本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

全宗


火坂雅志氏による戦国時代小説です。

江戸時代に入るまでは僧侶が代表的な知識人層でした。

彼らの専門知識や教養は戦国武将たちにも重宝され、そこに注目した火坂氏は織田信長に仕えた沢彦、徳川家康に仕えた金地院崇伝を主人公にした作品を発表してきました。

そして今回紹介するのは、豊臣秀吉へ仕えた施薬院全宗(やくいん ぜんそう)を主人公にした歴史小説です。

歴史小説を注意深く読んでいると、秀吉の侍医としてその名前が登場することはありますが、その詳細に触れらている作品は殆どありません。

つまり全宗は医者であると同時に秀吉のブレーンでもあったのです。

彼は早くに両親を亡くして比叡山薬樹院の住持となっていましたが、信長の比叡山焼き討ちに遭ったのちに、当時医学の頂点にいた曲直瀬道三の弟子となり、その後に秀吉に仕えることになります。

全宗は甲賀出身であることから、本作品ではその出自を忍び(下忍)としています。

命がけで故郷を逃れた全宗には、強烈な上昇志向、つまり戦国武将たちのように立身出世へ対するギラギラした野望を持っていました。

全宗は曲直瀬道三門下で頭角を表してゆきますが、やがて師の道三は彼の持つ医者という身分に不相応な野望にも気付き始めます。

それは政治的な野心であり、たとえ師であろうとも敵として立ち塞がる相手は容赦しないという覚悟を伴ったものでした。

普通の武将であれば戦場での働きによって立身出世を成し遂げようとしますが、彼は武力によってではなく、独力して身に付けた医学という知識を武器にして成り上がってゆくことを決意します。

もちろん全宗には先祖から授かった領地や格式のある血統はなく、自分と同じような境遇から頭角を現し始めた秀吉に目を付けます。

信長の勢力が全盛期の頃から秀吉の将来を見抜き、彼に天下を取らせることによって自らの野望を達成しようと目論むのです。

火坂氏らしい戦国時代においてユニークな方法で立身出世を遂げるストーリーという着目点は読者を楽しませてくれます。

DRY


本ブログでも何度か紹介している原田ひ香氏の小説です。

主人公は北沢藍33歳。
かつてタワーマンションで夫と2人の子どもの3人で暮らしていましたが、自らの不倫が原因で離婚し、親権も夫側に取られしまい1人暮らしをしている女性です。
もっとも離婚前から夫との仲はうまくいっておらず、義理の父母とも折り合いが悪い状況が続いていました。

そして藍の母である孝子58歳。
彼女は定職にはつかず、あちこちに男を作っては水商売のようなことをして暮らしています。

次に藍の祖母のヤス80歳。
夫を早くに亡くし、年金暮らしをしています。

ちなみに藍の父は物心がつく前に離婚して家を出ており、顔も覚えていません。
また母と祖母に共通するのは、2人とも家事や子育てに関心が薄く、こうした2人を避けるように藍は10年間も実家に寄り付くことがありませんでした。

さらに母と祖母の相性が悪く、喧嘩が元で母が祖母へ対して傷害事件を起こしてしまい、藍は久しぶりに実家へ顔を出すようになります。
(幸い祖母のケガは軽症であった)

2人とも生活に必要な充分な収入がなく、いわゆる貧困層と言われている生活をしていました。

さらに藍も離婚してからの引っ越しなどで貯金を取り崩してしまい、経済的な余裕が無い状態です。

彼女は実家に顔を出すようになってから幼馴染である美代子と再会しますが、彼女も親戚から祖父の介護を押し付けられて、定職に付かず祖父の年金を頼りに暮らしている状態でした。

この美代子との再会がストーリーを思いがけない方向へ展開してゆくことになりますが、ネタバレになるため本ブログでは紹介するのは控えたいと思います。

著者の作品は現代の社会問題を切り取ったものが多く、本作品では貧困問題が大きなテーマになっています。

主人公の藍は1度は手に入れた安定した生活を離婚によって失いますが、もともと実家は裕福ではなく、家庭問題によって祖母から貧困の連鎖が3代続く状況になっています。

そして主人公の幼馴染である美代子は日々の介護に追われて定職に就くことが出来ず、結果的に平均的な生活水準を送ることが難しい状況に陥っています。

貧困問題は単に当事者たちの経済的な困窮だけに留まらず、差別、孤立、そして犯罪といった副次的な問題へと広がっています。

そうした意味で本作品はエンターテイメント小説としての側面と、社会派小説としての側面があるといえます。

ちなみに本作品に限らず、著者の作品には登場人物の収入や資産状況、つまりお金について具体的に言及されていることが多く、ストーリーそのものに生々しい現実感を感じることができます。

北極圏1万2000キロ


本書は伝説的な冒険家・植村直己氏がグリーンランドからカナダを経て、アメリカ(アラスカ)までの1万2000キロを犬ぞりで走破した過程を執筆したものです。

1万2000キロといわれても実感が沸かない数字ですが、ためしに北海道の最北端・稚内から九州の最南端・佐多岬までの運転ルートを検索してみると約2800キロであり、全然足りません。
東京~ロンドン間が直線で約1万キロという距離のため、とにかく途方もない距離であることが分かります。

またグリーンランドとカナダは陸続きではなく、凍結した海上を移動する必要があります。
そのためこの犬ぞりの冒険は冬季に行う必要があり、植村氏は2シーズン(1974年、1975年)に分けてこの冒険を敢行しています。

北極圏に住むイヌイットにも前例が無い、人類史上初の試みでもありました。

ちなみに犬ぞりを日常的に使用するのはグリーンランドのイヌイットのみであり、カナダ、アメリカに住むイヌイットはスノーモービルを利用しているようです。

もちろんスノーモービルを使用した方が早くて快適ですが、北極圏の大部分は無人地帯であるため機械の故障や破損は死へと直結します。

一方で10数頭で行う犬ぞりは、犬の世話が必要なもののリスクを分散することができるため、今回のような冒険での使用は合理的であるといえます。

植村氏は冒険にあたりグリーンランドで犬ぞりを扱うための訓練も行い、万全の準備を行います。

ただし当然のように犬ぞりで運べる重量には上限があり、またときには1000キロ以上の無人地帯を走破する必要があり、途中で食料を調達するためにカリブーやアザラシといった野生動物をハントする必要がありました。

さらには当時はGPSもなく、1日中太陽が昇らない極夜をコンパスや地形によって進まなければいけない危険、薄い海氷を踏み抜いて溺れてしまう危機、油断した隙に犬に逃げられてしまう危機など、本書を読んでゆくと冒険に成功したことが奇跡のように思えます。

実際に植村氏自身がもうこれ以上進めないと弱気になる場面が幾度もあり、その度ごとに強い意志力、そして優しいイヌイットたちの援助によって再び前進してゆく姿には読者も勇気づけられます。

ちなみに本ブログでは角幡唯介氏が北極圏を冒険した書籍も紹介していますが、併せて読むことでより北極圏地域へ対する理解が深まり楽しむことができます。

青春を山に賭けて


1970年に日本人としてはじめてエベレスト登頂を果たすと同時に、世界ではじめて五大陸最高峰の制覇を果たした植村直己氏がその翌年に出版した本です。

ちなみに五大陸最高峰と植村氏が登頂した時期は以下の通りです。

  • モンブラン(ヨーロッパ大陸 / 4,810m / 1966年7月)
  • キリマンジャロ(アフリカ大陸 / 5,895m / 1966年10月)
  • アコンカグア(南アメリカ大陸 / 6,961m / 1968年2月)
  • エベレスト(アジア大陸 / 8,848m / 1970年5月)
  • マッキンリー(北アメリカ大陸 / 6,190m / 1970年8月)※現在の呼称はデナリ

    • ちなみにエベレスト以外はすべて単独登頂で達成していますが、彼は決して人間嫌いだった訳ではなく、自身(広い定義でいえば人間)の可能性へ挑戦したいといった考えがあったようです。

        さらに本書ではアコンカグアに登頂したあとに60日間かけてアマゾン川を上流から河口までイカダで下るという冒険、さらにはアルプス最難関といわれるグランド・ジョラス北壁登攀の様子も紹介されています。

        彼が活躍するフィールドは登山だけに留まらず、のちに犬ぞりで北極圏を冒険にも挑戦しています。

        本書では一通りこうした冒険の過程が描かれていますが、さすがに1冊の本ですべての冒険を克明かつ詳細に書くには無理があり、エベレスト挑戦だけにテーマを絞った「エベレストを越えて」といった著書があったりします。

        本書を読んで印象に残るのは個別の冒険譚というよりは、著者自身が語る自らの半生です。

        植村氏は明治大学の山岳部に入りますが、それまで登山経験が殆どない初心者だったといい、合宿があまりに厳しくて辞めることも考えたといいます。

        しかし生来の負けず嫌いだった植村氏は誰よりも熱心にトレーニングに励み、大学生時代に年間120~130日間は山に入っていたといいます。

        そして大学卒業後は就職もせず、アルバイトで溜めたわずかな資金だけを頼りに単身アメリカへ渡ることになります。

        アメリカの農園ではメキシコ人たちに混ざって資金稼ぎをしていたところを移民官に見つかり強制送還されそうになり、次にアルプス山麓にあるフランスのモルジンヌのスキー場で3年以上に渡り働き、この町を生活拠点にしがらモンブラン、キリマンジャロの登頂を果たします。

        外国語を話せない、知り合いもいない、お金もないといった条件の中で躊躇せずとにかく前のめりに挑戦してゆく姿は冒険だけに留まらず、世界中を1人で渡り歩く上で欠かせないスキルだということがよく分かり、本書を通じて一番印象に残りました。

深重の海


いつの間にか本ブログでは津本陽氏の著書を40册以上紹介していることになります。

本書は第79回直木賞受賞作であると同時に津本氏が作家として世間に知られるきっかけとなった作品です。

津本氏といえば剣豪小説や歴史小説の名手として知られていますが、本作品はそのいずれにも属しません。

舞台は紀伊半島南東部にある太地湾(現・和歌山県太地町)であり、かつて日本における捕鯨文化の中心地として栄えた地域です。

そこで17世紀から続く伝統的な古式捕鯨が時代の激流に呑み込まれて衰退してゆく過程を描いた作品です。

作品を読めば分かるため詳細は割愛しますが、古式捕鯨とは網や銛を用い、さらには灯台からクジラの動きを見張る人たちを含めると数百人にも及ぶ規模で行われる捕鯨方式のことです。

クジラは肉や脂、さらには骨やヒゲ、皮に至るまで余すところなく利用できる資源であり、江戸時代には「一頭で七郷が潤う」と言われるほどの一大産業でした。

実際に代々鯨方棟梁を務めてきた和田家は、井原西鶴の「日本永代蔵」において日本十大分限者(日本の富豪TOP10)の1人として鴻池家や紀伊国屋と並んで紹介されるほどの繁栄を誇っていました。

一方で古式捕鯨に用いられる勢子舟や網船は小さな木造船であり、暴れるクジラによって、さらには海の難所として知られている熊野灘によって多くの命が失われてきた危険な漁場でもあったのです。

本作品の山場であり、古式捕鯨を一気に衰退させるきっかけとなったのが明治11年に発生した大背美流れです。

これは不漁が続き、年越しの支度金も無いほどの困窮に陥った漁師たちが熊野灘に現れた巨大なセミクジラを危険を承知で深追いした結果、100人以上の漁師が犠牲になった海難事故を指します。

本作品ではその一部始終がこと細かく描かれており、ドキュメンタリー映画のような緊張感があります。

そもそも不漁となったのはアメリカを中心とした蒸気船や爆薬付の捕鯨砲を用いた近代捕鯨によるクジラの乱獲が原因であり、古式捕鯨とは桁違いの効率性を備えていました。

多くの仲間を失い困窮する漁師たちは、それでも古式捕鯨を再興させるために資金集めなどに奔走します。

本作品はこうした経緯を代々続く漁師である弥大夫、孫才次親子の視点から描いいますが、大きな時代の流れによって1つの文化が滅んでゆく生々しさと哀しさを感じさせると同時に、著者の出身地である和歌山県を舞台にしている郷土愛も感じられます。

ちなみに同じ熊野太地の捕鯨を扱った作品に吉村昭氏の「鯨の絵巻」があり、併せて読むことでより奥行きを持った歴史を知ることができます。

風流武辺


津本陽氏による歴史小説です。

本作品の主人公は戦国武将、そして茶人として活躍した上田重安(宗箇)です。

重安ははじめ織田信長の家老である丹羽長秀の家臣として戦場で頭角を表してゆきます。

ちなみに丹羽長秀といえば柴田勝家と双璧をなす宿老でありながらも、すこし存在感が薄い印象を受けます。

それは本能寺の変で信長が斃れたあと、秀吉と徹底抗戦して滅んだ勝家と違い、かつては自分より席次の低かった秀吉の支配を受け入れたことに要因があるように思わます。

それはともかく、信長存命時の長秀は重要な作戦を任せられることが多く、各地を転戦することになります。

当然のように重安も多くの戦場を駆け回ることになり、信長へ対して謀反を起こした荒木村重の籠る有岡城への城攻め、本願寺攻め(石山合戦)などで戦功を重ねてゆきます。

やがて秀吉の時代が訪れると柴田勝家との合戦、家康との小牧・長久手の戦い、さらには島津氏の九州征伐や北条氏の小田原征伐など、数々の戦場を経験してゆきます。

ちなみに長秀が病死すると丹羽家は減封されてしまい、重安は秀吉の直参として召し抱えられます。

一方で戦場で多くの敵味方の"死"を目にし、自らも多くの命を奪ってきた歴戦の強者である重安には、この世は長く生きるに値しない厭世的な気分に陥ることが多くなってゆきます。

明日の命も知れぬ乱世において多くの戦場を経験してきた武将の中には、今さえよければそれでいいと刹那的に生きる人間も少なくありませんでした。

重安はそうした粗暴な振る舞いを好む性格ではなく、心の空虚を埋める手段を"風流"の中に見出します。

それは千利休、古田織部といった茶人に弟子入りしたのがきっかけであり、のちに自らも茶道の流派(上田宗箇流)を開くまでになります。

ちなみに重安は関ヶ原の戦いでは西軍に味方したため所領を没収されて浪人となりますが、彼の武勇・文化人としての名声を慕ってはじめは蜂須賀家、のちに浅野家に高禄で召し抱えられることになり、大阪夏の陣では戦功を立てて家康・秀忠からも高く評価されます。

もしも重安が武力だけの武将であったとしたら、彼を歴史小説の主人公として取り上げることは無かったはずです。

決して一般的な知名度は高くないにも関わらず戦国時代を駆け抜けた1人の武将の物語として魅力的な作品に仕上がっています。

孤独な噴水


吉村昭氏によるボクシングをテーマにした長編小説です。

吉村ファンであれば彼がかつて熱心なボクシングファンだったことはよく知られていますが、本作品は1995年に文庫化されたものの、実際はその31年前(1964年)に発表済みの彼にとってはじめての長編小説になります。

著者はあとがきで作品の文庫化にあたり、強いためらいがあったと告白しています。

それは1995年時点で読み返してみると文章にある種の衒気(げんき)があり、気恥ずかしさを感じるからだとその理由を語っています。

ちなみに衒気とは自分の才能を見せびらかす虚栄心のような意味合いです。

実際に読んでみて、著者自身が背伸びをして執筆したという印象は受けませんでしたが、後に発表される数々の作品と比べて明らかに作風が異なるのはすぐに分かりました。

吉村昭といえば情景を淡々とかつ精密に描写してゆく作風でお馴染みですが、本作品はストーリーそのものを丁寧に補足するための心理描写や登場人物のセリフが多く、どちかと言えば吉村氏らしさのない一般的な小説という印象を受けました。

それでも小説化にあたっての着目点については共通する部分があると感じました。

ストーリーは問題を抱える家庭に育ち、人生の目標もなく玩具工場で働く毎日を送っているところに東京の下町でたまたま見つけたボクシングジムへ主人公が入会するところから始まります。

そこが弱小ジムということもあり、私自身は完全に「あしたのジョー」に登場する"丹下ジム"を想像しながら読んでしまいました。

一方でストーリー自体はマンガのように劇的な内容ではなく、登場するジムの会長やトレーナー、先輩や練習仲間たちの描写にはリアリティを感じる描写になっています。

つまり主人公がのちに世界チャンピオンへと上り詰めるような華々しいストーリーではなく、どこにでもいそうなボクサーを主人公にしている点に著者らしさを感じるのです。

著者は本作品を書き上げるために何軒ものジムを訪れて試合にも足繁く通ったといいますが、だからこそ描くことのできる生々しさが作品全体から漂ってきます。

恵まれない家庭環境にある主人公には常に孤独と影がつきまとい、それが新たな闇を呼び寄せる結果になりながらも、その中で必死に自分自身の青春を追い求める姿には痛々しさを感じます。

ちなみに本作品発表当時の著者はまだ専業作家として生活できる状況ではなく、毎日の会社勤めをしながらの執筆だったといいます。

そう考えると作品中で描かれている主人公の心理は、当時の著者自身が抱えていた心理を間接的に幾らかでも反映したものであるのかも知れません。

メディアの興亡 下


ノンフィクション作家・杉山隆男氏が大手新聞社(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞)の昭和史をダイナミックに描いた作品です。

作品中で各新聞社の歴史を辿りながらも中心となるストーリーは、業界の中でいち早く紙面を従来の活字ではなくコンピューターで製作することを目指した日本経済新聞、そしてそのライバルであり、盟友でもあった朝日新聞、さらにはこの2社のシステム開発を請け負った米国IBM社です。

まずコンピューター化といっても日本の紙面作りは複雑かつ独自であり、それを門外漢であるIBM社が理解するところが最初の困難になります。

とくにIBM社の技術者はアメリカ人が中心だったため、日本人ですら理解が難しい新聞の紙面作りの考え方を正確に伝えて理解してもらうためには気の遠くなるようなプロセスが必要でした。

一方でアメリカ側の技術者が日本語を理解出来ないが故に、ブレイクスルー(突破口)が開きます。

それは文字を模様(記号)として捉え、指定した座標枠に自由に配置できる仕組みを作るという考え方であり、それは漢字を見ただけで無意識に意味を連想してしまう日本人にはなかなか生まれなかった発想でもありました。

ちなみにこのシステムを担当したのは、NASAを担当して人類初の月面着陸に際して彼らが地球に帰還するための精密な軌道計算のシステムを作った当時の最高のエンジニアたちでした。

実は日本経済新聞が目指した紙面作りのコンピューター化は世界初の試みでもあり、当時から多国籍企業であったIBM社にとって世界的なマーケットを見据えることのできる魅力的なプロジェクトだったのです。

また技術的な困難があると同時に、コンピュータを使った紙面作りのシステム開発には膨大な費用がかかります。

決して余裕のある財務状況になかった新聞社がこのプロジェクトを進めるためには、経営者としての先見性、そして社員たちを牽引するための手腕が技術力と同じくらい重要でした。

本プロジェクト実現のために数々の困難に立ち向かう場面描写は、NHKの「プロジェクトX」を見ているようであり、本当にギリギリのところで実現したことが分かります。

そしてこのストーリーと並行するようにして描かれているのが、毎日新聞社が大手新聞社の中から少しずつ没落してゆく過程です。

借金がどんどん膨らんでゆく中で新社屋の建設や子会社への資金援助、さらにはかつての幹部役員たちの私腹を肥やすかのような資金用途が明らかになり、危機感をつのらせた社員や経営者が会社を立て直そうにも複雑な社内の権力闘争によりなかなか進まない過程が描かれています。

こちらはテレ東の「ガイアの夜明け」のような雰囲気があります。

さらに主要な登場人物についても丁寧にその経歴を掘り下げてゆき、それがサイドストーリーのように展開されてゆく構成は多少複雑ではあるものの、上下巻800ページにも及ぶ分量になるのも納得の内容であり、1人の作家が丹精を込めて作り上げた作品であることを実感しながら読み進めました。

私自身は該当しませんが、マスコミ業界で働いている人、これから就職を目指している人であれば必読の作品ではないでしょうか。

メディアの興亡 上


ノンフィクション作家である杉山隆男氏は自衛隊を取材したルポ"兵士シリーズ"が有名で本ブログでも紹介していますが、彼の出発点は新聞記者でした。

本作品「メディアの興亡」は新聞記者を辞めてから作家へ転身したあとのデビュー作であると同時に、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した出世作でもあります。

1986年(昭和61年)に発表された本作品で扱っているのは、かつて彼自身が身を置いていた新聞社であり、中でも大手新聞社といわれる読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞が昭和30年代後半から昭和40年代にかけて経験した激動の時代を扱っています。

戦前から長い期間に渡って新聞は大衆メディアの頂点に君臨し続けていましたが、ラジオやテレビの登場とともにその地位は少しずつ揺らいでゆくことになります。

昭和30年代に入り新聞業界はほかの産業分野と比べて機械によるオートメーション化が遅れている状態で、戦前から続く鉛の活字を人手で1つずつ並べて版を作る活版印刷が中心でした。

さらに通信技術も未発達だったため、新聞本社には新聞記者のデスクと巨大な輪転機を設置する工場を同じ建物内に同居させる必要があり、都心に広大な土地が必要でした。

本書の前半では大手新聞社が全国的に部数を伸ばしてゆく歴史が語られており、さらには時代に取り残されつつある新聞業界を改革してゆくために立ち上がった経営者や技術者たちの物語へと展開してゆきます。

中でも日本経済新聞社は、いちはやく紙面をコンピュータで製作するプロジェクトを立ち上げ、米国のIBM社とともに技術研究を進めてゆきます。

コンピュータ化といってもインターネットが登場するはるか以前の時代だったため、現在と比べるとその性能は著しく低く、複雑な紙面を作成するためには多くの技術的な障壁がありました。

一方で活字を廃止するという方針は、工場で働く多くの社員たちが不要になることも意味しており、労働組合などから激しい抵抗を受けることになります。

新聞業界が経験した昭和の激動を綴ったスケールの大きなドキュメンタリーであり、上下巻で800ページという大作でありながらも読者を夢中にさせてくれます。

心を鍛える


サイバーエージェントを創業して現在は会長職にある藤田晋氏、そしてさまざま分野で実業家として活躍を続ける堀江貴文氏による共著です。

この2人の関係はよく知られていますが、一言で表すとお互いが創業間もない20代の頃から交流が続く気心の知れた同志とも言える関係です。

私の印象ではいつも冷静で落ち着いている藤田氏と、活発でときに過激な発言をする堀江氏という正反対の性格ですが、お互いの価値観には共通している部分も多く、相性が良いように見えます。

タイトルに「心を鍛える」とありますが、お互いに起業家として活躍し、組織のトップとして何度も危機を乗り越えてきた経歴を見れば、2人とも"鍛えられた心"の持ち主であるのは疑いようがありません。

本書はビジネス書でありながら2人の対談という形ではなく、往復書簡という形で学生時代から現在に至るまでの自身の経歴を振り返りつつ、そこへ心を鍛えるためのヒントを散りばめてゆくという形式をとっています。

たとえばアスリートが結果を出すためには強いメンタルが不可欠ですが、それを大会や試合へ向けてピークへと持ってゆく瞬発力が必要になります。

一方で本書の2人のように実業の世界で継続的に結果を出し続けるためには、強いメンタルに持久力が求められます。

そして多くの社会人にとって後者の方が共通する部分が多いのではないでしょうか。

創業期の混乱と目まぐるしい日々、上場してのちの株主や取引先からのプレッシャー、さらに世間からの理不尽ともいえる罵詈雑言など、2人とも多くの苦しかった時期を経験して乗り越えているだけに、本書から何らかのヒントが得られるのと思います。

そしてやはり書籍の良い点は、メディアへ出演して発言する場合と違い、より言葉を選んで丁寧に発信することが出来る点です。

いつもは過激な発言で知られる堀江氏にも本書では読者へアドバイスを与えつつも、時には励ますような語り口であり、いつもと雰囲気が違うように感じます。

また先に説明したように、本書には2人が自らの経歴を振り返る自伝という要素もあり、無味乾燥なノウハウ本とは違い、単純に読み物として楽しめるのもお勧めできる点です。

七帝柔道記II


以前本ブログで紹介した増田俊也氏「七帝柔道記」の続編です。

書店で本書を見つけて迷わず購入しましたが、それは前作が青春スポーツ小説として抜群に面白かったからです。

オリンピック柔道とはまったく異なる寝技中心のルールで行われる七帝柔道(高専柔道)にすべてを捧げた若者たちの青春を描いた作品であり、しかもこの競技は世間から注目される機会もすくないマイナースポーツです。

つまり日本一になったとしても競技者として生活してゆくことは無理であることを承知で長時間に及ぶ苦しい練習に学生生活の大部分を捧げ、勉学や単位取得のための障壁にはなっても手助けになることはありません。

なぜこれだけの練習を続ける必要があるのか?

その理由は、昔から七帝柔道は「練習量がすべてを決定する」と言われているからです。

つまり大学に入学した時点で寝技を本格的に習った経験のある学生は皆無であり、加えて寝技を習得するためには元々持っている素質よりも経験が物を言うという性質を持っているからだと思います。

それ故に大学から寝技を始めた選手が、中高の柔道経験者へ対して勝利することも珍しくありません。

主人公は著者自身であり、自らの経験をそのまま青春小説かした内容となっており、前作では1、2年の頃が描かれており、本作品では3、4年の時期が対象になっています。

3年生にもなると完全にチームの主力であり、さらに4年生になればチームを引っ張る必要があります。

下級生の頃には厳しくてうるさい先輩という存在が邪魔で早く上級生になりたいと考えますが、いざ上級生になると自分のことだけではなく、後輩含めたチーム全体のことを考える必要があり、その重圧を実感すると下級生の頃の方が気楽だったと思うものです。

しかも主人公が所属する北大柔道部は、年に1度行われる七帝戦で最下位という結果が続いて低迷しており、そのプレッシャーはより重いものになります。

延々と続く苦しい練習に耐えながら四苦八苦する毎日は出口の見えない迷路のようなものであり、そうした場面は読者としても苦しい気分になってゆくほどです。

一方で大学で資格の勉強をしたり、一流企業へ就職するために勉学へ勤しんだり、または起業するために人脈つくりに勤しむ学生とは正反対の、つまり損得勘定を超えて七帝柔道という競技に青春のすべてを捧げている主人公たちが輝いて見えるのも事実です。

また私自身が若者だけが持つことのできる無鉄砲なパワーがより輝いて見える年齢になってきているという要因もあるかも知れません。

ちなみに私の好きなTV番組の1つに夏の間だけ放映される「熱闘甲子園」という番組があるのですが、これは甲子園の試合結果を伝えると同時に青春ドキュメンタリーという側面があります。

この番組が好きな人であれば、本作品を夢中で読むことができるのではないかと思います。

山本元帥!阿川大尉が参りました


連合艦隊司令長官・山本五十六についての書籍は数多く出版されていますが、伝記において決定版ともいうべき作品が1965年(昭和40年)に発表された阿川弘之氏による「山本五十六」であり、過去に本ブログでも紹介しています。

本書はその「山本五十六」を発表した翌年に単身海を渡り、山本元帥の戦没地、つまり彼が搭乗していた戦闘機の墜落地点を探索するための旅の様子が旅エッセイのように紹介されています。

その場所とはソロモン諸島にあるブーゲンビル島のジャングルの奥地にあり、日本からはオーストラリア、ニューブリテン島と飛行機を4~5回乗り継ぎ、さらには船を使わなければ到達できない場所にあります。

今から60年前ということもあり、現地は電気や水道といったインフラも充分に整備されていない状態でした。

その旅の過程で起きるさまざまなトラブルが描かれていたり、、また当時は戦後20年ほどしか経過していなこともあり、現地の住民たちが幾つもの軍歌を歌い著者を驚かせたというエピソードが紹介されています。

もし阿川氏が目的地に辿り着くことができれば、戦後はじめて山本五十六の戦没地を訪ねた日本人ということになりますが、その結果は本書を読んでのお楽しみにしておきます。

本書の後半では旅エッセイのような雰囲気から一転して、キスカ島撤退作戦の模様を描いた「私記キスカ撤退」が掲載されています。

このキスカ島撤退作戦はあまり知られていませんが、その西側にある日本軍守備隊が全滅(玉砕)したアッツ島の戦いを知っている人は多いと思います。

このアッツ島に駐留する部隊が全滅したあとも、すぐ近くのキスカ島には日本軍兵士5000千人以上が孤立無援状態で駐留し続けていました。

この作戦は旧日本軍にとって戦略的価値を失ったキスカ島から兵士たちを無傷で撤退させることを目的に遂行され、のちに「奇跡の作戦」とも呼ばれるようになりました。

キスカ島はアメリカのアラスカ州に属する今現在も無人の過酷な気象条件の島であり、圧倒的な戦力差、不足する燃料という不利な条件の中で苦悩しながらも作戦を遂行してゆく過程が細かく紹介されています。

ちなみにタイトルから分かる通り、阿川氏は海軍予備学生として戦中に入隊し、終戦を大尉(いわゆるポツダム大尉)で迎えています。

その様子は自身の著書「春の城」で詳しく描かれおり、こちらも私小説における名作の1つとしてお薦めできる1冊です。

渋沢家三代


著者の佐野眞一氏は1996年に「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」を発表して大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。

私はまだ読んでいない作品ですが、民俗学者として生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続けた宮本常一にとって最大の理解者でありパトロンであったのが渋沢敬三であり、彼は渋沢栄一の孫にあたります。

著者はそこから渋沢家の歴史に興味を持ち、本書を執筆するきっかけになったといいます。

よく知られているように渋沢栄一は500社にも及ぶ企業の設立に関わったことから「日本資本主義の父」と呼ばれ、本人にその気さえあれば三菱・三井を凌ぐ財閥を形成することが出来たはずです。

しかし本人は自らが設立した企業の株を多くても5%以上持つことはなく、企業支配そのものに興味を持ちませんでした。

それは戦後にGHQが一旦は渋沢家を財閥指定したものの、その実態が無いことからすぐに解除したことからも分かります。

それゆえ渋沢家は「財なき財閥」とも言われ、そうした経緯も新一万円札の顔として選ばれた大きな要因になっています。

ちなみにタイトルにある渋沢家三代とは渋沢栄一・篤二・敬三を指します。

ノンフィクションが本業の佐野氏ですが、本書は取材よりも資料を元にした伝記・または近代歴史小説と呼ばれるジャンルに属します。

また"渋沢栄一"を扱った書籍は数多く出版されていることもあり、私も何冊か読んだことがありますが、"渋沢家そのもの"をテーマにしたものは本作品を除いてほぼ皆無です。

その理由も当然で、渋沢家は栄一から代を重ねるごとに日本経済へ与える影響力が急速に縮小してゆき、中でも栄一の息子である篤二に至っては放蕩により廃嫡されるという渋沢家の歴史の中では半ばタブーとされている事実があるなど、特筆すべき華やかさが無いことに起因します。

さらにあまり知られていない事実として、栄一の女性関係は息子の篤二以上に派手であり、複数の愛人を持ち生涯で認知した子供は20人近くにのぼると言われています。

つまり篤二が廃嫡された背景には、単純な放蕩以上の理由があったことが推測されます。

その結果として篤二の息子である敬三は、父を飛び越えて栄一の後継者、つまり渋沢家の当主の地位に就くという重圧を背負うことになります。

その敬三は官民含めて多くの役職を務めることになりますが、冒頭にあるようにGHQに渋沢家は財閥には該当しないと通告されながらも、東京三田にあったの5000坪の豪邸を進んで財産税代わりに物納したといいます。

そして小さな家に移り住んだ後の口癖が、
「ニコニコしながら没落していけばいい。いざとなったら元の深谷の百姓に戻ればいい」
であったといいます。

人間は逆境になればなるほど本性が出てしまうものですが、こうした何気ない言葉の中に維新志士として時代の荒波を経験した祖父・栄一の精神を受け継いでいる凄味を感じます。

こうした作品のアプローチは普通の歴史小説や伝記にはないものであり、やはりノンフィクション作家である佐野氏らしい作品に仕上がっていると思います。

いちのすけのまくら


春風亭一之輔師匠が週間朝日で2014年5月から2017年6月まで連載していたエッセイを書籍化したものです。

当時は真打ち昇進から1年ほど経過した時期で、「笑点」メンバーになる以前の連載ということになります。

「笑点」はたまにしか見ませんが、私が知る限りすこし強面の顔での毒舌キャラ(なかでも司会の昇太師匠が標的になることが多い)という側面と、飄々としながら時事ネタで笑いを取る一面があり、今や完全に番組に馴染んでいる「笑点」の欠かせないメンバーになっているというイメージです。

さらに年間800~900席という数の落語をこなしながらも「最もチケットの取れない噺家」としても知られており、紛れもなく落語会のトップランナーの1人です。

これだけの活躍をしていると努力家でストイックな噺家という印象を受けますが、実際に本書を読んでみると「芸」へ対して厳しい一面は殆ど見せず、完全に脱力系のエッセイになっています。

しかもここに連載されているエッセイは手書きの原稿という形ではなく、寄席の合間で立ち寄った喫茶店や移動時間などを利用してガラケーでひたすら文字を打ち込んで連載を続けていたといいます。(さすがに今ではスマホを使用していると思いますが。)

忙しい毎日の中で週1回といえども連載を続けるのは大変だと思いますが、落語には"まくら"という本編に入るまでのフリートークを行うのが慣例としてあります。

前座や年配の噺家であれば"まくら"を最小限にしたり、演目と関連した定型的な内容を喋ることも珍しくありませんが、やはり最近の出来事や時事ネタの方がウケると思います。

つまり本書のタイトルにある通り"まくら"のネタを作る習慣のある噺家にとって、エッセイの連載も同じような作業ではないかと推測できます。

実際に連載の中でも時事ネタを使って落語の登場人物(熊さん、八っつぁん、ご隠居さんなど)に演じさせて、そのまま"まくら"に使えるような回もあります。

また先輩・後輩とのやり取り、家庭での出来事、前座や学生時代の思い出などを話題に出すことも多く、噺家らしく毎回最後にオチを付けて終えるという形をとっています。

また著者は本書の解説をビッグネームへ頼むのが恐縮だと思ったのか、自分の高1の長男に書かせるといった試みも笑わせてくれます。
(しかもその解説がよく書けているので驚きです。)

よって深い話は殆ど掲載されていませんが、色々な話題について気楽に読むには最適な1冊だと思います。

ちなみに私は一之輔師匠は間違いなく影で努力するタイプの噺家だと思っていますが、エッセイからはそうした姿を微塵も感じさせないのは、彼自身の美学なのかも知れません。

私自身はまだ一之輔師匠の落語を生で聴いたことはありませんが、なるべく近いうちに噺を聴きに行きたいと思います。

師匠


本書は落語家の立川志らく師匠が、自らの師匠・談志について語った1冊です。

私自身は昔からの落語ファンではないため、音声や動画を通じて談志師匠の落語を聴いたことはありますが、生で聴いたことはありません。

落語の良し悪しには詳しくありませんが、十八番である「らくだ」、「芝浜」の迫力は動画からも伝わり、談志にしかできない落語という印象を受けます。

また音声で30代の頃の落語を聴いてみても、キレのある畳み掛けるような話芸はとても若手の噺家とは思えない技術と貫禄が感じられます。

一方で自分が落語家を志望して誰かに弟子入りすると考えた場合、談志師匠は選びたくないなと思ってしまいます。

それはよく知られているように、破天荒な言動や短気な性格という印象があり、とにかく面倒臭そうだからです。

実は入門前の志らく師匠もまったく同じことを考えていたようで、はじめは金原亭馬生師匠(昭和の名人・古今亭志ん生師匠の長男)へ弟子入りするつもりでしたが、弟子入りする前に馬生師匠が亡くなってしまい、たまたま入った池袋演芸場で出番のあった談志師匠の落語を聴いてシビレてしまい、弟子入りを決意したそうです。

そして実際に弟子入りして毎日師匠の家へ通うようになると、予想通りというべきか色々な場面でカミナリを落とされる日々が続きます。

弟子の立場から見ると理不尽としか思えないようなことばかりですが、どんな場合でも談志独特の価値観に基づいたものであり、弟子の中で唯一師匠の家に通い続けて家事やカバン持ちをしているうちに、その考えか少しずつ理解できるようになってきます(ちなみにほかの弟子は人間修行と称して築地の魚河岸へ送られていたそうです。)。

志らく師匠は兄弟子の中でも年齢の近い談春師匠と行動を共にすることが多く、兄弟子たちとの二つ目昇進のための試み、晴れて二つ目となり祝賀パーティーにまつわる話、その他数々のエピソードなどを読んでいると、苦労しながらも青春小説のような爽やかさを感じてくるから不思議です。

たまに談志師匠が弟子の反論に合って言葉に詰まる場面や、珍しく弟子を褒める場面などもあり、理不尽一辺倒ではない師匠の優しさが垣間見れるのもポイントです。

しかし師匠と弟子の関係は永遠に続くものではなく、ガンを患い声が出なくなってきた談志師匠の晩年に差し掛かると別れを予感した寂しさが滲んでくるようになります。

その頃は志らく師匠を含め弟子たちは真打ちとしてそれぞれ忙しい日々を過ごしていることもあり、カバン持ちの頃のように病身の談志師匠に付き添うこともできません。

そして言葉も交わすことも出来ないほど衰弱した師匠との最後の対面は本作品のクライマックスだといえます。

作品からは弟子たちの中でもっとも長く談志師匠の側にいた志らく師匠は、もっとも師匠を理解し、そして自分が師匠からもっとも評価されていたという自負が感じられます。

同時に「それは勘違いだ」、「思い上がりだ」という兄弟子やファンたちの声が聞こえてきそうですが、そうした批判も覚悟した上での作品であることも感じられました。

人生を豊かにしたい人のための講談


講談師で人間国宝でもある神田松鯉先生による1冊です。

本ブログで過去に著書を紹介したこともある人気講談師・神田伯山先生の師匠であることでも知られています。

初心者向けにやさしく講談を解説している内容ですが、所々に自身の経歴も書かれており自伝的な要素も含まれています。

  • 第一章 講談と落語はどこが違うのか
  • 第二章 講談の魅力
  • 第三章 講談はどこで聞けるのか
  • 第四章 講談の有名な話は
  • 第五章 講談師の修行とは
  • 第六章 講談の歴史
  • 第七章 講談古川柳

私自身は年に2、3回ほど寄席へ行きますが、15人ほどが出演するプログラムで過半数が落語家、その中で1人か2人ほどの枠で出番がある講談師の一席を聴く程度であり、まったくの初心者ではありませんが、詳しくもありません。

よって本書の解説によって、たとえば講談の始まりが戦国時代にまで遡ること、細かい作法などを始めて知ることも多くありました。

現在は若手・中堅の活躍もあって再び講談が脚光を浴びていると言いますが、かつての講談の最盛期は江戸後期から明治時代にかけてであり、江戸だけで講釈場が200件以上あったという信じられない数字が残っています。

昭和25年に開業した東京唯一の講釈場であった本牧亭も平成23年に幕を閉じてしまい、人気を盛り返してきているとはいえ、現時点で常設の講釈場は1件もない状態が続いています。

とくに松鯉先生が講談の世界に入った昭和45年頃は沈滞し尽くした状態だったといいます。

客がなかなか入らず、自身も講談1本で暮らしてゆくことが難しいため、結婚式司会者などのアルバイトを兼業していたといいます。

それでも講談師を廃業することなく地道に修行を続け、今では500席以上という途方もない演目数を誇るまでに至っています。

松鯉先生には弟子も多く、講談冬の時代と言われようとも研き続けた技を次の世代へ伝えてきたからこそ今の人気があるのだと思います。

またそれどころか今でも83歳という年齢で寄席へ上がり続けており、私も1度聴いたことがありますが、年齢をまったく感じさせない素晴らしい芸だったことを覚えています。

ちなみに講談には連続物と呼ばれる連続ドラマのような長編があり、松鯉先生はこの連続物こそが講談の醍醐味だといいます。

中でも赤穂義士伝には300前後の演目があると言われ、その数には驚きますが、いつか20席くらいの長編を数日かけて聴き続けたら楽しそうだなと思います。

日本人の「あの世」観


前回に引き続き梅原猛氏の著書です。

「百人一語」は学者らしいエッセイでしたが、本書では著者の取り組んできた研究成果の講演や論文が掲載された学術的な1冊です。

著者ははじめ西洋哲学を研究していましたが、経済発展に伴う環境破壊や格差拡大といった近代社会における諸問題を自我中心の哲学では解決できないと考え、人間を自然(宇宙)の一部としてとらえる日本文化を根本的に問い直す研究へと転向します。

なぜ対象が日本文化かといえば、いま一度、人類の歴史を根本的に反省し直すためには、人類が狩猟採集していた頃の原始的な文化(つまり縄文文化)にまで遡って知る必要があり、そうした文化の名残りが世界的に見ても日本の中に著しく残っていると考えたからです。

日本文化の中でもとくにアイヌ文化、沖縄文化にそうした傾向が強いとして、そうした一連の研究成果が体系化されてゆき、「梅原日本学」とまで呼ばれるようになりました。

その研究範囲は文学・歴史・宗教・民俗学を包括した広大なものであり、本書ではそうした研究活動の内容を包括的、またはその一部分が紹介されています。

本書のはじめでは日本人の死生観、つまりタイトルにある「あの世」観について語った講演内容が収録されています。

まず原始仏教(インド仏教)では、宗教として人間の死に関する儀式は司っていませんでした。

それを葬式として司るようになったのは、仏教が日本へ伝来して発展を遂げたのちであり、それは元々日本人が持っていた「あの世」観への強い信奉と融合した結果だといいます。

もともと日本人は「あの世」を"天国と地獄"、もしくは"極楽と地獄"といった上下の位置関係では捉えておらず、人間の魂は「あの世」と「この世」を行き来するものだという考えがあり、「あの世」へ行ったご先祖様はいつか「この世」に生まれ変わる、つまり行き来するものとして考えていました。

たしかにお盆の送り火を見ると、宗教行事というより土俗的な儀式の名残りといった雰囲気を感じます。

こうした傾向はとくにアイヌ文化、沖縄文化において顕著であり、その理由はまず大陸から稲作文化と最新技術が九州へと伝わり、やがて西日本から近畿地方にかけて日本史上初の中央集権を打ち立てた際に、その勢力が及びにくい日本の南北両端において原初の日本文化が色濃く残り続けたからだと説明しています。

もちろん中央集権化された日本人たちも縄文文化をまったく消去してしまうのではなく、その一部を取り込んでいます。

そうした観点から本書ではアイヌ語と日本語の共通点、さらには沖縄方言とアイヌ語の共通点などを過去の言語学研究の成果を交えて紹介しています。

さらに梅原氏は「古事記」、「日本書紀」を研究することで仏教伝来前の日本文化を研究したり、日本仏教が独自に発展してきた過程を研究したり、さらには「万葉集」や「古今集」といった和歌に残る日本語や考え方の中からも、日本文化の基層を見つけ出そうと試みています。

私には本書の内容が学術的に正しい・誤っているという判断はまったく出来ませんが、とても興味深い研究アプローチだと思いますし、少なくとも充分な説得力があるように思えました。

これまで紹介してきたように本書は学術寄りの内容ではありますが、一部を除いて難解な箇所は少なく、たまには活字から一般教養や知識を深めるたにこうした本を手にとってみるのはいかがでしょうか。

百人一語


本ブログで初めて紹介する梅原猛氏の著書です。

過去にテレビに出演されていた場面や学術系の新書などで氏の言葉や文章が引用されている箇所を見かけることがあり、名前は以前から知っていました。

本書のプロフィールを抜粋すると以下のように紹介されています。
国際日本文化研究センター所長等を歴任。
縄文時代から近代までを視野におさめ、文学、歴史、宗教等を包括して日本文化の深層を解明する幾多の論考は(梅原日本学)と呼ばれる。

つまり学者ということになりますが、哲学者と紹介されていることもあり、幅広い研究を続けてきたことが伺われます。

ただし本書は学術的な本ではなく、百人の日本人の残した言葉を引用しつつ、その人の「思想」や「人生」を論じた朝日新聞に掲載されたエッセイを1冊の本にまとめたものです。

織田信長、西郷隆盛、夏目漱石、太宰治、正岡子規など知名度のある人物の言葉を紹介している回も多いですが、あまり知られていない人物を取り上げている回も多く、著者の得意とする古代日本、宗教に関する人物、さらには神話の登場人物を取り上げている点が目を引きます。

その中でも何人かを簡単に紹介すると以下の通りです。

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
応神天皇の皇子。兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に皇位を譲るために自殺する。

木梨之軽太子(きなしのかるみこ)
第19代允恭天皇の子。弟の穴穂御子(あなほのみこ)政争に敗れて伊予に流される。

慶滋保胤(よししげやすたね)
陰陽師の大家・賀茂忠行の次男。源信とともに浄土教の基礎を作る。

景戒(けいかい)
奈良後期~平安初期の薬師寺の僧。「日本霊異記」を撰述する。

また著者は日本文化のルーツを知るために古代文化やアイヌ文化を積極的に研究してこともあり、柳田国男、折口信夫、南方熊楠、伊波普猷といった民俗学者を取り上げているのも印象的でした。

連載エッセイということもあり、1人あたり3ページで簡潔にまとめられています。

そのため目次から興味のある人物を探し出して少しずつ読み進めてもよいですし、さらに深堀りして知りたい場合は関連書籍を探してみるなどしてみると読書の幅を広げてくれる1冊です。

わが友 本田宗一郎


著者はソニー創業者の井深大氏であり、タイトルにあるホンダ創業者・本田宗一郎氏とは長年に渡り深い交流があったことはよく知られています。

井深氏は2歳年長である本田氏を兄貴と慕い続けましたが、1991年に本田氏が亡くなり、彼との思い出を振り返りながら、その素晴らしさを広く知ってもらうために本書を執筆したといいます。

2人に共通するのは、優れたエンジニアであり、今でも緻密で高品質な製品を生み出す「ものづくり日本」の原点を築き上げ、それを象徴する人物とされている点です。

また2人は世界一の製品作りを目指し続けた一方で、本田宗一郎には藤澤武夫、井深大には盛田昭夫という卓越した経営やブランド戦略を担ったパートーナーが存在した点も共通しています。

一方で井深氏自身が言うように2人の性格は正反対で、豪快で楽天的な本田宗一郎、控えめで慎重な井深大という面白い組み合わせでした。

本書では過去に2人で行った対談、また本田宗一郎の著書を引用しながらも、2人の間だけの個人的なエピソードも紹介しながら、誇張や飾り気のない等身大の本田宗一郎を読者に知ってもらいたいという試みが読み取れます。

つまり本田宗一郎は豪快なエピソードに事欠かない一方で、世間には"誰も逆らえないワンマン経営者"、"思いつきで行動するエンジニア"といった誤解も存在していたのです。

先ほど説明したように2人に共通するのは技術者という点であり、そのため会社の経営や組織のマネジメントといった点に言及している箇所は少なく、とにかくよい製品を生み出すために必要なこと、そして技術者としての使命感や心構えなどが中心に書かれています。

たとえば「できっこない」という常識に囚われない発想、頭で理解するより自分で試して失敗する重要性、ときには数字や理論よりも直感を信じることなどです。

本書が発表されて30年近くが経過し、現在ではAIの登場が話題になっていますが、ものづくりの本質は今も変わらないと思います。

もしも将来、エンジニアとして活躍したいと考えている人であれば本書から得られるヒントは多いのではないでしょうか。

最後に1つ加えるならば、著者を含めてこの2人は数多くの苦労と失敗を重ねた上で世界に通用するブランドや企業を作り上げてきたということです。

つまり2人が歩んできた道はコスパやタイパといった概念とは程遠いものであり、時には効率を無視してひたすら全精力を打ちこむ経験も大切ではないでしょうか。

檀


昨年夏に檀一雄氏の「火宅の人」をレビューしましたが、そこでは自身が家庭を顧みず愛人を作り、破滅的な生活を送る日々が赤裸々に描かれています。

彼は太宰治や坂口安吾といった作家たちとともに無頼派と呼ばれ、実際に交流もありましたが、2人が早逝したこともあり、こうした生活を送ってきた背景の1つには、自身が「最後の無頼派」という矜持も理由の1つにあったのかも知れません。

本作品は檀一雄が1976年に亡くなり17周忌を終えた年にノンフィクション作家である沢木耕太郎氏が未亡人である壇ヨソ子の元を訪れて、週1回の頻度で約1年間に渡り取材を続けたものが書籍化されたものです。

つまり沢木氏は檀一雄の十七回忌が終わり、遺族たちの気持ちに一区切りついたと思われるタイミングを見計らって、かねてより興味があった"檀一雄の妻"への取材を開始したということになります。

ちなみに「火宅の人」は20年間にわたり断片的に発表され続けた私小説を1つの作品としてまとめたものであり、発表された時期によっては自身がリアルタイムに愛人と同棲している様子をそのまま描いており、そうした意味でも当時は世間を賑わせました。

夫が愛人を作って家を飛び出すという出来事自体は、昭和の時代においては珍しくないのかも知れませんが、檀一家には5人の子どもが残され、しかも次男は日本脳炎の後遺症によって日常的な介護が必要な状態でした。

一雄は女性関係同様に金使いも奔放だったこともあり、家計はつねに火の車でしたが、ヨソ子にとってもっとも辛かったのは、彼の作品を読んでいる近所の人から「夫を愛人に奪われた妻」という視線で見られることだったといいます。

とくに無頼派と言われた一雄にとっての私小説とは、自身や家庭での醜態を含めてすべてをさらけ出すことであり、それを作家としての宿命だと考えていました。

一方でヨソ子にとっては自分のことに留まらず、非行で捕まった長男や寝たきりの次男の病状とその死までもを赤裸々に描かれるのは耐え難いことだったに違いありません。

実際にヨソ子は何度も一雄との離婚を考えたそうですが、そうした心情が少しずつ変化してゆく過程も細かく描かれています。

また「火宅の人」ではおおむね愛人の恵子(実名:入江杏子)との出会いから別れまでが描かれていますが、本書では小説以前のヨソ子と一雄との出会い、そして小説が完結した後の一雄が恵子と別れてからの日々、さらに博多湾の能古島へ移住し、一雄が体に異変を感じ初めて亡くなるまでの出来事に言及しており、まさしく一雄の妻としての期間がすべて描かれている点は注目です。

ちなみに本書は面白い手法が取られており、一貫してヨソ子の視点、つまりヨソ子自身が著者であるかのように書かれています。

多くの出来事がありながらもそれらを乗り越え、結果として死を看取るまで付き添った夫婦の絆を読者へ伝えるためには、作家といえども所詮は他人である沢木耕太郎という立場では限界を感じたのでしょう。
そして結果的にこの試みは成功したといえます。

吉村昭が伝えたかったこと


本書は吉村昭氏が死去した後に文藝春秋社によって編集された1冊であり、2013年に発表されています。

吉村氏が死去したのが2006年であり、本書が出版されるまでの間に起きたもっとも大きな出来事といえば東日本大震災です。

吉村氏には「三陸海岸大津波」、「関東大震災」といった災害に関する著作があり、生前これら著書に関する講演を岩手県の宮古市や田野畑村で行った経験があり、その内容が紹介されています。

続いて生前の吉村氏との交流のあった、また交流はなくとも氏の作品に大きな影響を受けた作家たちが、残された作品や功績について考証しています。

いずれも共通するのは、入念な取材と地道な資料探しによって作品を作り上げるストイックな作家としての姿勢を尊敬している点です。
それは吉村氏は太平洋戦争や日中戦争の証言者が高齢化に伴い激減したことを理由に、さまざまな題材を元に発表し続けた戦史小説を一切止めてしまったことからも分かります。

彼の作品は長編・短編・エッセイ問わず色々と読んできましたが、第三者の視点から語られる"吉村昭"は新鮮であり、ファンの1人として新鮮な気持ちで読むことができました。

そして本書でもっとも特筆すべき点は、妻であり同業の作家でもあった津村節子氏のロングインタビューが掲載されている点です。
今まで吉村氏の私小説の中でもあまり語られることのなかった2人の出会いの経緯などを知ることが出来ます。

さらには生前行われたボクシングを題材としたノンフィクション「一瞬の夏」で有名な沢木耕太郎氏との対談も掲載されています。

吉村氏にもボクシングを題材とした長編や短編作品があり、かつては熱心なボクシングファンであった時期がありました。

1927年(昭和2年)生まれの吉村氏と1947年(昭和22年)生まれの沢木氏では見てきた選手や試合が違い、まさに日本ボクシング界の黎明期から試合を見てきた吉村氏の証言は貴重なものだと思います。

また吉村氏が取材で訪れた旅先で出会ったいい肴と酒、旅の思い出などを過去に発表されたエッセイの中から抜粋して掲載している箇所もあります。

そして最後は吉村昭氏の完全ブックガイド&年表が掲載されており、とくにブックガイドでは各作品ごとに簡単な紹介文も掲載されているため興味のある題材や作品を探す際にも役に立ちます。

色々な企画が450ページもの文庫本に凝縮されており、まるで豪華なムック本を読んでいるようでした。

吉村昭氏の作品をある程度読んでいる人向けの本ですが、氏の作品が好きな人であれば是非読んで欲しい1冊です。

夏への扉


SF界の長老と呼ばれたロバート・A・ハインライン氏の作品です。

本作品は氏の代表作の1つであり、とくに日本では人気の高かった作品のようです。

人気の理由を考えると、恋人と友人に裏切られ、自らが創業した会社を追い出された主人公のダニエル・ブーン・デイヴィス(通称:ダニイ)が幾度のピンチを切り抜けて人生の底から這い上がってゆくというストーリーが日本人好みだったのではないでしょうか。

本作品が発表されたのは1956年ですが、作品の初めの舞台となるのは1970年です。

主人公のダニイは生粋の技術者であり、文化女中器(ハイヤードガール)と呼ばれる自動掃除機を発明し、やがてそれを主力製品にして友人のマイルズと同名の会社を立ち上げます。

その機能は以下にように述べられています。
文化女中器は1日24時間、静かに汚れを求めてあるく。 曲がり角であろうとどこだろうと、塵ひとつ見落とさず、すでにきれいになっている床は素通りして、一刻も休まず汚れた床を求めてまわるのだ。

まるで2002年に発売されたロボット掃除機のルンバにそっくりであり、のちに彼は製図家ダンという自動で製図を行う家電を設計し、これものちのCADそのものです。

この2つとも作品が発表された1956年(昭和31年)時点ではもちろん姿形もないものであり、SF作家としてのハインラインの想像力と洞察力に驚かされます。

またこの作品のストーリーで重要となるのが、主人公が未来と過去を行き来するという点です。

1970年では冷凍睡眠(コールドスリープ)の技術が確立されているという設定であり、これによりダニイは30年間眠り続け、2000年に覚醒します。

さらに2000年時点では不完全ながらタイムマシーンが完成しており、これによって再び過去へと遡ることになります。

つまりSF小説では王道のタイムトラベルであり、そこに完成度の高いストーリーを組み合わせた作品であるといえます。

作品中ではいきなり30年後の世界で目覚めた主人公が、そこでのテクノロジーや仕組みの変化に戸惑う場面が描かれています。

それでも主人公は保守的な懐古主義の精神の持ち主ではなく、根っからの技術者であることから分かる通り、短時間で新しい社会に順応できる柔軟性を持っていました。

もう1つ物語のアクセントとして登場するのが主人公の愛猫ピートです。

このピートについては読んでのお楽しみにしたいと思いますが、本書の献辞に「世のなべての猫好きにこの本を捧げる」とある通り、猫好きにとっても楽しめる作品になっています。

家康と七人の忍び


佐藤賢一氏による徳川家康の「伊賀越え」を舞台にした歴史小説です。

よく家康は生涯に3度の危機を経験したと言われています。

1つ目は若き頃に経験した「三河一向一揆」であり、このときは家臣団までもが家康側と一向衆側に分かれて血肉の争いを繰り広げました。
こちらは以前に本ブログでも紹介した宮城谷昌光氏の「新三河物語」でその舞台が詳細に描かれています。

2つ目は西上作戦を起こした武田信玄を阻止すべく両者が激突した「三方ヶ原の戦い」であり、ここで生涯で唯一といえる野戦における大敗を経験しました。

そして3つ目が本作品で描かれる「伊賀越え」です。

織田信長から安土城へ招かれた家康はそこで饗応を受け、その後信長は家康へ京都や境の見物を進められ、自身は西国へ出陣準備をするために京都に入りました。

そこで明智光秀による反乱、いわゆる本能寺の変が起き、信長が本能寺で散った後、僅かな供回りを従えて本国三河へ脱出する過程が「伊賀越え」と言われます。

ただし本作品は家康の目線からではなく、彼を無事に三河へ送り届けるために影で活躍したであろう忍び(忍者)たちの目線から描かれています。

伊賀越えの詳しいルートやその詳しい経過は分かっていませんが、それだけに歴史小説作家として自由に創作できる余地が残されている題材だと言えます。

忍びたちの頭目は服部平太夫正尚(はっとりへいだゆうまさなお)であり、彼はのちに江戸幕府の第2代将軍となる秀忠の生母である於愛の方の養父として知られています。

彼の元には6人の個性豊かな下人を従えており、自身を含めて7人が本書のタイトルになっています。

敵と真正面から渡り合うことは得意な武士ですが、情報収集や隠密行動といった現代でいうスパイ活動には不向きであり、戦国時代でその点は忍びたちの独壇場だったといえます。

ただし最短ルートで堺から三河に脱出するためには伊勢から乗船する必要があり、その道程には忍びたちの本拠地である伊賀を通過する必要があり、必然的に敵も同じ忍びということになります。

忍びの世界には武士や剣豪たちとは異なる彼ら独自の価値観があり、たとえば彼らにとって不意打ちや毒殺といった手段は決して卑怯なものではありません。

一方で共通した部分もあり、それは下忍にとって上忍の命令は絶対である点で、武士と同じように忠義が重んじられていました。

本作品に登場する下忍たちは個性豊かで、特技が変装であったり水練であったり、俊足だったりとエンターテイメント性に溢れています。

こうしたジャンルが存在するか分かりませんが、"時代スパイ小説"として楽しませてくれた1冊でした。

死のある風景


吉村昭氏の短編私小説が10作品収められている1冊です。

  • 金魚
  • 煤煙
  • 初富士
  • 早春
  • 秋の声
  • 標本
  • 油蝉
  • 緑雨
  • 白い壁
  • 屋形船

    • 著者は2006年に79歳で亡くなっていますが、本書に収録されている作品は50代後半から60代初めにかけて発表されたもので、この頃から死"をテーマに扱った短編やエッセイが多くなってゆきます。

      本書については編集者から収録されている作品が「死に関する短編ばかり」と指摘されて初めて気付き、不思議な思いがしたと記しています。

      つまりこの時期は半ば無意識に"死"をテーマに選んでいたということになりますが、著者にとって"死"は幼い頃から身近なものだったようです。

      それは九男一女の大家族で育ちながらも兄弟や祖母、両親の死を間近に見てきて、さらに20代前半には自身が末期の結核患者となり、成功率が2割という胸郭形成手術から生還したという経験をしているからです。

      その手術も部分麻酔で助骨を6本もへし折って取り除くという激痛を伴う壮絶なものだったそうです。

      肉親の死だけでなく、自身も若い頃に大病で「自分は長くは生きれない」という経験をしたことは大きいと思います。

      つまり当時の著者は、思いのほか(運よく)長生きできているという気持ちと共に、老齢に差しかかり今度は寿命という"死"を漠然と意識し始め、こうした作品を執筆したといえるのではないでしょうか。

      著者は記録小説といわれるほど、綿密な取材と資料調査に基づいて作品を書くことで定評のある作家であり、エッセイや私小説以外では主観的な考えや感情を極力抑制しているという作風があります。

      またエッセイや私小説であっても、自らの宗教観や死生観といったものを表現することは殆どありません。

      それは当然のように本書に収められている作品にも言えることで、人間にとっての"死"という生理的現象を過大にも過小にも捉えず、ありのままに描いているという印象を受けます。

      それだけに扱っているテーマの割には作品から重々しい雰囲気は伝わってこず、まさしく表題にある「死のある風景」が相応しい1冊であるといえます。

      作品は肉親や知人の死を扱ったものもありますが、東京大空襲で目にした名も知れない大勢の死を扱った作品もあり、彼の描く死の風景にどのような感想を持つのかはすべて読者に委ねられているような気がします。

      また自身が老年となり再び本書を手にとることがあれば、きっと今とは違う感想を抱くのだろうと思える1冊でした。

死顔


吉村昭氏の5つの短編が収録されており、文庫本で約150ページというコンパクトなサイズにまとまっています。

  • ひとすじの煙
  • 二人
  • 山茶花
  • クレイスロック号遭難
  • 死顔

本書に収録されている作品はいずれも平成17年(2005年)から18年(2006年)にかけて発表された短編であり、吉村氏は平成18年7月31日に79歳で亡くなっていることもあり最晩年の作品ということになります。

この中でも注目すべきは生前最後の作品となった「死顔」になるでしょう。

またよく知られていることですが、吉村氏の妻である津本節子氏も吉村氏と同業の作家であり、本書のあとがきとして吉村氏の最後の様子を語っているという点も注目です。

「死顔」は私小説であり、入院している次兄を見舞い、それから幾日も経たぬうちに亡くなり、そして葬儀へ出席した日々を描いた作品です。

作品は吉村氏らしく淡々と当時の状況と自身の心情が綴らており、そこからは寂しさのようなものは感じられても大きな悲哀は感じられません。

それは亡くなった次兄が87歳という高齢であり、残された家族にも天寿を全うできたという気持ちがあり、当時の著者自身も70代となり切迫した気持ちにならなかったからではないでしょうか。

ちなみに吉村氏は九男一女の大家族で育ちますが、早逝や戦死した兄弟も多く、両親も10代の頃に相次いで亡くしていることから、若い頃から肉親の死を何度も身近に見てきた経験があります。

またこの作品を執筆する頃には、自身の死期をある程度悟っていたのかも知れません。

著者は癌で亡くなっていますが、比較的直前まで普通の生活を送っていたようです。

また用意周到な取材や資料調べをしてから作品を執筆し、締め切りを破ったことのない著者らしく、かなり前から遺書を克明に残していました。

その要点をまとめると、延命治療は望まないこと、自身の死は3日間伏せてその間に妻と長男長女一家の家族のみの家族葬を済ませること、弔花弔電は一切断ることなどが記されていました。

妻によると吉村氏は亡くなる前日の朝、衰弱状態にありながらもビールとコーヒーを僅かに口にして「ああ、うまい」と言い、その日の夜に自らの力で点滴の管を抜き、首の下にあるカテーテルも引き抜き、駆けつけた介護士の処置も拒否して未明に亡くなったそうです。

その場にいた妻と長女は泣いていたとあり、壮絶な最期を迎えたような印象もありますが、きっと吉村氏は自らの死期を悟って自分なりの自然な形で最期を迎えたのではないでしょうか。

最期に余談ですが、本書に収録されている「クレイスロック号遭難」は未発表作品として後に発見された作品です。

北海道近海におけるロシア船籍の遭難を扱ったもので、作家人生の後半を幕末から明治にかけての歴史小説を多く手掛けていた関係で最後まで精力的に活動していたことが伺えます。

著者がまだまだ健在であれば、次回大作のプロットのような位置付けの作品になったはずであり、その死が惜しまれます。

孟嘗君と戦国時代


日本を代表する歴史小説作家である宮城谷昌光氏が、孟嘗君を通じて春秋・戦国時代を読み解くという趣旨で執筆した、いわゆる歴史解説本です。

タイトルには"戦国時代"とありますが、実際には"春秋時代"にもしっかり言及されており、たとえば人気漫画「キングダム」などを通じて同時代に興味を持っている人にはうってつけの1冊です。

私がはじめて春秋・戦国時代に興味を持ったのは学生時代に読んだ海音寺潮五郎氏の「孫氏」が初めてでしたが、本書の著者である宮城谷氏の作品を次々と夢中に読み進めるうちにこの時代が大好きになりました。

大小さまざまな国が興っては消えてゆく戦乱の時代であったと同時に、孔子、老子、墨子など諸子百家といわれる思想文化が黄金期を迎え、さらに歴史には残る名宰相や名将軍たちが次々と登場する時代でもありました。

とはいえ周が衰えて春秋時代が始まり(西周の滅亡)、奏の統一によって戦国時代が終わるまでの期間は500年以上にも及び、その規模や期間においては日本の戦国時代とはスケールが違うだけに戸惑うこともあります。

そこで本書は取っ付きにくいと思われがちな春秋・戦国時代をより多くの人たちに興味を持ってもらうために執筆された1冊であるといえます。

それだけに決して難解な内容ではなく、本書で紹介されているエピソードはどれも読者の注目を引きやすいものばかりです。

加えてこの時代を分かりやすく理解するためのシンボル的な存在として、戦国時代に斉と魏という2つの大国で宰相を務めた孟嘗君を"戦国時代そのもの"として取り上げています。

ちなみに孟嘗君の活躍を詳細に知りたい人は、著者が「孟嘗君」というタイトルで長編小説を発表しているため、是非そちらを読んでみることをお勧めします。
(本ブログではまだ紹介していないため、いつか再読した際には記事にしたいと思います。)

私自身は過去に著者の作品を読んできた中で、本書に書かれているエピソードの大部分は重複している印象でしたが、改めて再確認するという意味で楽しく読むことができました。

大江戸死体考


ほぼタイトルだけで手にとってみた1冊です。

江戸時代をさなざまな視点から切り取った本は多いですが、"死体"という視点から考察している本はユニークだと思います。

著者の氏家幹人氏は、歴史研究家としておもに江戸時代に関する多くの著書があるようです。

現在の東京では江戸時代とは比べものにならないくらいの人口を抱えています。

これだけの人間が活動しているにも関わらず、もし道端や町中を流れる川で死体が見つかったらとしたら、ニュースになるに違いありません。

つまり現代社会の都市では生活から死が意図的に排除されていますが、江戸時代ではそうではありませんでした。

本書でははじめに江戸における漂流死体の多さについて言及しています。
当時はあまりに浮き死体が多く、いちいち検死する人手が足りないので、海水が流入する水路や川を流れる死体を見つけても奉行所へ届け出る必要はなく、漂着した場合は突き放してよいという規則だったようです。

また当時の江戸では生活水利用のための井戸が無数に掘られており、そこへ身投げをする人も多かったということです。

それも直後にはその事実に気付かず、井戸の中の死体が腐敗し、汲み上げた水が臭うという段階に至ってはじめて気付いたという事例もあったようです。

元禄時代には情死(いわゆる心中)が流行した時期があり、さまざまな理由やケースで情死した様子が当時の文献には残されています。

また江戸時代には"死体"そのものに利用価値がありました。

それはいわゆる"据物斬り"と言われるものであり、日本刀の切れ味や耐久性を試すために用いられたのです。

切れ味だけなら畳や巻藁でも試せますが、日本刀の本質的な存在価値は"殺人のための道具"であり、その道具としての真価を確かめるためには人体を試し切りするのがもっとも信頼があったのです。

もっとも江戸も中期に入り武士とはいえ泰平の世が続く中で実際に人を斬った経験を持つ者は皆無となり、試し切りは一種の専門家たちの手に委ねられました。

その中でもっとも有名なのが、御様御用(おためしごよう)を務めた山田浅右衛門です。

時代小説好きであれば名前を聞いたことのある人は多いと思いますが、山田浅右衛門という名前は代々世襲された名前であり、罪人の首を刎ねる処刑執行人としてのイメージが大きいかも知れませんが、本来は罪人の死体を使って試し斬りをし、刀剣の鑑定を行うのが本業でした。

本書のサブタイトルは"人斬り浅右衛門の時代"であり、後半では代々の浅右衛門をはじめ、彼の弟子たちの仕事ぶりから普段の生活に至るまでを当時の記録から引用しています。

単純に江戸時代を舞台にした小説を読むのも楽しいですが、併せて本書のような作品を読むことで、当時の風景や社会に奥行きを感じることが出来て、より一層楽しめるようになるのではないでしょうか。

観応の擾乱


本ブログでは中公新書から発刊されている日本の大乱シリーズを今まで3冊レビューしています。


シリーズは全4冊らしいので、本書が最後の1冊ということになります。

「擾乱(じょうらん)」という難しい言葉が使われていることもあり、ひょっとするとシリーズ中ではもっとも知名度が低い"大乱"かもしれません。

一方で私が日本史の中でも南北朝時代)が好きで、吉川英治「私本太平記」をはじめ何冊かの作品を本ブログで紹介していることもあり、個人的にはシリーズの中でもっとも馴染みの深いのが本書で取り上げられている「観応の擾乱」になります。

シリーズはいずれも歴史学者によって執筆されていますが、各学者が自らの専門として研究している範囲は特定の時代に限られており、その分深くまで掘り下げて研究するのが一般的です。
そのため各作品とも著者は異なり、本書は南北朝時代を専門に研究している亀田俊和氏によって執筆されています。

私が抱く「観応の擾乱」のイメージを一言で表すと"日本史上最大の兄弟喧嘩"です。

2人だけの兄弟喧嘩であれば周りに被害はありませんが、その2人が権力者のトップ1と2(足利尊氏と足利直義)だったことが大乱につながります。

つまり日本全国の守護大名たちも真っ二つに両陣営へと分かれ、当事者のみならず日本各地で争いを始めてしまうからです。

さらにそこへ室町幕府(北朝)によって劣勢に立たされた南朝陣営も争いに加わるため、事態はさらに複雑になっていきます。

ところで室町幕府の初代将軍である足利尊氏は不思議な人物です。

たとえば織田信長のように強烈なリーダーシップで家臣をまとめ上げるタイプではなく、いざという時の瞬発力は文句無しなのですが、どうも持続力には欠け、情熱や意欲を失ったかのように政治へ対して無関心になるタイミングがあります。

そのため鎌倉幕府を滅ぼし、さらにライバルだった新田義貞や後醍醐天皇に勝利した後は、実務を弟の足利直義や執事の高師直やに丸投げし、自身は引退したような生活を送っていた時期がありました。

観応の擾乱はまさにそうした時期に勃発したものであり、はじめは足利直義と高師直の間で勃発します。

正確な図式は足利尊氏&高師直 VS 足利直義 ということになりますが、尊氏には当事者意識があまり感じられません。

この争いは直義の勝利によって決着しますが、第二幕は尊氏 VS 直義という対立が始まります。

窮地に陥るに至って尊氏はようやくやる気を取り戻す一方で、今度は直義側に覇気が感じられなくなります。

どうも2人の間には心底憎しみ合った形跡は無く、取り巻きの大名たちに担ぎ上げられた結果として引くに引けない事態にまで進展してしまったような雰囲気があります。

しかもこの乱の過程においては両陣営ともに頻繁に入れ替えが発生しており、その過程がまるで派閥争いをしている政治家のようです。

またこの乱の重要なキーパーソンが尊氏の息子である義詮と直冬であることも分かってきます。

本書から観応の擾乱における詳しい過程を知ることができると同時に、著者の亀田氏は定説とされてきた解釈に疑問を持ち、自らの考えを述べている箇所などは従来の太平記への印象を変えるようなきっかけを与えてくれます。

とにかく新書という手軽に読めるという意味で太平記ファンなら必読であると同時に、そうでない人にとっても日本史の面白さを発掘するきっかけになる1冊になっています。

近畿地方のある場所について


本ブログではジャンルを問わず色々な本を紹介しようと思いつつも、ホラー小説の分野はラヴクラフト全集を紹介した程度だったこともあり、2年近く前に購入したまま積ん読状態になっていましたが、"今どきのホラー小説"を読んでみようと引っ張り出してみました。

著者は「背筋」というペンネームであること、はじめに本作品が話題になったのは小説投稿サイトであるという点も"今どきのホラー小説"を感じさせてくれます。

ホラー小説はミステリー小説と似ている部分があり、ストーリーそのものを紹介してしまうとネタバレになってしまい、これから読む人の意欲を半減させてしまうため極力避けたいと思います。

まず面白いと思ったのは、本作品のストーリーそのものは極めてシンプルですが、多くのショートストーリーによって構成されているという点です。

正確にはショートストーリ-ですらなく、中には掲示板(BBS)の書き込みだけ、独り言のような記述だけで終わる場合もあります。

また作品中ではタイトルにある"近畿地方のある場所"は"●●●●●"という伏せ字で記載されていますが、ショートストーリーのいずれもが直接的、間接的に関わらずその場所へ関係のあるものになっています。

このショートストーリーを読者の頭の中で組み合わせてゆくこで、"●●●●●"にある怪奇の正体を推測できるという構成になっています。

私自身は読み進めてゆくと、令和版のクトゥルフ神話のような印象を受けました。

理由として主人公たちの脅威となる怪異は人間の力をはるかに凌駕した一種の"邪神"のような圧倒的な力を持っているという点です。

クトゥルフ神話であれば"異形の神々"と呼ばれるような存在であり、その正体を探ろうとした人間は命を失うか、運が良くても正気を失うという末路を辿ることになります。

また本作品がミステリー作品と違うのは、怪異の正体が明確に解説されていないという点です。

こうした手法はホラー小説では常套手段でもあり、読者それぞれの判断に委ねる余地を残しておいた方がより印象に残るものです。

私自身は自分なりの答えを得ることが出来て納得することができましたが、読む人によってはこの部分にストレスを感じてしまうかもしれません。

この物語では"山"が重要なキーワードになっていることから本ブログで過去に紹介した「山怪」シリーズを、また民俗学な雰囲気は柳田国男の「遠野物語」を連想してしまう要素もあり、個人的には楽しく読むことができました。

やはり日本の夏は怪談やホラーが風物詩であり、冷たいビールを片手に本書を読みながら夏の夜を過ごすのも悪くないと思います。

沖縄戦いまだ終わらず


都道府県魅力度ランキング上位の常連であり、実際に訪れる人の多い沖縄県。

私自身も訪れたことがありますが、青い海と空、そして琉球王国時代から続く独自の文化はたしかに魅力的で何度も訪れたくなる気持ちが分かります。

一方で普天間飛行場を名護市辺野古へ移設する基地移転問題、オスプレイの配置問題など安全保障に関わる課題がつねに政治の争点になり続け、これは日本の国土面積の約0.6%しかない沖縄県へ在日米軍専用施設面積の約70%以上が集中していることに起因します。

この長年に渡り是正されない不平等な基地負担による沖縄県人たちの不満と怒りは、ときに沖縄独立という言葉まで飛び出すほどに強いものです。

騒音、米軍兵士の暴行、戦闘機墜落の危険性、さらには飛行場移転先の辺野古における環境破壊など、怒りの原因は複雑かつ多岐に渡りますが、その源流は1945年4月から6月にかけて行われた太平洋戦争における日本で唯一の地上戦の舞台となった史実に集約されます。

当時の状況は「鉄の暴風」とも評され、銃弾、艦砲射撃などが嵐のように飛び交った凄まじい風景が想像できます。

著者の佐野眞一氏はノンフィクション作家の大御所であり多くの社会問題を取り上げていますが、この沖縄の問題についても精力的に取材を続けており、本書は2010年前後に取材した内容を元に書かれています。

まず本書では沖縄戦で家族を失い、孤児となった人たちを取材しています。

目の前で家族を失い、自らも負傷しながら戦場を彷徨い歩き、やがて孤児院へ収容されるといった経験を持つ人たちへインタビューを行っています。

中には当時は幼過ぎて自分の名前も覚えていない方や、孤児院から引き取られた先の環境から学校へ通わせてもらえず文字を読み書きできないといった方もいます。

また当然ながらこうした経験は強烈なトラウマとなって残り続け、高齢になっても被害者たちを苦しめている現状にも言及しています(晩発性PTSD)。

続いて有名な「ひめゆり学徒隊」の生存者へも取材を行っています。

彼女たちはおもに傷病兵の看護のために動員された当時の女学生たちすが、半数以上が米軍の攻撃、または集団自決によって命を落としています。

もちろん本書に掲載されているインタビューからもその悲惨さが充分に伝わってきますが、著者は糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」には亡くなった1人1人の生徒や教師の名前と写真のパネル、遺留品等が展示されており、是非訪れて実際に目にして感じてほしいと記しています。

そして次に沖縄の各地で起きた集団自決の真実へ迫っています。

中でも渡嘉敷島には200名のうち150人ほどが集団自決をした当時の現場が保存されており、著者はそこで生き残った人へ取材を行っています。

圧倒的な戦力を持つ米軍の上陸に伴い、抵抗する術を失った住民たちは日本軍兵士たちによって集団自決を迫られたといいます。

「生きて虜囚の辱めを受けず」とは日本軍全体の方針であり、沖縄に限らず各地の戦場で見られた痛ましい光景ですが、老若男女問わず兵士ではない住民たちが集団自決を迫られたのは地上戦の行われた沖縄以外にありません。

そのための手段として手榴弾が用いられましたが、その数は充分ではなく、中には刃物によって頸動脈を断ったり、我が子の首を締めて窒息死させるなど、この世の地獄のような状況が生まれました。

著者はこの現場で兄と一緒に母、妹と弟を手にかけた凄まじい経験を持った方へのインタビューを行っています。

自分も母も号泣しながら何度も石を振り下ろし撲殺した様子を聴いているときは、息もできないほどだったと著者は言います。

その直後に現場を訪れた米兵たちは「いままで目にしたものの中で最も悲惨」と表現する光景が残されていました。

そして最後に文庫版に加筆する形で2014年に行われた飛行場の辺野古移転を焦点とした沖縄知事選挙についても触れらています。

事実上、3期目の続投を目指す移設賛成派の仲井眞弘多氏と、移設反対を掲げる翁長雄志氏による一騎打ちでしたが、当時からたとえ翁長氏が知事になろうとも飛行場移設は止められないという危惧があり、残念ながらそれが現実のものになったことを今の私たちは知っています。

いくら沖縄の観光名所、音楽や料理をはじめとした文化を知ろうとも、本書に掲載されているような戦争の歴史を知らなければ、本当の沖縄を知ったことにはならないと実感した1冊でした。

壁



安部公房氏が27歳のときに発表して芥川賞を受賞し、その名前が世に知られ日本を代表する作家へと駆け上るきっかけとなった作品です。

いわゆるオムニバス形式であり、最初の2つは中編小説、残りの4作品は短編小説になっています。

  • S・カルマ氏の犯罪
  • バベルの塔の狸
  • 赤い繭
  • 洪水
  • 魔法のチョーク
  • 事業

著者がまだ若いということもあり、のちに発表される「失踪三部作」(砂の女、他人の顔、燃え尽きた地図)とは明らかに作風が異なります。

全盛期の作品は重厚なミステリー小説のような雰囲気がありますが、本作品は荒唐無稽なSF小説といった印象を受けました。

その一方で作品で扱っているテーマには後の作品と共通したものがあり、それは現代の人間や集団(社会)が持つ潜在意識を深く観察して、それを象徴的にストーリー化している点です。

本書の中でもっとも長い作品である「S・カルマ氏の犯罪」では理由や原因は不明ながらも、とにかく自分の名前を忘れた(失った)男が主人公です。

名前以外の記憶はあるのに、名前だけを思い出せない主人公は、やがて犯罪者として理不尽な裁判にかけられることになりますが、その裁判の内容も支離滅裂なものであり、あらすじを紹介すること自体にはあまり意味がありません。

とにかく突然訪れる理不尽さと意味不明さは、まるで寝ている間に見る夢を鮮明に描いたような作品であり、妙な説得力を感じさせる作品です。

次に「バベルの塔の狸」では、売れない詩人が持つ妄想が1匹の狸のような動物となって主人公から分離し、行動を共にするというストーリーです。

こちらも前作に劣らず荒唐無稽なものですが、そもそも人間の脳内において現実と妄想を区別する境界線(壁)は曖昧なものであり、とくにストレスが多い現代社会では妄想が現実を支配することもあり得るという意味においては、こちらも妙な説得力を感じさせるのです。

本作品は1951年(昭和26年)に発表されており、令和の時代に読んでも驚くほど古典的な作品といった印象はまったく受けません。

純文学とはかなり距離を離れた作品ですが、その代表者である川端康成氏が本作を高く評価したというのは面白い点であり、こうした作品が新しい時代を切り開くことを当時から予感していた点にも驚かされます。

燃えつきた地図


『砂の女』、『他人の顔』、そして本書『燃えつきた地図』は安部公房氏の代表作であると同時に失踪三部作と呼ばれており、いずれも1960年代に発表されています。

3作品のうち2冊は本ブログでレビュー済であり、本作品が最後の1冊ということになります。

たしかに"失踪"がキーワードになっていますが、そのシチュエーションは作品ごとにかなり異なっています。

「砂の女」では主人公が砂の家に閉じ込めれ、世間から失踪者と見なされる立場となります。
とくに作品の序盤から中盤にかけて描かれる周囲から孤立した部落内で行われる怪奇めいた風習は、ホラー小説を思わせる雰囲気があります。

「他人の顔」では主人公が自らの意志で妻の前から失踪します。
自らの顔を失ったと感じている主人公が、異常なまでの執着心で精巧な他人の顔を作り出し、そのまま他人になりすましてゆく過程は人間が内面に抱える闇を描くサイコスリラーのような雰囲気があります。

そして本作「燃えつきた地図」の主人公は興信所員(今でいう探偵)であり、失踪してしまった夫を探し出して欲しいという依頼を受けるところからストーリーが始まります。

殆ど形跡らしきものを残さずに、こつ然と日常から姿を消した人間を探し出す過程は、まさしくミステリー小説そのものです。

一方でそれぞの作品にホラーやサイコスリラー、ミステリーのような雰囲気はあっても、決してそのものではなく、"安部公房ワールド"としか言いようのない独自のジャンルを築き上げています。

何百万という人びとが暮らす大都会を巨大なコミュニティと見なすことができると同時に、誰もが自分以外の他人へ対して感心がない、つまり人間関係が希薄なコンクリートジャングル、あるいは東京砂漠といった言葉で表現することも可能です。

そして失踪者を捜索する主人公の前に登場すののは一癖も二癖もある人物ばかりです。

たとえば天然なのか何か秘密を隠しているのか分からない失踪者の妻であり依頼人でもある女、その弟で住所職業不定のアウトローな雰囲気を漂わせる男、精神的に不安定で虚言癖のある失踪者の元部下などです。

主人公は各地に足を向けますが、失踪者の発見につながる決定的な情報がなかなか出てきません。

その過程を読んでゆくと、失踪者の捜索というよりもいつの間にか主人公自身が都会の抱える孤独や闇を巡礼しているかのような錯覚に陥ってきます。

そういえば失踪三部作以外にも本ブログで紹介した「箱男」も、登場するのは人との接触を断ち、社会から身を隠した人たちであり、やはり"失踪"というキーワードが関わっています。

昭和30年代から現代人の抱える"孤独"を象徴的に小説化し続けてきた安部公房という作家の前衛的な取り組みは令和の時代になっても読者を惹きつけてやまないのです。

贅沢な時間


本書は三笠書房から「知的生きかた文庫 わたしの時間シリーズ」として出版されている1冊です。

著者は下重暁子氏であり、本ブログでも彼女の本を何冊か紹介しています。

下重氏は故・野沢陽子氏の1年後輩でNHKアナウンサーとして入社し、のちに作家へ転向して多くのノンフィクションやエッセイを手掛けています。

現在90歳近くでご存命であり、おそらく本書は50代後半の頃に発表したエッセイであり、タイトル通り「贅沢な時間」をテーマにしています。

内容は5章からなっており、生活や人生の局面ごとに「贅沢な時間」に言及していますので、簡単に紹介してみたいと思います。

第1章 あたり前の日常を楽しむ贅沢

休日はベランダで朝食をとりながら季節を感じたり、毎日の食卓、またお酒や外食の楽しみ方など、人生とは切っても切り離せない"食事"の話にはじまり、休憩の時間や入浴、就寝など日常のライフサイクルを中心に贅沢な時間の過ごし方について言及しています。

第2章 新しい自分に出会う贅沢

習い事をはじめとした趣味に関する話がまとめられています。
人間は何歳になってからも新しく学べぶことでき、また新しい学びを通じて刺激と楽しみを得ることができるのです。

第3章 旅の仕方を変える贅沢

有名な観光地を巡るというありきたりの旅行ではなく、ゆっくりと日常から離れてリラックスできることこそ贅沢なのです。
ここでは著者が自分流の旅の仕方を紹介しています。

第4章 四季を遊ぶ贅沢

季節の変わり目、つまり風流を楽しむ暮らしは日本人が古来より得意としていた分野です。
著者が季節の行事、また衣替えなどを楽しみながら暮らしている様子が分かります。

第5章 一人時間を味わい尽くす贅沢

"一人の時間を楽しむ工夫"というよりは、"一人の時間を大切にする"といった視点で書かれています。 本テーマに興味のある方は、過去に本ブログで紹介した「極上の孤独」も読んでみることをおすすめします。


誤解を恐れずに言えば、ネットや本屋で見かける小手先の工夫や知恵による効率化によって生活の質を向上させようというライフハックのような内容とは一線を画しており、時には非効率な方がより人生を楽しめるといった方向の内容です。

すくなくとも人生を幸せに生きてゆくには「お金をかける=贅沢」、「タイパ・コスパ=豊かな生活」といった発想は変える必要があると思わせてくれる1冊です。

中国の隠者


"隠者"という単語と、岩波新書というだけの理由で手にとってみた本です。

"隠者"というと"世捨て人"という言葉とほぼ同義であり、ここに中国というキーワードが入ると個人的には"仙人"ようなイメージを持ちます。

ただし本書は老荘思想に出てきそうな仙人へ言及したものではなく、サブタイトルに「乱世と知識人」とある通り、優れた知識を持ちながらもあえて仕官の誘いを断り、もしくは1度は仕官するもその地位をあっさりと捨てて俗世界から距離を置いて生きてきた人びとたちを取り上げています。

著者の富士正晴氏は作家、詩人、また版画家として活躍された方のようです。

富士氏は中国思想や歴史の専門家ではありませんが、何よりも彼自身が晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動していたそうで、「竹林の隠者」と呼ばれていたようです。

つまり中国の隠者たちを自らの境遇に重ねていたはずであり、本書はそうした隠者たちの経歴や暮らしぶりに言及し、考察した1冊となります。

はじめは春秋時代の孔子、そしてその弟子たちの中でもっとも隠者の風格のあった顔回へ言及しています。

続いて范曄が「後漢書」の中で隠者たちへ言及した逸民伝(いつみんでん)に登場する隠者たちを紹介しています。

そして3世紀の魏晋時代の代表的な隠者たち「竹林の七賢」、その中でもとくに阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)を中心に、彼らの生き方を著者独自の切り口で考察していきます。

最後は隠者のような生活を送った詩人として有名な陶淵明(とう えんめい)の生涯を追っています。

陶淵明は田園詩人として知られて、また著者自身も詩人であったことから、本書に登場する隠者たちの中ではもっとも大きな影響を受けたと思われます。

著者は「金瓶梅」、「紅楼夢」といった有名な文学作品を翻訳した経験もあり、中国語には通じていたようです。

一方で学者のような専門家ではないため、時には自身の感覚で翻訳しながらも、要所は吉川幸次郎(中国文学者)や貝塚茂樹(中国史学者)の解説を引用したり、また陶淵明への鋭い考察で知られる魯迅の言葉を紹介したりしています。

「竹林の七賢」、「陶淵明」などは名前だけをかろうじて知っている程度ですが、本書は隠者へ対しての体系的な研究を目的としたものではなく、散文的に隠者を論じたエッセイといった印象を受けました。

所々に漢文のために読み下し文が登場するものの、これは古典の雰囲気を伝える上で欠かせない要素でもあり、全体としてはそれほど難解な印象は受けませんでした。

たまに私にとってはお手上げのような専門書を手にとってしまい、途中で諦めて放り出してしまった経験はありますが、本書は最後まで知的好奇心の赴くまま楽しみながら読むことができました。

神の代理人


塩野七生氏によるカトリックにおける最高位聖職者である4人のローマ法王を主人公とした歴史小説です。

中でも本書で取り上げられているのは、イタリアのルネサンス期に活躍したローマ法王たちです。

世界史の教科書でルネサンスとは、芸術とともに人文主義(ヒューマニズム)が開花した時代であったと解説されていた記憶があり、伝統的なカトリックの価値観(教会への絶対服従)とは相性が悪いものだと思っていました。

実際にこの時代の価値観がのちの宗教改革(プロテスタントの誕生)へと繋がっていきますが、一方でミケランジェロやダヴィンチ、ラファエロといった有名な芸術家たちはカトリック教会がおもなスポンサーとなり後世へ残る作品を生み出したという事実もあり、本書で取り上げられている法王たち自身も彼らの熱心なパトロンでした。

本書に登場する4人のローマ法王は以下の通りです。

  • ピオ2世(在位:1458~1464年)
  • アレッサンドロ6世(在位:1492~1503年)
  • ジュリオ2世(在位:1503~1513年)
  • レオーネ10世(在位:1513~1521年)

そしてこのローマ法王たちの軌跡を知る上で欠かせないが、当時のイタリア、それを取り巻くヨーロッパ主要国とその周辺の状況です。

まずイタリア国内の北から主要な勢力を挙げてゆくだけでもミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フェラーラ公国、フィレンツェ共和国、ローマ法王領、ナポリ王国があり、イタリアは中世を通じて日本の戦国時代のような群雄割拠状態にあります。

そのイタリアへ政治的・経済的な影響力を及ぼそうとフランス王国、神聖ローマ(ドイツ)帝国、スペイン王国らが虎視眈々とその機会を狙っています。

加えてヨーロッパのすぐ隣で東ローマ帝国を滅亡させ勢力を伸ばしてきているオスマン帝国が存在します。

こうして紹介してみると当時の複雑な勢力図を理解するのは大変に思えますが、そこは作品を読み進めてゆく過程で自然と頭へ入ってくるように書かれているので心配ありません。

本書に登場するローマ法王たちは、それらの国と時には同盟を結び、時には争うなど目まぐるしく立場を変え、カトリックを統率する聖職者というより、その実態は権謀術数を弄する政治家に近いという印象であり、現代の精神的指導者としての立場とは大きく異なります。

ただしイスラム教におけるスルタン、日本でも比叡山をはじめとした宗教勢力が大きな軍事力を持っていたことを考えると、中世ではこれが世界標準だったと捉えることもできます。

450ページにわたりびっしりと書かれている読み応えのある作品ですが、それぞれのローマ法王がとった政策は個性的であり、法王が代替わりした途端に方針を180度転換するようなこともしばしば起こり、最後まで退屈することはありませんでした。

1冊の文庫本としてはかなり満足度の高い内容であり、改めて中世ヨーロッパを歴史小説として楽しませてくれる塩野氏の作品に感銘を受けた1冊でもあります。

働かない技術


「中年の危機(ミドルエイジ・クライシス)」という言葉があります。
これは人生の折り返し地点に立ち、自身のキャリアの終着点が何となく見え始め、さらに体力的にも衰えを実感し始めることもあり、残りの人生へ対して不安や葛藤を抱いてしまう現象です。

本書のタイトルにある"働かない"とは、会社を辞めて不労所得で生活するという意味ではなく、若い頃にがむしゃらに働き、それを是として受け入れてきた世代の人たちが、働き方改革やワークライフバランスに代表される新しい価値観へ適応する必要性を表したものです。

本書では30代後半~40代のミドル世代(=大企業でいえば課長世代)へ向けて、これからの時代に「企業人」として行きてゆくための心構えや、今後必要とされる働く技術を解説・提案しています。

ただし、これは簡単なことでないことも確かです。
なぜならそれは社会人として自分を作り上げてきた価値観を作り変えることを意味し、若い世代のように柔軟な適応能力が失われつつある中年世代にとってその過程は苦痛を伴うものだからです。

本書では経営コンサルタントの新井健一氏が、これからの労働へ対する価値観を解説した上で、なぜ従来の価値観では通用しなくなるのか、さらにはこの価値観へ対応できない職場(会社)の待つ末路などを分かりやすく解説しています。

その上で冒頭にある今後必要とされる働く技術を解説・提案してゆきますが、その前提としてこれからの日本企業では、役割給人材、職務給人材の2つのタイプに分かれてゆくといいます。

役割給人材は特定の企業内で後輩メンバーを育成する役割を担い、職務給人材はポストに求められる職務の範囲内で責務を果たす人材のことです。

もちろんどちらにも長所・短所がありますが、それぞれの特徴についても解説されおり、自分がどちらに向いているのかを考える機会になります。

全体的に難しい専門用語などは使われておらず、新書という形態もあり、手軽に読めるビジネス書といった印象を受けました。

私自身もここ数年で大きく働き方の価値観が変わりつつあることを実感しており、中年の危機によって呆然と立ち尽くしてしまわないために本書から得られたヒントは多かったように思います。

ノラや


内田百閒(うちだ ひゃっけん)は夏目漱石の門下生として、また数々の小説や随筆を残した昭和を代表をする作家として知られています。

名前は以前から知っていたものの、その作品を読むのは今回がはじめてです。

本書は月刊誌「小説新潮」に連載された随筆の中で、家猫のノラ失踪の顛末とそのあとに住みついたクルについて書かれたものがまとめられたものです。

時期としては昭和31~45年の間、内田氏にとっては60代後半~80歳の時期に相当し、晩年に書かれた随筆ということになります。

内田氏は作品中で元々猫が好きだったわけではないと述べており、たまたま近所の野良猫が庭を訪れるようになり、餌を与えるうちに自宅に棲み着き、夫婦揃ってその猫を溺愛するようになったという経緯です。

作品中に描かれるノラやクルの愛くるしい仕草や性格、癖、また生活の中に猫のいる風景は、猫好きであれば読みながら思わず頬が緩んでしまいます。

私自身も2匹の雌猫を飼っており、1匹は元野良、もう1匹は元保護猫であることから著者の気持ちはよく分かるような気がします。

ところでノラとクルは同時に棲み着いていたわけではなく、ノラは飼い猫になってから約1年後に失踪し、クルはその2ヶ月後に自宅に棲み着くようなった猫です。

ノラが失踪した後、内田氏は毎日のようにノラの居た頃を思い出しては泣き出すという日々だったようで、それは数年が経過しノラが戻ってくる見込みがなくなってからも変わりませんでした。

作品中では昼夜構わず数え切れないほど涙を流す場面が登場し、すこし泣き過ぎではないかと思ったりしまたが、70歳近くではじめて猫を飼い、年をとって涙もろくなっていることが関係しているに違いありません。

さらに失踪したノラの行方を知るために幾度となく新聞の折込ビラを配布したり、読者が教えてくれた迷い猫が帰って来るおまじないと毎日続けたりと、出来る限りのことを試みます。

一方で作品を読み進めてゆくと、ノラが失踪した悲しみを新しく家に来たクルが少しずつ癒やしてくれる過程についてもよく分かります。

クルは失踪することはありませんでしたが、約5年度に重い病気にかかり、この時も毎日のように獣医に往診してもらうといった手厚い看護を夫婦で続けます。

そしてこの2匹の猫を失った悲しみがあまりも大きかったこともあり、その後に猫を飼うことは二度とありませんでした。

作品中には内田氏が猫たちへ抱いた喜怒哀楽がすべて描かれており、猫たちが人生を豊かなものにしてくれたことは間違いありません。

ちなみに本書は猫好きにとって有名な文学作品のようであり、長い猫ブームが続いているだけに長く読み継がれている作品になっているようです。

月下美人


吉村昭氏の短編集です。

本書には8作品が収められいますが、全ページの3分の1が表題作の「月下美人」に割り当てられています。

この「月下美人」は以前本ブログで紹介した作品「逃亡」の取材ノートというべき作品です。

この「逃亡」は昭和19年に霞ヶ浦海軍航空隊に所属する若い整備兵が、米国のスパイと思われる謎の日本人の指示で戦闘機を爆破し、そのまま終戦まで逃亡を続けたという事実を元にした戦史小説です。

著者は最初、この事実を偽名を名乗る人物からの電話により知ることになります。
(結局、この人物の正体は最後まで判明せず。)

この情報提供を頼りに直接本人へ取材をすべく訪れますが、彼は結婚して東京郊外の市役所に勤めており、職場の同僚はおろか妻にもそうした過去を秘密にして暮らし続け、最初は著者へ対して心を許さず警戒していました。

終戦から25年が経過しているとはいえ、本人にとっては出来れば誰にも知られたくない過去であったことは容易に想像できます。

しかし著者の取材申し入れが長年に渡る心の重荷を下ろす機会になると考えた元整備兵は、重い口を開く決心をするのです。

ただし当然のように吉村氏が発表した「逃亡」では作品中の出来事はノンフィクションであるものの、プライバシーを考慮して登場人物はすべて仮名(小説では望月)で執筆されています。

しかし作品が発表され肩の荷が下りたと感じた元整備兵は、かつて逃亡を続けた自らの軌跡を確かめるかのように旅へ出るようになり、ついには本人自らが歴史研究家との共著で本名を公表して回想録を出版するに至るのです。

そこまでの過程はそれほど単純ではなく、元整備兵の心の浮き沈みが激しく、何度となく吉村氏を困惑させるような出来事があったことが書かれています。

一方で著者が取材を申し込まなければ元整備兵がそうした過去を生涯心に秘めたまま人生を終えた可能性も充分あり、吉村氏は彼へ対して一種の罪悪感を抱き続けていました。

そうした作品発表の前後を併せて10年間にも及ぶ彼との関わり合いが書かれた「月下美人」は、元になった「逃亡」と併せて是非読んで欲しい作品です。

残りの7作品については私小説的な短編になっており、吉村昭の代表作といえば長編小説が有名ですが、短編小説を書かせても超一流の作家であるというのが個人的な感想です。

つまり本書はとてもお得な1冊であり、吉村昭ファンであれば必読の1冊といえるでしょう。

遠い幻影


吉村昭氏の短編集で、300ページ弱の文庫本に14篇の作品が収められています。

  • 梅の蕾
  • 青い星
  • ジングベル
  • アルバム
  • 光る藻
  • 父親の旅
  • 尾行
  • 夾竹桃
  • 桜まつり
  • クルージング
  • 眼
  • 遠い幻影


今まで読んできた吉村昭氏の作品もかなりの数になってきたこともあり、上記のうち半数以上は自らの体験を元に幾らかの要素を付け足した、いわば"準私小説"のような作品であることが読んでいると分かります。

残りの作品は、僻地の診療所へ自ら志願して赴任したきた医師、囚人の脱走騒ぎを体験した刑務官、探偵のアルバイトをする学生など、さまざまな題材が扱われています。

吉村昭氏のおもな長編小説は、はじめは純文学、続いて第二次世界大戦を扱った戦史小説、そして江戸時から明治時代を扱った歴史小説へとテーマが変わっていきます。

それに比べて短編小説はその変化の遍歴が分かりにくい部分がありますが、それでも作風が確実に変わっていっていることが分かります。

著者はあとがきで次のように語っています。
竹は節があるから強靭なのであり、直立した地上茎は、細いのに高く伸びても折れることはない。
私が短編小説を書くのは、竹にとっての節に似た意味を持つからである。
竹の節のように、一定の時間の間隔をあけて短編小説を書く。苦しい仕事ではあるが、それを書かなければ、小説を書く私が、もろくも途中から折れてしまうような危惧をいだいている。

つまり長編小説でテーマが変わってゆく過程は、まずは短編小説がきっかけになっていると捉えることができます。

たとえば本書では1980年代に書いた私小説を、同じテーマや場面を扱いながらもあえて準私小説のような形で書き直しているような作品もあり、著者がさまざまな試みによって自らのスタイルを進化させようとしている姿勢が見てとれます。

この"進化するための努力"は、著者が言うように"苦しい仕事"でもあり、作家として確固たる地位を築き上げてのちも、その地位に甘んじることのないプロとしてのストイックさが作品からも充分に伝わってきます。

著者の徹底した取材や調査によって書かれた作品は、なるべく華美な装飾を避けるかのように抑制された表現で事実をそのまま記述し、それを綿密な構成でつなぎ合わせるようにして完成している印象を受けますが、そのバックボーンが本書に収録されている短編小説であると考えると、感慨深いものがあります。

いま中国人は中国をこう見る


2025年11月に高市総理による台湾有事に関連した発言(いわゆる高市発言)を受けて中国政府は即座に反応し、強い批判を繰り返すとともに、国民への訪日自粛の呼びかけ、輸出入規制といった報復措置に踏み切りました。

かねてより中国共産党(なかでもとくに習近平政権)にとって台湾統一は"核心的利益中の核心"であることを公言しており、すこし注意深く考えれば高市発言の反応としては当然であり、中国政府の姿勢や態度は終始一貫していて分かりやすいという見方ができます。

一方で中国国民たちがどのような考えを抱いているかについては徹底した監視社会ということもあり、なかなか実情が分かりにくいという現状があります。

つまり中国人による自国の政府批判はただちに検閲に引っかかり、直接的に自身のリスクへと繋がるのです。

政府は国民のあらゆる個人情報を把握・監視・検閲しており、日本人の感覚では中国国民は極端に表現の自由が制限されているように思えます。

こうした理由から外交や軍事といった側面以外からも、中国社会の実態をルポ取材、またはノンフィクションで紹介した本を今まで何冊か読んできました。

「ルポ デジタルチャイナ体験記」
「ルポ 中国「潜入バイト」日記」
「さいはての中国」

これらの本から得た情報を大雑把にまとめると以下のようになります。

  • 中国人は良くも悪くも寛容であり、政府に個人情報を管理・監視されていることをさほど気にしていない。
  • それでも政府に目を付けられるような面倒はなるべく避けつつ、個人の生活を自由に楽しんでる。
  • (特にIT分野における)中国人のビジネス展開は日本人以上に柔軟さと臨機応変に富んでおり、技術革新という側面で中国を追従するのは容易ではない。
  • 社会との調和を重んじる(空気を読む)日本人とは対照的に、中国人は他人の目をあまり気にしない個人主義の傾向がある。
  • 一方で身内(仲間)だと認めた人へ対してはとことん親切であり、日本人なら躊躇するようなお金の貸し借りにも応じることが多い。

    • 一言で表せば、一党独裁の政治体制を敷く国家の中で生活をする中国人たちはしたたかに生活しているといえます。

      しかし状況はつねに変化してゆくものであり、情報をアップデートするために本書を手にとってみました。

      本書はコロナがほぼ収束した2023年に出版されており、中国に詳しいフリージャーナリストの中島恵氏によって執筆されています。

      はじめに注意すべき点として、あくまでも著者の個人的な知人やそこから紹介された中国人へ対して取材する形をとっており、これは大々的なアンケート調査や世論調査を行えるような国柄ではないため仕方のないことですが、統計的な意見ではないという点です。

      また当然ですが、取材対象となった人の経済状況、学歴、職業、地域などによって意見はさまざまであるという点も頭に入れておくべきです。

      インタビュー内容は政治、経済、教育と広範囲に及びますが、全体として先に紹介した中国人へ対する印象が大きく変わることはありませんでした。

      一方で本書によって新しく知ることも多く、その一例を紹介したいと思います。

      例えば中国国内ではマナー意識が高まりつつあり、都会の中で大声でケンカをするような光景は見られなくなったといいます。

      ただし都市部住民と地方出身者ではマナー意識の格差が大きく、都市部住人はマナーの悪い地方出身者と同じ中国人だと思わないでほしいとさえ考えています。

      先に紹介されたように厳しい情報統制が行われている中国社会では、共産党幹部の汚職など都合の悪いニュースは報じられません。

      しかし多くの中国人が日本や欧米のニュースソースへアクセスできる手段を持っており、次のように語っています。
      もし本当に、中国人は自国の都合の悪いことは何も知らない、と信じている日本人がいるとしたら、あまりにもお気楽というか、時代の変化に鈍感だと思います。

      ここ近年の中国の科学技術やAIをはじめとしたIT技術の発展は目覚ましいものがあるは私自身も感じており、中国人たちも自国のサービスや商品に自信を持ちつつあります。

      結局は1人の人間として考えたときに、日本人と中国人にそれほど違いはないのかも知れません。

      本書の最後にインタービューに答えた中国人は次のように答えています。
      中国中の人が覇権主義に賛同し、中国に世界でナンバーワンの国になってほしいなんて考えているわけではありません。
      多くの中国人は自分と家族の生活を守り、ただもっと豊かになることだけを望んでいます。 求めているのは社会の安定と家族の幸せ、それだけなんです。

地形と日本人


著者の金田章裕(きんだ あきひろ)氏は、地理学者であり京都大学名誉教授などを務めています。

本書では地形を空間と時間の両面から研究する歴史地理学の視点を紹介しており、学術的な内容の新書です。

地理学というと取っ付きにくい印象を受けますが、「ブラタモリ」のような番組が好きな人であれば抵抗なく読むことができると思います。

また新書というページの制限もあり、多くの地形の中でも"平野"に焦点を当てて解説が行われています。

日本国土の7割が山林であることはよく知られていますが、人口の大半は平野に集中しています。
中でも国内最大の関東平野には、日本の人口の1/3以上が生活を送っていることから、もっとも身近な地形ということになります。

平野では河川によって運ばれる堆積物が扇状地を構成し、川の氾濫によって低湿地が生まれ、侵食によって土地が削られ台地が形成されたりします。

ときには山崩れによって一気に地形が大きく変化することもあり、また海岸線も陸化、または反対に侵食されることもあります。

ここまでは自然条件による平野の形成や変化ですが、そこに人間が住み着くようになり、やがて土木技術が進化するにつれ水害を防ぐために堤防を築くようになり、農業のためにため池を造成したり、反対に湿地や海を干拓して埋立地にしたり、人の手によっても地形は変化してゆきます。

本書ではこうした平野における地形の変化を時間の経過とともに考察しており、古地図と比較することによってその変化が具体的に解説されている箇所も随所に見受けられます。

趣味として江戸時代の古地図と比較しながら東京を散歩する人も多いようで、書籍だけでなく専用のスマホアプリも存在するようです。

また単純に自分が今住んでいる場所が昔はどのような場所だったのかを知るのは、好奇心以外にも防災の面でも役に立ちます。

ちなみに私の今住んでいる場所は平野の中でも台地に位置し、明治頃までは雑木林だったようです。 つまり地盤は安定しているものの水には乏しく、昔はあまり人が住むのに適した土地ではありませんでした。

本書には写真や地図も各所に掲載されており、大学の講義を手軽に新書で楽しめると思って気楽に手にとってみてはいかがでしょう。

彦九郎山河


本書は吉村昭氏による高山彦九郎を主人公にした歴史小説です。

私にとって名前は知っているものの、そこまで詳しく経歴を知っている人物ではありませんでした。

林子平、蒲生君平らと並んで"寛政の三奇人"と言われ、幕末の倒幕運動の主流となった尊王論、そして外国からの脅威へ対しての海防論をいち早く唱えた先駆者として知られています。

ちなみに"奇人"という言葉は「おかしい人」という意味ではなく、「優れた人」という意味で使われていました。

彦九郎が活動していた時期は、ペリー総督による黒船来航より約半世紀も早く、幕府の支配力に僅かなほころびこそ見られるものの、まだまだその力が強大な時代でもありました。

本作品は彦九郎の生涯を描いたものではなく、舞台となるのは42歳から46歳までのわずか4年間です。

それでも本作品は文庫本で400ページ以上にもなる長編歴史小説になっており、それを可能にしたのは彦九郎が筆マメで彪大な日記を残していたからです。

彼は妻子を故郷に置いてきたまま江戸へ出ており、作品の始まり時点ですでに儒学者・細井平洲門下の高弟として有名な存在でした。

普通であれば自らも一派を構えて私塾を開くなり、どこかの藩に学者として招聘されてもおかしくない立場でしたが、彦九郎はとにかく1つの場所に落ち着いていられるような性格ではなく、4年の間に蝦夷へ渡るべく東北地方を訪れたり、京都で活動したり、さらには九州全域を回ったりしています。

また交友関係も驚くほど広く、日本各地に知人が点在しており、旅先での滞在先にもそれほど困ることはなかったようです。

彦九郎の悲願は朝廷による王政復古であり、そたのめ手段を講じるため尊王派の国学者たち、革新派の公卿たちと会合を重ねる日々を過ごしています。

それだけにのちに幕末の志士たちへ与えた影響は大きく、とくに吉田松陰は彦九郎を尊敬していたといいます。

その当然の結果として彦九郎の行動は幕府によって厳重に監視されるようになり、とくに九州各地の遊説ではつねに幕府から尾行を受けるようになります。

また彦九郎は各地を歩きながら、浅間山の天明大噴火、天明の大飢饉による惨状に驚きつつも、農民たちの困窮へ対して有効な手を打てず、多くの餓死者を生み出した為政者(幕府)への批判の気持ちが一層と高まってゆきます。

学者という立場に満足できず、時には潜伏しながら日本各地で政治活動を続けてきた高山彦九郎の生き方は幕末の志士そのものであり、それをまだ幕府の支配力が強力で、のちの水戸や薩摩、長州のような尊王攘夷派の藩が1つもない時代に、たった1人でやり続けてきことに価値があるように思えます。

最後に孤立無援の中で亡くなった高山彦九郎の遺した辞世の句を紹介したいと思います。
朽ちはてて身は土となり墓なくも
心は国を守らんものを

一号線を北上せよ


"一号線"といえば国道1号、つまり東京~横浜間の別名・第二京浜を個人的には思い浮かべますが、本書ではヴェトナムのホーチミン~ハイノ間を結ぶ国道1号のことを指します。

ヴェトナムでもっとも大きい2つの都市を海岸沿いに縦断する国道であり、その距離は約1800km(日本列島でいえば青森~下関間の距離)にも及びます。

しかもこの道を旅するのが「深夜特急」で知られる沢木耕太郎となると、同作品のファンであれば本書を手に取らない理由はありません。

この旅を行ったのは本ブログで以前に紹介したNHKの番組製作のために訪れたブラジルへの旅を描いた「イルカと墜落」の翌年であり、2002年ということになります。

著者は1947年生まれで当時54歳であり、ユーラシア大陸をバスで横断したときの年齢が20代半ばであることを考えると、決して若いとは言えない年齢です。

当時のヴェトナムはインフラの整備状況が充分な状態とは言えず、一気にバスで踏破しようとすれば、かなり過酷な旅になるはずです。

しかし若くはなく、作家として確固たる地位を築いている沢木氏にとって若い頃のように乏しい所持金を気にしたり、バスの中で長時間にわたり過酷な道に耐え続けるといった苦痛を自ら求めるような旅をする必要はありません。

また作家としてのスケジュールを考えると、定職に就いていない若い頃のように、心ゆくまでヴェトナムに滞在し続けるといったことも出来ません。

つまり本書で描かれているヴェトナム旅行は若い頃のように無計画なものではなく、年齢相応の旅を楽しむというスタイルを取っています。

このような表現をすると、刺激が少ない物足りない内容ではないかと思う人がいるかも知れませんが、実際には旅のそして何よりも人生の経験を積み重ねてきた円熟味のようなものが感じられ、「深夜特急」とは違った魅力を楽しむことが出来ます。

無理のない距離で途中下車し、その町の風景やそこに住む人々の暮らしをじっくりと観察する余裕のようなものがあり、こういった旅なら自分もしてみたいと思わせるものがあります。

一方でバイクタクシーや商店などで料金を吹っ掛けられていると感じたら躊躇なく値切り交渉をする場面などは、昔と変わらない著者らしい旅慣れたしたたかさを感じさせます。

著者は林芙美子氏の小説「浮雲」からの文章を引用しつつ最後を次のように結んでいます。
「何時か、何処かで、消えるともなく消えてゆく、浮雲」のような旅人になるのも悪くないな、と思ったりもしていた。

私自身は今まで1人旅をした経験が殆どないこともあり、なかなかこの心境に達することはできません。

一方で本書を読むと、何歳になっても体が動く限りは自分なりの1人旅を楽しむことが出来るのではないかと思わせるものがあり、ちょっとした冒険を楽しんでみたい気持ちに駆られます。

新麻雀放浪記


タイトルから分かる通り阿佐田哲也氏による大ヒットシリーズ「麻雀放浪記」の続編です。

正直に言えば続編が存在することすら知りませんでしたが、古本屋で偶然目にして迷わず手に取った1冊です。

前シリーズは戦後間もない混沌としたバラック街の奥深くで開かれている賭場、個性的な"博打打ち"、そして"バイニン(麻雀玄人)"たちとの勝負といったアウトローな雰囲気が魅力的な作品でした。

それでもシリーズ終盤となる昭和30年頃になると、日本が戦後から復興しつつある反面、日陰に生きる博打打ちたちが次々と姿を消してゆく哀しさも描かれていました。

著者自身をモデルにした主人公・坊や哲も博打の世界から足を洗い、十数年が経過した時点から物語が始まります。

生来の博打打ちが会社員となってそれなりに充実した日々を送っている訳もなく、かなり冴えない状況にいます。
私はすっかり中年男になって、腹がふくれ、禿げあがり、途方もなく長い時間眠るようになっていた。
もう誰も、坊や哲、などとは呼ばない。
それどころか、昔、骨と皮だけになって打ちまくっていた頃の写真を見せても、それがこの私とは誰も信じない。

実際の生活は、定職を持たず、妻子もつくらず年老いた両親の住む生家に転がり込みといったいわばニート状態です。

所持金もなく、タバコ1箱を万引きするといったつまらない理由で留置所へ放り込まれてしまいます。

落ちるところまで落ちたという感じですが、その留置所の中で同じく万引きで捕まっていた1人の学生と出会うことが大きな転機となってゆきます。

本書の副題は"申年生まれのフレンズ"とあり、作品の舞台が昭和50年前後であることを考えると、この学生は1956年生まれということになります。
主人公は学生に"ヒヨッ子"というあだ名を付けます。

やがて水商売をしている同じくらいの若い女性花枝とも出会い、主人公はいわば彼らの"博打の師匠"という形で、日本各地、さらに海外を舞台に物語が展開してゆきます。

戦後の混沌とした世界の中で命を的に"博打打ち"として生きてきた坊や哲、そして彼がその世界から足を洗う頃に生まれてきたヒヨッ子、花枝とは親子ほどの年齢差があります。

博打打ちたちは麻雀などで一時的にコンビを組むことはあっても、本質的には一匹狼として生きてゆくものです。

息つく間もない殺伐とした勝負の場面が描かれている一方で、それを誰よりも知っている坊や哲が彼らに博打を指南してゆく姿は前作にはない雰囲気です。

やがて勝負勘を取り戻してきた坊や哲が、マカオのカジノで大勝負に挑むという場面が作品のクライマックスになってゆきます。

読み終わって思うのは、どんな舞台であれ阿佐田哲也氏の描くギャンブルの世界は抜群に面白いと改めて実感したことです。

そしてその面白さは今ではとても公言できない著者自身の経験に裏打ちされているのは間違いないと同時に、著者のような経歴を持つ作家が今後誕生するような余地がないことを考えると寂しさも感じるのです。

炎のなかの休暇


吉村昭氏による私小説です。

著者にとってエッセイで自らの生い立ちや日常を語ることはあっても、それを私小説として発表している作品は珍しいのではないでしょうか。

タイトルの"炎"とは、東京大空襲をはじめとする大戦中におけるアメリカのB29による焼夷弾投下を指し、"休暇"とは、戦中の国家総動員法による勤労動員はあるものの、学校が休校状態となったこと、加えて著者の場合は肺結核を患い療養を行っていた時期とも重なるため、その間を長期休暇に例えたものになりあmす。

ちなみに著者自身は徴兵検査で第一乙種に指定されるものの、実際の徴兵には至らずに終戦を迎えています。

つまり本書は戦中、戦後間もない頃の体験を小説化したものであり、昭和52年から55年にかけて発表された8つの短編が収録されています。

空襲により町を焼け野原にして多数の遺体が至るところに転がる風景、戦中の言論統制、さらには終戦を迎えて一層ひどくなった物資の困窮を主観的、かつ感情的に描けばどこまでも悲惨な表現が可能ですが、不思議とどの作品からもそうした印象は受けません。

それは戦争を経験した著者がもっとも多感な時期、つまり青春時代と重なるからであり、後世から見れば大変な時期ではあったものの、著者自身の心情は灰色一色ではありません。

一方で読者の立場からは、戦争がもたらす悲劇が誇張のないリアリティな表現を通じて伝わってくるという迫力があります。

たとえば兄の1人が戦死して遺骨となって自宅へ戻り、それを見て泣き叫ぶ母親の描写、父親が不在のときに大規模な空襲があり、異臭を放つ遺体の群から父親を捜索する描写(このとき父親は結果的に無事だった)、更にはその父も母も間もなく病死してしまう場面などです。

短編集ということもあり、作品間に時系列、間接的なつながりはあっても、それぞれの作品が独立したストーリーとして成立しています。

簡単にそれぞれの短編で描かれているエピソードを書き出してみたいと思います。
  • 近所へ引っ越してきた歯科医一家の息子と毎日のようにトンボを追いかけ、やがてその一家が心中を図った事件
  • ロシアから亡命し近所へ引っ越してきたロドルフ一家のこと
  • 空襲で行方不明となった父親を探しに愛人宅を訪れたこと、
  • 近隣から非難されながらも一心不乱にランチュウの養殖を続けた近所の転居人のこと
  • 結核を患い病臥していた頃に定期的に見舞いに訪れてきた友人との関係

どれも戦争全体から見ればささいな出来事ではあるものの、著者自身の体験だけにそれぞれの場面が鮮やかに描き出されている印象を受けます。

吉村氏は日暮里で生まれ育っていますが、50歳前後の頃に夜間空襲で焼け、大半の住民が居なくなり、さらに戦後復興により戦前の面影が消えてしまった生家の近隣を度々訪れるようになったといいます。

頭の中で消えてしまった町を再構築してゆくうちに、昔の記憶や思い出が突然のように蘇るといいます。

本書はいわば作家・吉村昭氏の原風景が描かれているといってよく、同氏のファンにとって必読の1冊ではないでしょうか。

勝負眼


本書はサイバーエージェント元社長(現会長)の藤田晋氏による週刊文春での連載を書籍化したものです。

本書に掲載されている記事の大部分が当時社長だった時に執筆されていること、連載1回あたり2400字程度で、それが50週分連載されていること、さらに社員数約9000人、売上高約9000億円というサイバーエージェントという企業規模を考えると、現役経営者が出版した本としては異例なほど充実しています。

実際に本書で触れらていることは会社経営、趣味のこと、さらにはプライベートな出来事まで多岐にわたりますが、視点としては完全にビジネス書を意識して書かれています。

私自身がかつてサイバーエージェント社と仕事をしていた時期もあり、個人的にはかなり身近に感じている企業です。

藤田氏にとってはじめての著書「渋谷ではたらく社長の告白」を再読したときに本ブログで紹介していますが、はじめて読んだのは2005年に発売された直後でした。

ベンチャー企業創業者としての経験が生々しく綴られている内容に当時は驚いた記憶があり、その後の若いベンチャー起業家にとって一種のバイブルのような存在になっていったように思います。

創業者である著者が社長を辞めると宣言したのは2023年であり、当初は2026年に社長交代の予定でしたが、1年前倒しして2025年11月に会長へと退いています。

私個人としては当時の社長交代宣言を意外に思いました。
なぜなら現在68歳でソフトバンクグループを率い続ける孫正義氏のような存在になってゆくと勝手に想像していたからです、

本書では著者が社長交代を決意した理由が明確に述べられています。
サイバーエージェントは若い社員を思い切って要職に起用する。それが組織の活気に繋がっているし、成長の原動力にもなっている。
なのに、その会社のトップがずっと変わらず、気がついたら60歳というのでは説得力がない。事業内容も若者向けが多く、社長の若さはイメージ的にも必要だ。

26歳で最年少上場社長になった立場を考えると、社内におけるその影響力の強さや自分への依存度の高さを容易に想像できますが、それらを俯瞰的して観察できているといえます。

藤田氏は創業者にありがちなワンマンタイプの社長ではなく、自らの経営者としての強みを「忍耐力」と答えていますが、実際には感情を表に出して怒鳴りたい場面が幾度となくありながらも、その度に自制を続けてきたエピソードがたびたび登場します。

彼は本書を一番読んで欲しいのは、これからもサイバーエージェントで働き続ける社員たちであると言っていますが、それを知って本書の執筆に時間をかけて内容を充実させようとした理由にも納得しました。

先ほど内容は完全にビジネス書であると紹介しましたが、藤田氏は多趣味なことでも知られており、麻雀、競馬、サッカー、映画鑑賞やヒップホップ、そしてお酒いずれにも造詣が深く、いずれもビジネス的に示唆に富む内容でありながらも、単純にエッセイとして楽しく読むことができる1冊です。

志ん朝の風流入門


著者の古今亭志ん朝といえば、昭和の名人として別格の存在である古今亭志ん生の息子であり、36人抜きという異例の抜擢人事での真打ち昇進、「ミスター落語」と評されるほどの完成された話芸、さらに立川談志が同世代に生きた落語家の中で唯一認めていた存在であり、とにかく落語の歴史を語る上で欠かせない噺家です。

唯一惜しむらくは、平成13年に63歳という若さで亡くなったことであり、ファンたちが円熟した名人芸を充分に楽しめる時間が短かったという点ではないでしょうか。

話は変わりますが、よく日本人は四季の移り変わりを愛でる心情があるといいます。
そしてタイトルにある風流とは、季節それぞれの風情を楽しむといった意味もあります。

つまり本書は志ん朝師匠が、落語ではなく風流という視点から四季を語った1冊になります。

作品の元となったのは昭和53年から7年間にわたりNHKラジオで放送された志ん朝自身が担当した「お好み邦楽選」であるといいますが、私自身はそのラジオを聴ける年代ではありませんでしたし、それどころか志ん朝師匠の高座を実際に見たことさえありません。

それでも残された音源や映像を通じて志ん朝師匠の落語は聴いたことはあります。

私自身はたまに落語を聴く程度には好きですが、噺家を評価できるほどの熱心なファンでないことを前提にすると、とにかく綺麗な江戸弁そして日本語を使い、初心者から通な人まで万人へお薦めできる噺家であるということです。

当時のファンからはまるで江戸へタイムスリップしたかのような感覚を与えてくれる名人だったという評価がありますが、本書を読むとそれが単純に話芸の巧みさだけではなく、江戸時代、もっといえば日本の歴史へ対する深い理解と知識に裏打ちされたものであることが分かります。

風流というと心情的なものと捉えがちですが、日本人は昔からそれらを言葉として表現する術を持っていました。

本書を読み進めてゆくと、風流を語る上での語彙は、現代人の方がはるかに乏しくなっていることを実感します。

志ん朝師匠が解説している風流を幾つか紹介してみたいと思います。

たとえば"初音(はつね)"とは、その年に初めて聞く音ではなく、ホトトギスとウグイスに限って、その年はじめての鳴き声を指した言葉であるということです。

そして"節分"とは季節と季節の区切りを指す言葉であり、つまり昔の節分行事は年に4回行われていたということです。

昔は"虫"という言葉は、コオロギやキリギリスに代表される秋の草むらに鳴く虫だけが対象だったこと、その中でもとくにカンタンとスズムシの鳴き声がもっとも美しいとされていました。

さらには昔から日本人がとくに愛してきた花は梅、桜、そして菊であったこと、そうした花々をどのように日本人は愛でていたのかについても細かく解説されています。

例を挙げてゆくとキリがありませんが、本書は決して風流に関する学術書ではありません。

先ほど説明した通り、本書はラジオ番組の台本が元になっているから全般的に口語調で書かれており、さらに所々に登場する志ん朝師匠の小噺が読者を和ませてくれます。

昔の日本人は天気予報など科学的に自然を観察する手段が少なかった分、五感を用いて繊細かつ敏感に自然を観察してきたことが良く分かります。

四季の移り変わりに本書を手にとって読んでいると、自然へ対する感受性が高まったような気がするのです。

成瀬は都を駆け抜ける


本書は、宮島未奈氏によるベストセラーシリーズ第1弾「成瀬は天下を取りにいく」、第2弾「成瀬は信じた道をいく」に続く第3弾となります。

個人的にまだまだ続いていくシリーズだと勝手に思い込んでいましたが、残念なことに著者によると本作で完結となるようです。

本書では前作に引き続き京都大学へ入学し、同校の1回生となった主人公・成瀬あかりを描いています。

本シリーズの魅力は前作までのレビューでも紹介しましたが、簡単に言えば主人公の人間的な魅力、そして作者が在住している地方都市・滋賀県大津市の魅力が融合している点です。

つねにに主人公の言動が三人称で書かれているのは1作目から共通しており、成瀬あかりの友人、知人、ときには親の視点から書かています。

一見すると他人の視点から見た彼女の言動は理解しがたい点が多々ありますが、主人公との会話やさまざまな経験を通じてその意図を知り、実際の行動力を見るにつれその魅力に惹かれてゆくのです。

主人公と同じ京都大学に合格してものの、失恋を経験し生きる意味を失いつつあった坪井さくら、達磨研究会という風変わりなサークルに入ることなった梅谷誠とそのメンバーたち、簿記試験に挑戦する様子を配信しているYoutuberのぼきののかなど、偶然成瀬と出会ったことにより影響を受けてゆく登場人物たちが本作には新たに登場します。

さらに後半になると地元ローカル局の番組に娘と一緒に出演することになった母親の美貴子、前作に引き続き登場する主人公へ密かに恋している奥手の西浦航一郎、さらに1作品目から登場している成瀬の幼馴染で一番の友人である島崎みゆきなど、シリーズ大団円に向けて今まで成瀬と知り合い影響を受けてきた人物たちが総動員という形で登場します。

成瀬自身には人間関係で不器用なところがあり、その場の空気や他人の気持ちを察することが苦手で、自分のやりたい事だけを真っ直ぐに追いかけるという側面があり、そこに彼女の魅力が内包されていました。

基本的に3作品目でも成瀬のスタイルは変わっていませんが、さまざまな人間と関わりを持つ中で、彼女の中にも他人の気持ちを理解しようとする成長が見て取れるようになります。

もちろん他人の気持ちを理解する能力は社会に出る上で必要であり、これは間違いなく成瀬にとって成長であり嬉しいと思う反面、個人的にはそれを突き抜けてこそ光っていた彼女の魅力が薄まってしまうような少し残念な気持ちもありました。

だからこそ誰よりも主人公と向き合い続けてきた作者が、この作品を完結編とした気持ちも理解できるような気もします。

結果として1作目の勢いを失うことなく、3作品目まで駆け抜けたシリーズであり、著者のこれからの新しい作品を楽しみに待ちたいと思います。

酔生夢死か、起死回生か。


本書は平成7年から12年(1995~2000年)にかけて行われた計6回にわたる阿川弘之氏と北杜夫氏の対談です。

2人とも昭和30年頃より活躍し始めた作家ですが、昔からお互いのエッセイなどに登場するとても仲の良い2人です。

ただし阿川氏は作家仲間から「瞬間湯わかし器」と呼ばれるほどの短気で知られており、一方で北氏は自ら躁うつ病であること公言しており、基本的にはうつ状態であることが多く大人しい性格です(ただし彼が躁状態になったときは誰も手が付けられないほど活動的になります)。

一見すると正反対の性格の2人が気の合う友人同士であったというのは興味深い点です。

2000年当時の対談では阿川氏が79歳、北氏が72歳と2人ともそれなりの高齢になっています。

実際の対談では誰が見ても年上の阿川氏の方がまだまだ健在といった感じで、年下の北氏の方は「早く死にたい」、「何とかして今年1年のうちに死にたいです」と弱音ばかりをこぼし、年上の阿川氏に励まされているような始末です(ちなみに阿川氏は95歳、北氏は84歳までご存命でした)。

若い頃から長年の付き合いがある2人だけに、対談の当初から最後まで冗談の飛び交う和やかな雰囲気で進んでゆきます。

対談の中で気付くのは、阿川氏は北氏の父親である斎藤茂吉を、北氏は阿川氏の先生である志賀直哉氏をそれぞれ尊敬し合っている点で、この辺りに2人の相性の良さの秘密があるかも知れません。

一方でこの頃すでに2人にとって共通して交流の深かった遠藤周作氏、三浦朱門氏らなど同時代に活躍した作家たちが何人か亡くなっており、その思い出を語り合うシーンなどは読者として楽しみながらも若干の切なさを感じたりします。

お二人の経歴やお互いの交流については、それぞの作品を通じてある程度は知っていましたが、対談を通じて紙面には書かれなかったその舞台裏などにも触れられており、興味深く読むことができました。

もちろん二人のことをよく知らない読者が読んでも楽しめる内容ですが、やはりある程度の作品を知ってから読む方がより楽しみが深まる1冊であることは間違いありません。

2人の老成した作家同士の対談というと堅苦しいイメージがありますが、そのような雰囲気はまったくなく、ユーモアを通じて旧交を温めるといった和やかな雰囲気で終始しているのが読者としては微笑ましく、ページをめくる手が止まらずに一気に読めてしまう1冊です。