大江戸死体考
ほぼタイトルだけで手にとってみた1冊です。
江戸時代をさなざまな視点から切り取った本は多いですが、"死体"という視点から考察している本はユニークだと思います。
著者の氏家幹人氏は、歴史研究家としておもに江戸時代に関する多くの著書があるようです。
現在の東京では江戸時代とは比べものにならないくらいの人口を抱えています。
これだけの人間が活動しているにも関わらず、もし道端や町中を流れる川で死体が見つかったらとしたら、ニュースになるに違いありません。
つまり現代社会の都市では生活から死が意図的に排除されていますが、江戸時代ではそうではありませんでした。
本書でははじめに江戸における漂流死体の多さについて言及しています。
当時はあまりに浮き死体が多く、いちいち検死する人手が足りないので、海水が流入する水路や川を流れる死体を見つけても奉行所へ届け出る必要はなく、漂着した場合は突き放してよいという規則だったようです。
また当時の江戸では生活水利用のための井戸が無数に掘られており、そこへ身投げをする人も多かったということです。
それも直後にはその事実に気付かず、井戸の中の死体が腐敗し、汲み上げた水が臭うという段階に至ってはじめて気付いたという事例もあったようです。
元禄時代には情死(いわゆる心中)が流行した時期があり、さまざまな理由やケースで情死した様子が当時の文献には残されています。
また江戸時代には"死体"そのものに利用価値がありました。
それはいわゆる"据物斬り"と言われるものであり、日本刀の切れ味や耐久性を試すために用いられたのです。
切れ味だけなら畳や巻藁でも試せますが、日本刀の本質的な存在価値は"殺人のための道具"であり、その道具としての真価を確かめるためには人体を試し切りするのがもっとも信頼があったのです。
もっとも江戸も中期に入り武士とはいえ泰平の世が続く中で実際に人を斬った経験を持つ者は皆無となり、試し切りは一種の専門家たちの手に委ねられました。
その中でもっとも有名なのが、御様御用(おためしごよう)を務めた山田浅右衛門です。
時代小説好きであれば名前を聞いたことのある人は多いと思いますが、山田浅右衛門という名前は代々世襲された名前であり、罪人の首を刎ねる処刑執行人としてのイメージが大きいかも知れませんが、本来は罪人の死体を使って試し斬りをし、刀剣の鑑定を行うのが本業でした。
本書のサブタイトルは"人斬り浅右衛門の時代"であり、後半では代々の浅右衛門をはじめ、彼の弟子たちの仕事ぶりから普段の生活に至るまでを当時の記録から引用しています。
単純に江戸時代を舞台にした小説を読むのも楽しいですが、併せて本書のような作品を読むことで、当時の風景や社会に奥行きを感じることが出来て、より一層楽しめるようになるのではないでしょうか。
