マヤ探検記 下
スティーブンズとキャザウッドの2人が1839年に行ったマヤ文明遺跡発見の探検は、1841年に「中央アメリカ、チアパス、ユカタン旅行の出来事」として出版されますが、これが爆発的に売れてベストセラーとなります。
当時の知識人たちにも絶賛され、2人は一躍有名人として知られるようになります。
そして旅行記を出版した1941年10月には早くも2度目の探検に出発します。
それは同時に過酷なジャングルへ豪雨や泥にまみれたながら蚊やダニや病気という困難に再び立ち向かうことを意味していました。
彼らの勇気ある挑戦は報われ、またしてもピラミッドをはじめとした数々の建造物やモニュメントを発見し大きな成果をあげました。
2人はもっとも有名な探検家としての名声を揺るぎないものとし、1943年に出版した「ユカタン旅行の出来事」はまたしても大ヒットすることになります。
スティーブンズには探検家としての資質だけでなく類まれな文才も持ち合わせており、キャザウッドの正確なデッサン力との相乗効果で今でも歴史に残る名著として知られています。
何と言っても現代であれば国家事業として行われるべき遺跡調査を、たった2人の探検家が成し遂げたのです。
何度もマラリアや怪我によって倒れ、時には生命の危機も経験しながらも探検を続ける2人の姿は常識からは考えられません。
探検記を読んでいると、心の奥底から湧き上がってくる前向きな精神力がジャングルの中を進む原動力になったことがよく伝わってきます。
ただし残念なことに、結果的に今回の探検が2人にとって最後になります。
未知の文明を追い求めるスリルのある日々ではなく、生計を立てるための現実的な日々に追われることになるのです。
スティーブンズは実業家として、キャザウッドはエンジニアとしていずれも当時爆発的に普及しつつ合った鉄道に関わることになります。
当時のアメリカは開拓時代が終わりつつあり、近代化へ向けた新技術が次々と生まれ始めた時代でもありました。
探検家としてのキャリアを終えたスティーブンズは、経営者としてパナマで鉄道を敷設するために奔走し、キャザウッドは鉄道技師という新しい仕事を見つけます。
残念なことにスティーブンズは、探検家時代に体を酷使したせいか1852年に46歳という若さで世を去ります。
そしてキャザウッドもその後を追うようにして、1854年の海難事故によって亡くなります。
スティーブンズは数々のマヤ遺跡を発見したものの、当時は考古学的な研究は行われずほとんど具体的なことは分かりませんでした。
本書の終盤では、現代のマヤ文明研究を紹介する形でスティーブンズの偉業を現代に伝えてくれます。
それでもマヤ文明に関する研究はエジプトなどと比べるとまだまだ発展途上にあり、これからも次々と新しい発見があるに違いありません。