本と戯れる日々


今まで紹介してきた本は900冊以上。
ジャンル問わず気の向くまま読書しています。

ラヴクラフト全集 3



20世紀前半の怪奇小説作家H・P・ラヴクラフトの全集第3巻です。
本書には8作品が収められています。

  • ダゴン
  • 家のなかの絵
  • 無名都市
  • 潜み棲む恐怖
  • アウトサイダー
  • 戸口にあらわれたもの
  • 闇をさまようもの
  • 時間からの影

訳者によれば本巻にはラヴクラフトが盛んに作品を創作していた各時期の代表作品が収められているといいます。

とくに「無名都市」「時間からの影」の2作品には、後にクトゥルフ神話が構成されてゆく上で欠かせない世界観が描かれている作品といってよいでしょう。

具体的には人類が誕生するはるか昔に地球上で繁栄した種族たちの存在をそれぞれ違った角度から描いています。

まるでスタートレックのようなSFのような世界ですが、ラヴクラフトの特徴はそれを外見を含めて人間たちの理性や知性を超えた存在として、有史以前の古代文明と結びつけて描いている点です。

正気の人間が彼らの知識を理解するのは不可能という前提があり、広大な宇宙における人間の存在はまったくの無力であるという点はどの作品にも共通しており、ラヴクラフトの作品がコズミックホラー(宇宙的恐怖)というジャンルを確立させたといわれる所以です。

「家のなかの絵」「闇をさまようもの」の2作品は伝統的なホラー小説であり、ストーリーそのものを楽しめる作品に仕上がっています。

「潜み棲む恐怖」「戸口にあらわれたもの」は典型的なラヴクラフト作品であり、未知の恐怖に魅せられ、やがて破滅してゆく人間の過程が前者では一人称で、後者は三人称の視点で描かれており、ファンが安定して楽しめる作品になっています。

「ダゴン」「アウトサイダー」はいずれも10ページくらいの作品ですが、短編ならではのインパクトのある作品になっています。
手軽にラヴクラフト作品に触れてみたいという人にとってお勧めの作品ではないでしょうか。

そして最後にはラヴクラフトが自らの経歴を紹介した文章を履歴書として掲載しています。
生前は殆ど評価されなかったホラー小説作家ということもあり、少し偏屈で変わり者という性格が垣間見れるものの、そこがまた彼らしくもありファン必見のうれしい付録です。

ラヴクラフト全集 2



20世紀前半の怪奇小説作家H・P・ラヴクラフトの全集第2巻です。
本書には以下の3作品が収められています。

  • クトゥルフの呼び声
  • エーリッヒ・ツァンの音楽
  • チャールズ・ウォードの奇怪な事件

まず「クトゥルフの呼び声」はラヴクラフトの世界を体系化した「クトゥルフ神話」を冠した作品となり、その世界観を知る上で欠かせない作品です。

クトゥルフは人類が出現するはるか昔より地球を支配していた"古き神"であり、何らかの事情により海底奥深くで眠りについています。

ただクトゥルフには寿命どころか時間さえも超越した存在であり、眠りについてさえ感受性の強い人間の夢に姿を現して語りかけることが出来ます。

そしてクトゥルフを信仰する「クトゥルフ教団」なるものが世界各地に存在し、怪しげでおぞましい儀式を今でも続けています。

もちろん普通はそうした秘密を一般人が知ることはありませんが、たまたま好奇心の強い人間がその秘密を知ることになり、その彼が残した手記が作品という形をとっています。

手記の中で人間の想像をはるかに超越した超自然、超宇宙的な秘密が徐々に明らかになってゆくのです。


エーリッヒ・ツァンの音楽」は本書の中ではもっとも短い作品であり、ラヴクラフトの特徴であるコズミックホラーというより、古典的な怪奇小説の雰囲気が漂う作品です。


チャールズ・ウォードの奇怪な事件」はラヴクラフトの残した作品の中でも指折りの長編であり、過去と現在を往復しながら壮大な秘密が明らかになってゆきます。

物語はある青年の好古趣味がきっかけに始まりますが、それが記録から抹殺された先祖の経歴、そして古代の神秘へと繋がってゆき、青年は怪奇と恐怖に満ちた世界の深淵へ魅せされてゆくのです。

「真実を探求する」といば聞こえは良いですが、ラヴクラフトの世界において人類にとって"真実"とは知っていはいけない禁忌であり、その深淵を覗き込んだ人間は狂気の世界へ足を踏み込むことになるのです。

ラヴクラフト全集 1



リストを作成しているわけではありませんが、"いつか読んでみたい本"というのは何となく自分の中にあります。

ラヴクラフト全集はまさしくその中の1つであり、ようやく入手した今回の機会にレビューしてゆきたいと思います。

ラヴクラフトは20世紀前半に活動したアメリカの怪奇小説作家であり、生前はほとんど世に知られることなく不遇のまま一生を終えます。

しかし彼の遺作選集が発表されたのをきっかけに注目されるようになり、今では日本を含めた世界中で数多くの熱心なファンがいることで知られている作家です。

その魅力をひと言で語るのはとても困難ですが、モンスターやゴーストといった古典的なホラー作品とは一線を画する、超自然的、宇宙の起源的なホラー小説であり、そこから「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」という言葉が生まれています。

またその独自の世界はラヴクラフトの死後に「クトゥルフ神話」として体系化され、その世界観を舞台に多くの作家が作品を発表しています。

私自身はラヴクラフトの作品はアンソロジーとして、または他の作家がクトゥルフ神話を背景とした作品を通じて知っていましたが、全集としてまとめて読むのは今回がはじめてです。

全集1巻には4作品が収録されています。

  • インスマウスの影
  • 壁のなかの鼠
  • 死体安置所にて
  • 闇に囁くもの


中でも「インスマウスの影」は全集を通じてもラヴクラフトの生前に出版された唯一の単行本であり、その他の作品はパルプ・マガジン(大衆向け雑誌)に掲載された程度です。

ラヴクラフトの作品には基本的に怪物を倒すヒーローやヒロインは登場しません。
なぜなら人間の存在をおびやかす神々(もしくは悪魔たち)は、人類が二足歩行をはじめるはるか昔の太古より存在しており、時間や距離を超越した絶対的な力を持っているからです。

つまり彼らにとって人間は取るに足らない存在でしかなく、その深淵の端っこを覗いてしまった人間は絶望的な恐怖に襲われることになるのです。

そもそも深淵の全貌を知ったところで正気を保つことはまったく不可能でしょう。

宇宙、あるいは超自然の前に人間はまったくの無力であり、それゆえの圧倒的な恐怖と絶望感こそがコズミック・ホラーの世界観であるといえます。

全集をレビューしてゆく中で、ラヴクラフトの魅力を少しずつ紹介してゆきたいと思います。

テンプル騎士団



テンプル騎士団を大雑把に説明すれば中世ヨーロッパの僧兵ということになります。
つまり宗教団体と軍隊が密接に結びついた組織という点で一致していますが、両者にはかなりの相違点もあります。

まずはブリテン島からアラビア半島、エジプトに至るまで広範囲に渡り、国境を超えて活動していたという点です。
比叡山に立て篭もる僧兵とはかなり活動範囲が異なります。

また農業や酪農、金融や運送といった分野にまで進出し、ヨーロッパ随一と言われるほどの経済力を誇っていたという点です。
今でいえばグローバル大企業ということになります。

次に聖地エルサレムを巡るキリスト勢力と力イスラム勢力との戦いにおいて、十字軍と呼ばれたキリスト側勢力の中心戦力として活躍し続けたという点です。

テンプル騎士団の団長はフランス国王やイギリス国王、ドイツ皇帝と肩を並べられる程の存在であり、多くの国でヒーローのように讃えられたという点でも僧兵のイメージとはだいぶ異なります。

本書は多くの西洋を舞台とした歴史小説を手掛けている作家の佐藤賢一氏が、テンプル騎士団を解説した1冊です。

小説のように物語調でテンプル騎士団を紐解いてゆく本だと思ったのですが、実際には西洋史の専門家のように文献や時代背景を元にした細かい解説が中心となっている点は意外でした。

テンプル騎士団の成り立ちからその終焉までを追ってゆくのはもちろんですが、彼らの組織管理手法や経済活動まで多角的に分析しています。

とにかくヨーロッパおいて最強の武力と経済力を持つ組織として頂点に上り詰めたテンプル騎士団ですが、聖地を巡礼するキリスト教徒が安全に旅ができるよう、たった2人でパトロールのボランティアを始めたのがきっかけでした。

テンプル騎士団の印章は1匹の馬に2人の騎士がまたがっている姿が図案となっていますが、それもボランティアを始めた2人が住む場所もないほど貧乏で、馬も2人で1頭しか用意できなかったことに由来しています。

テンプル騎士団の成長過程を見ていくと、ガレージで起業して世界的大企業へと成長したグーグルやアップルとテンプル騎士団が重なって見えてしまします。

ただし国家をも凌ぐ経済力を持ったテンプル騎士団もやがて崩壊せざる得なかった事実を考えると、世界を席巻するビッグ・テックを呼ばれる企業もやがて衰退する時が来ることを示しているのかも知れません。

もちろん本書ではここまで言及していませんが、中世ヨーロッパの歴史を彩ったテンプル騎士団を知る上で手助けとなる1冊なのは間違いありません。

ちなみにテンプル騎士団と同時代に活躍したもう1つの聖ヨハネ騎士団については、塩野七生氏の「ロードス島攻防記」が歴史小説としてお勧めです。

暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇



尾崎一雄氏のエッセイに続いて、岩波文庫から出版されている作品集となります。
本書には15篇の作品がほぼ発表年代順に掲載されています(カッコ内は発表時期)。

  • 暢気眼鏡(昭和8年2月)
  • 芳兵衛(昭和9年5月)
  • 燈火管制(昭和9年8月)
  • 玄関風呂(昭和12年6月)
  • 父祖の地(昭和10年6月)
  • 洛梅(昭和22年9月)
  • 虫のいろいろ(昭和23年1月)
  • 美しい墓地からの眺め(昭和23年6月)
  • 痩せた雄鶏(昭和24年4月)
  • 山口剛先生(昭和23年11月)
  • (昭和32年7月)
  • 松風(昭和46年1月)
  • 蜜蜂が降る(昭和50年1月)
  • 蜂と老人(昭和54年1月)
  • 日の沈む場所(昭和57年1月)

    • 尾崎氏は明治32年生まれで、日本の私小説というジャンルを切り開いた先達の1人に位置付けられる作家です。

      若い頃に大病を患ったこともあり、コンスタントに作品を発表し始めたのは30歳を過ぎてからという遅咲きでしたが、昭和58年に83歳で没するまで息の長い活動を続けました。

      生涯に200篇あまりの小説を書いたと言われますが、大部分が短編ということもあり、決して多作な小説家ではなかったようです。

      志賀直哉
      に師事したことでも知られていますが、尾崎氏自身が途中で師のような作品は書けないと悟ったこともあり、実体験に基づいた装飾を排除した私小説という特徴があります。

      本書のタイトルにもなっている暢気眼鏡は、のちに妻となる女性との出会いと同棲の様子を描いた作品ですが、同時に作家として殆ど活動せずに借金まみれの生活の日々を描いた作品でもあります。

      書き手によっては自分の鬱屈した気分を前面に押し出した陰気な雰囲気の漂う私小説にもなり得ますが、この作品はユーモア貧乏小説と評されるようになります。

      これは尾崎氏自身の性格にもよりますが、当時の私小説作品の中では珍しいスタイルだったといえます。

      ここにさらに1つ付け加えるとすると、ユーモアのある私小説というスタイルは変わらないものの、前半(戦前)の作品はいかにも文学的な私小説という構成や文体を意識した作品ですが、中盤(戦後)以降はほとんどエッセイと見分けのつかないほど自然な文体で書かれており、心情を率直に作品へ反映しているという印象を強く受けます。

      これは読んでいて誰にでも書けるように感じますが、プロの作家でもなかなか真似の出来ない小説ではないでしょうか。

      おそらくこれは若い頃から何度か命にかかわる大病を患い、絶望や悲観を味わいながらも生還を果たした経験から得た、運命にすべてを委ねた自然体から漂う天衣無縫さが作品に反映されたもののように思われてなりません。