悲素(下)
上巻に引き続き和歌山毒物カレー事件を扱った「悲素」下巻のレビューです。
著者の帚木蓬生氏は自身が医師ということもあり、砒素中毒患者を解析することで事件へ捜査協力を行った医学博士を主人公にして描いています。
主人公の沢井教授は毒薬中毒を専門にしていることから、過去にオウム真理教教団による一連のサリン事件の捜査協力を行った経歴を持っています。
作品の中では過去の松本サリン事件での出来事に触れるタイミングが出てきます。
ほかにも過去の毒薬が使用された事件や戦争の歴史にも触れてゆくことで、読者へ毒薬へ対する医学知識を与えてくれると共に、物語の奥行き深めてくれます。
上巻では事件の発生から、その被害者を診断結果を解析するところまでを描いていましたが、下巻では事件の全貌が見えてくるとともに、医学的見地からの証拠固めの過程からはじまりす。
そして中盤からは逮捕、取り調べ、裁判へと一気にストーリーが流れてゆきます。
よって後半では沢井教授が専門家の立場から公判に出廷する場面が登場します。
警察、検事、そして裁判官や弁護士はそれぞれの立場から沢井教授へ分析結果や意見を求めますが、そこで語られる内容はどれも同じようなものです。
作品の読者にとっては冗長に感じてしまいう部分ですが、事件の過程を克明に描こうとする作者の意思も同時に感じることができます。
たとえば砒素中毒とタリウム中毒や鉛中毒、あるいはギラン・バレー症候群との違いは作品中で沢井教授の口から何度も語られることもあり、読者もその違いを覚えてしまうほどです。
こうした点は医療サスペンスと共通する部分であり、実際に著者もそうした作品を手掛けています。
しかし本作品が迫力と説得力を持つのは実際に起きた事件を題材にしている点であり、エンターテイメントと片付けることのできない重さがあります。
私の場合リアルタイムでこの事件を知っていたものの、ニュースやワイドショーを熱心に見ていたわけではないため"何となく知っていた"程度です。
しかしこうした捜査の過程や裏側を描いた作品を読むことで、たとえ事件から時間が経過しても知ることには意義があると思います。
なぜなら砒素に限らず人体に有害な物質は工業を始め産業に欠かせない側面があり、世の中から無くすことは出来ません。
つまりいくら厳重に毒薬が管理されようともこうした事件が再び起きない保証はどこにもないからです。