レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

彦九郎山河


本書は吉村昭氏による高山彦九郎を主人公にした歴史小説です。

私にとって名前は知っているものの、そこまで詳しく経歴を知っている人物ではありませんでした。

林子平蒲生君平らと並んで"寛政の三奇人"と言われ、幕末の倒幕運動の主流となった尊王論、そして外国からの脅威へ対しての海防論をいち早く唱えた先駆者として知られています。

ちなみに"奇人"という言葉は「おかしい人」という意味ではなく、「優れた人」という意味で使われていました。

彦九郎が活動していた時期は、ペリー総督による黒船来航より約半世紀も早く、幕府の支配力に僅かなほころびこそ見られるものの、まだまだその力が強大な時代でもありました。

本作品は彦九郎の生涯を描いたものではなく、舞台となるのは42歳から46歳までのわずか4年間です。

それでも本作品は文庫本で400ページ以上にもなる長編歴史小説になっており、それを可能にしたのは彦九郎が筆マメで彪大な日記を残していたからです。

彼は妻子を故郷に置いてきたまま江戸へ出ており、作品の始まり時点ですでに儒学者・細井平洲門下の高弟として有名な存在でした。

普通であれば自らも一派を構えて私塾を開くなり、どこかの藩に学者として招聘されてもおかしくない立場でしたが、彦九郎はとにかく1つの場所に落ち着いていられるような性格ではなく、4年の間に蝦夷へ渡るべく東北地方を訪れたり、京都で活動したり、さらには九州全域を回ったりしています。

また交友関係も驚くほど広く、日本各地に知人が点在しており、旅先での滞在先にもそれほど困ることはなかったようです。

彦九郎の悲願は朝廷による王政復古であり、そたのめ手段を講じるため尊王派の国学者たち、革新派の公卿たちと会合を重ねる日々を過ごしています。

それだけにのちに幕末の志士たちへ与えた影響は大きく、とくに吉田松陰は彦九郎を尊敬していたといいます。

その当然の結果として彦九郎の行動は幕府によって厳重に監視されるようになり、とくに九州各地の遊説ではつねに幕府から尾行を受けるようになります。

また彦九郎は各地を歩きながら、浅間山の天明大噴火天明の大飢饉による惨状に驚きつつも、農民たちの困窮へ対して有効な手を打てず、多くの餓死者を生み出した為政者(幕府)への批判の気持ちが一層と高まってゆきます。

学者という立場に満足できず、時には潜伏しながら日本各地で政治活動を続けてきた高山彦九郎の生き方は幕末の志士そのものであり、それをまだ幕府の支配力が強力で、のちの水戸や薩摩、長州のような尊王攘夷派の藩が1つもない時代に、たった1人でやり続けてきことに価値があるように思えます。

最後に孤立無援の中で亡くなった高山彦九郎の遺した辞世の句を紹介したいと思います。
朽ちはてて身は土となり墓なくも
心は国を守らんものを