レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

山怪 弐 山人が語る不思議な話


多くの子どもがそうだったように、私も妖怪や心霊現象といった恐ろしくも不思議なエピソードが大好きな1人でした。

かつては心霊研究家や霊能者がテレビに出演することは普通でしたし、当時は彼らの能力を疑うことなく食い入るように見ていました。
さらに水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される漫画やアニメも何度見返したか分かりません。

小学生高学年にもなるとこうした不思議な世界は徐々に頭の片隅に追いやられるようになりましたが、成人したのちに柳田國男の著書を読み、また日本各地の文化を知るようになると依然として例えば沖縄のユタ、東北地方のイタコ拝み屋(祈祷師)といった人びとが今も活動していることを知り、忘れ去ったはずの不思議な世界に再び興味を惹かれるのです。

本書は日本各地の山間地域で今も現在進行系で生まれつつある不思議な体験をひたすら収録した田中康弘氏「山怪」の第2弾です。

構成は前作とまったく同じで、第1弾に収まりきれなかった、もしくは取材によって新たに追加されたエピソードが収録されています。

あえて言えば狐憑き蛇の憑依、もしくは犬神憑きといった話は前作に無かった類のエピソードかも知れませんが、いずれにせよ山村に住む人々、猟師や林業従事者、修験道の行者など"山"との関わりが深い人たちの体験談であることに違いはありません。

本書の面白い点の1つは、しばしば不思議な現象を迷信や錯覚としてまったく信じない人びとの話も収録している部分です。

著者は取材の過程では決してその考えを否定しませんが、一方で彼らに共通するものを冷静に観察しているのです。

時々あれは何だったのかと思い出し、それを他人に話したりする。そして最後に、"あれは錯覚だったのだ"と再確認しようとする。
一生のうちに何度もこの作業を繰り返すことこそ、怪異を認めている証拠ではないだろうか。中には完全に記憶から消し去る人もいる。しかしそれがふとした弾みで口から飛び出す場合もあり、そんな時は当の本人が一番驚いているのである。

さらには、まったく違うベクトルで怪異を受け止める人もいます。

八甲田山麓のある宿泊施設で明治時代の陸軍歩兵の霊(もちろん八甲田雪中行軍遭難事件の犠牲者と思われる)が真夜中に館内を歩き回るのをほとんどの従業員が目撃しているものの、怪談話にもなっていないというエピソードです。

「最初は驚くんだけどねえ、すぐ慣れるみたいだよ。何かする訳じゃないし、怖いと感じもしないらしいね。ただ歩いているだけだから」

他にも日常風景や自然現象と同じように怪異を受け止める人びと、つまり怪異が生活の奥深くに根付いてる地域も存在しているのです。

しかし私たちに彼らを時代遅れの迷信深い人と批判する資格はありません。

なぜならお盆には亡くなった先祖が家に帰ってくる、四十九日の法要が終るまでは死者は成仏しないという風習を迷信と放言する人は少ないはずだからです。

人知を超えた存在、科学では説明しきれない事象、それは日本の山に今も息づいているのです。