雪男は向こうからやって来た
著者の角幡唯介氏は、探検家という肩書を持つノンフィクション作家です。
探検家といえば人類未踏の地の探索、未踏破の山への初登頂、はたまた極地探検などを思い浮かべますが、本書はヒマラヤ山中に棲むという謎に包まれた"雪男"を見つけるという、読者の予想の斜め上をゆく探索をノンフィクションとして描いたものです。
雪男と聞くと、妖怪や幽霊と大差のないオカルトな世界を想像してしまいますが、それは著者自身も同じだったことが本書に書かれています。
つまりはじめは雪男の存在に否定的だった著者は、知人から紹介されて雪男捜索に熱中する高橋好輝をはじめとした捜索隊の面々と合うことになります。
そこで芳野満彦、田部井淳子、小西浩文といった世界的に有名な登山家たちも雪男の目撃経験を持っていることが判明します。
中でもフィリピンのルパング島で残留日本兵の小野田寛郎を発見したことで有名な冒険家・鈴木紀夫に至っては雪男発見に執念を燃やし、その捜索中に雪崩によって生命を失うことになります。
海外登山家の中でも雪男の目撃談は数多くあり、足跡についてはかなりの数の写真が撮影されてきました。
著者が参加することになった雪男捜索隊のメンバーたちはいずれも経験豊富な一流の登山家たちであり、彼らの真剣な眼差しと熱意に接するうちに著者も「もしかして」という期待を抱くようになります。
ただし雪男を捜索するために向かったダウラギリ山系にあるコーナボン谷はヒマラヤの中でも秘境であり、登山家で賑わう有名な高山と違い、有史以来数えるほどしか人間が足を踏み入れていない最果ての地域でした。
本書は雪男捜索の旅だけを対象にしたノンフィクション作品ではなく、そこへ至るまでの過程、著者による有名登山家への雪男目撃談の取材など、サイドストーリーでしっかりと肉付けされており、重厚なノンフィクション作品に仕上がっています。
実際の雪男捜索は単調な見張り作業がほとんどのため、それ自体では紙面を稼げないという現実的な課題もあったでしょうが、結果として読者もいつの間にか雪男捜索を "空想家の気まぐれ" ではなく、"人類にとっての新発見" として期待してしまう説得力が出てくるのです。
捜索がどのような結果に終わるのかは読んでからのお楽しみですが、途方のない現実離れした大発見に熱意を持ち続ける人たちを "人生の浪費" と見なすか、"充実した人生"と見なすかによって本作品の価値は変わってきますが、読者が後者であれば本作品を夢中になって読むことができるでしょう。