仮釈放
本書は吉村昭氏の作品としては比較的めずらしい完全なフィクション作品です。
主人公は妻と2人暮らしの元教師。
真面目な性格で趣味といえば釣りくらいで平和に暮らしていましたが、ある日妻と釣り仲間の不倫現場を目撃し殺人を犯してしまいます。
そのため無期懲役の判決を受けますが、男は模範囚として16年間を刑務所で過ごし、50歳を過ぎて仮釈放となります。
刑務所での単調で変わり映えのない生活と比べ、男にとって久しぶりの世の中は大きく変貌を遂げていました。
ここまでは小説の序盤ですが、この作品は多くの作家が試みてきた"罪と罰"をテーマに扱っています。
吉村氏は本作品を実在した脱獄囚を扱ったフィクション小説「破獄」から着想を得たと語っていますが、刑務所の風景が描かれている点を除いては案外共通点は多くありません。
「破獄」ではなるべく事実に基づいた描写がメインでしたが、本作品では過去に犯罪を犯した男の複雑な心理が描写されています。
"罪"とは、倫理的または法的な犯罪を指すとともに、自己の良心に照らし合わせた心理的(時には宗教的)なものに大別されます。
人を殺めたという点では、男は間違いなく法的な罪を犯しています。
一方で、自分の信頼を裏切り不倫を行った元妻の殺害、そしてその不倫相手の男へ傷を負わせた点については後悔どころか必然であったと考えています。
つまり男にとって内面的には罪を認めていないのです。
しかし間違いなく16年間もの懲役により肉体的・精神的な"罰"を受けていますが、それは男へ何をもたらしたのでしょうか。
主人公の男は真面目で教養もあります。
社交性にはやや欠ける部分があるかも知れませんが、せいぜい控えめな性格と見られる程度です。
恩義を受けた人の助言は素直に聞き入れますし、職場の上司の指示にも忠実に従います。
つまり短気で荒っぽい性格の人間ではなく、外見上はどこにでもいそうな人間をあえて主人公にすることで"罪と罰"といったテーマがはっきりと浮かび上がってくるのです。
一見すると仮釈放された(平凡に見える)男の日常を描いているだけのように見えますが、その内面の変化を丹精に描くことで作品に起伏をもたせ、いつの間にか読者もその挙動に目を離せなくなるのだから不思議です。
ぜひ最後まで読んでその余韻に浸ってもらいたい作品です。