本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

雪国

雪国 (角川文庫)

ノーベル文学賞を受賞した川端康成の代表作といえば伊豆の踊り子と本書「雪国」です。

随分以前に読んだ時には殆ど意識しませんでしたが、今回「雪国」を読んでまず思ったことは、この2つの作品が非常に対照的な要素が多いということです。

まず前者が南国を箱庭にしたような伊豆を舞台にしているのに対して、後者は寒さ厳しい雪国を舞台にしています。

前者は短編小説であるの対して、後者は長編小説です。

前者は学生の淡い恋を描いているのに対して、後者は男と女の駆け引きがある大人の恋が描かれています。

さらに前者は著者が20代の若い頃に書いたものがたまたま評価されたのに対し、後者は作家として一定の評価を得た川端が、万を期して発表した作品のように感じます。

一方で"温泉"が舞台になっていること、また"芸者"が女性主人公として登場する部分は驚くほど類似しており、まるで「伊豆の踊り子」の学生が十数年後に「雪国」の主人公として再び登場した続編のように感じるのです。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

これは本作品の有名な冒頭であり、川端康成の作品をもっとも美しい日本文(日本語)であるとして見習うべきという評論家がいますが、一般読者がそれを意識する必要はありません。

食い入るように一語一句を追うより、川端の簡素で的確な文章は、流れるようなリズムで情景を思い浮かべながら読むことをお薦めします。

月下の門

月下の門

川端康成氏の随筆や短編小説をまとめた1冊です。

1~4章は随筆、そして最後の5章にのみ短編小説が4作品掲載されていることもあり、少しバランスの悪さを感じてしまいますが、短編小説はいずれも随筆のテーマと関連した作品を選出した結果であり、編集者の意図は充分に伝わってきます。

やはり川端康成の雰囲気を考えると、"エッセー"ではなく"随筆"という言葉がしっくりします。

たとえば骨董や美術品をテーマにした随筆からは単純に著者の趣向や感性だけでなく、どことなく著者の人生観すら伝わってくるような奥行きがあります。

とはいえ私自身が美術の造詣に深いわけではなく、随筆の中で挙げられている芸術家や作品を知らない場面が多々あるため、残念ながら川端氏の語る芸術の深淵を充分に理解できないのは残念です。

一方、永井荷風芥川龍之介をはじめとした"先輩作家たちの最期"を通じて人間にとっての、さらに自分自身の""を見つめてゆく随筆「末期の眼」はもっとも印象に残った部分です。

あらゆる生物にとってもっとも必然であり単純であり、そして未知である""というものを強く意識し、その中でも特に作家や芸術家といった自分の境遇に近い人々の死を想うというのは、川端自身が代表的な文学者の1人という自意識が明確にあったからです。

すぐれた芸術家はその作品に死を予告していることが、あまりにしばしばである。創作が今日の肉体や精神の科学で割り切れぬ所以の恐ろしさは、こんなところにもある。

と論ずる一方で、幾度となく芸術家の壮絶な最期を考察してきた著者自身は次のように語っています。

正岡子規のように死の病苦に喘ぎながら尚激しく芸術に戦うのは、すぐれた芸術家にありがちのことではあるが、私は学ぼうとはさらさら思わぬ。私が死病の床につけば、文学などはさらりと忘れていたい。

結局は次のような無難な結論に達するのです。

死についてつくづく考えめぐらせば、結局病死が最もよいというところに落ちつくであろうと想像される。如何に現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではない。いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い。

さらに最後には皮肉を込めて雑誌から引用した次のような一文で結んでいます。

「数年前英国で、『文学に成功する方法』と言う題の本が出版された。その数ケ月後、その本の著者は作家として成功し得ず自殺してしまった。」

この随筆は昭和8年に書かれたものですが、約40年後に川端自身も自殺で自らの人生に幕を下ろしてしまったのは皮肉であり、やはり長い年月の中に右葉曲折があり心境変化が起こったものとしか考えられません。

もっとも川端自身は文学者として成功していますが、随筆で語られている死生観は迫真に迫っており、本書を読む読者自身も"死"について考えざるを得ません。

一転して後半に掲載されている伊豆に関する随筆は、著者が伊豆に長年の滞在経験があることもあり、一流の文学者が執筆した旅行ガイドブックといった贅沢さを気軽に味わえるものです。

名人

名人 (新潮文庫)

本書は囲碁の名人である本因坊秀哉(ほんいんぼう しゅうさい)と木谷實(きたに みのる:小説では大竹七段)七段との対戦を描いた小説です。

作者の川端康成は秀哉名人とかねてより交流があり、この観戦記を新聞へ連載していた経緯、名人が熱海の旅館で急死した際にもたまたま同じ熱海に滞在しており、結果的に名人と将棋を指した最後の相手となった縁、そしてその死顔を写真に収めたという深い関係が2人の間にありました。

私自身"将棋"は分かりますが、"囲碁"に関してはルールを含めて殆ど知識はありません。

将棋に関してのノンフィクションやインタビュー作品は何冊か読んだ経験があり、囲碁のプロも将棋と同じく"棋士"と呼ばれるからには、やはり同じように厳しい勝負の世界を生き抜く人たちであることは想像できます。

川端康成は将棋や囲碁を好みましたが、あくまでも愛好家止まりであり専門家ではなかったようです。

そのため本書に書かれている観戦記は譜面の解説を最小限度に抑えており、秀哉名人を中心とした大竹七段の挙措や印象、対戦会場の張り詰めた雰囲気の描写が中心になっているノンフィクションに近い作品という印象を受けます。

名人との関係を考えると本作品を執筆するのに川端康成以外の適任者は他にいなかったでしょうし、川端にとっては義務感に近い心境で筆をとったのではないでしょうか。

この対戦は高齢となり体調が優れない秀哉名人にとっての引退碁であり、さらに"本因坊"という名跡は戦国時代から脈々と受け継がれてきた"囲碁"の代名詞ともいえる重みのあるものだったため、この対戦は当時(昭和13年)世間の大きな注目を集めたようです。

しかも途中で秀哉名人が体調を崩し入院したことや、当時の特殊なルールなどの影響で驚くべきごとに半年に渡って対戦が続けられたのです。

順を追うと作品ではまず名人の死の場面が書かれ、それから引退碁を振り返る形になっています。

名人の引退碁からその死まではわずか2年足らずの出来事であり、本書に書かれているような苛烈な対戦が名人の死期を確実に早めたという確信を川端康成は持っているのです。

そうした意味で本書に描かれている本因坊秀哉の姿は、人生すべてを囲碁に捧げた名人の集大成の対戦であり、それ故に確実に死へ向かってゆく孤独と悲哀が漂ってくるのです。

川のある下町の話

川のある下町の話

昭和25年頃、未だ戦争の傷跡が癒えない日本に復興の足音が聞こえ始めた時代の下町を舞台にした小説です。

主人公は研修生として町の大きな病院で働く青年、栗田義三

薄幸の少女・ふさ子、同僚の女性である民子、いとこの女学生・桃子といった3人3様の女性が登場し、義三へ密かに恋心を抱くという、まるでドラマのような恋愛ストーリーが展開されてゆく前半は川端康成の作品としては意外な展開です。

やがて読み進めるにつれ本作品は恋愛小説ではなく、義三を含めた3人の女性を通して、その時代を生きた人間たちの姿を描きたかったことに気付きます。

たとえば義三がもっとも心を寄せた"ふさ子"がその典型的です。

戦争孤児として幼い弟と2人で焼け跡に建てた小屋で暮らすものの、義三の必死の看病の甲斐なく病魔によって弟を失ってしまいます。

身寄りのないふさ子は(好意を寄せているにも関わらず)義三の世話になることを躊躇し、米軍基地によって賑わうキャバレーがある福生へ流れ着くことになります。

ここにはふさ子と同じような境遇の若者が集う街でしたが、義三を忘れられないふさ子は更なる悲劇を体験するのです。。。

もちろん民子や桃子に嫉妬心が無い訳ではありませんが、義三だけでなく彼女たちもふさ子へ対する善意で温かい手を差し伸べようとします。

善意による手助けと、それが善意であることを痛いほど分かっているだけに身を委ねきれない歯がゆいシーンが何度か登場します。

善人が必ずしも幸せな人生を送れるとは限りませんし、むしろ生き馬の目を抜くような狡猾さと図々しさが戦後復興期の混乱には必要だったのかも知れません。

不器用な人生を選んだ人たちの美しくも切ない物語の中に、川端康成が持つ"死生観"がしっかりと練りこまれている作品です。

伊豆の踊子・温泉宿 他四篇

伊豆の踊子・温泉宿 他四篇 (岩波文庫)

1ヶ月ほど前に志賀直哉の小説を何冊か読み、ふと今回は川端康成の小説を手にとってみました。

前者は"小説の神様"と言われ、後者は"ノーベル文学賞"の大家ですが、肩書よりも大正から昭和にかけて活躍した作家たちの作品に共通する"雰囲気"をじっくりと味わってみたいという気分からです。

岩波文庫から発行されているだけあって川端康成20代の頃の作品が体系的に掲載されており、あとがきには著者自身の解説があります。

本書に掲載されているのは次の6作品です。
  • 十六歳の日記
  • 招魂祭一景
  • 伊豆の踊り子
  • 青い海黒い海
  • 春景色
  • 温泉宿

伊豆の踊り子」については随分久しぶりに読み返しましたが、20歳の学生が踊り子に寄せる恋心と伊豆の風景の鮮やかな描写が印象的であり、以前読んだ時よりも随分とさやかな読了感が残りました。

川端康成に限らず、同じ作品でも読むタイミングによって違った印象を持つのが読書の面白いところです。

十六歳の日記」は著者が祖父と2人暮らししていた16歳の頃の日記が元になっており、祖父が亡くなる寸前の細かい出来事が記録されています。

老齢や病気による衰え、そして迫りつつある肉親の死を目の当たりにした川端少年は、それを記録として残さずにはいられない気持になったようです。

しかし成人した後の川端氏が日記を発見し読み返した時、そこに書かれた日々を少しも記憶していなかったというのはどこか不思議でもあり、多感な少年期は得てしてそんなものかも知れないと妙に納得できます。


招魂祭一景」、「青い海黒い海」、「春景色」については詩的、情緒の世界で彩られた抽象的な作品であり、新感覚派ならでわの世界感が広がっています。


川端康成はプロレタリア文学へも大きな影響を与えましたが、「温泉宿」はそうした視点から見ると分かり易い作品であり、曖昧宿で働く女たちの題材にした作品です。

"曖昧宿"とは茶屋などを装って娼婦を置いた宿であり、そこで働く女性は社会の底辺でもがき続ける人間に他ならず、彼女たちのたくましさと逃れようのない悲哀が隣り合わせで描かれています。

20代の作品を集めた短篇集にも関わらず、どの作品も多彩な作風で読者を楽しませてくれる1冊です。

輪違屋糸里 下

輪違屋糸里 下 (文春文庫)

上巻に引き続き「輪違屋糸里」のレビューです。

多くの作家たちが新選組を題材にした小説を書いてきましたが、浅田次郎氏の描く新選組の隊士たちはとりわけ個性を放っています。

明治維新史を通史として見ると新選組は佐幕攘夷尊王といった幾つかの要素を持ちつつも、大まかに区分すれば徳川幕府の体制維持を目的とした過激な保守派勢力であり、維新志士たち(急進的な尊王派)に恐れられた手練の剣士たちといったイメージになります。

しかし実際の新選組の隊士たちの性格は十人十色であり、無骨で一途な近藤勇、冷静沈着な策士である土方歳三、善悪の価値観を超えて天衣無縫な沖田総司といったイメージに代表される彼らをより小説的(個性的)に描いたのが、浅田次郎氏の新選組といえます。

従来まで我の強い乱暴者として片付けられてしまう芹沢鴨についても同様であり、彼がどのような心理・背景で狼藉を働くに至ったのかを丁寧に描写しています。

それは従来の芹沢鴨へのイメージが一変してしまうような、つまり敵役から愛着のあるキャラクターへ一変してしまうようなインパクトを読者へ与えます。

さらに本作の主人公となる糸里の他に、音羽吉栄といった個性豊かな芸妓たち、お梅お勝おまさといった女性が新選組の隊士たちに負けないほどの強烈な個性を持って書かれており、従来の"男の世界"といった新選組の歴史小説のイメージを見事にひっくり返しています。

上下巻の長編にも関わらず本作品で描かれている歴史の時間進行はたった3ヶ月に過ぎず、それだけ丁寧に濃密に書かれた小説であるといえます。

大河ドラマのような壮大なストーリーを描いた歴史小説も面白いですが、"歴史の瞬間"に強烈なスポットライトを当てた本書のような歴史小説も良いものです。

輪違屋糸里 上

輪違屋糸里 上 (文春文庫)

浅田次郎氏による壬生義士伝に続く新選組を題材にした歴史小説です。

壬生義士伝は吉村貫一郎を主人公としたストーリーでしたが、本作は島原の芸妓・糸里を主人公に設定した一風変わった設定です。

本作は新選組が結成され京都へ上がった間もない頃、つまり芹沢派(芹沢鴨を中心とした水戸藩系列の剣士たち)と近藤派(近藤勇を中心とした天然理心流の剣士たち)によって運営されていた時期にスポットを当てています。

やがて近藤派によって芹沢派が粛清されることはよく知られていますが、これら一連の成り行きを島原の芸妓たちの視点から描いたところに本作の面白さがあります。

新選組は池田屋事件をはじめとした対外的な活躍の他に、内部で繰り返される権力闘争といった特徴を持っています。

これは鳥羽・伏見の戦い以前の新選組では戦闘によって死亡した隊士よりも、内部粛清や厳しい隊規則によって命を落とした隊士の方が多いことからも明らかであり、同時期に同じような立場で京都で活躍した見廻組には見られない特徴です。

新選組のみならず多くの志士たちが出入りした"遊郭"は、幕末史において欠かせない"重要な場所"です。

日常を忘れて遊興にふけるため、時には恋仲となった芸妓と会うため、また時には内密に謀議を進めるために遊郭を利用するなど、さまざまな場面で使われてきました。

きっと芸妓たちは彼らの本音や重要な秘密を耳にしたに違いなく、歴史の影で彼女たちが何を感じ、またどのような役割を果たしたのかを浅田次郎氏が想像を膨らませることによって生まれた作品ではないでしょうか。

学問のすゝめ

学問のすゝめ (岩波文庫)

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で有名な福沢諭吉の"学問のすすめ"です。

日本近代史におけるはじめての啓発本(啓蒙書)であり、国民へ学問の重要性を説いた歴史的な著書です。

現代は多くの啓発本が氾濫していることもあり、本書の内容はそれほど斬新でないかも知れません。

しかし本書を理解する上で欠かせないのは、その初編が明治5年に発表されたという時代背景ではないでしょうか。

明治5年といえば江戸幕府が倒れ、戊辰戦争が終結して数年しか経過していません。

つまり日本国民が江戸時代の価値観の中で育ってきたにも関わらず、代国家を目指すためのスタート地点に立たなければならなくなった当時の状況を考える必要があります。

これからの時代は生まれながらの身分ではなく、学問により立身する時代が到来したこと国家と国民の立場は対等であること男女の平等1人の人間として経済的にも精神的にも独立すべきことを主張したことは特筆すべき点です。

本書の中で赤穂浪士の討ち入りに代表される主君への忠誠、そして結果としての切腹を"意味のない死"として明確に否定したことは当時としてはセンセーショナルであり、そのために保守的な考えの人々から身の危険を感じるほどの批判を受けたと告白しています。

もちろん昔から続く価値観すべて否定している訳ではなく、主君や主人へ忠誠を誓う封建的な時代が過去のものになり、西洋列強国からの完全な独立を実現するために国民1人1人が知識や技術を高め、将来を担ってほしいという願望がそこには込められています。

彼は中国(清)やインドがヨーロッパ諸国の植民地となり、そこに元々住んでいた国民が奴隷のように使役されている風景にショックを受け、日本を同じ状況にしてはいけないという強い危機感が根本にあるように思えます。

本書は国民の10人に1人が読んだと言われるほどの大大ベストセラーとなり、後世に与えた影響は計り知れません。

そこには漢学からはじまりオランダ語や英語、そして西洋の経済学や医学に至るまで多くの分野に精通した学者としての姿はなく、天性の教育者、そしてジャーナリストとしての福沢諭吉が浮かび上がってきます。

勇気凛凛ルリの色

勇気凛凛ルリの色 (講談社文庫)

浅田次郎氏のエッセーです。

ちなみに題名は著者が子どもの頃に好きだった「少年探偵団」の歌詞からとったものです。

浅田氏は若い頃に自衛隊に入っていた経歴のある体育会系の作家です。

それでも昔とは違い、昨今は体育会系の作家も増えて珍しくありませんが、もう1つの特徴はアウトローであることです。

自衛隊を辞めてからはネズミ講の幹部、取り立て屋をはじめとした数々のいかがわし職業を経験しながら、作家を目指していたという異色の経歴を持っており、そんな経歴を持つ人の書いたエッセーが面白くない訳がありません。

それだけに筋肉質な思考を持った三島由紀夫を尊敬し、内向的な太宰治を大嫌いな作家として公言してはばかりません。

もちろん自らの過去を振り返って書かれたエッセーは抜群に面白いのですが、本書に収められているエッセーは1994年から1995年にかけて週刊現代で連載されたものです。

つまり世間では地下鉄サリン事件をはじめとしたオウム真理教に関する報道が連日繰り広げられていた時期であり、やはり浅田氏も大衆週刊誌に連載を持つ立場としてしばしば話題に挙げ、本エッセーが連載されていた時代を思い出します。

真面目にオウム真理教事件に言及することもあるのですが、突然、当時頻繁にテレビに登場していたジャーナリスト・江川紹子氏に恋をしてしまったと告白する部分に読者は呆気にとられるに違いありません。

化粧ッ気のない顔。素朴で一途な知性。市松人形のごときヘアスタイル。もしデートをしたならば酒よりもメシよりも、とりあえずデパートに連れていって頭のてっぺんから爪先まで買い揃えてやらねばならないとどうしようもない愛らしさ。早稲田大学政経学部経由神奈川新聞記者という、メジャーだかマイナーだかよくわからんが、ともかく徹底的な在野の言論人。そんな彼女は私にとって、どれほど装いをこらした美人キャスターよりも局アナよりも、はるかに魅力的なのである。

さすがアウトロー作家と思わせるようで、どこか違うような気もするのですが、「作家=知識人」という雰囲気を微塵も感じさせない、また人情小説を得意とする作家とは違った一面を知ることの出来る誰でも気軽に楽しめるエッセーです。