柳生兵庫助〈8〉
長編剣豪小説「柳生兵庫助」もいよいよ最終巻です。
兵庫助が兵法師範役として尾張徳川家に仕えてから長い年月が経ち、老齢に差し掛かかってからは隠居所で平穏な日々を送ります。
二男二女をもうけたお千代には先立たれますが珠という女性と再婚し、後進の指導や自らの稽古を変わらずに続けています。
多くの強豪と剣を交えそのいずれにも勝利してきた兵庫助はすでに円熟の境地に達しており、すでに名人・達人という存在でした。
よって本巻に登場するのはおもに次の世代を担う若者であり、兵庫助が彼らを指導するというストーリーになっています。
まずは叔父宗矩の息子である柳生十兵衛(三厳)です。
血の気のが多く、悪人を辻切りをしたり、道場破りを繰り返す十兵衛をたまたま逗留していた武蔵と一緒に懲らしめます。
次に兵庫助の2人の息子である茂左衛門(もちの利方)、七郎兵衛(のちの厳包)たちが日々稽古を続け成長してゆく姿も描かれています。
その過程はシリーズ1巻目で描かれた兵庫助の少年時代と重なるものがあり、長編シリーズならではの感慨に浸ることができます。
かつて祖父の石舟斎がそうだったように、兵庫助は老年となってからも若く頑強な相手に何もさせずに勝利する圧倒的な強さを誇っていました。
人間が肉体的にもっとも最盛期にあるのは20代くらいですが、剣豪には老年になってからも無敵であり続けるエピソードが数多く存在します。
後世の幕末にも天真一刀流の白井亨、一刀正伝無刀流を開いた山岡鉄舟、また新選組の斎藤一にも同じように晩年まで無敵を誇ったエピソードがあります。
もちろん近代のスポーツ科学ではあり得ない理論ですが、いわゆる"達人"と言われる人たちです。
彼らに共通するのは、実戦や修行を通して鍛錬を長年続けることで、人の心や動きが手に取るよう読めるようになるということです。
兵庫助はこれを次のように語っています。
「これが儂の力ではなく、神仏の力であることはあきらかじゃ」
具体的には日々の鍛錬はもちろん、山籠りと禅によって得た言葉に表せない境地を"神仏"という人間を超越した存在で表現したのです。