極上の孤独
現代では「孤独=悪」だというイメージが強く、たとえば孤独死は「憐れだ」「ああはなりたくない」と一方的に忌み嫌われる。
これは本書の紹介文の一節ですが、確かに孤独に対するイメージは"悪"とまで言い切れなくとも、マイナス面の強い単語として使用される機会が多い気がします。
著者の下重暁子氏は、NHKアナウンサーを経てフリーアナウンサーとなり、現在は評論や作家として活躍されている方ですが、本書では彼女が孤独を愛する理由、そして孤独の効用を語っています。
まず最初に断っておくと、本書にある孤独の効用は心理学的な見地からではなく、あくまでも著者の経験や個人的な主張に基づくものであるという点です。
今はLINEやTwitterに代表されるツールによって手軽に簡単に人と繋がることのできる時代であると言えます。
一方で便利なツールが出来れば出来るほど、人間の気持ちは追い詰められてゆくと著者は主張しています。
これについては容易に想像がつきます。
面と向かって口で言う必要がない分、相手が傷つく文章を簡単に送ることができ、また簡単にメッセージを無視することもできます。
しかしそこから湧き上がってくる感情は「孤独」ではなく、「淋しさ」であると著者は言います。
つまり「孤独」と「淋しさ」はまったくの別物であるということです。
著者にとって魅力的な人たちはみな孤独であったことも回想しています。
交流があった範囲では、永六輔、立川談志、歴史上の人物であれば種田山頭火、尾崎放哉、そして良寛といった人物を挙げています。
彼らに共通するのは、孤独をみじめな境遇とは考えず、1人の時間を大切にして自分で考え、決断することによって成熟してきた人間であるという点です。
たしかに友だちが多いこと、人脈が広いことも大事かも知れませんが、孤独を知らなければ「凛とした」、「毅然とした」した人間が完成しないという点は同意できます。
よく経営者は孤独であるという方は多いですが、その理由は彼らの抱える重責という要素意外にも、自分と向き合う時間が多いという要因があるのかも知れません。
本書の最後に著者が出会った中でもっとも孤独で孤高な人生を歩んだ人物として小林ハルを挙げていますが、そこではじめて本ブログでも紹介した「鋼の女 最後の瞽女・小林ハル」を執筆した方と同一人物であることに気づきました。
私自身、本書を読んでも他人へ積極的に孤独をすすめるまでに達観はできませんでしたが、少なくとも孤独へ対する単純なマイナスイメージを払拭することができ、また孤独を愉しむ方法があるという視点は新鮮なものでした。