柳生兵庫助〈7〉
柳生兵庫助の生涯を描いた長編小説ですが、本書には兵庫助にとって永遠のライバルとして宮本武蔵が登場します。
同時代を生きた2人の剣豪ですが、実際に兵庫助と武蔵が出会い立ち合いを行ったという記録はありません。
吉川英治「宮本武蔵」において武蔵が柳生の里を訪れる場面がありますが、これもフィクションだと思われます。
ただ津本陽氏は、どうしても本作品中でこの2人を出会わせ、そして立ち合いを行う場面を描きたかったのでしょう。
そしてそれは、そのまま読者へのサプライズにもなっているのです。
全編を通じて何度か兵庫助と武蔵が出会う場面が登場します。
2人は最初、修行中の兵法家同士として出会い、やがてライバル関係になります。
そしてお互いの力量を認め合い、ライバルというより同志に近い関係に変化してゆきます。
ただし大大名ともいうべき尾張徳川家に仕える兵庫助と、未だ浪人として諸国修行を続ける武蔵とでは身分や待遇にかなりの差があります。
それでも兵庫助にとって兵法指南役として仕える徳川義直よりも、そして大勢の弟子たちの誰よりも2人の間には共感があったのです。
兵庫助のいる名古屋城下に武蔵が訪れますが、その際に家老である成瀬隼人正(正成)が兵庫助と次のようなやりとりをします。
隼人正:「武蔵は名人か?」
兵庫助:「仰せのごとくにござりまする。あれほどの兵法者には、なかなかにめぐりあいませぬ」
隼人正:「うむ、伊豫殿(兵庫助)がいま立ちおうたなら、勝てるであろうかの」
兵庫助:「われらは兵法者なれば、挑まれしときはいかなる相手とも立あいまする。主命なれば従いまするが、あいなるべくは武蔵と試合はいたしとうござりませぬ」
隼人正:「それはなにゆえじゃ」
兵庫助:「それがしか武蔵のいずれかが、おそらく落命いたすゆえにござりまする。命を捨てるは惜しからねど、得がたき兵法者を失うは惜しみてもあまりあることと存じまする」
武蔵もまったく同じことを考えていたに違いなく、もはや戦わずともお互いの力量は分かりきっていたのです。