鋼の女 最後の瞽女・小林ハル
「瞽女(ごぜ)」という言葉は知っていましたが、ぼんやりと"女性版琵琶法師"というイメージしか持っていませんでした。
つまり伝統芸能を生業にしている視覚障害者の女性といった程度の知識です。
しかし瞽女は遠い過去の話ではなく、室町時代からはじまり昭和30~40年頃まで越後(新潟県)を中心に活動を続けていたという事実には驚きました。
越後は瞽女文化が最後まで残り続けた地域であり、"長岡瞽女"と"高田瞽女"と呼ばれる2つの集団が存在していました。
本書の主人公である小林ハルは最後の長岡瞽女として活躍し、2005年に105歳で亡くなるまで瞽女唄の保存に尽くした女性です。
経歴だけを見れば瞽女として生涯を過ごした女性と片付けてしまいがちですが、その人生は壮絶なものでした。
三条市に生まれたハルは生後間もなく失明し、それ以降人目につかぬよう家の奥に閉じ込められるようにして幼少期を過ごしました。
また母親から裁縫から洗濯まで身の回りのことは1人で出来るように厳しく躾されます。
あまりの厳しさに母を恐れたハルでしたが、それは盲目であっても1人で生きてゆけるように願った母の愛情であったことを後に知ることになります。
その母もハルが11歳のときに亡くなり、師匠の付き人として厳しい日々が彼女を待ち受けます。
瞽女は自分たちだけで山岳地帯を巡り、時には会津や小国といった県外にまで足を運んだ旅芸人として活躍としていました。
ハルさんは師匠との相性が悪かったらしく、事あるごとに旅先で陰湿な嫌がらせを受け1人で野宿せざるを得ないこともあったそうです。
それ以外にも養女の死や弟子の裏切りなど、数々の苦労をされてきたようです。
数々の逆境の中でもハルさんは「瞽女と鶏は死ぬまで唄わねばなんね」と晩年まで瞽女唄を披露し続けました。
その功績もあって黄綬褒章をはじめてとした数々の受賞を重ねますが、"小林ハル"という人間が魅力的に映る本当の理由は、多くの苦労を乗り越えながら形成してきたその人格にあるといってよいでしょう。
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」と自らに言い聞かせ、決してひねくれたり逃げたりせず運命を受け入れ続けてきた明治生まれの女性の生き様が読者の胸を打つのです。
幸いにも晩年は老人ホームで忙しくとも平和な日々を過ごせたようで何よりです。