志ん朝の風流入門
著者の古今亭志ん朝といえば、昭和の名人として別格の存在である古今亭志ん生の息子であり、36人抜きという異例の抜擢人事での真打ち昇進、「ミスター落語」と評されるほどの完成された話芸、さらに立川談志が同世代に生きた落語家の中で唯一認めていた存在であり、とにかく落語の歴史を語る上で欠かせない噺家です。
唯一惜しむらくは、平成13年に63歳という若さで亡くなったことであり、ファンたちが円熟した名人芸を充分に楽しめる時間が短かったという点ではないでしょうか。
話は変わりますが、よく日本人は四季の移り変わりを愛でる心情があるといいます。
そしてタイトルにある風流とは、季節それぞれの風情を楽しむといった意味もあります。
つまり本書は志ん朝師匠が、落語ではなく風流という視点から四季を語った1冊になります。
作品の元となったのは昭和53年から7年間にわたりNHKラジオで放送された志ん朝自身が担当した「お好み邦楽選」であるといいますが、私自身はそのラジオを聴ける年代ではありませんでしたし、それどころか志ん朝師匠の高座を実際に見たことさえありません。
それでも残された音源や映像を通じて志ん朝師匠の落語は聴いたことはあります。
私自身はたまに落語を聴く程度には好きですが、噺家を評価できるほどの熱心なファンでないことを前提にすると、とにかく綺麗な江戸弁そして日本語を使い、初心者から通な人まで万人へお薦めできる噺家であるということです。
当時のファンからはまるで江戸へタイムスリップしたかのような感覚を与えてくれる名人だったという評価がありますが、本書を読むとそれが単純に話芸の巧みさだけではなく、江戸時代、もっといえば日本の歴史へ対する深い理解と知識に裏打ちされたものであることが分かります。
風流というと心情的なものと捉えがちですが、日本人は昔からそれらを言葉として表現する術を持っていました。
本書を読み進めてゆくと、風流を語る上での語彙は、現代人の方がはるかに乏しくなっていることを実感します。
志ん朝師匠が解説している風流を幾つか紹介してみたいと思います。
たとえば"初音(はつね)"とは、その年に初めて聞く音ではなく、ホトトギスとウグイスに限って、その年はじめての鳴き声を指した言葉であるということです。
そして"節分"とは季節と季節の区切りを指す言葉であり、つまり昔の節分行事は年に4回行われていたということです。
昔は"虫"という言葉は、コオロギやキリギリスに代表される秋の草むらに鳴く虫だけが対象だったこと、その中でもとくにカンタンとスズムシの鳴き声がもっとも美しいとされていました。
さらには昔から日本人がとくに愛してきた花は梅、桜、そして菊であったこと、そうした花々をどのように日本人は愛でていたのかについても細かく解説されています。
例を挙げてゆくとキリがありませんが、本書は決して風流に関する学術書ではありません。
先ほど説明した通り、本書はラジオ番組の台本が元になっているから全般的に口語調で書かれており、さらに所々に登場する志ん朝師匠の小噺が読者を和ませてくれます。
昔の日本人は天気予報など科学的に自然を観察する手段が少なかった分、五感を用いて繊細かつ敏感に自然を観察してきたことが良く分かります。
四季の移り変わりに本書を手にとって読んでいると、自然へ対する感受性が高まったような気がするのです。
