人間の集団について―ベトナムから考える
ある国のことを知ろうとするとき、てっとり早くガイドブックから知るのが簡単だが、じっくりと腰を据えて歴史や伝統から知ろうとするのも悪くないかもしれない。
しかし本書の著者である司馬遼太郎氏は、必ず現地を訪れて取材をするという流儀を持った人でした。
それも現地の政治筋の人や新聞記者とは会おうとせず、地下の人、つまり普通に暮らしている民衆たちに接することで、肌身を通じてその国の空気に触れようとするスタイルなのです。
著者はベトナム戦争において米軍の最後の部隊が撤退した翌日(1973年4月1日)にサイゴンを訪れますが、南北ベトナムの内戦はまた続いており、連日のように多くの犠牲者が出ている状況でした。
それでも著者が出会ったベトナム人は誰もが微笑みを絶やさず親切であり、かつての日本がゆるやかな社会環境だった頃の人間に出会ったような懐かしさを感じると記しています。
もし会社の業績を伸ばすために必死に働く経営者やサラリーマンが多い日本で内戦が勃発したとしたら、殺伐とした神経の張りつめたような雰囲気に支配されるに違いありませんし、"例え"を持ち出すまでもなく、大戦中の国家総動員法や大政翼賛会といった民衆への重圧を強いるような社会状況にあったことをつい最近の歴史から引き出す事もできるのです。
数百万人もの犠牲者を出すような苛烈な状況下にあるにも関わらず、彼らの柔和さは奇跡のようなものと著者は感嘆すると同時に、ベトナムの自前の生産社会の歴史的段階は、日本の戦国時代か江戸時代初期の段階にすぎないとも指摘しています。
つまりメコン川を中心とした豊穣な土地で稲作をすれば充分に食ってゆけた村落を中心とした集団がベトナム人の基盤であり、近代国家の持つ重い理念に無縁であったという要因が大きいという鋭い分析を行っています。
そこへいきなり最新式のアメリカ資本主義が乗り込んできたことにベトナムの悲劇があるのです。
ベトナムと同じインドシナ半島にあるラオス、カンボジア、タイといった国々はいずれもインド文化圏として性格を強く持っていますが、ベトナムは歴史的に中国文化圏の影響を強く受けている国です。
こうしたアジアの多様な文化を知る上でも、また国や民族を外から観察する視点を養うという点からも、本書から得ることは多いのです。