死のある風景
吉村昭氏の短編私小説が10作品収められている1冊です。
- 金魚
- 煤煙
- 初富士
- 早春
- 秋の声
- 標本
- 油蝉
- 緑雨
- 白い壁
- 屋形船
著者は2006年に79歳で亡くなっていますが、本書に収録されている作品は50代後半から60代初めにかけて発表されたもので、この頃から死"をテーマに扱った短編やエッセイが多くなってゆきます。
本書については編集者から収録されている作品が「死に関する短編ばかり」と指摘されて初めて気付き、不思議な思いがしたと記しています。
つまりこの時期は半ば無意識に"死"をテーマに選んでいたということになりますが、著者にとって"死"は幼い頃から身近なものだったようです。
それは九男一女の大家族で育ちながらも兄弟や祖母、両親の死を間近に見てきて、さらに20代前半には自身が末期の結核患者となり、成功率が2割という胸郭形成手術から生還したという経験をしているからです。
その手術も部分麻酔で助骨を6本もへし折って取り除くという激痛を伴う壮絶なものだったそうです。
肉親の死だけでなく、自身も若い頃に大病で「自分は長くは生きれない」という経験をしたことは大きいと思います。
つまり当時の著者は、思いのほか(運よく)長生きできているという気持ちと共に、老齢に差しかかり今度は寿命という"死"を漠然と意識し始め、こうした作品を執筆したといえるのではないでしょうか。
著者は記録小説といわれるほど、綿密な取材と資料調査に基づいて作品を書くことで定評のある作家であり、エッセイや私小説以外では主観的な考えや感情を極力抑制しているという作風があります。
またエッセイや私小説であっても、自らの宗教観や死生観といったものを表現することは殆どありません。
それは当然のように本書に収められている作品にも言えることで、人間にとっての"死"という生理的現象を過大にも過小にも捉えず、ありのままに描いているという印象を受けます。
それだけに扱っているテーマの割には作品から重々しい雰囲気は伝わってこず、まさしく表題にある「死のある風景」が相応しい1冊であるといえます。
作品は肉親や知人の死を扱ったものもありますが、東京大空襲で目にした名も知れない大勢の死を扱った作品もあり、彼の描く死の風景にどのような感想を持つのかはすべて読者に委ねられているような気がします。
また自身が老年となり再び本書を手にとることがあれば、きっと今とは違う感想を抱くのだろうと思える1冊でした。
