レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ふぉん・しいほるとの娘(下)


吉村昭氏の代表的な長編小説である「ふぉん・しいほるとの娘」下巻のレビューです。

本作品の主人公は、名医と言われながらも日本から国外追放となったシーボルト、そして彼に見初められた丸山遊廓の遊女であったお滝との間に生まれたお稲(後年の楠本イネ)です。

物語は主人公の目線で描かれる場面と、幕末を取り巻く日本の状況を俯瞰的に描く場面とに分かれており、そこからは激動の時代に翻弄されながらも懸命に生き抜こうとする1人の女性の姿が鮮やかに浮かび上がってきます。

混血児として生まれたお稲は、日本における女性初の蘭方医(西洋医師)を目指すため13歳で親元の長崎を離れて、宇和島で医師としての修行を始めます。

彼女はシーボルトの弟子であった二宮敬作の元で学びます。

時折、酒乱の傾向はあるものの敬作はお稲にとってよき師匠であり、同時期に宇和島藩に招聘されていた村田蔵六(のちの大村益次郎)からも学問を学びます。

やがて敬作の勧めにより同じくシーボルトの弟子であった石井宗謙の元でも学ぶことを勧められます。

宗謙は産科を得意としており、お稲の目指す産科医にもっとも合致した人物であったからです。

1度長崎へ帰郷してから宗謙の住む岡山へ向かい修行を開始しますが、そこで悲劇が起こります。

それは先生であるはずの宗謙により強姦されるという形で子どもを身ごもってしまうのです。

女子を出産しながらも長崎で失意の底に沈んでいたお稲でしたが、周囲の励ましもあり彼女は改めて医師になることを目指すようになります。

彼女が遠回りをしながらも医師としての未来を着実に歩き始めた頃、幕末の混乱はますます大きくなり、ついに幕府は200年以上続いた日本の鎖国政策を廃止することを決定します。

そしてこの決定が1度は国へ外追放されたシーボルトとの30年ぶりの再会を実現することになります。

再会した実父からの紹介で来日していた医師・ポンペの元でも医学を学ぶことになり、彼女は産科医として確固たる実力を備えていきます。

とはいえ時代の流れはますます激しくなり、やがて幕府が倒れ、新しい明治時代が到来することになります。

かつては混血児として奇異な目を向けられていたお稲でしたが、彼女のひたむきな生き方、そしてシーボルトの娘という血統がプラスに働くようになり、伊達宗城福沢諭吉らの援助もあり、東京へ転居したお稲はそこで評判の産科医として忙しい日々を過ごすことになります。

お稲は明治36年に76歳で亡くなっていますが、時代を先駆けることの苦難、そしてのちには時代に取り残されてゆく寂しさが、激動の時代を背景に余すことなく描かれており、1人の女性の生涯がそのまま壮大な歴史物語にもなっています。

吉村昭氏にとって比較的初期の作品でありながらも、物語の着眼点や構想、そして綿密な描写など作家としての実力が充分に発揮されている作品です。