レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

蚤と爆弾


吉村昭氏による史実を元にした歴史小説です。

本作品では、ハルピンの郊外に建設された広大な施設を拠点とした関東軍防疫給水部を扱っています。

俗に加茂部隊、または731部隊と呼ばれていましたが、こちらの方が有名かも知れません。

作品中では関東軍防疫給水部を実質的に指揮したのは軍医出身の陸軍中将・曾根二郎となっていますが、この名前はフィクションであり実在した石井四郎であることは明白です。

外界と遮断されたこの巨大施設には、スパイとして捕らえられた数多くのロシア人やモンゴル人、中国人たちが運び込まれてきます。

しかし彼らがこの施設で拷問されることはありません。

ある意味では拷問よりも恐ろしい生物兵器の実験台となる運命にあるのです。

この施設の捕虜たちは「丸太」という隠語で呼ばれ、一度この施設に収容されたが最後、再び生きて故郷に戻ることはありませんでした。

この"丸太"という呼称には秘密漏洩対策の意味も当然あったでしょうが、人間を実験動物のように扱う良心の呵責がそうさせたとも言えます。

「丸太であれば人間と違って手荒に扱っても構わない」というように。


実際にここで行われた実験は、捕虜たちへ病原菌を植え付けて死に至るまでの過程を詳細に観察したり、効果的な凍傷の治療方法を発見するための手足を壊死させる実験を行うなど、彼らが人格ある人間として扱われた形跡が微塵もありませんでした。

やはり戦争の恐ろしさとは人としての普通の感覚を麻痺させてしまうことであり、実際この部隊にいた軍人たちも普段や家族や仲間たちを大切に思う普通の人間だったと思います。

作品中に登場する曾根も祖国日本に貢献することを願い、生物兵器による攻撃も銃器や火器といった通常兵器と何ら変わらないという認識を持っていた人間でした。

にもかかわらず描写される関東軍防疫給水部での出来事は読む者を不快にさせ、犠牲となった捕虜たちへ同情せざるを得ません。

ただし不快な思いをしたくて小説を読む人はいません。
それでもこの作品を最後まで読み続けるのは、戦争という人類の所業の中で行われた悲劇から目を背けてはならないという義務感からなのかも知れません。