日本人の「あの世」観
前回に引き続き梅原猛氏の著書です。
「百人一語」は学者らしいエッセイでしたが、本書では著者の取り組んできた研究成果の講演や論文が掲載された学術的な1冊です。
著者ははじめ西洋哲学を研究していましたが、経済発展に伴う環境破壊や格差拡大といった近代社会における諸問題を自我中心の哲学では解決できないと考え、人間を自然(宇宙)の一部としてとらえる日本文化を根本的に問い直す研究へと転向します。
なぜ対象が日本文化かといえば、いま一度、人類の歴史を根本的に反省し直すためには、人類が狩猟採集していた頃の原始的な文化(つまり縄文文化)にまで遡って知る必要があり、そうした文化の名残りが世界的に見ても日本の中に著しく残っていると考えたからです。
日本文化の中でもとくにアイヌ文化、沖縄文化にそうした傾向が強いとして、そうした一連の研究成果が体系化されてゆき、「梅原日本学」とまで呼ばれるようになりました。
その研究範囲は文学・歴史・宗教・民俗学を包括した広大なものであり、本書ではそうした研究活動の内容を包括的、またはその一部分が紹介されています。
本書のはじめでは日本人の死生観、つまりタイトルにある「あの世」観について語った講演内容が収録されています。
まず原始仏教(インド仏教)では、宗教として人間の死に関する儀式は司っていませんでした。
それを葬式として司るようになったのは、仏教が日本へ伝来して発展を遂げたのちであり、それは元々日本人が持っていた「あの世」観への強い信奉と融合した結果だといいます。
もともと日本人は「あの世」を"天国と地獄"、もしくは"極楽と地獄"といった上下の位置関係では捉えておらず、人間の魂は「あの世」と「この世」を行き来するものだという考えがあり、「あの世」へ行ったご先祖様はいつか「この世」に生まれ変わる、つまり行き来するものとして考えていました。
たしかにお盆の送り火を見ると、宗教行事というより土俗的な儀式の名残りといった雰囲気を感じます。
こうした傾向はとくにアイヌ文化、沖縄文化において顕著であり、その理由はまず大陸から稲作文化と最新技術が九州へと伝わり、やがて西日本から近畿地方にかけて日本史上初の中央集権を打ち立てた際に、その勢力が及びにくい日本の南北両端において原初の日本文化が色濃く残り続けたからだと説明しています。
もちろん中央集権化された日本人たちも縄文文化をまったく消去してしまうのではなく、その一部を取り込んでいます。
そうした観点から本書ではアイヌ語と日本語の共通点、さらには沖縄方言とアイヌ語の共通点などを過去の言語学研究の成果を交えて紹介しています。
さらに梅原氏は「古事記」、「日本書紀」を研究することで仏教伝来前の日本文化を研究したり、日本仏教が独自に発展してきた過程を研究したり、さらには「万葉集」や「古今集」といった和歌に残る日本語や考え方の中からも、日本文化の基層を見つけ出そうと試みています。
私には本書の内容が学術的に正しい・誤っているという判断はまったく出来ませんが、とても興味深い研究アプローチだと思いますし、少なくとも充分な説得力があるように思えました。
これまで紹介してきたように本書は学術寄りの内容ではありますが、一部を除いて難解な箇所は少なく、たまには活字から一般教養や知識を深めるたにこうした本を手にとってみるのはいかがでしょうか。
百人一語
本ブログで初めて紹介する梅原猛氏の著書です。
過去にテレビに出演されていた場面や学術系の新書などで氏の言葉や文章が引用されている箇所を見かけることがあり、名前は以前から知っていました。
本書のプロフィールを抜粋すると以下のように紹介されています。
国際日本文化研究センター所長等を歴任。
縄文時代から近代までを視野におさめ、文学、歴史、宗教等を包括して日本文化の深層を解明する幾多の論考は(梅原日本学)と呼ばれる。
つまり学者ということになりますが、哲学者と紹介されていることもあり、幅広い研究を続けてきたことが伺われます。
ただし本書は学術的な本ではなく、百人の日本人の残した言葉を引用しつつ、その人の「思想」や「人生」を論じた朝日新聞に掲載されたエッセイを1冊の本にまとめたものです。
織田信長、西郷隆盛、夏目漱石、太宰治、正岡子規など知名度のある人物の言葉を紹介している回も多いですが、あまり知られていない人物を取り上げている回も多く、著者の得意とする古代日本、宗教に関する人物、さらには神話の登場人物を取り上げている点が目を引きます。
その中でも何人かを簡単に紹介すると以下の通りです。
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
応神天皇の皇子。兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に皇位を譲るために自殺する。
木梨之軽太子(きなしのかるみこ)
第19代允恭天皇の子。弟の穴穂御子(あなほのみこ)政争に敗れて伊予に流される。
慶滋保胤(よししげやすたね)
陰陽師の大家・賀茂忠行の次男。源信とともに浄土教の基礎を作る。
景戒(けいかい)
奈良後期~平安初期の薬師寺の僧。「日本霊異記」を撰述する。
また著者は日本文化のルーツを知るために古代文化やアイヌ文化を積極的に研究してこともあり、柳田国男、折口信夫、南方熊楠、伊波普猷といった民俗学者を取り上げているのも印象的でした。
連載エッセイということもあり、1人あたり3ページで簡潔にまとめられています。
そのため目次から興味のある人物を探し出して少しずつ読み進めてもよいですし、さらに深堀りして知りたい場合は関連書籍を探してみるなどしてみると読書の幅を広げてくれる1冊です。
わが友 本田宗一郎
著者はソニー創業者の井深大氏であり、タイトルにあるホンダ創業者・本田宗一郎氏とは長年に渡り深い交流があったことはよく知られています。
井深氏は2歳年長である本田氏を兄貴と慕い続けましたが、1991年に本田氏が亡くなり、彼との思い出を振り返りながら、その素晴らしさを広く知ってもらうために本書を執筆したといいます。
2人に共通するのは、優れたエンジニアであり、今でも緻密で高品質な製品を生み出す「ものづくり日本」の原点を築き上げ、それを象徴する人物とされている点です。
また2人は世界一の製品作りを目指し続けた一方で、本田宗一郎には藤澤武夫、井深大には盛田昭夫という卓越した経営やブランド戦略を担ったパートーナーが存在した点も共通しています。
一方で井深氏自身が言うように2人の性格は正反対で、豪快で楽天的な本田宗一郎、控えめで慎重な井深大という面白い組み合わせでした。
本書では過去に2人で行った対談、また本田宗一郎の著書を引用しながらも、2人の間だけの個人的なエピソードも紹介しながら、誇張や飾り気のない等身大の本田宗一郎を読者に知ってもらいたいという試みが読み取れます。
つまり本田宗一郎は豪快なエピソードに事欠かない一方で、世間には"誰も逆らえないワンマン経営者"、"思いつきで行動するエンジニア"といった誤解も存在していたのです。
先ほど説明したように2人に共通するのは技術者という点であり、そのため会社の経営や組織のマネジメントといった点に言及している箇所は少なく、とにかくよい製品を生み出すために必要なこと、そして技術者としての使命感や心構えなどが中心に書かれています。
たとえば「できっこない」という常識に囚われない発想、頭で理解するより自分で試して失敗する重要性、ときには数字や理論よりも直感を信じることなどです。
本書が発表されて30年近くが経過し、現在ではAIの登場が話題になっていますが、ものづくりの本質は今も変わらないと思います。
もしも将来、エンジニアとして活躍したいと考えている人であれば本書から得られるヒントは多いのではないでしょうか。
最後に1つ加えるならば、著者を含めてこの2人は数多くの苦労と失敗を重ねた上で世界に通用するブランドや企業を作り上げてきたということです。
つまり2人が歩んできた道はコスパやタイパといった概念とは程遠いものであり、時には効率を無視してひたすら全精力を打ちこむ経験も大切ではないでしょうか。
檀
昨年夏に檀一雄氏の「火宅の人」をレビューしましたが、そこでは自身が家庭を顧みず愛人を作り、破滅的な生活を送る日々が赤裸々に描かれています。
彼は太宰治や坂口安吾といった作家たちとともに無頼派と呼ばれ、実際に交流もありましたが、2人が早逝したこともあり、こうした生活を送ってきた背景の1つには、自身が「最後の無頼派」という矜持も理由の1つにあったのかも知れません。
本作品は檀一雄が1976年に亡くなり17周忌を終えた年にノンフィクション作家である沢木耕太郎氏が未亡人である壇ヨソ子の元を訪れて、週1回の頻度で約1年間に渡り取材を続けたものが書籍化されたものです。
つまり沢木氏は檀一雄の十七回忌が終わり、遺族たちの気持ちに一区切りついたと思われるタイミングを見計らって、かねてより興味があった"檀一雄の妻"への取材を開始したということになります。
ちなみに「火宅の人」は20年間にわたり断片的に発表され続けた私小説を1つの作品としてまとめたものであり、発表された時期によっては自身がリアルタイムに愛人と同棲している様子をそのまま描いており、そうした意味でも当時は世間を賑わせました。
夫が愛人を作って家を飛び出すという出来事自体は、昭和の時代においては珍しくないのかも知れませんが、檀一家には5人の子どもが残され、しかも次男は日本脳炎の後遺症によって日常的な介護が必要な状態でした。
一雄は女性関係同様に金使いも奔放だったこともあり、家計はつねに火の車でしたが、ヨソ子にとってもっとも辛かったのは、彼の作品を読んでいる近所の人から「夫を愛人に奪われた妻」という視線で見られることだったといいます。
とくに無頼派と言われた一雄にとっての私小説とは、自身や家庭での醜態を含めてすべてをさらけ出すことであり、それを作家としての宿命だと考えていました。
一方でヨソ子にとっては自分のことに留まらず、非行で捕まった長男や寝たきりの次男の病状とその死までもを赤裸々に描かれるのは耐え難いことだったに違いありません。
実際にヨソ子は何度も一雄との離婚を考えたそうですが、そうした心情が少しずつ変化してゆく過程も細かく描かれています。
また「火宅の人」ではおおむね愛人の恵子(実名:入江杏子)との出会いから別れまでが描かれていますが、本書では小説以前のヨソ子と一雄との出会い、そして小説が完結した後の一雄が恵子と別れてからの日々、さらに博多湾の能古島へ移住し、一雄が体に異変を感じ初めて亡くなるまでの出来事に言及しており、まさしく一雄の妻としての期間がすべて描かれている点は注目です。
ちなみに本書は面白い手法が取られており、一貫してヨソ子の視点、つまりヨソ子自身が著者であるかのように書かれています。
多くの出来事がありながらもそれらを乗り越え、結果として死を看取るまで付き添った夫婦の絆を読者へ伝えるためには、作家といえども所詮は他人である沢木耕太郎という立場では限界を感じたのでしょう。
そして結果的にこの試みは成功したといえます。
吉村昭が伝えたかったこと
本書は吉村昭氏が死去した後に文藝春秋社によって編集された1冊であり、2013年に発表されています。
吉村氏が死去したのが2006年であり、本書が出版されるまでの間に起きたもっとも大きな出来事といえば東日本大震災です。
吉村氏には「三陸海岸大津波」、「関東大震災」といった災害に関する著作があり、生前これら著書に関する講演を岩手県の宮古市や田野畑村で行った経験があり、その内容が紹介されています。
続いて生前の吉村氏との交流のあった、また交流はなくとも氏の作品に大きな影響を受けた作家たちが、残された作品や功績について考証しています。
いずれも共通するのは、入念な取材と地道な資料探しによって作品を作り上げるストイックな作家としての姿勢を尊敬している点です。
それは吉村氏は太平洋戦争や日中戦争の証言者が高齢化に伴い激減したことを理由に、さまざまな題材を元に発表し続けた戦史小説を一切止めてしまったことからも分かります。
彼の作品は長編・短編・エッセイ問わず色々と読んできましたが、第三者の視点から語られる"吉村昭"は新鮮であり、ファンの1人として新鮮な気持ちで読むことができました。
そして本書でもっとも特筆すべき点は、妻であり同業の作家でもあった津村節子氏のロングインタビューが掲載されている点です。
今まで吉村氏の私小説の中でもあまり語られることのなかった2人の出会いの経緯などを知ることが出来ます。
さらには生前行われたボクシングを題材としたノンフィクション「一瞬の夏」で有名な沢木耕太郎氏との対談も掲載されています。
吉村氏にもボクシングを題材とした長編や短編作品があり、かつては熱心なボクシングファンであった時期がありました。
1927年(昭和2年)生まれの吉村氏と1947年(昭和22年)生まれの沢木氏では見てきた選手や試合が違い、まさに日本ボクシング界の黎明期から試合を見てきた吉村氏の証言は貴重なものだと思います。
また吉村氏が取材で訪れた旅先で出会ったいい肴と酒、旅の思い出などを過去に発表されたエッセイの中から抜粋して掲載している箇所もあります。
そして最後は吉村昭氏の完全ブックガイド&年表が掲載されており、とくにブックガイドでは各作品ごとに簡単な紹介文も掲載されているため興味のある題材や作品を探す際にも役に立ちます。
色々な企画が450ページもの文庫本に凝縮されており、まるで豪華なムック本を読んでいるようでした。
吉村昭氏の作品をある程度読んでいる人向けの本ですが、氏の作品が好きな人であれば是非読んで欲しい1冊です。
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