備兵は、かつて逃亡を続けた自らの軌跡を確かめるかのように旅へ出るようになり、ついには本人自らが歴史研究家との共著で本名を公表して回想録を出版するに至るのです。
そこまでの過程はそれほど単純ではなく、元整備兵の心の浮き沈みが激しく、何度となく吉村氏を困惑させるような出来事があったことが書かれています。
一方で著者が取材を申し込まなければ元整備兵がそうした過去を生涯心に秘めたまま人生を終えた可能性も充分あり、吉村氏は彼へ対して一種の罪悪感を抱き続けていました。
そうした作品発表の前後を併せて10年間にも及ぶ彼との関わり合いが書かれた「月下美人」は、元になった「逃亡」と併せて是非読んで欲しい作品です。
残りの7作品については私小説的な短編になっており、吉村昭の代表作といえば長編小説が有名ですが、短編小説を書かせても超一流の作家であるというのが個人的な感想です。
つまり本書はとてもお得な1冊であり、吉村昭ファンであれば必読の1冊といえるでしょう。
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