柳生兵庫助〈5〉
本作品は長編ということもあり、主人公・兵庫助の周りにはさまざまな人間が登場します。
まずは祖父であり師匠でもある石舟斎。
そして諸国修行の旅に兵庫助と行動を共にする恋人の千世、伊賀忍者の子猿、柳生家の家来でありながら石舟斎の高弟でもある松右衛門など、その顔はバラエティに富んでいます。
その中で兵庫助と特殊な関係にあるのが、叔父である柳生宗矩です。
宗矩は石舟斎の末子ですが、石舟斎の孫である兵庫助とは8歳しか年齢が離れていません。
宗矩は徳川将軍家の兵法指南役として幕府の中枢で重きをなしている人物であり、剣豪というより1万石の所領を持つ大名といった方が正確な表現です。
一方の兵庫助は一度は兵法師範として加藤清正に仕官するもすぐに辞め、剣術修行のために諸国を旅する身分です。
兵庫助は、宗矩へ対して剣の腕よりも巧みな世渡りで出世したという軽い嫌悪感を抱いている一方で、宗矩は兵庫助へ対して剣術のほかに取り柄のない、権謀渦巻く政治の場では通用しない人間とたかをくくっている側面があります。
この2人が面と向かって対決することはありませんが、本作品では対照的な存在として描かれています。
もちろん本作品の読者としては兵庫助を応援したい気持ちになりますが、実際には宗矩からの依頼によって兵庫助が危険な役回りを担うことになります。
石舟斎より直々に印可状と目録一式を受け継いだのは兵庫助でしたが、叔父として、また石舟斎亡きあとの柳生家の当主として君臨する宗矩には頭が上がらなかったというのが現実のようです。
ただ実際には2人が対照的であるがゆえに柳生新陰流にとってはこれ以上ない都合の良い組み合わせだったと言えます。
兵庫助は剣の実力で柳生新陰流の名を高め、宗矩は徳川幕府の中枢で重臣としての腕を振るうことで政治的に柳生新陰流の地位を確固たるものにしたと言えるでしょう。
新陰流を切り開いた上泉信綱、柳生石舟斎はいずれも武将としての立身出世よりも、俗世間からある程度の距離を置いて剣の道を極める方に熱心だったことを考えると、兵庫助の気質もまったく同じだったといえるでしょう。
むしろ柳生一族にとって宗矩の存在が異端だったという見方ができますが、剣術を含めた兵法の極意は勝利を得ることであり、それを処世術にまで応用した彼の器量も大きかったと言えます。
いずれにせよ作品中で対比的に書かれるこの2人がストーリーを面白くしていることは間違いありません。