レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

月下の門

月下の門

川端康成氏の随筆や短編小説をまとめた1冊です。

1~4章は随筆、そして最後の5章にのみ短編小説が4作品掲載されていることもあり、少しバランスの悪さを感じてしまいますが、短編小説はいずれも随筆のテーマと関連した作品を選出した結果であり、編集者の意図は充分に伝わってきます。

やはり川端康成の雰囲気を考えると、"エッセー"ではなく"随筆"という言葉がしっくりします。

たとえば骨董や美術品をテーマにした随筆からは単純に著者の趣向や感性だけでなく、どことなく著者の人生観すら伝わってくるような奥行きがあります。

とはいえ私自身が美術の造詣に深いわけではなく、随筆の中で挙げられている芸術家や作品を知らない場面が多々あるため、残念ながら川端氏の語る芸術の深淵を充分に理解できないのは残念です。

一方、永井荷風芥川龍之介をはじめとした"先輩作家たちの最期"を通じて人間にとっての、さらに自分自身の""を見つめてゆく随筆「末期の眼」はもっとも印象に残った部分です。

あらゆる生物にとってもっとも必然であり単純であり、そして未知である""というものを強く意識し、その中でも特に作家や芸術家といった自分の境遇に近い人々の死を想うというのは、川端自身が代表的な文学者の1人という自意識が明確にあったからです。

すぐれた芸術家はその作品に死を予告していることが、あまりにしばしばである。創作が今日の肉体や精神の科学で割り切れぬ所以の恐ろしさは、こんなところにもある。

と論ずる一方で、幾度となく芸術家の壮絶な最期を考察してきた著者自身は次のように語っています。

正岡子規のように死の病苦に喘ぎながら尚激しく芸術に戦うのは、すぐれた芸術家にありがちのことではあるが、私は学ぼうとはさらさら思わぬ。私が死病の床につけば、文学などはさらりと忘れていたい。

結局は次のような無難な結論に達するのです。

死についてつくづく考えめぐらせば、結局病死が最もよいというところに落ちつくであろうと想像される。如何に現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではない。いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い。

さらに最後には皮肉を込めて雑誌から引用した次のような一文で結んでいます。

「数年前英国で、『文学に成功する方法』と言う題の本が出版された。その数ケ月後、その本の著者は作家として成功し得ず自殺してしまった。」

この随筆は昭和8年に書かれたものですが、約40年後に川端自身も自殺で自らの人生に幕を下ろしてしまったのは皮肉であり、やはり長い年月の中に右葉曲折があり心境変化が起こったものとしか考えられません。

もっとも川端自身は文学者として成功していますが、随筆で語られている死生観は迫真に迫っており、本書を読む読者自身も"死"について考えざるを得ません。

一転して後半に掲載されている伊豆に関する随筆は、著者が伊豆に長年の滞在経験があることもあり、一流の文学者が執筆した旅行ガイドブックといった贅沢さを気軽に味わえるものです。