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高熱隧道

高熱隧道 (新潮文庫)

北アルプスの北部に位置する黒部渓谷

そこは深い谷と急峻な崖に囲まれ、人はおろか猿やカモシカでさえも辿ることの出来ない地域でした。

本書はそんな人類未踏の地域に足を踏み入れ、戦前(昭和11年~昭和15年)に仙人谷ダムを建設した人々を描いた小説です。

工事現場までは崖の中腹に桟道を通す必要がありましたが、それは丸太をボルトで固定したものに過ぎませんでした。

そのため資材を運ぶだけでも多くのボッカたちが荷物もろとも崖下に消えていったのです。

そして何より困難を極めたのが、高熱の岩盤と湧き出る熱水に苦闘しながらのトンネル貫通工事であり、その通称がタイトルにある"高熱隧道"です。

当時は岩盤を無人で掘削してゆく巨大なマシンは存在せず、ダイナマイトによって岩盤を爆破し人力によって破片を運び出すというものでした。

資源の乏しい日本において当時は新たな水力発電所の建設が重要視されており、それは単なる公共事業に留まらず、大戦の足音が刻一刻と近づいてくる世相の中で工業力を強化する国策としても是非必要なものでした。

150度以上に熱せられた岩盤によって多くの人夫が倒れ、また高熱のため暴発するダイナマイトによって犠牲者が出たこともあり、工事は遅々として進まない状況でした。

そのため大掛かりな宿舎を現場近くに建設して冬季も工事を続行させますが、これがさらなる悲劇を生み出しました。

それが豪雪の冬に起こる泡雪崩(ほうなだれ)でした。

この凄まじい衝撃波を伴う雪崩が宿舎を人夫もろとも580m先にある奥鐘山の岩壁に叩きつけ、84名の命が一瞬にして失われました。

残念ながら工事着工から仙人谷ダムが完成するまでに300名を超える犠牲者を生み出すことになるのですが、この過程が作品には克明に描かれています。


この作品には3つの側面があります。

まずは地球の息吹を感じるかのような灼熱の岩盤、そして急峻な山と豪雪という組み合わせが生み出す恐ろしい雪崩など、雄大で厳しい大自然の姿を描いているという側面です。

次にその大自然へ果敢に挑戦し、いかなる犠牲を払ってでも目的を達成しようとする人間たちの執念や情熱という観点からの物語です。

そして最後に、帝国主義を掲げる国家権力を背景にした建設会社が工事を強行し、結果的に現場の最前線で働く多くの労働者(人夫)の命を失わせたという悲劇の物語としての側面です。

のちの太平洋戦争において多くの兵士たちの命が軽視されてしまった兆候が、すでにこのダム建設の現場に現れていたのです。

いつかこの仙人谷ダムへ訪れてみたいと思っていますが、実際にダムを目の前にした時、色々な感情の入り混じった複雑な気持ちになるのかも知れません。