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破獄



戦前、戦中、そして戦後に4度の脱獄を実行した、佐久間清太郎の半生を描いた吉村昭氏の作品です。

執筆当時はプライバシーに考慮したため、作品中の登場人物名は創作ですが、史実にこだわり記録文学の新境地を切り開いた著者だけに、実際の出来事を綿密に調査した上で執筆されたノンフィクションに近い作品であると言えます。

文庫本でぎっしりと350ページにも及ぶ長編作品であり、佐久間が収監され脱獄するまでの過程が事細かく描かれています。

驚かされるのは、佐久間が脱獄したのは野外作業のどさくさに紛れての脱走ではなく、独居房鎮静房と呼ばれる堅牢で監視が厳重な場所からの脱獄であることです。

誰もが脱獄不可能と思っていた場所から常人には想像のつかない観察眼、知力、体力、そして忍耐力を発揮して脱獄する佐久間は、もし彼が犯罪者でなければ、一流のアスリートになれる素質が充分にあったと思わせるものでした。

さらに真冬の網走刑務所から脱走した際には、山狩りから逃れ捜査は打ち切られ誰もが凍死間違いなしと思っている過酷な自然の中で廃坑に潜り込み冬を過ごすといったサバイバル術にも長けていました。

看守たちも佐久間を逃せば懲戒処分を受けるという危機感から警備を強めますが、常にそれを上回る能力を発揮して合計4回も脱獄を繰り返すのです。

彼の30年近くに及ぶ刑務所における生活は、戦前・戦中・戦後という日本の行刑にとって激動の時代であり、その移り変わりの風景についても充分に触れられています。

戦前には非人道的な強制労働によって多くの囚人が安価な労働者として厳しい現場に駆り出され、多くの死者を出した時代もありました。

そして戦中は食料不足によって、多くの囚人が栄養失調のために死亡したというデータも残っているようです。

戦後はGHQの占領政策により囚人へ人道的な扱いを行う政策が打ち出されましたが、戦後の混乱で物資不足が続き、さらに行刑への理不尽な介入もあり決して安定していた訳ではありません。

作品中で明言されている訳ではありませんが、佐久間のとった行動は時代の犠牲となった囚人たちの声なき声を代表した行動であるような気がしてきます。

最後に府中刑務所の所長が佐久間を1人の人間として扱い、のちに模範囚となってゆく過程は、長い物語の最後で読者が報われたような気持ちになるのです。