沖縄を変えた男 栽弘義――高校野球に捧げた生涯
本書はかつて沖縄水産高校を率い1990年、91年に甲子園準優勝を成し遂げた栽弘義監督の実像に迫ったノンフィクションです。
高校野球の監督を"沖縄を変えた男"と表現するのは大げさと思うかも知れませんが、高校野球(特に甲子園)はアマチュアスポーツを超えた国民的な人気イベントと言うべき人気を誇り、中でも沖縄県の野球熱は日本トップクラスです。
今でこそ沖縄県は野球の強豪県として定着し、プロ野球で活躍する沖縄県出身選手も珍しくない時代になりましたが、戦前から戦後、そして沖縄返還(1972年)が行われた時点においても沖縄は長い間、野球の弱小県の地位に留まっていました。
かつ日本国内においてさえ沖縄県人への差別が残っていた時代において、甲子園で良い成績を残すということは戦争で傷ついた沖縄人たちの心を癒やし、また彼らのアイデンティティを取り戻すためにも必要な象徴的なイベントであり、それを実現した栽監督を"沖縄を変えた男"と評価するのは決して大げさではないのです。
私自身も高校野球ファンの1人ということもあり、沖縄出身の球児たちが甲子園で快進撃を続ける姿に県民一丸となって熱狂する姿は容易に想像ができます。
この表舞台だけに目を向けると栽監督の業績は華々しいものですが、その裏に秘められた強烈な逸話についても著者がかつての教え子だった球児を丹念に取材して聞き出しています。
代表的なものが、昭和のスポ根を地でゆく暴力が練習や試合時に振るわれていた点です。
時には選手へ対して「殺すぞ」という過激な発言も出ていたようです。
さらに先輩が後輩へ対しナイフで脅すような恫喝まがいの上下関係があったことも事実のようです。
私がもっとも悲劇的だと感じたのは、肩や肘を痛めた将来有望な投手へ対し監督命令として連投させ続け、野球選手としての生命を実質的に絶たれてしまったという例です。
暴力については現在では一発アウトな内容であることはもちろんですが、最近では体が成長過程にある高校投手の球数制限が議論になっており、この面でもかなりブラックな起用方法を続けて来たと言えます。
これだけを見れば、野球監督として実績を残すために高校球児を食い物にするヤクザまがいの監督という評価になりますが、彼が抱いていた沖縄人としての誇り、野球へ対する情熱は本物であり、そこをさらに掘り下げてゆくとまた違った一面が見えてくるのです。
本書を読み進めると場面ごとにさまざな感情が湧いてくる1冊ですが、栽弘義という男をどのように評価するかは読者1人1人に委ねられています。