あんぽん 孫正義伝
少なくともここ半世紀において、孫正義ほど日本で成功した起業家はいません。
10兆円に迫る売上高を誇るソフトバンクグループを率いる孫正義の軌跡や経営哲学をテーマにした本は数多く出版されていますが、今まで彼に関する本を手に取った機会がありませんでした。
本書は作家である佐野眞一氏が、孫正義のルーツに迫ったノンフィクション本です。
この400ページにもなる分厚い本を開く前には、孫正義のルーツに迫りつつも、起業に至るまでの過程、米ヤフーと合弁でヤフー株式会社を設立し日本の黎明期のインターネットを牽引し、J-PHONEや球団の買収などなど、数々のエピソードが満載されている本といった勝手な想像をしていました。
しかし実際に読み進んでゆくと、佐野氏は"経営者としての孫正義"ではなく、どこまでも"個人としての孫正義"に迫ってゆく方針であることが分かってきます。
そもそもプロローグで著者は次のように言い切っています。
私が孫正義という男について書こうと思ったのは、彼のデジタル革命論に興味を持ったからでもなければ、彼のコンピュータ文化論に共鳴したからでもない。そんなことは、新しいもの好きのIT評論家にまかせておけばいい。
孫正義のルーツに迫ってゆこうとすれば必然的に彼が在日三世であることに言及する必要があり、そこにこそソフトバンクグループを築き上げた源泉、そして今もトップとして君臨する彼の経営方針や発言のバックボーンが見えてくるといったアプローチをとっている点がポイントです。
孫は佐賀県鳥栖市の無番地、すなわち朝鮮部落のバラックで生まれました。
当時、密集したバラックに住む朝鮮人たちは、おもに養豚と密造酒で生計を立てていました。
住居と豚小屋が続いてる構造のため部落全体からは異臭が立ち込め、その脇を流れるドブ川は大雨が降ると溢れ出し、バラックを水没させてしまうような劣悪な環境でした。
そこから孫の父・三憲は、密造酒で稼いだ資金を元にサラ金を始め、やがて九州で最大のパチンコチェーン店を展開するまでに至ります。
バラック住まいから一躍大金持ちになった三憲は、それを才能に恵まれた正義に惜しみなく投資し、彼のアメリカ留学、そして企業資金を支えるまでになります。
ただし在日韓国人の父親がにわか成金になったおかげで孫正義が誕生したのか?と問われれば、それが明確に"ノー"であることは本書を読めば分かります。
そこに至るまでには、かつて朝鮮では名族として知られ、やがて没落して困窮のため日本に渡ってきた一族の3代に渡る壮大な物語がバックボーンとして横たわっています。
祖国を捨て新天地の日本でも差別と貧困に苦しみ、時には骨肉の争いも辞さない強烈な喜怒哀楽の歴史が、孫正義という人格の中に濃縮されているといえます。
正義の父(孫家)、そして母方(李家)の親族やその故郷を丹念に取材し、血のルーツを探ることによって、稀有な世界的起業家となった孫正義の生まれた理由に迫っており、こうしたアプローチで伝記を執筆するのは極めて珍しく、それだけに新鮮なインパクトを受ける1冊です。