高野長英
鎖国状態の日本へ突如来航した黒船が当時の日本人へ大きな衝撃を与え、明治維新へのきっかけとなった。
漠然とこんな幕末のイメージを持っている人は多いのではないでしょうか?
たしかに黒船来航は象徴的な出来事ではありましたが、この出来事によって日本人たちが突然危機感を抱き始めて、新しい思想に目覚めたわけではありません。
黒船が来航する以前から、アジアで進行しつつあるヨーロッパ諸国の帝国主義と植民政策に強い危機感を抱き、優れた技術を外国から積極的に取り入れて日本を近代化すべきと考えていた知識人は決して少なくはありませんでした。
高野長英は、その知識人たちの中でも代表的な役割を担い、佐幕派、尊王派といった垣根を超えて幕末の多くの志士たちへ思想面で多大な影響を与えました。
高野長英といえば同じく蛮社の獄で幕府から弾圧された渡辺崋山と一緒に言及されることが多いですが、両者が活躍した内容はだいぶ異なります。
渡辺崋山は田原藩の家老という立場で開明的な考えを持ち、蘭学者たちのパトロンや指導者として活躍しました。
一方の高野長英は蘭学医を目指すためシーボルトの門をたたき、やがて武士としての家督さえも捨ててヨーロッパ列強国の技術や政策を精力的に学び翻訳を行った学者として活躍した人物です。
この2人に共通するのはその考えがあまりにも先進的であり過ぎ、当時はまだ盤石だった江戸幕府から反体制の人間として弾圧され、非業の死を遂げたということです。
ただし渡辺崋山は当時としては開明的な思想を持っていましたが、高い身分の武士であったことから最後まで封建制度の枠を脱却することが出来ず、主君(藩主)のために切腹したのに対し、高野長英は周到な準備の上で脱獄し、長く続いた潜伏生活の中でも自首を考えたことはありませんでした。
華山も長英も蛮社の獄が鳥居耀蔵を中心とした幕府内部の権力争いの犠牲者であることを知っていましたが、その立場や考え方には大きな違いがあったといえます。
長英は明治維新後に正四位を追贈されたことからも分かる通り、その死後に評価された人物です。
そのため伝記にある長英の姿は美化され、事実の信憑性が疑われるものが混じっているようです。
本書は信頼できる史料を検証し、伝聞といった不確かな要素をなるべく排除して書かれた、高野長英の等身大の姿に迫ることを目的に書かれた伝記です。
著者は蘭学に専念するために借金を重ね、酒と遊興のために浪費する長英の気質を、後世の学者である野口英世になぞらえて評価している部分などは、思わずニヤリとしてしまうほど説得力があります。
日本史好きの読者なら、幕末前夜に活躍した1人の偉大な蘭学者の伝記として是非抑えておきたいところです。