無名
ノンフィクションの第一人者である沢木耕太郎氏が自らの父親の介護、そして最期を看取るまでの体験を描いた作品です。
父親が最初に倒れた時、すでに著者は40歳を過ぎており作家として揺るぎない地位を築いていました。
つまり油の乗り切った時期といえるでしょう。
一方で沢木氏はスポーツに関するノンフィクションを得意としており、アスリートという肉体的、精神的に研ぎ澄まされた特別な世界を題材にすることが多い作家でもありました。
しかし本作品では、年老いた父親を看取るという誰の身に起こってもおかしくない経験を題材にしています。
つまり客観的に見れば平凡な出来事を題材にしたといえるでしょう。
看病の様子や病状を細やかにそして客観的に描写するという作家としての冷静な観察眼が見られる一方で、父との思い出やその時の感情を前面に出して描くという対極的な手法が作品中に同居しているため長編にも関わらず、単調なリズムの介護日記にはなっていません。
子と親との関係は、親子の数だけあるといってもいいでしょう。
経済的な理由により好きで得意だった学問の道を諦めた経験を持つ父は、寡黙で物静かな人物だったようです。
また子として父親と争った経験も、親へ対する反抗期すら記憶に無いと告白しています。
それでも著者にとって父とは、世間的に無名な人生を送りつつも膨大な知識を持った畏怖する対象でした。
世間的に有名か無名かは関係なく、誰にとっても人間の一生は壮大な物語になるということを実感させてくれる作品です。