暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇
尾崎一雄氏のエッセイに続いて、岩波文庫から出版されている作品集となります。
本書には15篇の作品がほぼ発表年代順に掲載されています(カッコ内は発表時期)。
- 暢気眼鏡(昭和8年2月)
- 芳兵衛(昭和9年5月)
- 燈火管制(昭和9年8月)
- 玄関風呂(昭和12年6月)
- 父祖の地(昭和10年6月)
- 洛梅(昭和22年9月)
- 虫のいろいろ(昭和23年1月)
- 美しい墓地からの眺め(昭和23年6月)
- 痩せた雄鶏(昭和24年4月)
- 山口剛先生(昭和23年11月)
- 石(昭和32年7月)
- 松風(昭和46年1月)
- 蜜蜂が降る(昭和50年1月)
- 蜂と老人(昭和54年1月)
- 日の沈む場所(昭和57年1月)
尾崎氏は明治32年生まれで、日本の私小説というジャンルを切り開いた先達の1人に位置付けられる作家です。
若い頃に大病を患ったこともあり、コンスタントに作品を発表し始めたのは30歳を過ぎてからという遅咲きでしたが、昭和58年に83歳で没するまで息の長い活動を続けました。
生涯に200篇あまりの小説を書いたと言われますが、大部分が短編ということもあり、決して多作な小説家ではなかったようです。
志賀直哉に師事したことでも知られていますが、尾崎氏自身が途中で師のような作品は書けないと悟ったこともあり、実体験に基づいた装飾を排除した私小説という特徴があります。
本書のタイトルにもなっている暢気眼鏡は、のちに妻となる女性との出会いと同棲の様子を描いた作品ですが、同時に作家として殆ど活動せずに借金まみれの生活の日々を描いた作品でもあります。
書き手によっては自分の鬱屈した気分を前面に押し出した陰気な雰囲気の漂う私小説にもなり得ますが、この作品はユーモア貧乏小説と評されるようになります。
これは尾崎氏自身の性格にもよりますが、当時の私小説作品の中では珍しいスタイルだったといえます。
ここにさらに1つ付け加えるとすると、ユーモアのある私小説というスタイルは変わらないものの、前半(戦前)の作品はいかにも文学的な私小説という構成や文体を意識した作品ですが、中盤(戦後)以降はほとんどエッセイと見分けのつかないほど自然な文体で書かれており、心情を率直に作品へ反映しているという印象を強く受けます。
これは読んでいて誰にでも書けるように感じますが、プロの作家でもなかなか真似の出来ない小説ではないでしょうか。
おそらくこれは若い頃から何度か命にかかわる大病を患い、絶望や悲観を味わいながらも生還を果たした経験から得た、運命にすべてを委ねた自然体から漂う天衣無縫さが作品に反映されたもののように思われてなりません。